山背国の春日神③ ~蚕ノ社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

映画村でも有名な
京都の太秦(うずまさ)に

木嶋坐天照御魂神社
(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
があります。

あまりに長いので、
蚕ノ社(かいこのやしろ)

という通称もあるようです。



賀茂(かも)氏とも縁のふかい
秦(はた)氏の神社といわれ、

ずっと訪ねてみたいと
願っていた神社でした。

 

今回はホツマ仲間の

なぁぶぅさんとご一緒して

行くことができました~!

 


太秦(うずまさ)という地名にも
「秦」の字がはいっているように、

ここは太古より
渡来系の民族の秦氏が
開拓した地といわれ、

松尾(まつお)大社をはじめ
秦氏ゆかりの神社仏閣が
おおく建ちならんでいます。



平安京の造営や、
天皇家にも深く関わってきた
秦氏はいまだに
謎につつまれた民族で、

さまざまな説が囁かれる
古代ミステリーのひとつです。

 



とくにこの
蚕の社の境内は
奇妙な遺物にあふれ

神社・古代史・
オカルトファンをはじめ
おおくの方々を
虜にしています。



創建は不明ですが、
 

すぐ東にある
秦氏ゆかりの
広隆寺(こうりゅうじ)は、


600年ごろの

創建といわれており、

関係が深いといいます。

 



祭神は

天之御中主神
(あめのみなかぬし)

大国魂神
(おおくにたま)

瓊瓊杵尊
(ににぎ)

穂々出見命
(ほおでみ)

鵜茅葺不合命
(うがやふきあえず)

だといいます。



天之御中主は
この世のすべての
原初神であり、

宇宙そのものとも
いえるような
神さまのなかの神さまです。

 

ただ一説には、
「天照御魂神社」の名前とおり、

天照大神を祀っていたとか、
天照国照天火明命(ホノアカリ)を
祀っていたともいうようです。



京丹後の
籠(この)神社でも祀られている、
瓊瓊杵尊の兄ですね。

当初は

兄・ホノアカリが
世継ぎになるはずでしたが、

弟・ニニキネのほうが
優れていたといいます。

けれども、

おなじ名がほかにもあって

よくわからなくなっているようです。

 

 

系図でいえば

こうなるようですね。

 

こうした流れから、


天照大神の

孫・ニニキネ
曾孫・ホオデミ
玄孫・ウガヤ

祀っているのかもしれません。


また、大国魂は、
ホツマツタヱにいう
事代主(ことしろぬし)の

クシヒコのことで、

愛宕山(あたごやま)を越えた
出雲大神宮(いづもだいじんぐう)でも

后のミホツ姫さまとともに

祀られています。

 

桂川(かつらがわ)をとおして、

亀岡の出雲族

葛野の秦氏は協力していた

といいますから、

 

そういう繋がりも

あるのでしょう。

 



本殿は
昨年の台風の影響で
改修中でした。

本殿の右には、
蚕ノ社の由来ともなった、

蚕養(こかい)神社が

あるといいます。

 

社殿創建以前の
500年ごろ、

秦氏はおおくの絹・綾を
織りなしたことから、

雄略(ゆうりゃく)天皇より
「禹豆麻佐(うづまさ)」の
姓をたまわったといいます。

そこでのちにこの地を
太秦を呼ぶようになり、


社殿建立のさいに

合わせ祀ったといいます。



養蚕でいえば、
山口県下関市の

忌宮(いみのみや)神社にも

ありましたね。

また本殿左には、
顕名(あきな)神社があり、

下鴨(しもがも)神社にもある
三井グループの三井家
祖先を祀る神社だといいます。

三井家は、

秦氏とも賀茂氏とも

関わりがあるのでしょうか?

 



さて、
蚕ノ社には

元糺の池(もとただすのいけ)という
禊祓いの霊場があります。



現在では
水が枯れていますが、
かつて湧き水の

池があったといいます。

また

「元糺」というように、


下鴨神社の
糺の森(ただすのもり)
語源になったともいいますが、


よくわかりません。



そんな
元糺の池の一角に、



京都三珍鳥居にも
かぞえられる
三柱鳥居(みはしらとりい)があります。

 



三角形に組まれた鳥居で、
中央には
磐境(いわさか)があるようです。

 



面白いのは
この鳥居がむいている
3方はそれぞれ。

北に
双ヶ岡(ならびがおか)

南西に
松尾山(まつおやま)

南東に
稲荷山(いなりやま)

があり、
それらすべて
秦氏ゆかりの霊場だといいます。



さらに、
それらは夏至や冬至の
日の出・日の入のラインにあたり、

そのラインを延長すると、
愛宕山(あたごやま)や
比叡山(ひえいざん)など

京都を守護する霊峰に
ゆきあたるといいます。

さらにいえば、
双ヶ丘は平安京の
真西にあたります。



とはいうものの、
稲荷山だと
正三角形にはならなくて、

山科(やましな)区の
花山稲荷(はなやまいなり)

するとぴったり
正三角形のようです。

そうしてそこから、
線をひくと、

出雲大神宮の磐座にも
ゆきあたりそうなので、
そちらのほうが面白いかな
とはおもいます。



由緒にもありますが、
これは中国にはいってきた
キリスト教・ネストリウス派である
景教(けいきょう)の影響も
みられるといいます。

ですから三柱鳥居は
三位一体(トリニティ)を
あらわしているという説もあるようです。


景教は
大秦 (だいしん・ローマ)で興ったことから
中国に大秦寺(だいしんじ)を
建てたといいます。

 

またまた「秦」の字ですね。

 



さて、
蚕の社で興味深いものが
もうひとつあります。

椿丘大明神の碑もある、
稲荷社が祀られる一角です。

 



ここ蚕ノ社は
古代遺跡でもあり、

弥生時代の土器なども

見つかっているといいます。

 

 

鴨川デルタにもある

賀茂氏の三叉路

でしょうか?

 

 

こちらは

白清社というお稲荷さんです。

「はくせい」と読むのでしょうか?

 

古墳のようにみえます。

 

ここは、
南へ1キロほどいった
秦氏ゆかりの
天塚(あまづか)古墳の

 

石室に祀られていた

稲荷神を勧請したといいます。


やはり秦氏は
お稲荷様を信仰していた
のでしょうか?

洞のなかは

ひんやりと涼しく

ひそやかな空気が

漂っていました。

 

 

三叉の右奥には、

白塚と書かれた

碑がありました。

 

これもお稲荷様でしょうか?

 

この碑の裏や、

元糺の池のまわりには

元糺の森という原生林が

ひろがっているようです。

 

また、

三叉路の手間にも

2つほど社がありました。

 



どちらも

お稲荷様ですね。

 

ん~気になります。

すっかり

魅了されてしまいました。

 

じつは今後もたびたび、
訪れることになります。


山背国の春日神④ へ つづく

 

 

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☆山背国の春日神・全記事リスト☆

山背国の春日神① ~長岡天満宮~

山背国の春日神② ~大原野神社~

山背国の春日神③ ~蚕ノ社~

山背国の春日神④ ~吉田神社~