山背国めぐり⑤~花山稲荷神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

京都の
山科(やましな)区にある、
花山(かざん)稲荷神社です。



ホツマツタヱの研究によると、
かつてここは、
『ハナヤマ』といわれ、

キツネの反乱軍が、
蜂起した地ではないかと
いわれています。



キツネについては、
摂津ぶらり考① ~難波神社~
でも書きましたが、

葛野群(かだのぐん)を治めていた
カダマロに鎮圧されました。

負けたキツネは、
カダ氏の祖神である
ウカノミタマを
祀ることになったといいます。



そのうち、
もっとも有名なものが、
伏見稲荷大社なのですが、

花山神社は、
稲荷山をはさんで
反対側にあります。

またここは、
伏見稲荷の元宮・母宮とも
言われているそうです。

なぜかというと、
花山神社の祭神には、

神大市比売大神
(かむおおいちひめ)

というかたが祀られていて、

古事記では、
ウカノミタマの母親に
当たるのだといいます。



大市比売さまは、
京都五条の
市比賣神社でも
祀られていました。

女人厄除けの神社で、
多くの女性が訪れるといいます。



しかし、

大市比売というように

 

もとは、

京都の市場の

守護神であったようです。

 



面白いのは、
市比賣神社の御神体は、

第65代・花山(かざん)天皇の
作による神像だといいます。

 



17歳で即位して、
19歳で出家した方ですが、

その出家先が、
花山稲荷神社の北にある、
元慶寺(がんけいじ)だといいます。

花山の地に出家したので、
花山院や、花山法皇と
よばれるようになったようです。

もちろん、
花山稲荷へも
度々参詣していたようです。

 



話しは逸れますが、

 

花山法皇さまは、
瀬織津姫(せおりつひめ)さま
の崇敬も厚かったといいます。

瀬織津姫さま由来の土地を、
花山院御領としたり、

六甲比命神社にも
碑名を残したりしています。


さて、
そんな花山の地ですが、

ここも太古より
交通の要衝だったようです。

 



西山と東山に挟まれた
山科盆地では、

京都からの
東進ルートと、

奈良からの
北上ルートが、
合流し、

滋賀大津の
逢坂関(おうさかのせき)へ
抜けらるのです。

瀬田の唐橋へは
すぐそこですね。



こうした立地ためか、
遺跡もおおく、

縄文や弥生の時代より、
栄えていたようです。

花山神社の境内にも、
弥生時代の円墳が
のこっているといいます。



また
この円墳がある
稲荷塚には、

キツネの伝説も
あるようです。

境内の
達光宮(たつこうのみや)には

天目一筒大神
(あめのまひとつのおおかみ)

が祀られています。

 



鍛冶の神であり、
「ひとつ目」とは、
片目をつぶって鉄を打つ
鍛冶屋の職業病だといいます。

この地はむかし、
鍛冶や製鉄で
栄えていたともいいます。



その御利益にあやかって、

平安時代の刀工、
宗近(むねちか)は、

天皇に献上するための
刀をうつ際に、

ここ
花山神社の稲荷塚に、
「ふいご」を築いたといいます。

宗近が
鉄をうちはじめると、

どこからとなく
3人の童子があらわれて、
相槌を打ったといいます。

これが
じつに見事な相槌で、
またたく間に
名刀が完成したそうです。

ところが、
そのときにはもう、
童子の姿はなかったといいます。

宗近は、
花山稲荷の加護に
違いないとして、

この刀を
「小狐丸(こぎつねまる)」
と名づけたとそうです。



この古事から、
神社では毎年
「ふいご祭」行われ、

火焚串を燃やして
一年の穢れを祓うといいます。

さらには
火勢の盛りに
みかんを投げ入れ、

神事がおわると、
焼けたみかんを
みんなで食べるのだそうです。

これには無病息災の
御利益があるといいますが……

かつてはみかんではなく、
橘を投げていたといいます。



カダマロが
キツネの反乱を
治めるときには、

油で揚げたネズミを
投げ入れたといいますが、

火中に橘を投げるというのは、
その様を思わせます。

橘というのは、
国常立尊(くにとこたち)の教えの
象徴だそうですから、
意味深ですね。

 

創建は、

第60代・醍醐(ごだい)天皇に

よるようです。

 

花山を訪れた

醍醐天皇の夢に、


白髭白髪の老人があらわれ

「私をここ祀れば、

国民と国土を守りしましょう」

と神託を受けたそうです。
 

老人は

「ウカノミタマである」と

名乗ったそうです。

 

 

一説には、

ウカノミタマ(ウケモチ)の一族は、

代々ハナヤマの地を治め、

 

先進の農業技術を

もっていたともいいます。

 

ウケモチの名は、

世襲されて

農水大臣のような

役職名だったともいいますから――

 

もしかすると、

白髪の老人は、

カダマロだったかもしれませんね。

 


さて、
この花山には
もうひとつ
興味深い話があります。

赤穂浪士(あこうろうし)の
大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が、
潜伏していたそうなのです。

 



浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)
亡きあと、
お家断絶となるのですが、

内蔵助は
仇討ちの意志を悟られぬよう、

京都の花街に
毎晩出掛けて、
腑抜けを装っていたといいます。



潜伏の手引きをしたのが、
おなじく赤穂浪士の
進藤源四郎(しんどうげんしろう)で、

内蔵助とは
遠縁の親戚であり、
妻の姉婿でもある人物です。

花山神社の社殿は、
この
進藤源四郎の作だといいます。



また境内には、

内蔵助が沈思黙考した
断食石や、

仲間と血判をした
血判石、

寄贈した鳥居などが
残っているそうです。

断食石は、
もとは10畳もある
巨岩だったそうです。

しかし
明治に破砕されて
1畳ほどになったようです。

宮司さんによると、
太古の昔に祭祀された
磐座だったかもしれないそうです。
 

 

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山背国めぐり② ~御蔭神社とカモの神~

山背国めぐり③ ~カモ考~

山背国めぐり④ ~祟道神社~

山背国めぐり⑤ ~花山稲荷神社~

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