稲荷山の東麓にある、
山科(やましな)神社です。
創建は、
第59代・宇多(うだ)天皇に
よるようです。
ご祭神は、
日本武尊(ヤマトタケ)と
稚武王(ワカタケ)だといいます。
ワカタケとは、
ヤマトタケの息子だそうです。
この
ワカタケの子孫が、
山科区西野山の豪族、
宮道(みやぢ)氏であり、
宇多天皇の妻である、
藤原胤子(ふじわらのたねこ)の
母親が宮道氏だったようです。
胤子はのちに、
第60代・醍醐天皇を
産みましたので、
天皇の母となった
宮道氏は
さらに栄えたといいます。
ですから、
ワタタケやヤマトタケは、
ヤマトタケの血筋は、
史書の記述に
妙なところがあるのです。
例えば、
ワカタケですが、
古事記だと、
母親はオトタチバナ姫です。
この方は、
荒波を鎮めるために
入水して命を絶ち、
ヤマトタケの海路を拓いた方です。
ところが
日本書紀だと、
母親はフタジイリ姫となります。
仲哀天皇を産まれた方で、
ワカタケは弟になるようです。
では
オトタチバナ姫との
あいだにできた子はというと――
稚武彦王(ワカタケヒコ)
という子がいるのです。
つまり、
稚武(ワカタケ)と
稚武彦(ワカタケヒコ)が
いるのでした。
さて、
困ったときには
ホツマツタヱです。
こちらをひもといてみると――
さらに混乱が生まれました。
母親違いで
名前が似ている子が
他にもいるのでした。
イナリワケ(稲入別命)と
イナヨリワケ(稲依別王)、
タケミコ(武卵王)と
タケコカヒ(武殻王)です。
実際に、
混同もされているようです。
ここまで似ていると、
なにかの意図を
感じてしまいます。
では、
宮道氏に繋がっているのは、
どちらかというと、
先代旧事本紀には、
フタジイリヒメの子の
ワカタケだとあるようです。
しかしここにも、
謎がありまして、
先述の
タケミコ(武卵王)は、
宮道別(みやぢわけ)氏の
祖神だといいます。
「宮道」とはなにか、
「別」とはなにか、
このあたりにも
ミステリーがあるようですね。
が、
今回は追及せずに、
山科神社に戻ります。
創建の由緒や、
祭神について書きましたが、
この神社の重要性は、
なによりも
稲荷山の東にあると
いうことだと思います。
稲荷大社にばかり
目がいってしまいますが、
稲荷山というのは、
とてつもない霊山です。
その山の、
東側を守っているのが、
この神社であり、
日本神話きっての
英雄であるということが
興味深いように思います。
東麓とは書きましたが、
かなりの傾斜を上ったところにあり、
境内からは山科盆地を
眺望できます。
そしてその参道は、
まっすぐに
盆地と稲荷山を
稲荷大社との関係に
よるのかもしれませんね。
ヤマトタケが祭神で、
本殿が赤いというのは
とても珍しい気がします。
これは
室町時代の建築物
かもしれないそうです。
この神社で、
ぼくがいちばん
心を躍らせたのは、
本殿の裏の
稲荷山山中に、
小さな祠がみえたことです。
深い深い意味が
隠されていそうです。
それにここは、
稲荷山の力を
感じられる場所でもありました。
個人的には、
とても素晴らしい
パワースポットだと感じました。
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山背国めぐり ~終~
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