近江大津めぐり①~日吉大社と摂社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

京都・平安京の、
鬼門を守るといわれる
比叡山(ひえいざん)の

東の麓に、
日吉(ひよし)大社が
あります。



かつては
比叡山のことを
日枝(ひえ)の山といい、

日吉大社も、
日枝(ひえ)神社と
いっていたといいます。



祭神は、
大山咋(オオヤマクイ)です。

古事記によると
ヤマクイは、

近淡海の国の
日枝の山と、

葛野(かずの)の
松尾(まつお)に鎮座すると
書かれているようです。



葛野の松尾とは、
松尾大社のことです。

山城国の松尾大社① ~秦氏~
山城国の松尾大社② ~市杵島姫~
でも書きましたが、

日吉大社と松尾大社は、
とても関係が深いようです。



ホツマツタヱによると、
日枝の山を築いたのは、
ヤマクイだといいます。

この神話から、
日枝の山の

背(うしろ)にあたる
京都一帯のことを、


山背(やましろ)
と呼ぶようになったといいます。

 



比叡山といえば、
延暦寺(えんりゃくじ)が
有名ですが、

歴史でいえば、
日吉大社のほうが
はるかに古いようです。


そのためか

境内もとても広いです。



ですが、
大きくわけると


西本宮(にしほんぐう)と

東本宮(ひがしほんぐう)に

わかれているようです。



まずは
西本宮から行きました。

日吉大社にしかない
山王鳥居(さんのうとりい)をくぐり、

磐座だらけの
参道をすすむと



西本宮の
巨大な赤い楼門へ

行きつきます。

 

これは
1586年ごろの作と
言われているようです。

織田信長の
延暦寺焼き討ち(1571年)では、

日吉大社の社殿も
ことごとく
焼失したといいます。

その再建が、

1586年以降であり、

 

境内の古い建築物は

400年以上の

歴史があるようです。

 

ですから、

ほとんどが

重要文化財に

指定されているようです。

 

 

再建には、

豊臣秀吉が

尽力したといいます。

秀吉は、
幼名を「日吉丸」、
あだ名を「猿」と

いったそうですが、

 

日吉大社では、

猿を神使(しんし)と

しているといいます。

 

また参道には、

猿磐(さるいわ)という

磐座までありました。

 

 

秀吉も深い縁を

感じていたようです。

さて、こちらが
西本宮の本殿です。

 


こちらは
国宝だそうです。

日吉大社だけにみられる
日吉造(ひえづくり)という

建築様式だといいます。

神仏習合の時代には、
こちらで仏さまも
祀っていたといいます。

 



祭神は、
大己貴神(オオナムジ)です。

ナムジといえば、
島根の出雲大社で
祀られる
大国主命(オオクニヌシ)
のことですが――

西本宮は、
奈良の大神神社
勧請だそうです。

だとすれば、
ホツマツタヱ的には、
クシヒコ(事代主)の
ことかもしれませんね。

 




西本宮から
東本宮へ向かう途中には、
さまざまな摂社があります。

まずは
宇佐宮(うさぐう)です。



祭神は、
田心姫(たごりひめ)だといいます。

天照大神の子で、
ナムジと結ばれて、
クシヒコを産まれる方です。


 

社の床下には

大きな磐座があるといいます。


こちらも
日吉造だといいます。

日吉大社では、
どの社も、
水路で清めてあるようです。

 



なにより気になるのが、
この橘です。

 



橘といえば、
ホツマツタヱ的には、

原初神である
国常立尊(くにとこたち)さまの
教えの象徴でもあります。

それが神木として、
社殿を守っているという光景は、
はじめてみました。

また、
宇佐若宮には、
シタテルヒメさまが
祀られていました。

 



おそらくこれは、
古事記の系譜に
則ったもので、
田心姫の娘ということでしょう。

ホツマツタヱでいえば、
高照姫でしょうか。

この写真で興味深いのは、
胸元の
火炎宝珠(かえんほうじゅ)です。

日吉大社の境内では、
いたるところに、


竈(かまど)神の
オキツヒコさまが
祀られていました。



古事記では、
ヤマクイの兄に
あたるからでしょうか?

話はそれますが、
宇佐宮内の気比社では、
仲哀(ちゅうあい)天皇が

祀られていました。

 



ヤマトタケの子で、
神功皇后(じんぐうこうごう)を娶り

応神(おうじん)天皇の父となる方です。

この方は、
日吉大社の南にある、
高穴穂宮(たかあなほのみや)で
即位されたようです。

またそこは、
穴太(あのう)とよばれる
地域で、

 

穴太衆(あのうしゅう)という、

石工集団が

暮らしていたといいます。


古墳築造などを行っていた
一族の末裔であり、
大阪城や安土城の
石垣も作ったといいます。

 

歴史スぺクタクルですね。



さてさて、
つづいては、
白山宮(しらやまぐう)です。



祭神は、
菊理姫(きくりひめ)です。



気になるのは
『旧称・客人(まろうど)』
のほうです。

客人神というのは、
客人扱いされた神のことをいい、

 

もともとの地元神や、

他宗教の神をいうそうです。

となると、
ここは菊理姫さまが

客人扱いだったのか、
 

それとも
他の神様が

客人扱いを受けていて、
現在は菊理姫にかわったのか――
気になります。

さて、
ようやく東本宮です。

 



こちらも楼門で
囲まれています。

まずは摂社の
樹下宮(じゅげぐう)です。

 



鴨玉依姫神(かもたまよりひめ)を
祀っているそうです。

玉依姫さまは、
山背国めぐり② ~御蔭神社とカモの神~
山背国めぐり③ ~カモ考~
で書きましたが、

謎の神の子を
身籠って
賀茂別雷(かもわけいかづち)を
産んだ方です。

その後は、
ウガヤフキアエズの乳母になり、

やがて

ウガヤと結ばれて、

初代・神武天皇を
お産みになります。

 



ですが!
日吉大社では、

玉依姫は、

謎の神ではなく、
ヤマクイと結ばれているのでした。

しかも、
鴨族の証のように、
「鴨」玉依姫と
なっています。

 



東本宮のなかは、

古事記の系譜でいう

ヤマクイ家で

固められていました。

大物忌神社には、
ヤマクイの父である
大歳神(おおとしかみ)を、




新物忌社には、
ヤマクイの母である
天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)を
祀ってありました。

 



家族水入らずですね。

 

ちなみにここには、

亀井霊水という

水が湧いています。

 


とても清らかな水で

飲用水として

持ち帰る方もいるようです。

 



ここにもあるように、

東本宮の神紋は

双葉葵(ふたばあおい)だそうです。

 



これは京都の
下鴨神社や

上賀茂神社と

つながるのではないでしょうか?

 

カモカモしくなってきました。

そんなカモ考は、

また次回に譲ります。


さてこちらが、
東本宮本殿です。



こちらも

国宝だそうです。

 

そしてもちろん、

日吉造だといいます。

 

日吉造は、

世界に3棟しかないそうです。

 

東本宮本殿と

宇佐宮本殿と

西本宮本殿ですね。

 

祭神はもちろん、

ヤマクイさまです。

 


さて、

いったいヤマクイと

玉依姫さまには

なにがあったのでしょうか?

 

どんな密約が

交わされたのでしょう?

 

残るは、
日吉大社の裏、
八王子山頂の磐座です。

 

その磐座が、

日吉大社の起源だと

いわれています。

 

けれども長くなってしまったので、

つづきは、

次の記事にまわします。

 


近江大津めぐり② へ つづく

 

 

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