山背国の賀茂めぐり② ~糺の森~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

下鴨(しもがも)神社が

鎮座する、
糺の森(ただすのもり)です。


 

すっかり
春めいていました。

この森は
約12万4千平方メートル、
東京ドーム3個分という
広さだそうです。

 



しかし、
平安京遷都時は
500万平方メートルもある
大森林だったといいます。

それはそれは広大な

原始林だったことでしょう。

 

遷都以前の京都は、

森と湖の土地だった

といいますから、



 

もしかすると、

鴨川と高野川に

はさまれた地域一帯、

 

下鴨神社から、

上賀茂(かみがも)神社、

神山(こうのやま)、

御蔭(みかげ)神社にわたる

一帯すべてが、

 

糺の森、

だったのかもしれませんね。

 


現在では、
下鴨神社をふくめ、
世界文化遺産に
指定されているようです。

 



河合(かわい)神社でも
書きましたが、

「ただすのもり」の

由来にも

諸説があるようです。

鴨川と高野川の合流する

州の只中にある神社、


只洲杜(ただすのやしろ)
からきているとか、



清らな水が湧くことから
直澄(ただす)と
呼ばれたとか、




神徳によって
偽りを糺すことから
呼ばれた、

などあるようです。

この

「糺の神」については、
源氏物語や枕草紙にも
記述があるといいます。



また、

秦氏の伝承がのこる

「蚕の社」周辺の

「元糺の森」からきている、

という説もあり、

 

日吉(ひよし)大社のこともあって、

秦氏との関係も
気になるところです。



平安京以前は

原始林だったと

書きましたが、

神社の由緒は
神代まで

さかのぼるといいます。

森からは、

縄文時代や

弥生時代の遺跡まで

発掘されているようです。

京丹後の
大宮売(おおみやめ)神社でも

聞いたように、
 

やはり川が
主要道路の役目を

果たすのでしょう。

 

カモ氏を知るうえで、

川と神社の

位置関係は外せないでしょう。

 

森のなかには、
平安時代の祭祀場あとも

発掘・復元されていました。


森のなかでも、

とりわけ惹かれるのが、

この遺跡です。

 

千年前へと

想像をたくましく羽ばたかせます。


 

歴史のある森なのに

細木が目立つのは、
 

昭和9年に襲った
室戸台風の

水害によるようです。

このとき、
樹木数は97本にまで
激減したといいます。

再生事業によって、
森は回復してきたようですが、

残っている巨木は、

その97本の

生き残りたちのようです。



この森では、
いまでも様々な神事が
行われているといいます。

葵祭(あおいまつり)、
御蔭祭(みかげまつり)
流鏑馬神事(やぶさめしんじ)など
観たいお祭りが

たくさんあります。

とくに御蔭祭は、
御蔭神社を往復するので、
カモ氏のルーツにも
深く関わるようです。




さて、

森の中にもたくさんの
摂社末社があるので、
ざっくりご紹介します。



雑太社(さわたしゃ)です。
 

日本ラグビーの歴史に

深く関わる試合が、
この地で行われたことから
ラグビーの聖地となっているようです。

 



祭神は
太田命だったといいますが、

いまでは

祖神の賀茂建角身(タケツミ)と、
 

タケツミの祖父であるという、
神魂命(かみむすび)を

祀っているようです。

 



おもしろいのは、
神魂と書いて
「かもす」とよむ神社が

島根にあるということですね。

 

「かも」と「神」とは

やはり近いのかも

しれませんね。

 

 

鈴が

ラグビーボールでした。

さて次は、
賀茂斎院御歴代斎王神霊社
(かものさいいんのごれきだいのいつきのみやのみたまのおやしろ)です。

 



斎王とは、
賀茂神社に
巫女として奉仕した
内親王や皇女のことで、

その初代から
35代までが
祀られているようです。

かつて
河崎社(こうさきのやしろ)という
摂社に祀られていた
大伊伎命(おほいぎ)という方も
祀られているようです。



糺の森や境内には
七不思議が
あるようです。

たとえば、

「連理のサカキ」は、


枯れると

境内にかならず

新しいサカキが見つかるといいます。

ホツマツタヱのようですね。

 

 

願い事が叶うなら

小石が跳ねるという

「烏の縄手」も見つけました。

 

森の中でいうと、

ほかには

古代祭場である

「切芝(きりしば)」や、

「船ヶ島(ふねがしま)」という

吉凶占いの旧跡も

七不思議だといいます。

さてでは

摂社・末社を続きます。


印納社(いんのうのやしろ)は
印鑑の神社だといいます。



ここで祀られている

印璽大神(おしでのおおかみ)は、
伏見稲荷(ふしみいなり)大社でも
祀られているようです。

 

広大な敷地や

長大な歴史のなかで

 

摂社や末社は、

遷座したり、

合祀されたりしていたようです。

 


境内には
「奈良の小川」というのが
通っていたといいます。

 

 

これは

百人一首の歌にもなっていて、


風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける


の「ならの小川」は、
糺の森のことだそうです。



河合神社では、

鴨長明(かものちょうめい)が

瀬見の小川(せみのおがわ)を

詠ったと書きましたが、

 

この川を命名したのも、
賀茂建角身だといいます。

 

たしかにこの森は

歌を詠むには

とてもいいかもしれません。

 

 

では次回は、

下鴨神社の境内に

入ってゆきます。

 

 

山背国の賀茂めぐり③ へ つづく

 

 

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