山背国の賀茂めぐり① ~河合神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

古代氏族である
カモ氏への想いがつのり

京都の
賀茂系の神社をぐるりと
ひとまわりしてきました。



まずは
下鴨(しもがも)神社からです。

京都盆地の東側、
鴨川(かもがわ)と
高野川(たかのがわ)の
合流地点に、

 



原生林のひろがる
糺の森(ただすのもり)

があります。


下鴨神社は、

その森のなかにあります。

 



正式名称は
賀茂御祖(かもみおや)神社
というのですが、

どうにも覚えにくいので
下鴨神社のほうが
馴染んでいるようです。

 



東京ドーム3個分という

敷地は広大で、

 

参道は

この鳥居から1キロほど

続いています。



参道をあるいて
最初に行き当たるのが、

第1摂社の
河合(かわい)神社です。



女性守護の神社として、
美麗の神を
祀っているといいます。

「かわい」という名から、
「かわいい」というイメージが
浮かんでしまいますが、

もちろんこれは、
鴨川と高野川の
交わる場所という意味の

「河合(かわあい)」から
きているようです。



ふるくは、
「ただすのやしろ」とも
言われていたようで、

「只洲社(ただすしゃ)」という
表記もあったようです。

ですから、
「糺の森」の語源は、
「洲のただ中にある社(もり)」であり、

 

この河合神社から
きているともいいます。



ここで祀られている
美麗の神様とは、


玉依姫(たまよりひめ)
だといいます。

貴船神社の奥宮
八瀬の御蔭神社
滋賀の日吉大社でも

祀られていた方です。

 

この方は、

初代・神武天皇を

お産みになられた方でもあります。



鞍馬・貴船めぐり⑨ ~豊玉姫と玉依姫~
でも書きましたが、
ホツマツタヱによると、

貴船神社に隠れ住んでいた
豊玉姫(とよたまひめ)は、

義父の瓊瓊杵尊(ニニキネ)に
説得されて、
 

弟の賀茂建角身(タケツミ)とともに

ここ河合の地で

静養したそうです。



やがて豊玉姫は

夫・山幸彦(やまさちひこ)を許して、
宮中に戻りました。

そこで弟の建角身は
イソヨリ姫を娶って、

この河合の地を治めることに

なったようです。



この建角身と、

イソヨリ姫の子が、

玉依姫です。

つまり河合神社は、
神武天皇の母が
産まれた地でもあるようなのです。

 


そこで
祭神をみてゆきますと、

まず興味深いのは

三井(みつい)社です。



その社殿は、
もっとも川に近い

境内の南端にあり、


本殿と向かい合うように
築かれていました。

 



ここでは、
親子が仲良く並んでいした。

伊賀古夜日賈とは、
イソヨリ姫のことです。

この社の配置も
とても意味深です。

 

では、
本殿はというと、

もちろん玉依姫です。

 



ここにははっきりと、
「神武天皇の御母神」と
あるようです。

 

玉依姫の名は、

 

玉のように

美しい方だったとか、

 

 

父・建角身の夢に

あらわれた神さまが、

美しい玉を授けたことによって

 

妻・イソヨリが

懐妊したからだとも

言われているようです。




本殿のならびには、

貴布禰(きふね)神社があり


高龗神(たかおかみ)が

祀られていました。

 



これはおそらく
貴船神社の豊玉姫
ことでしょう。

 

かつて、

貴船神社は、

上賀茂神社の摂社だった

といいます。

さらに
任部社(とうべのやしろ)には
八咫烏命(やたがらす)

とありますが、



これは
建角身のことでしょう。

 

もしくは、

建角身・玉依姫・豊玉姫を

奉斎していた

采女(うねめ)のことかも

しれません。

 

古名を

専女社(とうめのやしろ)とも

いうようです。

 



それぞれの
社殿です。

こう並べてみると、
ちょうどホツマツタエの

伝承通りになっているようですね。



ちなみに、
河合神社にも
正式名称があり

鴨河合坐小社宅神社
(かものかわあいにいますおこそやけのかみやしろ)
というようです。



小社宅とは、
社戸(こそべ)のことであり、
賀茂社本宮の祭神と

同じ神であるのだそうですが、

ようするに

玉依姫の実家、
ということではないでしょうか?

 

 

実家といえば、

 

ここ下鴨神社は、

「方丈記(ほうじょうき)」を書いた

平安時代末期の歌人

 

鴨長明(かものちょうめい)の

実家でもあるそうです。

 

 

賀茂系の神社は、

代々賀茂氏が奉斎しており、

 

鴨長明もまた、

そんな神職の家に

産まれたそうなのです。

 

 

長明自身も

神官の資格はあったそうで、

 

ここ河合神社の神職に

なりかけたのですが、

 

兄弟の猛反対により

頓挫すると、

 

ついには出家して

僧になったといいます。

 

 

そんな巡りあわせから、

ここには長明が暮らした

方丈庵(ほうじょうあん)が

展示してありました。

 

 

長明が歌に詠った

『瀬見の小川』も

境内をさららさららと

流れていました。

 

 

山背国の賀茂めぐり② へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング