山背国の太秦めぐり⑤ ~梅宮大社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

蛇塚(へびづか)古墳から
南西に約1キロ、

桂川(かつらがわ)を
はさんで、
松尾(まつお)大社
向き合うように

梅宮(うめのみや)大社が
あります。



朝廷から
特別に奉幣をうけた
二十二社(にじゅうにしゃ)
でもあるこの神社は、

橘(たちばな)氏の
氏神だそうです。



橘氏は

奈良時代に、
 

藤原不比等(ふじわらのふひと)の
妻となった

橘三千代(たちばなのみちよ)から

はじまるといいます。

 

 

橘三千代はもと

県犬養(あがたいぬかい)三千代といい、

 

天皇の直轄地である

屯倉を守護する

犬養氏の出身だといいます。

 

文字通り、

犬を飼って警護にあたっていた

ともいわれているようです。

 

 

若くから

女官として朝廷につとめ、

 

のちに第43代・

元明(げんみょう)天皇となる

 

阿閉(あへ)皇女の

信頼を受けていたといいます。

 

そうして即位後の

和銅元年(708年)に

元明天皇から

橘姓をたまわったといいます。

 

このとき

夫の不比等も右大臣に

任命されたといいます。
 

和銅といえば、

憲法の施行につづいて、

遷都、国史編纂、貨幣鋳造という

激動の時代です。

 

そんな時代に、

夫婦ともども、

影響を与えていた方々のようです。




梅宮大社ははじめ、
同志社大学にもほど近い
綴喜郡井手町

(つづきぐんいでちょう)に

 

三千代によって
祀られたといいます。

おそらく、
三千代の子の
橘諸兄(たちばなのもろえ)が

 

井手町を本拠地にしていた

ことが関係しているのでしょう。

 

またこの橘諸兄は

不比等と三千代の娘である

藤原多比能(たびの)を

妻にしたといいますから、

 

橘の血は、

強まっていったようです。



この地に遷座したのは、
平安時代のはじめだといい、
 

橘諸兄の曾孫にあたる
橘嘉智子(たちばなのかちこ)に

よるといいます。




橘嘉智子は、


第52代・
嵯峨(さが)天皇の

皇后となられた方です。

子宝に恵まれなかったところ、

橘氏の氏神である
梅宮神に祈願したところ

第54代・
仁明(にんみょう)天皇を
授かったといいます。

 

ですから、

梅宮大社の
「梅」には「産め」も
かかっているといわれ、

 

子授けや安産の

神徳もあるそうです。

また、秦(はた)氏
開拓地でもあることから

埋立地の「埋め」にも
かかっているようです。

 

離宮の

嵯峨院(さがいん)

 

現在の

大覚寺(だいかくじ)に

 

嵯峨天皇とともに

住まわれたという
橘嘉智子は、


絶世の美女だったと

いわれています。

また

仏教にも帰依し、

日本最初の禅院
檀林寺(だんりんじ)

〔現・天龍寺〕を
創建したことから

檀林(だんりん)皇后と
よばれたようです。

 

 

こうしてみると、

嵯峨野にもちかく

桂川ぞいにある

梅宮大社は、

 

松尾大社

日吉大社をむすぶ

京都御所の鬼門ラインに

 

松尾大社と

対になるように

置かれたような印象があります。



 

橘嘉智子で

もっとも有名なのは、
九相図(くそうず)のようです。

 

諸行無常の真理を

みずから示すために、

 

遺体は埋葬せずに

路肩に放置するよう

命じたといいます。

 

九相図では、

見目美しい女性が

腐敗して

白骨化してゆく姿が

9つの絵に残っているといいます。



さてその、

三千代から

嘉智子へとつづく
 

橘氏が祀ったという祖神は
酒の神だといいます。

その名も、

酒解神(さかとけのかみ)

だといいます。



梅宮大社でしか

祀られていないという
特別な神さまのようです。

この神さまが

いったい誰なのか、

諸説あるようですが

公式では、

山の神である
大山祗神(おおやまづみ)

としているようです。

 

 

酒解神という神名は、

大山祗神の娘である
木花咲耶姫命
(このはなさくやひめ)が

天照大神の孫の
瓊瓊杵尊(ににきね)
とのあいだに

彦火々出見尊
(ひこほほでみ)を
産んだとき、

大山祗神が
酒を造って祝ったことに
はじまるといいます。

 



ですから絵馬にも、
水樽のうえに
酉(とり)が描かれており、

水と酉で
「酒」を表しているといいます。



また、娘の
木花咲耶姫命は

 

酒解子神(さかとけこのかみ)

 

として祀られているといいます。

 

たしかに、

木花咲耶姫命

 

一夜にして子を孕み、
火中出産という
荒行も乗り越えたことから

子授けや安産にも
通じています。

 

さらに

「木の花」は

「梅」の別名だともいいます。

 



そんな

めでたい酒つくりに

縁のある神社であるため
 

全国の酒造家から

崇敬される神社でも

あるといいます。


 

ですから

梅宮大社は、

お酒の神社として


奈良の
大神(おおみわ)神社

京都の
松尾(まつお)大社
ならび称されている

といいます。



ところでなぜ、

橘氏はそんな
お酒の神様を
祀ったのでしょう?

祖神ということは、

酒解神の血が

流れているのでしょうか?

 



もともと、
酒造は口噛みで、
女性の仕事だったといいます。

しかし
いつのころからか
男の仕事になったといいますから、

大陸から

醸造を持ち込んだという

秦氏が関わっているとしたら

また興味が湧いてきます。

 

 

酒解神に

関わる神社としては、

 

桂川をくだって、

淀川(よどがわ)との

三叉合流の地に、

自玉手祭来酒解神社

(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)と


離宮八幡宮
(りきゅうはちまんぐう)

があるといいます。

 

 

とくに

離宮八幡宮は

岩清水(いわしみず)八幡宮の

元宮ともいわれるそうです。

 

いずれ

行ってみなければですね。

 

秦氏ゆかりの

八幡宮ですから

 

そうして尋ねるうちに

橘氏と秦氏との関係も

みえてくるのかもしれません。

 



橘氏といえば、

後世に活躍した

楠木正成
(くすのきまさしげ)と

日蓮(にちれん)上人も、

 

橘氏だといいます。

 

 

山背国の太秦めぐり⑥ へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆太秦めぐり全記事リスト☆

山背国の太秦めぐり① ~蚕の社~
山背国の太秦めぐり② ~大酒神社~
山背国の太秦めぐり③ ~広隆寺~
山背国の太秦めぐり④ ~蛇塚古墳~
山背国の太秦めぐり⑤ ~梅宮大社~
山背国の太秦めぐり⑥ ~月讀神社~
山背国の太秦めぐり⑦ ~ハタ考~