山背国の太秦めぐり③ ~広隆寺~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

蚕の社(かいこのやしろ)より
西に500メートルゆくと

広隆寺(こうりゅうじ)が
あります。



奈良の
法隆寺(ほうりゅうじ)
中宮寺(ちゅうぐうじ)、

大阪の
四天王寺(してんのうじ)とともに

聖徳太子(しょうとくたいし)
建立の七寺にも
数えられています。



日本書紀によると、
聖徳太子が

 

わたしは

尊い仏像をもっているが、
 

だれかこれを

祀るものはないか?


 

と聞いたところ、

葛野(かだの)郡の
秦河勝(はたのかわかつ)

臣(やつがれ)が

お祀りしましょう



と名乗出たといいます。

 

 

そうしてできたのが、
蜂岡寺(はちおかてら)で、


これがのちの

広隆寺だといいます。

法隆寺もはじめは、

斑鳩寺(いかるがてら)と

呼ばれていたのと似ていますね。



蜂岡寺ははじめ、
北野天満宮(きたのてんまんぐう)
あたりにあったとも
いわれているようですが、

平安京遷都以降は、

広隆寺となって
この地にあったようです。

 



しかしながら、
たびたび全焼していて
当時の縁起や建築物は
残っていないといいます。



838年には、
空海(くうかい)の弟子・

道昌(どうしょう)が

焼失した建物の
復興に努めたといいます。

そのため、

いまでもここは

真言宗(しんごんしゅう)だそうです。


面白いのは、
この道昌もまた
秦(はた)氏だといいます。

 



楼門はいってすぐ左にある
こちらの薬師堂では、

空海や道昌を
祀っているようです。

また、

ここに祀られる
薬師如来(やくしにょらい)像は
吉祥天(きっしょうてん)の姿をしている

珍しいものだといいます。

 

 

講堂(こうどう)は、

京都最古の建物と

いわれているようです。

 

当時は朱かったため、

赤堂ともいうそうです。

 


楼門から直進すると、
上宮王院太子殿
(じょうぐうおういんたいしでん)に

ゆきあたります。

 



太子殿というだけあって、
こちらの本尊は、
聖徳太子像だそうです。

興味深いことに、

この聖徳太子像が

着ている衣服は、


歴代の天皇陛下が
即位大礼の際に
着用していたものを

賜るのだといいます。

 

 

聖徳太子と天皇家の

密接な関係はわかりますが、

 

それが

秦氏ゆかりの寺で

行われているのが、

とても気になります。

 



聖徳太子像は、
毎年11月22日の
聖徳太子の命日に
拝観できるといいます。

 



太子殿の手前には、
太秦殿(うずまさでん)があり、

聖徳太子から
仏像をたまわった
秦河勝が祀られていました。



ここには、
漢織女(くれはとり)
呉織女(あやはとり)という
秦氏も合祀されているといいます。

 



もともと、
大酒(おおさけ)神社
広隆寺の境内社だった

といいますから、

ここはその
名残なのかもしれません。

境内は西の
桂宮院(けいぐういん)まで
つづいています。



聖徳太子が別荘とした
楓野別宮(かえでのべつぐう)を
建てたところらしく、

現在では、
法隆寺の夢殿(ゆめども)に似た
八角円堂が建っているといいます。

ここにもまた
謎がありそうですね。

 


さらに境内おくの
霊宝殿(れいほうでん)では、

たくさんの仏像を
観ることができます。



なかでも有名なのは、
日本の国宝・第一号とも
いわれている、

弥勒菩薩半跏思惟像
(みろくぼさつはんかしいぞう)
でしょう。



半跏(はんか)というのは、
片足だけあぐらを組む
座りかたのことだそうです。

その組んだ足に
頬杖をつくようにして、
指先が頬に触れる姿が

まるで思索にふけっている
ように見えることから、
思惟(しい)像というようです。

この仏像が、
聖徳太子からたまわった仏像かは、
諸説あるようですが、

とても美しい像には
違いありません。

 



ウルトラマンの造形の
もとになったのもこの像で、

穏やかな表情や、

スぺシウム光線のポーズの

原型になったようです。

仏教界の救世主といわれる
弥勒菩薩(みろくぼさつ)の
聖性とも似ていますね。

 



ところで、

ぼくが惹かれたのは、
空海・作と伝えられる
不動明王(ふどうみょうおう)像です。

押し寄せるような感覚は、

迫力というよりも

圧力のようでした。


入館料700円はかかりますが、

仏像の立ちならぶ

この静かな空間には、

いつまでも居られそうでした。



秦氏ゆかりの

広隆寺では、


聖徳太子と
天皇家と

秦氏と

空海とが

密接に絡み合っているようです。

 

興味深いキラキラ爆  笑キラキラ

 

 

山背国の太秦めぐり④ へ つづく

 

 

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