近江今津(おうみいまづ)駅から
北西に2キロほど、
今津宮の森公園にある
阿志都弥神社
(あしづみじんじゃ)と
行過天満宮
(ゆきすぎてんまんぐう)です。
スダジイの巨木が
異彩を放っています。
樹齢1000年ともいわれ、
御神木として
親しまれているようです。
当初は
社殿もないこの地の
桜の樹に
葦津姫(あしづひめ)を
祀ったのが
はじまりだといいます。
葦津姫は別名を
木花開耶姫
(このはなさくやひめ)といい
天孫・瓊瓊杵尊(ににきね)の
妻であり、
山幸彦(やまさちひこ)
海幸彦(うみさちひこ)の
母ですね。
この桜の老木は、
いまでも表参道にあるといいます。
そして桜に宿る神霊は、
桜花(おうか)大明神や
阿志都弥(あしつひめ)大明神
とよばれていたようです。
また後年、
菅原道真(すがわらみちざね)公が
石川県の国守を任じられ、
赴任するさいに、
ここ阿志都弥大明神を
参詣されたそうですが、
そのとき、
歌を吟じるのに夢中になって
通り過ぎてしまった
という故事から、
4世孫の
菅原輔正(すけまさ)によって
行過天満宮が
建立されたといいます。
ですから神紋も
山桜と梅だといいます。
ただ、
梅の別名を
「木の花(このはな)」とも
いうそうですから、
道真公が導かれたのも
理由があるのかもしれません。
境内にはほかにも、
お稲荷さまや、
西近江七福神の
福禄寿神が祀られていたり、
近隣より遷宮された
白山(しらやま)神社が
ありました。
「あしつひめ」の
「あしづみ」から
ここを
葦積(あしづみ)郷と
読んでいたようです。
やがてそれが、
葦を「よし」と読んで
善積(よしづみ)郷に
なったといいます。
またここには、
和邇(わに)氏の支族である
脚身臣(あしつみ)氏が
起こったといいます。
一説によると、
アシツミはもともと、
筑前国那珂(なか)郡を
中心とした
葦原中国(あしはらのなかつくに)
の王族だったといいます。
つまり、
奴国(なのくに)の王
だったというのです。
志賀島(しかのしま)でみつかった
『漢委奴国王』の
金印の世界ですね。
海人(あま)族といわれる
安曇(あづみ)は
阿積(あづみ)でもあり、
葦積(あしづみ)とは、
葦=阿志として同音同意に
解釈されるようです。
福岡の
神籠石(こうごいし)にも
阿志岐(あしき)という
山城跡がありました。
また、
神社に隣接する
自衛隊営舎地は
神社の旧境内であり、
「脚身臣飯蓋を葬った塚」
とも言われているそうです。
あの敷地内には、
いまもまだなにか聖蹟が
残っているのでしょうか?
冠位十二階でも
第二位であったという
脚身臣という古代海人族に
またしても
思いを馳せてしまいます。
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☆西近江路めぐり全記事リスト☆
西近江路めぐり① ~白髭神社~
西近江路めぐり② ~阿志都弥神社・行過天満宮~
西近江路めぐり③ ~竹生島~
西近江路めぐり④ ~敦賀と都怒我~
西近江路めぐり⑤ ~土公~
西近江路めぐり⑥ ~氣比神宮~