西近江路めぐり④ ~敦賀と都怒我~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

大津(おおつ)からはじまる
西近江路(にしおうみぢ)も

終点の
敦賀(つるが)です。

 



ここは
気比松原(けひのまつばら)
ともいわれる景勝地で、

白砂青松(はくしゃせいちょう)の
美しい地だといいます。



神代の世から
北津(きたのつ)と呼ばれる
港をたたえた都市であり、

山幸彦(やまさちひこ)
ここから九州へと発ち、

豊玉姫(とよたまひめ)
ここへたどり着き
子・ウガヤフキアワセズを
産んだといいます。

 



琵琶湖や
大和へくだるための
日本海側の港としては
最短ルートであり、



奈良時代よりはじまった
渤海使(ぼっかいし)という
ロシアとの交易のように、

諸外国にも
開かれた港であったようです。



この
敦賀という地名にも
渡来人が関わっている
といいます。

日本書紀によれば
第10代・
崇神(すじん)天皇の世に

角の生えた
渡来人という意味の
都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が
この地に着いたことから、

角鹿(つぬが)と
名づけたのが
はじまりだといいます。


およそ紀元前30年ごろ

だといいます。



ツヌガアラシトは

朝鮮半島の
加羅国(からくに)の

皇子であり、

留学のためにきたようです。

はじめは、
穴門(あなと)に着いた
そうですが、

その地の王が
偽りの王だっために
愛想をつかして
北上してきたといいます。

 



この地についた

ツヌガアラシトは、
崇神天皇に
仕えようとしたのですが、

天皇はそれからすぐに
崩御してしまっため、

次代の
垂仁(すいにん)天皇に
仕えたといいます。



それから3年ののち、
ツヌガアラシトは
すばらしい働きをしたために

崇神天皇の諱(いみな)である
「みまき」を国名にする
許しを得て、
国に帰ったといいます。

それが
朝鮮半島におこった
任那(みまな)国の
由来だそうです。



氣比(けひ)神宮の
社伝によれば、

ツヌガアラシトは
敦賀の統治を
任じられたといい、

氣比神宮の境内にある
角鹿神社は
その政所(まんどころ)の
跡だといいます。

 



ツヌガアラシト、
角がある人といっても、

 

角が生えていたわけではなく、
武具や装飾品であるとか

朝鮮語で

最高冠位をもつ貴人の

敬称ともいわれているようです。



また別説には、
角鹿神社に祀られるのは、

角鹿国造の祖である
建功狭日命(たけいさひ)とも
いわれており、

ツヌガアラシトの
20代孫だそうです。

こうして興った角鹿氏は
氣比神宮の社家として
いまでも残っているといいます。



この角鹿神社のならびに

兒宮(このみや)と
大神下前

(おおみわしもさき)神社が
あります。



兒宮は
伊弉冊尊(いざなみ)を祀り、
子宝・安産の神として
信仰されているといいます。

ですから狛犬も、
母子の像であるそうです。

 

おやおや、

奥にもっとちいさいのが

隠れていますね。



大神下前神社は、
大己貴命(おおなむぢ)を
祀っているといいます。

氣比大神四守護神として
神体山の

天筒山(てづつやま)の

麓に鎮座していたそうですが、

 

明治44年に

ここへ遷座してきたといいます。

 



ほかに稲荷神社と
金刀比羅(ことひら)神社が
合祀されているともいいます。



こちらの社殿に
ひっそりと鎮座する

布袋(ほてい)さまに
魅かれてしまいました。



なぜだか
ぼんやり眺めていたくなる
布袋さまです。

 

ところで

七福神信仰といえば、

 

日本古来の

土着信仰の神である

恵比寿(えびす)さまと、

 

比叡山(ひえいざん)

最澄(さいちょう)が

台所に祀った

大黒(だいこく)さまが、

 

そのはじまりだといいます。

 

 

そこへ

鞍馬寺(くらまでら)

毘沙門天(びしゃもんてん)や

 

竹生島(ちくぶしま)

弁財天(べんざいてん)が

ならび祀られるようになり、

 

 

さらに仏教から

布袋さま

 

道教から

福禄寿(ふくろくじゅ)

寿老人(じゅろうじん)が

入ってきたといいます。

 

けれども寿老人は

白髭(しらひげ)明神ともいうらしく、

 

白髭神社でも

祀られていました。

 

 

室町時代のおわりに

七福神としての信仰が

出来上がったようですが、

 

ご覧の通りにこの信仰は、

近畿からはじまったといいます。

 


いまでは
大鳥居が有名となり、
表参道は西側となっている
ようですが、

往古はこの
東側が参道だったといい、

角鹿神社が
門神として

鎮座していたようです。

 

ところで、

気比神宮の参拝日が

7月7日だったので、

 

一緒に参拝した方々と

和歌をつくって

海に奏上しました。

 



砂浜には

スピーカーから

音楽が流れていたので、

ぼくはこんな一句を

詠みました。

 

波の音に ラブソングの 響きたり

ここに集うは 角があらひと

 



スピーカーから流れる音楽も

ラブソングだと思えば、

七夕にぴったりで、

 

それが波の音と響き合えば、

まるで星の海、

天の川を思い起こします。

星々の巡り合いのように、

出身も年代も違うぼくたちが

出会えたこの奇しきときを、

 

異邦人になぞらえつつ、

地名も織り込んでみました。

 

角がないひと=

心優しいひとという敬意も

籠めてあります。


 

西近江路めぐり⑤ へ つづく

 

 

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西近江路めぐり② ~阿志都弥神社・行過天満宮~
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西近江路めぐり④ ~敦賀と都怒我~
西近江路めぐり⑤ ~土公~
西近江路めぐり⑥ ~氣比神宮~