西近江路めぐり⑤ ~土公~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

敦賀(つるが)にある
氣比(けひ)神宮の
東駐車場から、

 



隣接するの
敦賀北小学校の
校庭にある

土公(どこう)を
遥拝することができます。



こちらは、
氣比大神降臨の地といわれ、

社殿建立以前より
神籬磐境(ひもろぎいわさか)として
祭祀されていたといいます。



702年に
社殿が整備されてからも、
手厚く奉斎され、

平安時代には、
最澄(さいちょう)と
空海(くうかい)が

ここで
7日7夜の行を
修したといいます。



神社めぐりをしていれば、
このお二方が

いかに日本の神々の
感応をうけて
行動なされていたかが
よくわかります。

仏僧とはいえ、
ホツマツタヱに残る神々を
この方々が継いできたことは
間違いないようです。



かくいうこの地は、
ホツマツタヱによれば

父・瓊瓊杵尊(ににきね)の
命によって、

ウカワ宮に暮らしていた
兄・海幸彦(うみさちひこ)と

シノ宮に暮らしていた
弟・山幸彦(やまさちひこ)が

ともに暮らした
宮であるといいます。

 



そして
記紀にものこるように

たがいの猟(漁)場と
得物を交換した際に、

弟・山幸彦が
釣針を失くしてしまい

兄・海幸彦に
責められるという

些細ないさかい、
『イササワケ』をした地である
といいます。


この
山幸彦の窮地を救ったのが
塩筒翁(シホツツ)であり、

筍飯(けゐ)〔弁当〕を
持たせて、

北津(きたのつ)から
籠洲(鹿児島)
送り出したといいます。

また一説には

契(けゐ)であり、

繋がりや親交をもつこと

でもあるといいます。

 

 

鹿児島で、妻となる

豊玉姫(とよたまひめ)と出会い

亡くした釣針を発見して
兄と和解するようですね。

詳しくは、

 

近江大津めぐり④~天孫神社とシノ宮~
近江大津めぐり⑤~山幸彦とヤマクイ~
鞍馬・貴船めぐり⑨ ~豊玉姫と玉依姫~

にも書きましたし

動画でも紹介していますキラキラ

 


さてこの、
山幸彦と豊玉姫夫婦は


大津のシノ宮にて
身罷ったといいます。

遺言によると


おもむろは
いささわけみや
けゐのかみ
ゆえはをきなに
けゐをえて
めくりひらける
ちおえたり
かどでのけゐぞ



亡骸は
イササワケ宮におさめ
「けゐ大神」として
祀るように。

その訳は、
塩筒翁に筍飯をもらって

(親交をむすんで)
送り出してもらい
人生が開けたからである。


つまりこの
氣比神宮の地に
ご遺体を納めたというのです。



その聖蹟が
この土公ではないかと
いわれています。

最澄と空海は
それを察知して
ここで祈祷を
挙げられたのではないでしょうか?

ちなみに、
妻・豊玉姫は
京都の貴船(きふね)神社
葬られたといいます。



基本的には
「触るべからず 畏み尊ぶべし」
とありますが、

社殿建立のさいには
「この土砂を地にまけば
悪しき神のたたりなし」
といわれていたといいます。



背後の神体山である
天筒山(てづつやま)と、

直線的なたてがみをもつ
狛犬を眺めれば、

ピラミッドと
スフィンクスを
思い起こすひとも
少なくはないでしょう。



とはいえ天筒山も
道が整備されており、

スニーカーで30分もあれば
登れてしまう小山だといいます。

観光ついでにふらりと
立ち寄るのも

いいかもしれません。
 

 

西近江路めぐり⑥ へ つづく

 

 

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☆西近江路めぐり全記事リスト☆

西近江路めぐり① ~白髭神社~
西近江路めぐり② ~阿志都弥神社・行過天満宮~
西近江路めぐり③ ~竹生島~
西近江路めぐり④ ~敦賀と都怒我~
西近江路めぐり⑤ ~土公~
西近江路めぐり⑥ ~氣比神宮~