西近江路めぐり① ~白髭神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

琵琶湖(びわこ)で知られれる
滋賀(しが)県ですが、

ここは
古代都市が発展した
有数の場所であるといいます。

 



およそ
600万年前からある
古代湖で

その古さは
世界第3位だそうです。

都から近い
淡水の湖ということで、

近つ淡海(あわうみ)
とよばれるようになったのが、

近江(おうみ)の由来
だといいます。



船での運搬が主流であった
縄文時代から、
交通路として活用され

古代の
海人(あま)族といわれる

志賀(しが)や
和邇(わに)、
安曇(あずみ・あど)の
地名がおおく残ります



志賀といえば、
福岡にも
志賀島(しかのしま)
ありましたが、
同族のようです。

この志賀が、
滋賀県の語源に
なっているようです。

 



大津(おおつ)から、
敦賀(つるが)へ抜ける
西近江路(にしおうみじ)には、

これらの地名がならび
古代遺跡などもおおく
発掘されているようです。

 



また、
琵琶湖そのものも、


当初はさらに南の
三重県伊賀市にあったのものが、

土地の侵食や
隆起によって移動し、

比良山(ひらさん)系に止めらて
現在位置に落ち着いたのは
100万年前とも
いわれているようです。

ずいぶんな大移動を
してきた湖ですね。



そんな琵琶湖を望む
西近江路の中腹に

白髭(しらひげ)神社が
あります。



近江の
厳島(いつくしま)神社とも
称される湖中大鳥居が

世にも幻想的で
美しい神社です。

 



社殿と鳥居の
直線上には、

琵琶湖に浮かぶ
唯一の有人島である
沖島(おきしま)が
見えました。

 



もしかすると、
沖島を遥拝するための
鳥居なのかもしれません。



白髭神社は、
近江最古の神社ともいわれ、
社伝によれば

創建は1900年前の
第11代・
垂仁(すいにん)天皇の世に

倭姫(やまとひめ)さま
社殿を建てたと
言われているようです。

 



とはいえ、
一説にはこれも
再建でしかなかったという
はなしもあるらしく、

 

創始はさらに古いとも

言われているようです。



ホツマツタヱを
ひもとけば

ここは、
猿田彦(さるたひこ)
天照大神の孫である
瓊瓊杵尊(ににきね)を迎えた
ウカワ宮という仮宮であり、

後年、
ニニキネの子の
海幸彦(うみさちひこ)が暮らした
スセリ宮でもあります。



そもそも、
この白髭神社のある
滋賀県高島(たかしま)市は、

ホツマツタヱの
親本が発見されたという
ホツマツタヱの聖地であり、

天孫降臨ともいわれる
瓊瓊杵尊と猿田彦との
出会いも、

ホツマツタヱによれば
ここ高島だといいます。

 

ですから地名にも、
鵜川(うかわ)と

残っているようです。




『海幸彦』は、

ニニキネと
木花之開耶姫
(このはなさくやひめ)の
3人の子のうちのひとりで、

炎に巻かれる
産屋で産まれたことから
『火進命(ホノススミ)』とも
いわれます。

また胞衣(えな)に

桜の柄が浮かんだことから
『サクラギ』という斎名もあります。

 



さらに、
スセリ草(水芹)によって
カニ(下痢・赤痢)を
癒したことから
『スセリ(ホスセリ)』ともいわれ、

そのスセリ草が
白い髭のような根を
生やすことから転じて、


『白髭神』とも呼ばれるように
なったといいます。

 



また、
スセリ宮に遷ってからは、
琵琶湖で釣りをして
暮らしていたことから

『海幸彦』と呼ばれるように
なったようです。

弟の山幸彦(やまさちひこ)との
些細ないさかい
(イササワケ)も
ありましたが、

とても長命であったために

長寿のシンボルである
『白髭』の異名も
定着したようです。



斎名・サクラギ、
ホノススミ、
ホスセリ、
スセリ、
シラヒゲ神、
海幸彦、

とても呼び名の
おおい方ですね。



ですから、
白髭神社の祭神は
猿田彦のみとされていますが、

もとはここに
海幸彦もいたのではないかと
いわれています。

そんな白髭神が

暮らした場所ですから、

ここは全国に
300社あるという
白髭神社の総社だと
いわれています。



五・七調でつむがれる
壮大な叙事詩・
ホツマツタヱの聖地だからか、

和歌や短歌に精通し、
ホツマツタヱの神々に
導かれた方々の句碑が
おおく残されていました。

まずは、
旧参道とおぼしき
入口のすぐ近くにある

松尾芭蕉(まつおばしょう)の
句碑です。




四方(しほう)より
花吹き入て
鳰(にお)の湖(うみ)


天才歌人らしい
見事な句ですね。

鮮やかで、迫力があって、
リアリティとともに
幻想的でもあります。


鳰の湖は
琵琶湖のことだといいます。

鳰(にお)は
カイツブリという鳥で、
琵琶湖におおく
生息しているといいます。



源氏物語の
作者といわれる
紫式部も詠んでいます。


みおの海に
網引く民の
てまもなく
立ちゐにつけて
都恋しも


父が越前国府となり
ともに西近江路を
抜けるときに詠んだ句
だそうです。

猿田彦やヤマクイ
ゆかりのある
三尾(みお)」と
「鳰」を掛けたのでしょう。

都会っ子であったという
紫式部の
さびしさといったらありません。



そしてこちらが、
与謝野鉄幹と
与謝野晶子夫妻が
詠まれた句です。


しらひげの
神のみまへに
わくいづみ

これをむすべば
ひとの清まる


上の句が鉄幹、
下の句が晶子
だといいます。



神霊に導かれて
旅をしていたおふたりらしい、

霊感がビリビリと
伝わる句です。

琵琶湖でもなく、
鳥居でもなく、
磐座でもなく、


泉を詠むというのは、
なかなかできないでしょう。

 



たしかにこの泉は、
おそろしいほどに
清らかであり、
聖蹟であるようです。

もしかするとこの水を、
古代の神々も
呑んでいたのかもしれません。

呑むではなく、
「むすべば」という語句も
とても美しいです。

この句碑は、
全国にある晶子の句碑では
もっとも古いといいます。

 

ほかにも、

たくさんの句碑がありました。

どれも実に見事な句ばかりです。

さて摂社末社は
境内に11社あります。



若宮(わかみや)神社に祀られる
太田命(おおた)は、
猿田彦の子孫とされていますが、

ホツマツタヱでは、
3代目オオモノヌシ・コモリの
息子であり、

高島の開拓に
尽力した方のようです。



ほかには、
皇大(こうたい)神宮・
豊受(とようけ)大神宮があり

 

倭姫に所縁のある

伊勢の内宮と外宮を
あらわしているのでしょう。

八幡三所社には
加茂(かも)神社
八幡(はちまん)神社
高良(こうら)神社
祀られており、

おそらくこれは、
玉依姫(たまよりひめ)
応神(おうじん)天皇
武内宿禰(たけうちのすくね)
あらわしているのでしょう。



天満神社
菅原道真(すがわらみちざね)
公をまつり、

浪除(なみよけ)稲荷社は
水害対策のお稲荷さまでしょうか?

寿老(じゅろう)神社は
西近江七福神巡りとして建立された
比較的新しい神社のようです。



鳴子(なるこ)弁財天社は
昭和初期から弁財天を
祀っているといいます。

9月5日・6日の
秋季大祭には
「なる子まいり」という
神事があり、

数え年2歳の子どもに
名前(呼び名)を授け

その名前を3日間呼びつづけ
子どもの成育と
延命長寿を願うといいますが、
それとも関わりがあるんでしょうか?

神前で名前をいただくというのは、
気比神宮にも通じるものがあります。

そして一番奥にあるのが、
岩戸社です。



古墳の石室前に
祠が建てられ、
天岩戸(あまのいわと)として
祀られているといいます。



この古墳の横にも
磐座があり、



古墳の裏にも
石室の一部でしょうか
磐座がありました。




さらに神社の鎮座する
比良山系が

じつに見事です。

 


この山中には、

古墳群がみつかっている

といいますから、

 

やはり古代から

とても栄えた場所だったのでしょう。

 



とくにこの地は、
その山並みが
湖岸にまで突きだした
場所であり、



西近江路のなかでも
難所であり
絶景のスポット
だったのかもしれません。



午前中は、
逆光となり鳥居が
黒く写りますが、

午後になれば
陽が赤く照らし、

また別の光景が
浮かび上がります。

 



この水と鳥居の光景は、
計算されているといいますから、

よくよく美というものを
大事にしてきたというのが、

この近江からは
伝わってきます。
 

 

西近江路めぐり② へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆西近江路めぐり全記事リスト☆

西近江路めぐり① ~白髭神社~
西近江路めぐり② ~阿志都弥神社・行過天満宮~
西近江路めぐり③ ~竹生島~
西近江路めぐり④ ~敦賀と都怒我~
西近江路めぐり⑤ ~土公~
西近江路めぐり⑥ ~氣比神宮~