筑前国の神功皇后めぐり⑤ ~警固神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

九州一の繁華街である
福岡天神(てんじん)の
駅前に鎮座する
警固(けご)神社です。



うしろに見えているのは

三越のロゴですから、

繁華街のド真ん中ですね。

 

向かいには

ビックカメラがあります。

福岡出身のぼくからすると、
隣の警固公園とともに
とても馴染みのある神社です。

むしろ馴染み過ぎていて
気にも留めない神社でした。



神功(じんぐう)皇后
三韓征伐の際に

船団を守護し、
勝利に導いた
警固大神を祀ったのが
神社のはじまりだといいます。

警(いまし)め、

固(まも)る、という神徳から
警固というのだそうです。

 



警固大神は
3神の総称であり、
それぞれ

八十禍津日神(やそまがつひ)
神直日神(かむなほひ)
大直日神(おおなほひ)

という名だといいます。

黄泉から帰還した
イザナギの禊によって
生まれた神であり、

禍津日は
災いをもたらす神であり、

直日は
災いをただす神
だそうです。

 

ここは

那珂川(なかがわ)の

河口にも近く、

 

ホツマツタヱによると

おなじくイザナギの禊で生まれた

住吉3神は

 

ここナカ川で

生まれたともありますから、

 

祀られているのかも

しれません。

 


しかし地元の伝説によると

この3神が

最初に顕現したのは、
那珂川をさらに遡上した

 

福岡市南区警弥郷にある
警固神社だといい

そこが元宮だと
いわれているようです。



国学者の
本居宣長

(もとおりのりなが)によると、


八十禍津日神は
瀬織津姫(せおりつひめ)

なのだといいます。

また、

ある説によれば、

神直日神は
玉依姫(たまよりひめ)で、

大直日神は
大山咋神(おおやまくい)
だというのでした。



さらに、
警固神社は一時期、


福岡城近くの
小烏(こがらす)神社に
合祀されていたといいます。

この小烏とは、
八咫烏(やたがらす)のことで、
建角身命であるから、

現在でも
警固神社は相殿に、

建角身神(たけつみ)
豊玉姫命(とよたまひめ)
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)

を祀っているといいます。

 



しかも、
天神のほうを
下警固(しもけご)

南区のほうを
上警固(かみけご)と
よんでいたようです。

なんだか九州でも
カモ考が書けそうですね。

 



住吉神社にもほど近いここ

博多一帯は、
 

海人族が暮らした
地でもあり、

豊玉姫や玉依姫
伝説がおおく残っているので

ここで賀茂(かも)氏が
祀られているというのも
なくはないでしょう。



そこに

下関の秦(はた)氏もくわわれば、

ヤマクイも登場するでしょう。

境内にはほかに、
菅原道真

(すがわらみちざね)公を祀る
菅原神社と

天照大神を祀る
天照皇大(あまてらすこうたい)神宮が
ありました。



天神という地名は、
道真公の
水鏡天満宮
(すいきょうてんまんぐう)
から来ているといいますし、

 

博多と大宰府

貿易や外交上

縁が深いですから

 

道真公を祀る神社は

とても多いです。


また記紀によれば、

天照大神も
イザナギの禊によって
生まれたといわれるので、

兄弟神として

ここに呼ばれたのかも

しれませんし、

 

八十禍津日神が

瀬織津姫とするならば、

夫として

ここにいらっしゃるのでしょう。



今益(いまます)稲荷神社には

とても珍しい
笑顔のキツネさんが
いらっしゃるといいます。

 



ところで、

当初のカモ考を思い出して
フトマニ図を見てみると、



カモとケコが
並んでますね。

おもしろいですね爆  笑

 

 

筑前国の神功皇后めぐり⑥ へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆神功皇后めぐり全記事リスト☆

筑前国の神功皇后めぐり① ~香椎宮~
筑前国の神功皇后めぐり② ~古宮~
筑前国の神功皇后めぐり③ ~不老水~
筑前国の神功皇后めぐり④ ~筥崎宮~
筑前国の神功皇后めぐり⑤ ~警固神社~
筑前国の神功皇后めぐり⑥ ~天津神社~
筑前国の神功皇后めぐり⑦ ~住吉神社~
筑前国の神功皇后めぐり⑧ ~宇美八幡宮~
筑前国の神功皇后めぐり⑨ ~宇美八幡宮・奥宮~
筑前国の神功皇后めぐり⑩ ~まとめ~