筑前国の神功皇后めぐり② ~古宮~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

香椎宮(かしいぐう)
本殿より北東へゆくと



裏手の丘へ
抜けることができます。

そこは
古宮(ふるみや)といわれ、

西暦200年ごろ
仲哀(ちゅうあい)天皇
築いた

橿日宮(かしひのみや)は
もとはこちらにあったといいます。



現在の本殿がある
香椎宮は、

西暦723年に
神功(じんぐう)皇后

御霊による神託があり

宗廟(そうびょう)として
創建されたそうです。



ですから当初は、
香椎宮の本殿にて、
神功皇后を祀り、
 

古宮にて
仲哀天皇を

祀っていたようです。

古地図にも、
仲哀社として
描かれていました。



万葉集には、
 

728年に

大宰府(だざいふ)の長官となった
大伴旅人(おおともたびと)らが
香椎廟を訪れて

歌を詠んだとあるらしく、

当時は
筑紫に来たらまず
香椎廟を参詣するのが
ならわしになっていたようです。

さてこの古宮には
御神木である
棺掛椎(かんかけのしい)が
のこっています。



仲哀天皇の崩御を
隠匿した神功皇后は、

橿日宮の裏にある
御飯山(おいのやま)の神木・
大槇木(おおまきのき)で
作った棺に

仲哀天皇の亡骸を入れて、
この椎の木に立て掛け、

あたかも
天皇が臨席した
御前会議のようにしたといいます。



そのとき、
棺から薫風が
漂いあふれたことから、

椎が香るという
『香椎』の名が
起こったといいます。

 



六角形の

玉垣に囲まれた
椎の樹に

仲哀天皇の棺が
立てかけられていた
と思うと
感慨深いものがあります。

 



さらに、
参道は奥へと
つづいていました。



見えてきたのは、
仲哀天皇大本営御旧蹟碑
です。



橿日宮の大本営があり、
仲哀天皇と神功皇后が住まわれ、

沙庭斎場(さにわさいじょう)にて、
武内宿禰(たけうちのすくね)
審神者(さにわ)として

神功皇后に掛かった
神の審判をして、

ここで仲哀天皇が
崩御したという地です。

 



強い思いがあふれてきます。

ここは威厳と峻厳にみちた
研ぎ澄まされた空気が
漂っているように感じました。

 



なにかを決断し、
前に押し進むという
意志を持って参詣すれば、

かならずその願いは叶う、
そんな気配が

ここにはありました。

 


 

皇太子殿下の

手植えの松もあり、

 

宗廟として

大切にされているのが

うかがえました。

 

 

 

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