長門国の豊浦めぐり① ~山田邑の住吉神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇と
神功(じんぐう)皇后
魅かれて、

山口県下関市を
たずねました。



九州で反乱をおこした
熊襲(くまそ)鎮圧のため、

仲哀天皇と神功皇后は、
まずここ、
穴戸(あなと)に
きたといいます。

穴戸とは、
関門海峡のことらしく

この穴戸が、
長門(ながと)の
由来になったようです。

 



海峡をへだてて、
対岸の九州を
どう平定したものか、
思案していたのでしょうか?

ですからここにも、
たくさんの聖蹟があります。

そんな聖蹟のひとつが、
長門国一之宮の
住吉(すみよし)神社です。

 



大阪の住吉大社、
博多の住吉神社と
あわせて、

日本三大住吉のひとつ
と言われているようです。



仲哀天皇が
身罷ったのち、

住吉3神が
神懸かりした
神功皇后は、

怒涛の快進撃で
朝鮮半島を
征圧したといいます。



その帰路に、

わが荒魂(あらみたま)を
穴戸の
山田邑(やまだのむら)に祀れ


と住吉3神の
お告げがあったようです。

それがここ、
住吉神社の創建だといいます。

 

ですから、またの名を、

『住吉荒魂本宮

(すみよしあらみたまほんぐう)』

ともいうようです。



大阪の住吉大社には、
住吉3神の和魂(にぎみたま)が
祀られ、

下関の住吉神社には、
住吉3神の荒魂が
祀られ、

博多の住吉神社は、
住吉3神の産まれた地
であるようです。



では境内を
みていきましょう。

雨ですので、

水面もまだらです。

こちらは
厳島(いつくしま)社

だそうです。



宗像3女神でもある
イチキシマ姫が
祀られているようです。

この神池もひろく、
南側には

征清従軍者成功紀念碑

もありました。



手水前、
参道の中央には、

赤い太鼓橋が、
つきでています。



下には
水路が流れているのですが、

橋のうえに

太鼓橋を架けているようで、

なんとも妙な気分になります。

 

手水にも、

不可思議な

モニュメントがありました。

 

 

鬼瓦でしょうか?

 

神紋も

風車のようです。


さて本殿は、
高台のうえにありました。



ここは
住吉の森ともいうような
原生林になっていて、

山口県下の植物、
約80種類がすべて
自生しているらしく、

県の天然記念物に
指定されているといいます。



階段の両脇には、
青銅製の狛犬が

いらっしゃいました。

 

なんだかどちらも

コミカルでキュートな

狛犬です。




楼門もまた

絢爛なものでした。

 

新緑の緑に、

丹色が生えます。

 



この楼門には、

随神(ずいじん)さまが

いらっしゃいました。

 



社殿や社地をまもる

神様であり、

 

平安時代の近衛兵を

模しているといいます。

 

弓矢をたずさえ、

帯刀している姿だそうです、

 

 

この随神像が

安置されている楼門を

随神門というようです。

 

 

拝殿では、

結婚式が

行われていました。

 


この拝殿は、
毛利元就(もうりもとなり)の
寄進によるらしく、

1539年建立の
重要文化財だそうです。

 



さらに
背後の本殿は、
大内弘世(おおうちひろよ)の
寄進であり、

1370年建立の
国宝だとます。

 



本殿は、

5つの社殿が

4つの相の間で繋がった、

 

特殊な造りに
なっているようです。

 



東から、

第一殿には
住吉3神である

表筒男命(うわつつお)

中筒男命(なかつつお)

底筒男命(そこつつお)、

第二殿には

神功皇后の子の
応神(おうじん)天皇、

第三殿には
武内宿禰命(たけうちのすくね)、

第四殿には
神功皇后、

第五殿には

諏訪(すわ)大社の
建御名方命(たけみなかた)、

がそれぞれ

祀られているようです。



仲哀天皇が
いらっしゃいません。

しかも、
中央の第三殿には、
武内宿禰さまです。



もともとは、
住吉3神のみを
祀っていたようですが

後年になって、
勧請・奉斎したようです。



さらに面白いのは、
この神社に伝わる
神事です。

「御斎祭(おいみさい)」では、
12月8日夕刻から
12月15日の朝まで、

7日7夜、
境内にしめ縄をはって、
一般の参拝も不可とし、

神職の方は
境内の外に一歩も出ずに、
『物忌み(ものいみ)』の

お籠りをするといいます。

これは、
神功皇后が
三韓遠征に先んじて

7日7夜にわたって
斎宮に籠り
神託をうかがったという
事績によるようです。



また、
旧正月には、
和布刈(めかり)神事という
非公開の祭がおこなわれるといいます。

神功皇后の事跡にちなみ、
壇の浦の海中から
ワカメを刈って
神前に供えるそうです。

きになります!!!



さて、
住吉神社は
これだけではありません。

本殿の東側、
住吉の森のなかにも
摂末社がありました。



いちばん左の
高元(こうげん)社は
スサノヲさまを祀るといいます。

かつては、
200メートルほど北の、

一宮竜王山
(いちのみやりゅうおうざん)の
麓にあったようです。

八大竜王をまつる
山だといいますが、

頂上には鉄塔と、
乳母屋(ちもや)神社という
小さな磐座があるようです。



乳母屋神社といえば、
長門国三之宮といわれる
神社もおなじ名前で、

ここから
10キロほど
北西にあります。

乳母である
玉依姫(たまよりひめ)を
祀るとも、

仲哀天皇の

乳母を祀るとも

言われているようですから、

ここにあっても
不思議ではないの

かもしれません。



若宮(わかみや)神社では、
初代宮司の
穴門直祖踐立命
(あなとのあたいのそ ほんたち)を
祀るといいます。 

田尻(たじり)社では、
宮司家祖神を

祀るといいますから、

これは
踐立とともに
穴戸に住吉神を祀ったという
田裳見(たもみ)のことかもしれません。



蛭子(えびす)社は、
西宮(にしのみや)神社

勧請といいますから、
ワカヒメさまでしょう。

住吉神以前の
地主神らしく、

ホツマツタヱ的には
カナサキ翁との関係も
気になるところです。

一番右の七社は、

伊勢神宮
石清水八幡宮
加茂社
春日大社
松尾大社
平野神社
伏見稲荷神社

を祀るのだといいます。

これは
二十ニ社のうちの
上七社のことだそうです。

山城国船岡山より
遷ってきたようなので、

秦(はた)氏との繋がりも
気になるところです。



さらに末社には
稲荷神社もありました。

祭神は
宇迦廼御魂命(うかのみたま) 
猿田彦命(さるたひこ)
大宮賣命(おおみやめ)
だそうですから、

 



伏見稲荷と

おなじですね。

もとは、
ここより1キロほど南に
祀られていたといいます。

 

目に眩しいくらいの、

鮮やかな朱です。

なにより、

この森の生命力が

とても心地よいでのです。

 



なかでも、

いちばんの目玉は

こちらです。



武内宿禰

手植えの楠です。

根まわりが

60メートルもある
巨木でした。


大変な氣に

満ちみちています。

 



とてもとても
素晴らしい場所でした。



ほかにも境内には、
まだ末社が
あるようですが、
見つけきれませんでした。

 

東方とは、

ざっくりとしていますが、

この磐座もなんだか

気になるものでした。

ところで、
宝物殿のとなりに、
これを見つけました。



個人的に敬愛する
乃木希典(のぎまれすけ)

将軍お手植え木です。

手植えの木というのは、
どうしてこうも
胸が締めつけられるよな
はかない気持ちになるのでしょう。


一本の木にも流れている血がある
そこでは血は立ったまま眠っている


詩人・寺山修司

(てらやましゅうじ)さんは
こう書き残したそうですが、

植物のなかに

言葉を感じることが
詩心のはじまりともいうようです。



本州の北端
青森県出身の詩人の句を、


本州の南端で
思い起こしてみました。


長門の豊浦めぐり② へ つづく

 

 

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長門国の豊浦めぐり② ~打下社と元宮~
長門国の豊浦めぐり③ ~忌宮神社と豊浦宮~
長門国の豊浦めぐり④ ~忌・豊浦・豊明~
長門国の豊浦めぐり⑤ ~乃木神社~
長門国の豊浦めぐり⑥ ~豊功神社~
長門国の豊浦めぐり⑦ ~仲哀天皇殯殮地~