豊前国の宇佐めぐり① ~宇佐神宮について~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

豊前(ぶぜん)国一之宮、
宇佐(うさ)神宮です。
 



大分県の
宇佐(うさ)市にある
この神社は、

全国に44,000社あるという
八幡宮(はちまんぐう)の
総本社であり、

毎年150万人が

訪れるといいます。

 

とはいえここは、

空港や駅からも遠く

アクセスの悪い場所です。

 

 

なぜ多くの方が、

ここを目指すのか、

 

なぜここに、

全国の神社数

第2位をほこる

八幡宮の総本社があるのか、

 

なんでも一時は、

伊勢神宮についで

強大な権力を有していた

といいます。
 

 

総本社というだけあって、

境内は広大です。

 

本殿は、

亀山(かめやま)という

小さな丘のうえにありますし、

 

境内中央には

菱形池(ひしがたいけ)が

広がっています。

 

そんな境内を囲むように

川が流れていますが、

 

聖地を浄化している

ということのでしょうか?

 

 

ところが、

ここは里宮(さとみや)であり

 

3キロほど南東の
御許山(おもとさん)の頂上に

奥宮があるといいます。

そこには

3つの磐座(いわくら)があり
宗像(むなかた)三女神を

祀っているそうです。

古代からこの地には、

女神さまを祀る

一族がいたようです。

 



古事記によると、

宇佐神宮の歴史は
初代・神武(じんむ)天皇にまで
さかのぼるようです。

日向(ひむか)国の
高千穂(たかちほ)を
船で出立した一行は、

大分と愛媛のあいだの
速吸門(はやすいのと)
を抜けて、

この地に
着いたといいます。



すると、
この地に住んでいた
宇沙都比古(ウサツヒコ)と
宇沙都比売(ウサツヒメ)が

アシヒトツアガリノ宮という
仮宮を作って
もてなしたそうです。

その仮宮が

宇佐神宮のはじまり

かもしれません。

 



ちなみに、
ここを立ったあとは、

北九州の
岡田宮(おかだのみや)で
1年ほど過ごしたといいますから、
 

神功(じんぐう)皇后

仲哀(ちゅうあい)天皇にも
繋がりそうです。



ホツマツタヱによると、
この地を治めていた
ウサツヒコは、

イブキドヌシ
イチキシマヒメの
子だといいます。

伊吹山(いぶきやま)の神

イブキドヌシは、
ツキヨミ(天照大神の弟)の
子だそうです。

市杵島姫

(イチキシマヒメ)は、
宗像三女神のひとりで、
天照大神の娘です。

そんな血統ですから、

天照大神の直系である

神武天皇に仕えるのも

当然かもしれません。


また
ホツマツタヱには、

 

宇佐について

神代の記述もありました。


天照大神の妻であり

宗像三女神の母でもある
モチコ姫とハヤコ姫が、
 

娘たちとともに、
この地に左遷された
といいます。

天照大神の

后でありながら、

 

天照大神の弟・ソサノヲとの

スキャンダルが発覚して

飛ばされたのです。

 


そんな姫たちの
面倒を見たのが、
赤土命(アカツチ)だそうです。

またの名を
中筒男(ナカツツヲ)といい、
住吉(すみよし)三神のひとり
だといいます。

住吉神である
カナサキ翁

九州の統治を任せたのが、
磐土(イワツチ)、
赤土(アカツチ)、
底土(ソコツチ)であり、

それが
古事記などでは、
上筒男(ウワツツヲ)
中筒男(ナカツツヲ)
底筒男(ソコツツヲ)に
なっているといいます。



つまり、
最初はアカツチが
宇佐をおさめており、

そこへ
ハヤコ・モチコ姫と
宗像三女神がやってきて、

その後、
イブキドヌシと
イチキシマ姫の子である


ウサツヒコが
この地の統治を任され、

母たちを
この地に祀った

ということでしょう。

 

かれらは

宇佐氏として

この地に栄えたようです。

 



また、

神武天皇が到来したとき、
ウサツヒコの娘である
ウサツヒメは、

春日(かすが)大社で祀られる、
天児屋根(アメノコヤネ)
孫・天種子(アメタネコ)
結ばれたといいます。

 



つまり、
天皇家の左大臣と
結ばれたということです。

天種子はのちの、
中臣家・藤原家ですから

宇佐氏は

中央政権にも

影響力のある存在に

なっていったのかもしれません。

 

 

 

豊前国の宇佐めぐり② へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング