豊前国の宇佐めぐり⑤ ~本殿~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

宇佐(うさ)神宮
きています。

若宮神社から
参道のぼってゆくと、
宇佐鳥居があります。



こちらは

八幡鳥居ともいい、
 

社名をあらわす額がなく、
てっぺんの笠木も
反りがきついのが特徴だといいます。

また、

笠木と島木のしたには
台輪(だいりん)という
輪があるそうで、

 

宇佐神宮の鳥居は
ほとんどがこのスタイル

なのだそうです。

 

 

鳥居のおくには、
西大門(さいだいもん)があり、

安土桃山時代の
華麗な極彩色が

みどころだといいます。

 

中央の門は

閉じられたままでした。

この

西大門のおくには
西中門(さいちゅうもん)
がありました。



この奥が本殿なのですが、

参拝はぐるりと南側に

まわります。

この西中門は、
天皇陛下の勅使が通る
勅使門だといいます。



宇佐神宮は、
伊勢(いせ)神宮につぐ
第2の宗廟(そうびょう)
といわれているようです。

宗廟とは、
皇室の祖先を祀る
建物のことだそうです。

つまり、

伊勢神宮で祀られる

天照大神についで

 

第15・応神天皇が

皇室の祖神として

尊崇されている

ということでしょうか?



出生においても
いわれのある皇子を
ここまで祀りあげているのには、


歴史的な背景も
あると思います。



700年代はじめは、
国家の地盤固めや
対外政策へと

乗り出した時期です。
 

本格的な

法律や貨幣も

このころに定まりました。

 

そして

国という意識を高めるには

国史が必要となりますから、

 

古事記や日本書紀が

編纂されたのも

この時期です。



奈良時代へと
遷りかわるこの時期は、

大阪湾はいまよりも
内部に入り組んでおり、

港として開かれていた
堺からは、

応神天皇の息子の
仁徳(にんとく)天皇

巨大古墳が

一望できたといいます。

 



さらに
街道は真東の、
応神天皇陵へと
続いており

生駒(いこま)山脈が
途切れている
龍田(たつた)古道をとおって

朝廷のあった
奈良盆地へ
はいっていくことができます。

 



諸外国にたいして、
全国1位の大きさを誇る
仁徳天皇の陵と、

全国2位の大きさを誇る
応神天皇の陵を

歴史書や伝説から
権威づけして、
日本をアピールした

という部分もあるのでしょう。



当時の河川が
現在とおなじとは
いいませんが、

地理的にも
整えられていったことは

間違いないようです。

興味深いのは、
ここ宇佐神宮の礼拝は、
島根の出雲大社と
おなじだということです。



2礼、4拍手、1礼
の作法であり、

しかも
起源は不詳だといいます。
気になりますね。


 

本殿は

回廊に囲まれているので、

南側の楼門からの

参拝となります。

 

回廊内には

本殿が3棟ならんでいて


西から
1之御殿
2之御殿
3之御殿といい

それぞれ
八幡(はちまん)大神
比賈(ひめ)大神
神功(じんぐう)皇后
祀っているといいます。

 



このならびだと、
2之御殿は


南中楼門(みなみちゅうろうもん)の

奥にあるので、

比賈大神が
特別扱いされているようです。

この神さまは、

宗像三女神のこと

だといいますが、

 

もしかすると、

宇佐津比売(うさつひめ)のこと

かもしれませんね。

 


この南中楼門も
勅使門だといいます。

 



しかもこの楼門には、
高良(こうら)大明神
阿蘇(あそ)大明神が

随神(ずいじん)として
祀られているようです。

回廊のなかには
本殿だけでなく、
摂社もあるといいます。

1之御殿のとなりには
春日(かすが)神社
北辰(ほくしん)神社があり



3之御殿のとなりには
住吉(すみよし)神社

あるといいます。



春日神社は、
宇佐津姫とむすばれた
天種子(あめたねこ)
祖神として祀られているのでしょう。

住吉神社の住吉3神は、
神功皇后の守り神です。

北辰神社では

造化三神を祀るといいますが、

 

北辰とは、
北極星のことであり、
天皇や皇子をあらわすといいます。

 



もしくは、
妙見信仰とむすびついて
北斗七星のことだともいいます。

ところで
楼門の南西には、
八子(やこ)神社がありました。



八幡大神の
8人の御子を
祀っているそうですが……

八王子といえば、
ホツマツタヱでは、

国常立尊(くにとこたち)の
8人の御子である
「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」の
8人です。

一説には、
トホカミヱヒタメの
八王子信仰が

八幡信仰へ
代えられてしまったとも

いうようです。

 



北斗七星は、
かつては

北斗八星ともいわれていたそうで、

八王子の象徴でも
あったといいます。

 

そんな

本殿回廊の向かいには、

 

宇佐神宮の奥宮である

御許山(おもとさん)頂の

大元(おおもと)神社を

遥拝する場所がありました。

 



きっと本殿は、

この奥宮のほうを向いて

建っているのでしょう。

 

 

豊前国の宇佐めぐり⑥ へ つづく

 

 

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