わたくしNAVI彦が、
これまで訪れた神社を
ご案内する『NAVI旅』です。
第6弾は、奈良の
龍田(たつた)大社へ
行ってきました!!
大和川(やまとがわ)に
生駒(いこま)山地が
分断されたここは、
河内(かわち)や
難波(なんば)と
大和(やまと)をむすぶ
龍田古道(たつたこどう)
があり、
初代・
神武(じんむ)天皇も
東征のさいにここを
通ろうとしたといいます。
延喜式(えんぎしき)の
祝詞(のりと)によると、
第10代・
崇神(すじん)天皇は夢で、
龍田山(たつたやま)に
神を祀れという
お告げがあったといいます。
また
日本書紀には、
第40代・
天武(てんむ)天皇の世に、
美濃王(みののおおきみ)と
佐伯広足(さえきのひろたり)に
祀らせたとあります。
いずれにせよ、
皇室とゆかりも深く、
二十二社(にじゅうにしゃ)にも
龍田というだけあって、
ここは龍神さまを
祀るお社です。
拝殿の柱に巻きついた
しめ縄は、
左螺旋と右螺旋を
あらわしていて、
高龗神(たかおかみ)と
闇龗神(くらおかみ)のこと
主祭神は風の神さまで、
龍田の神さまは
地主神として
摂社に祀られています。
「風」といってもそれは、
大気や生気などの
『気』を司る神さまだそうです。
ホツマツタヱの
ヲシテ文字でいえば、
あ・い・う・え・お
の5母音はそれぞれ、
空・風・火・水・土
に対応しているといいます。
つまり風は、
光よりも物質的であるが、
火よりも精神的という
位置づけのようですね。
ですからここは、
自然神ともいうべき
スピリットな神さまが
いらっしゃるといいます。
主祭神は
天御柱命(あめのみはしら)と
国御柱命(くにのみはしら)
といいますが、
これは、
志那都比古神(しなつひこ)
という男神と
志那都比売神(しなつひめ)
という女神だそうです。
しかも、
「志那」は「息長(しな)」という
長寿を意味するともいいます。
もしこれを、
「息長(おきなが)」とよめば、
かつて龍田山に
栄えていたという
製鉄民とも繋がりそうです。
ホツマツタヱによれば、
南河内で暴れていた
アメヱノミチという
ハタレ(反乱軍)を鎮めるさい、
イブキドヌシは、
風の神
シナトベをよんで
雲を吹きはらい、
水の神
タツタヒメをよんで
炎を消したといます。
しかしこれも、
伊吹山(いぶきやま)の
息長氏をおもえば、
なにやら歴史の裏が
透けてみえそうな気がします。
以降、
シナトベとタツタヒメは
かぞえられ、
日本武尊(やまとたけ)に渡した
火水土(ヒミツ)の祓いにも、
風の神、
火を鎮める神として
名を連ねています。
境内にはほかにも、
龍となった白蛇をまつる
白龍(はくりゅう)神社さんや、
ワカヒメさまを祀る
龍田恵美須神社、
お稲荷さまをまつる
三室(みむろ)稲荷神社や、
祓戸社らしき、
下照姫(したてるひめ)神社が
ありました。
このあたりは過去記事の
龍田大社と龍田古道
にも書きました。
今回は、
約1年ぶりの
参拝となりましたが、
境内はいまだ
拡張工事中であり、
昨年はなかったものも
見受けられました。
とくにこの龍の像は、
令和元年6月奉納だそうです。
みせてくれそうですね。
主事のかたと
お話ししていると、
神紋の
八重の楓(かえで)について
教えていただきました。
楓の葉といえば、
5枚、7枚と
奇数の葉をつけるといいますが、
龍田大社では、
8枚の葉をつける木が
毎年境内に見つかるそうです。
その神蹟の
また、
改修がおわったという
祈祷参集殿にも
上がらせていただきました。
陰陽五行思想が
見事に貫かれていました。
青が木、
赤が火、
黄が土、
白が金、
黒が水を
それぞれ
あらわすといいます。
風は、
木気「もっき」であり
青なのだそうです。
神紋の楓も
木と風ですよね。
青々とした畳と
丹塗りの柱、
さらには、
来週おこなわれる
例祭のために用意された
神輿までならび、
なんとも荘厳な空間に
なっていました。
とても贅沢な
参拝になりました
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