河内国の応神めぐり⑤ ~道明寺天満宮~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

藤井寺(ふじいでら)市の
道明寺にある

道明寺天満宮
(どうみょうじてんまんぐう)です。



菅原道真
(すがわらみちざね)公を
祀る神社なのですが、

 



ここは生家・
菅原(すがわら)氏
前身である

土師(はじ)氏
ゆかりの地であり

土師氏が祖神を祀る
土師神社だったといいます。



天照大神の子・
天穂日命(あめのほひ)から
13代孫にある

野見宿禰(のみのすくね)が
始祖だといわれています。



第11代・
垂仁(すいにん)天皇は、

先代の葬儀のさい
おおくの生贄をともに
陵に埋めたことに
心をいためていたといいます。



皇后である
日葉酢媛命(ひばすひめ)を
おくるときには

この悪習をやめたいと
思い悩んでいたところ
野見宿祢は、

生贄のかわりに
埴輪(はにわ)を埋めるよう
すすめたといいます。



そうして
出雲(いずも)から
土師部(はじべ)を
呼び寄せると

おおくの埴輪を
つくってみせたといいます。



垂仁天皇はこれを
とてもよろこび、

野見宿祢を
土師部の長に
任命するとともに

この地を与えた
といいます。

ですからここは、
土師氏による
埴輪の一大産地でも
あったようです。



また土師氏は
埴輪だけでなく

古墳の造営や
葬送儀礼にも
関わっていたといいます。



ちかくにある
中山塚(なかやまづか)古墳
八島塚(やしまづか)古墳の
あいだからは、

資材を運ぶために
使ったとみられる

「修羅(しゅら)」という
木製のソリまで
出土しているといい

古墳時代に
大活躍した氏族
だったようですね。



第33代・
推古(すいこ)天皇の世には

聖徳太子(しょうとくたいし)
尼寺を築くことになり

この地の
土師八嶋(はじのやしま)が
自宅の土地を寄進して

土師寺(はじでら)が
建てられたといいます。



土師寺は当時、
参道東の駐車場のあたり
にあったようです。



この

土師氏から

菅原(すがわら)氏
大江(おおえ)氏
秋篠(あきしの)氏

にわかれたといいます。



おもしろいのは
この支流も

菅原氏は
垂仁天皇陵、

大江氏は
仁徳(にんとく)天皇陵のある
百舌鳥(もず)古墳群、

秋篠氏は
神功(じんぐう)皇后陵
日葉酢媛命陵のある
佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群、

など
古墳のおおい地に
おこったということです。



土葬から火葬に
うつるにつれて

氏族の役割も
おおきくかわっていった
ということのようですね。

 

平安京に遷都をした

第50代・

桓武(かんむ)天皇の

 

母方の祖母も

土師氏だといいます。




平安時代には、

菅原道真公の叔母・
覚寿尼(かくじゅに)が
土師寺に暮らしていた
といいます。

道真はたびたび
叔母をたずねて
この地へ足をはこび

わが故郷とまで
うたっていたようです。

 



道真公が

36歳のときには、

この地で木彫りの
十一面観音菩薩立像
(じゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう)を
残したといれています。

これはいまでは
道明寺の本尊となり
国宝にもなっているといいます。



道真公が
40歳のときには、

境内にあった
夏水井(げすいのい)の水で
大乗経を写経すると、



神託のあった場所に
埋めたといいます。

すると、経塚からは
木槵樹(もくげんじゅ)という
神木が生えてきたそうです。

 


 

神託をくだした
伊勢八幡春日の神々を
三社神祠として祀ったのが

いまも境内の
100メートル南ある末社・
西宮だといいます。



この樹の実を
108個あつめて
数珠をつくり、

念仏を百万回唱えると
極楽浄土にゆける
という言い伝えもあるようです。



道真公が

57歳のとき、


無実の罪によって
大宰府(だざいふ)
左遷されるさいには

淀川(よどがわ)をくだる

舟のなかで



世につれて浪速入江もにごるなり
道明らけき寺ぞこひしき


と切なくうらめしく

詠ったといいます。

 

 

すると、その

心中を察したのか

道真公は

 

土師寺への

さいごの訪問を
ゆるされたそうです。



道真公は土師寺で


鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の
なからん里の暁もかな


と詠ったようです。

 




朝を告げる鶏が
鳴かない里だったなら


別れの朝がこんなに

さびしくなることは

なかっただろうに。

 

これが
叔母・覚寿尼との
今生の別れとなったようです。

 

不憫におもった

道明寺のひとびとは、

 

それ以来

鶏を飼わなかったといいます。




さいごの滞在で

道真公はじぶんの姿を
荒木に刻んだといわれていて、

そのとき使った
犀角柄刀子(さいかくえとうす)
という小刀をはじめ

道真公ゆかりの

おおくの私物が

 

国宝としてここに

残されているといいます。



またこのとき、
追手の刺客が
おそいかかったといいますが
 

どこからともなく
白い牛が飛び出して
道真公を救ったといいます。

ですから、
道明寺天満宮では
白い牛を祀るのだそうです。



菅原道真公の死後、
天神(てんじん)として
祀られるようになってから

菅公ゆかりの
土師寺は
 

菅公の号である
『道明』をとって
「道明寺」とあらためられ、



菅原氏ゆかりの
土師神社は


「道明寺天満宮」になった
といいます。



ところで、
道明寺といえば

道明寺餅という
桜餅が有名ですが、

この起源も
覚寿尼だと
いわれているようです。



道真公が大宰府へ
左遷されたあとも

覚寿尼は道真公をおもい
まいにち欠かさず
お米をお供えしていたといいます。

 



そのおさがりである
乾いた米を、粉にして


梅の実のかたちにして
黄色い団子をつくったところ

 

団子を食べたひとびとの

病気が治ったと

評判になったようです。



おおくの参拝客が

団子を求めるようになったため

 

道明寺ではあらかじめ

もち米を乾かした
乾飯(ほしいひ)を

つくるようになったといいます。


これが
道明寺糒(ほしいひ)の
はじまりであり、

これをあらく挽いた
道明寺粉でつくった餅を
道明寺餅というようです。

 

ちなみに、

 

関西の桜餅は

もち米でつくる

道明寺餅だそうですが、

 

関東の桜餅は

小麦粉でつくる

長命寺餅だそうです。

 



道明寺は天満宮の
神宮寺として

道明寺天満宮の
駐車場あたりに
あったといいますが、

石川(いしかわ)の氾濫で
天満宮の境内に遷り、

明治時代の
神仏分離によって

東高野(ひがしこうや)街道を
はさんで西に
遷されたといいます。



かつての境内は
いまよりもさらに
南にひろがっていたらしく

旧参道や
五重塔の礎石跡
楼門跡や蓮池などが
いまでも見られるといいます。



道明寺は、


真言(しんごん)宗
御室(おむろ)派の
尼寺であり

 

山号は

蓮土山(れんどさん)

だといいます。



本尊の
十一面観音とはべつに
 

習作とされる
「試みの観音」も
道真公の作として
のこっているようです。

 



ここが
観音信仰の地というのも
興味深いところです。

 



ところで、
道明寺天満宮の
元宮とされる

土師社も
天満宮の境内に
あるといいます。



土師社の祭神は

天穂日命の子といわれる
天夷鳥命(あめのひなどり)、

野見宿禰、

大国主命(おおくにぬし)
だそうです。



天穂日命や天夷鳥命は
国譲りのさいに

大国主のおさめる
出雲に懐柔されて

そのまま出雲に
居ついたといいます。

 



また、野見宿祢は
埴輪をつくるさい

出雲から
土師部を呼び寄せた
といいますから、

この方々が
祀られているのは
これらの伝承によるのでしょう。



道明寺天満宮の
本殿うしろの梅園は

80種800本の
梅があるといいます。

大阪みどりの百選にも
かぞえられ、

盛りの時期は
とても見事だといいます。

 



ここにもまた
末社がたくさんあるのですが

なかでも
八嶋(やしま)社は

自邸の地を
土師寺にあたえた

土師八嶋を
祀っているといいます。



ここには
白蛇さまを祀る

白光(しらみつ)社や、



原初の宇宙神である
天御中主大神

(あめのみなかぬし)を祀る

霊符(れいふ)社まであり



なにやら
聖域のように
なっていました。



もしかすると
この地そのものが


どなたかの古墳
だったのかもしれませんね。

 

古市古墳群の地は

すでに失われた古墳も

たくさんあるといいます。

 

歴史をさかのぼれは

旧石器時代の遺跡まで

みつかっているといい、

 

太古のむかしは

石器の加工場でも

あったようです。

 

 

第11代・

垂仁天皇の時代には

出雲から流れてきた

土師氏の里となり、

 

第15代・

応神(おうじん)天皇の

時代以降は、

 

おおくの渡来人が

暮らしたといいます。
 

 

第33代・

推古天皇の時代には

街道も整備されて

 

交通の要衝にも

なっていたといいますから

さらに多くの人々が

入り乱れていたことでしょう。

 

この地に

河内王朝(かわちおうちょう)

というような

 

可能性を求めるもの
わかるような気もします。



河内国の応神めぐり ~終~

 

 

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