摂津国の今宮戎① ~えべっさん~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

十日戎(とおかえびす)や
福娘(ふくむすめ)でも知られる

今宮戎(いまみやえびす)神社です。



商売繁盛の神
『えべっさん』として
親しまれており

1月9日、10日、11日の
十日戎にはおよそ
100万人が訪れるといます。




年のはじめの
えべっさん
商売繁盛
笹もってこい


という
お囃子にもあるように



孟宗竹の枝に
巫女である福娘から

吉兆(きっちょう)という
縁起物をつけてもらい

商売繁盛を祈願する
といいます。



吉兆は
野の幸、山の幸、海の幸を
象徴したものだそうで

それらは
ワラなどに『包まれて』
運ばれたことから

家苞(いえづと)
山苞(やまづと)
海苞(うみづと)とも
いうようです。

 



苞(つと)とは、
食品などを包むものであり

土地の産物や
贈り物ということ
だといいます。

 



かつてはここも
沿岸だったらしく

野、山、海の
産物があつまって

物々交換による
市場があったといいます。

 



えべっさんは
釣り竿に鯛をもった姿で
描かれるように

はじめは
漁業の神として
信仰されていたものが

やがて
市場の守り神として
信仰されるように
なっていったようです。

 



創建は
飛鳥時代にさかのぼり

聖徳太子(しょうとくたいし)
四天王寺(してんのうじ)
建立するさい、

西方鎮護のために
祀ったといいます。

 



たしかに
四天王寺と今宮戎は
東西に1キロほど離れて
ならんでいます。



また、このときには、

四天王寺七宮
(してんのうじしちみや)という

四天王寺を守護する
7つの神社も
築かれたといいます。

 



一説には、

小儀(おぎ)神社
久保(くぼ)神社
河堀稲生(こぼれいなり)神社
土塔(どとう)神社
堀越(ほりこし)神社
大江(おおえ)神社
上之宮(うえのみや)神社

とつないでいくと
渦をまく北斗七星
なるといいます。

だとすると、

6番目の星(ミザール)である

大江神社にたいして


今宮戎神社は

8番目の星(アルコル)

だったのかもしれませんね。

ちなみに
小儀、土塔、上之宮の3社は


大江神社に
合祀されているといいます。

 



今宮戎の祭神は
事代主命(ことしろぬし)です。

出雲(いずも)の
大国主(オホナムチ)の
息子とされています。


ホツマツタヱでは、
初代コトシロヌシ
クシヒコのことだといいます。



記紀にいう
国譲りのシーンでは

武力をちらつかせて
恭順をせまる皇軍に


おほなむち
こたゑとわんと
みほさきの
つりえききすの
いなせはき
』 


父・オホナムチは
どう応えたものか
相談するために

美保崎の連(つり)へ
伝令をおくって
否か是かを
取り次いでもらった


連(つり)とは
連(むらじ)のことで

ここでは、子・
事代主のことだといいます。



もちろん、美保崎で

釣(つり)をしていたとも

かかっているのでしょう。

美保崎といえば

いずれ妻となる
ミホツ姫との関係も

気になるところです。




いそいで
出雲(杵築)にもどった
事代主は


ことしろぬしか
ゑみすかほ
われすすかにて


「笑みす顔」で

わたしの心は清らかです
(逆心はありません)
とこたえたといいます。

 



そして、
出雲の長である
父・オホナムチを
さとすために


ほろろなけとも
ちのたゐそ
さかなときるも
おろかなり
たかまはたみの
ゑみすたゐ



ほろほろと

鳥のように鳴(泣)いて

悲しんだところで

 

わたしたちはもう

自由に空を飛ぶ

鳥ではなく
 

釣り針にかかった
鯛(他意)とおなじです。

さかなを切るように
逆らって斬られるのも
愚策でしょう。

天意(大事なこと)は
出雲の民だけでなく
中央政府の民までもが
笑って暮らせることであり

わたしたちは
おおくの民のために
よころんで(笑みす態)
この身(体・鯛)を捧げましょう


といったようです。

 



この
『つり(連・釣)』
『ゑみす(笑・戎)』
『たゐ(鯛・態・体)』が

えべっさんのイメージを
つくったようですね。



またもしかすると
皇軍の問いにたいして

返答するまでに
時間がかかったことから

耳が遠いという
俗説がうまれたのかもしれません。



今宮戎の本殿裏には
銅鑼や木板があり、

耳が遠いという
えべっさんのために


本殿に近いここから
銅鑼や板をたたいて

音を立て、

 

存在をアピールしてから

ふたたび
お願いごとをするといいます。



また
今宮戎ではかつて
鮮魚を朝廷に献進していた
ともいうようですが、

これも、

朝廷の軍門にくだった

事代主のようでもあります。

 

さらに、

笹につける吉兆は

子宝(こだから)ともいわれるらしく

 

オホナムチにとっての

事代主クシヒコはまさに

子宝だったのかもしれません。

 



気になるのは
なぜ事代主が祀られたか
ということです。

日本初の市は
奈良の三輪にある
海石榴市(つばきいち)
だそうですが

そこにも
事代主が祀られていた
といいますから

それが起源
なのかもしれません。



ですが、
聖徳太子のことですから

もうすこし
何かありそうです。



そこでつぎは、
今宮戎神社の
150メートル北にある

廣田(ひろた)神社を

めぐってみます。



摂津国の今宮戎① ~えべっさん~

 

 

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