摂津国の今宮戎② ~廣田神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

今宮戎(いまみやえびす)神社
150メートル北に

廣田(ひろた)神社があります。



高層マンションにかこまれて

ややせまく感じますが、

かつては
広々とした森にかこまれた
萩の名所だったようです。



こちらも

今宮戎神社とおなじく
四天王寺(してんのうじ)
鎮守だといいます。



兵庫県にある
西宮(にしのみや)の
廣田(ひろた)神社とおなじく

祭神は
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(むかつひめ)だそうです。

ホツマツタヱによると
瀬織津姫(せおりつひめ)
のことですね。



兵庫の廣田神社は
神功(じんぐう)皇后

託宣をうけて創建された

といわれますが、

大阪の廣田神社では
ここがその地である
としているようです。


これは、兵庫の
本住吉(もとすみよし)神社

大阪の
住吉(すみよし)大社の関係とも
似ていますね。



また、兵庫の
西宮神社と廣田神社の
位置関係はそのまま

 

大阪の

今宮戎神社と廣田神社の
位置関係にも似ている

というようですが、

 

さて、どうでしょう爆  笑

 




たしかに、
兵庫の西宮神社も

大阪の今宮戎神社も

 

『えびすさま』を
祀っています。

ただし、
『えびすさま』にも
いろいろあって

今宮戎で祀られるのは
事代主(ことしろぬし)

西宮で祀られるのは
蛭子神(ひるこ)だといいます。



もともと、
『えびす』とは
海からの漂着物のことで

漁村ではそれを
大漁の縁起物と
していたようなのです。

『え』は
入り江の『江』

『び』は
神霊の『靈』

『す』は
座るや居るの『住』から
 

海からやってくる神さま

のことだといいます。



西宮神社で祀られる
蛭子(ひるこ)もまた

海から流れついた
神さまですから

蛭子(えびす)と
よばれたようです。



さらに
大阪の廣田神社では

賢彦名命(さかひこな)
という神さまも
祀られているといいます。

この方は
アカエイに乗ってやってくる
知恵の神さまだそうです。

 



これもまた
漂着神としての
『えびす』なのでしょう。

 

おなじく
海からやってきたという
少彦名命(すくなひこな)

『えびす』として
祀られている神社が

あるといいます。



また、ここでは
アカエイに願掛けをして
痔を治すといいますが、

これはおなじく
神功皇后が創建した

兵庫県の
長田(ながた)神社でも

 

アカエイに願掛けをして

痔を治していたとありました。

しかも
長田神社では
事代主を祀っています。

 



これだけ
『えびす』が重なると
何かの意図を
感じてしまいますね。

さらにいえば、
兵庫にある
生田(いくた)神社
神功皇后が祀ったと
いわれていますが、

そちらの祭神である
稚日女尊(わかひるめ)もまた
今宮戎で祀られていました。

 



ワカヒルメは
蛭子(ヒルコ)とおなじ神である
ともいわれています。

そこでもういちど
今宮戎の祭神を

みてみますと、

 



事代主のほかに

天照大神(あまてる)
素戔嗚尊(そさのを)
月讀尊(つきよみ)
稚日女尊(わかひるめ)が

いらっしゃいます。

 



ホツマツタヱによれば
イサナギ・イサナミの子には

ヒルコ
アマテル
ソサノヲ
ツキヨミ
ヒヨルコ

の5神がいるそうですが、

ヒルコとヒヨルコには
海に流されたという話もあり

これもまた
『えびす』とするならば

今宮戎は
イサナギ・イサナミの
5人の御子を祀っていた
ともいえそうですね。



ところで、
廣田神社の
本殿のうらには

赤土(あかつち)稲荷が
あります。

かつてこの地は
海辺だったといいますから

海人(あま)族
アカツチのことかもしれません。


九州ではアカツチを
住吉3神のうちの
中筒男(なかつつお)と
するところもあるようです。



日本書紀には

黄泉からかえった
イサナギが

四国と九州のあいだにある
速吸門(はやすいのと)を
ながめてから禊をしたところ
 

赤土命(あかつち)を
吹き出されたとあるようです。

 



ホツマツタヱでは

アカツチは
速吸姫(はやすいひめ)の
父とされています。



大分の
宇佐(うさ)神宮

もともと

アカツチの治める
アカツチ宮だったそうです。



男神・天照大神には
12人の后がいた
といいますが、

モチコ・ハヤコ姉妹は
ソサノヲと不倫をして
謀反をくわだてた疑いにより

娘である
タケコ・タキコ・タナコ
ともども

アカツチ宮に
左遷されたといいます。

 



しかし
モチコ・ハヤコは
育児放棄して徒党を組み

ヤマタノオロチ軍を
率いたようです。



ソサノヲは、

アカツチの娘である
速吸姫を妻にしようと
こいねがっていたのですが

逆上した
ヤマタノオロチに

速吸姫は
殺されてしまったといいます。



厄介事ばかり
舞い込むような
アカツチですが、

アカツチの弟・
アシナツチは

イナタ姫を産んだといいます。

ゆくゆくはこの
イナタ姫を救うために

ソサノヲは
ヤマタノオロチを斬り

イナタ姫を后として
出雲を治めていく

というのも
ホツマツタヱの

面白いところです。



さて、話を
廣田神社に戻しますが

アカエイはここでは
『アカエ』と

よばれていたそうです。

これをもし
『赤江(あかえ)』とするならば

ここは
アカツチの一族が
港(江)としていた地

『赤土の江』だったのかもしれません。

 



そのルートは
大分の宇佐から
瀬戸内をとおる
海の大動脈です。

聖徳太子が建てた
四天王寺は

日本仏教はじまりの地
といいますが、

日本ではじめに
神仏習合されたのは
宇佐神宮だといいます

 



そして大陸からは
宇佐と近畿をむすぶ

瀬戸内海を通って
文化が持ちこまれたといいます。

またその
航海の守護として
六甲山(ろっこうさん)

ふもとには

神功皇后ゆかりの社が
創建されています。

 



六甲山の古い名は
向つ峰(むかつみね)であり

向津姫(むかつひめ)こと
瀬織津姫さまの聖地

でもあります。



ですから、
四天王寺の西方守護として


廣田神社が

大阪に祀られているのも
意味のあることなのでしょう。

四天王寺の

西大門(さいだいもん)には
いまでも

瀬織津姫さまを祀るらしき
お姿があります。
 

 

武庫山(むこやま)とは

六甲山のことだといいます。

 

 

摂津国の今宮戎② ~終~

 

 

☆今宮戎全記事リスト☆

摂津国の今宮戎① ~えべっさん~

摂津国の今宮戎② ~廣田神社~

 

 

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