摂津国の住吉大社⑩ ~生根神社と金拆神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

大海(だいかい)神社
北門からおよそ
100メートルくらいに

生根(いくね)神社が
あります。



こちらは、
江戸から明治にかけて
住吉(すみよし)大社
摂社だったといいます。

大海神社とおなじく、

住吉大社の創建以前から
鎮座しているそうです。



摂社となる以前は
官幣大社だったといいますから、

とても格の高い神社だったようですね。

住吉大社に
反橋(そりはし)を寄進したという

淀君(よどぎみ)の崇敬社でもあり

生根神社には淀君から
本殿が寄進されたといいます。



祭神の
少彦名命(すくなひこな)は

海の向こうからやってきた
小人の神さまといわれていて、

大国主命(おおくにぬし)とともに
国造りをした神とされています。

 



智識にすぐれた神さまで
医薬の神ともされていますが、

古来より薬とされてきた
お酒の神ともされており、

この地で、
神功(じんぐう)皇后
酒造をおこなったという故事から
祀られているといいます。

 


 

『酒祝(さかほがい)の歌』という

寿歌まで残っていたそうです。

 

しかし、記紀によれば
神功皇后に語られたのは
少名御(すくなみ)という神さまであり
 

少彦名(すくなひこな)とは

表記が違うようです。

ホツマツタヱには、
琵琶湖の南岸で
酒を発見したの神さまとして

『スクナミ』がいらっしゃいますが、

これもまた
消えていった神さまの名が
形をかえて残っているのでしょうか。

 



生根神社は別名を
『奥の天神(おくのてんじん)』
というそうです。

本殿の北西には
天満宮(てんまんぐう)

祀られており、

国宝級ともいわれる
木彫りの

菅原道真(すがわらみちざね)像が
ご神体とされているといいます。



住吉大社からみて、
奥にある天満宮だから
奥の天神といわれたとも、

海からきた少彦名神、
沖の天津神から
奥の天神といわれたとも
いうようです。

御神木の

もちの木も素晴らしいですが、

 

天満宮前の楠も

とても立派です。




本殿のうしろには、
ほかにも末社が
ならんでいました。

 

こちらは、

彦竜神(ひこりゅうじん)と

姫竜神(ひめりゅうじん)という

龍神さまと

 

保食神(うけもち)を祀る

龍王(りゅうおう)社だそうです。

 

 

八衢比古神(やちまたひこ)と

八衢比売神(やちまたひめ)を祀る

塞(さやり)神社は、

 

もともとは、

この地を開拓した

源氏の武士8名を

祀っていたようです。

 

 

種貸(たねかし)神社です。

住吉大社の末社と

関係があるのかどうかは

不明だといいますが、

 

こちらも

多米(ため)神社や

多米氏・久米氏関係の

お社ではないかと思われます。

 

 

寺院のお堂のような社は、

稲荷(いなり)社だといいます。

ここにある末社はすべて、
近隣にあったものを
遷したもののようです。

また、
神明穴立石という

不思議な磐もありました。

 

 

東西に開いた穴は

伊勢(いせ)神宮遥拝のため

だといいます。


薬の神さまが祀られているからか
何首鳥(かしゅう)という
漢方薬の名が

刻んであるそうです。



この石は、一夜にして
和歌浦から住吉浜まで

やってきたという伝説が

あるといいます。

和歌浦といえば

 

和歌浦天満宮の

菅原道真公や
 

玉津島(たまつしま)神社の
ワカヒメさま
神功皇后さま

そして
加太(かだ)浦の

淡嶋(あわしま)神社
少彦名とも通じそうです。

 

こちらは、

本殿前にある

天浄稲荷社です。

 

 

この神域も

とても心地がよいです。

 

背後の巨木もまた

素敵なものでした。

 

ここへくると、

生根神社の地も

高台になっているのが

よくわかります。

 

大海神社さんと同じく

海辺にあったようですね。

さてこの、
奥の天神から
1.5キロほど北西に、

上の天神(かみのてんじん)
といわれる
生根神社があるといいます。



奥の天神からの
勧請だといいますが、

かつて大阪湾を
津波が襲ったさいに

兵庫の

西宮(にしのみや)神社から
流れたご神体が

上の天神の地に
流れ着いたことから
有喜恵美寿(うきえびす)社を
祀っていたといいます。



ホツマツタヱには、

西宮に流れついた
ワカ姫ヒルコさまを

住吉神のカナサキさま
拾ったとありますが、

似たような故事があるのは

興味深いですね爆  笑



さらに興味深いのは、


奈良県の桜井市に
忍坂坐生根
(おしさかにいますいくね)神社
があり、

おなじく少彦名が
祀られているといいます。

 



大和国といえば
初代・神武(じんむ)天皇より
ながらく天皇家が
住まわれた地です。
 

なかでも、

桜井市にある
若櫻(わかさくら)神社は、
 

神功皇后が
磐余若桜宮
(いわれわかさくらのみや)を築いた
伝承地でもあるといいます。

 



忍坂には
神功皇后とおなじく

息長(おきなが)氏の

 

第34代・
舒明(じょめい)天皇の

墳墓もあるといい、

ここ一帯は、

息長氏の拠点だった

ともいうようです。



ところで、
生根神社で祀られるのは

少彦名ではなく
活津彦根命(いくつひこね)
という説もあるようです。

イクツヒコネといえば
天照大神の子であり、

 

滋賀県彦根市

由来にもなった神さまです。

 

生根(いくね)は

活津彦根(いくつひこね)から

きているということでしょう。

 

けれども、

ホツマツタヱからすれば

 

カナサキ翁の孫にあたる

天津彦根(あまつひこね)を

推したいところです。

 

こちらもおなじく

天照大神の子であり、

カナサキ翁の娘である
ハヤアキツ姫アキコとの
あいだに産まれた子です。

 

天津彦根神が

祀られていたからこそ、

 

天神といわれていた、

としたらすごく面白いですね。
 



この
アマツヒコネから、

琵琶湖(びわこ)の
三上山(みかみやま)
アメミカゲにつながり
息長氏にも繋がることから、

住吉大神は
息長氏の祖神かもしれない
のですが、

さらに面白いことに、
この桜井市には
金拆(かなさき)神社が
あるというのです。



大神(おおみわ)神社
末社であり

三輪山(みわやま)

南麓に鎮座していました。

 

 

案内看板もなく、

山中にあるこの神社は

入口を見つけるのも

一苦労です。

 

 

桜井市の

学校給食センターの

裏手にまわりこみます。

 

 

暮れかけの山道ですから

すこし雰囲気がありますが、

 

このような細道を

進んでゆくとあります。

 

 

金拆神社です。


社殿もなく、
神籬らしき御神木が

ただ一本だけ、
祀られていました。

ここにはほかにも、
山中の磐座の神々を
合祀しているといいますが、

もともとは、
宇都志日金拆命
(うつしひかなさく)だけを
祀っていたといいます。

ここはいったい、
なんの地なのでしょう。

どうしてここに
これだけのものが
残っているのでしょう。

カナサキ翁や、
息長氏とは
どういう関係にあるのでしょう。

さまざまな憶測やドラマが
浮かんできますキラキララブキラキラ

 

参拝した感覚でいうと、
古墳のような気がしました。

海人族系、
もしかすると

カナサキさまや
アマツヒコネさまの墓
ということはないでしょうか?キラキラ



摂津国の住吉大社 ~終~


☆住吉大社全記事リスト☆
摂津国の住吉大社① ~スミヨロシ~
摂津国の住吉大社② ~カナサキ~
摂津国の住吉大社③ ~六船霊~
摂津国の住吉大社④ ~オリオン~
摂津国の住吉大社⑤ ~初辰まいり1・種貸社~
摂津国の住吉大社⑥ ~初辰まいり2~
摂津国の住吉大社⑦ ~五所御前~
摂津国の住吉大社⑧ ~津守氏~
摂津国の住吉大社⑨ ~まとめ~
摂津国の住吉大社⑩ ~生根神社と金拆神社~

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング