住吉(すみよし)大社には
毎月はじめの
辰(たつ)の日に、
種貸(たねかし)社
楠珺(なんくん)社
浅澤(あさざわ)社
大歳(おおとし)社
の末社を巡拝する、
『初辰まいり』という
参拝があるといいます。
初辰(はったつ)は、
発達(はったつ)に
あやかった言葉であり、
五穀『豊穣』や
商売『繁盛』の
ご神徳があるようです。
まずは、
1番参りの種貸社
からはじめるようです。
種貸(たねかし)
というように、
子種という意味の
子授けや
元手(火種)という意味の
資金調達の
一寸法師(いっすんぼうし)も、
老夫婦が住吉神に
子ども願ったところ、
たちまちに
子が産まれたといいます。
一寸法師といえば、
その源流は神話にある
少彦名神(すくなひこな)といわれ、
海のかなたより
小さな船に乗ってやってきた
賢い侏儒(こびと)であり
大国主(おおくにぬし)の
国造りを手伝ったと
いわれています。
種貸社の神徳には
「智恵」もあるといいますが、
それはスクナヒコナに
よるのかもしれません。
神功(じんぐう)皇后が
酒造の神として称えた
少名御神(すくなみ)も
スクナヒコナといわれています。
200メートルほど北にある
生根(いくね)神社には
スクナヒコナが祀られ、
神功皇后が酒造りをした
といういわれがあるようです。
(ただし、
ホツマツタヱでは
『スクナミ』という別の
酒の神がいらっしゃいます。)
住吉大社は
海辺でもあったので、
遠い海のむこうから
異形のものがやってくる
ということもあったのかもしれません。
祭神は、
倉稲魂命(うがのみたま)で
五穀豊穣の神だと
されています。
かつては
多米(ため)神社といわれ、
ここより1.5キロほど
東に鎮座していたようです。
多米(ため)氏が奉斎する
神社であり、
住吉大神に捧げる
神饌米をつくっていたようです。
よばれていたことから、
種貸(たねかし)社に
なったといいます。
本殿のうらには、
種貸人形や絵馬が
奉納されていました。
種貸人形は、無事に
子どもを授かった方々が
納めるといいます。
種貸社の神徳は
おどろくほど高く、
おおくの方々が
ここに参拝したあと、
子宝に恵まれているといいます。
人びとの思いが
相乗効果を産んだ
パワースポットなのかもしれません。
ところで、気になったのは、
本殿の脇にあった
ふたつのお社です。
兒安(こやす)社は
子どもを守る神だといい、
興台産霊神(こことむすび)を
祀っているといいます。
『ココトムスビ』といえば、
春日(かすが)大社で祀られる
天児屋根(あまのこやね)の
父親だといいます。
ホツマツタヱでは
『ヰチチ』という名であり
ハタレ退治のおりに
魂返し(たまかえし)という
浄化法を確立したとして、
ココ(上・魂)と
スト(下・魄)を結ぶ
『ココトムスビ』の称え名を
賜ったといいます。
またこのときに
『ヰチチ』は
『カスガ殿』の称え名も
賜っています。
天照大神は
ハタレ退治のあと
総大将である
カナサキに
こう述べたといいます。
「
魂返しの法のおかげで
ハタレ討伐で乱れた
わがこころも
すこやか(かすが)である
」
ハタレ退治で
功のあったヰチチですから、
住吉神のカナサキとも
深い関係にあったのでしょう。
そんな方が、いまでも、
住吉大社に祀られているのも
とても興味深いことです。
もちろん、この『かすが』が
春日大社の春日の
由来になっているといいます。
さらに、
兒安社のとなりにある
海士子(あまご)社には
天照大神の玄孫である
鵜茅葺不合尊
(ウガヤフキアワセズ)が
祀られていました。
摂社の
祀られていましたが、
ウガヤさまは
豊玉姫の息子です。
そして、
初代・神武(じんむ)天皇の
父親でもあります。
だからこそ、
海の士(もののふ)の子
なのかもしれません。
種貸社からは、
おとなりの大海神社の
本殿をみることできます。
さらに面白いのは、
海士子社からは
参道がべつに伸びており、
住吉大社の第一本宮まで
真っ直ぐにつづいている
ということです。
↓よければクリック
↓お願いします。
☆住吉大社全記事リスト☆
摂津国の住吉大社① ~スミヨロシ~
摂津国の住吉大社② ~カナサキ~
摂津国の住吉大社③ ~六船霊~
摂津国の住吉大社④ ~オリオン~
摂津国の住吉大社⑤ ~初辰まいり1・種貸社~
摂津国の住吉大社⑥ ~初辰まいり2~
摂津国の住吉大社⑦ ~五所御前~
摂津国の住吉大社⑧ ~津守氏~
摂津国の住吉大社⑨ ~まとめ~
摂津国の住吉大社⑩ ~生根神社と金拆神社~