摂津国の住吉大社⑧ ~津守氏~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

住吉(すみよし)大社
境内北東には、

祭祀氏族である
津守(つもり)氏の祖先を祀る

末社がならんでいます。

 



神功(じんぐう)皇后につかえた
田裳見宿禰(たもみのすくね)
その始祖であり、

神功皇后の
御衣裳を搓(も)み、

鎮懐石(ちんかいせき)
腰にさして祈誓した功によって
名を賜ったといいます。



「搓(も)む」には、
糸をなうことや
もみ洗いするという
意味もあるようです。

また、神功皇后は
応神(おうじん)天皇

出産を遅らせるため
鎮懐石を抱いていたといいますから、

石を衣服にさせるよう
つくろったということでしょうか?

 



かつては、
天皇の衣服を織るのは
后の大切な役職だと
いわれていたようですが、

 

女帝の場合は、
男性の田裳見が
衣裳を管理していたのでしょうか?

もちろん
「たもみ」という音から
「田籾」でもあり、

神饌米の管理をしていた
ともとれそうではあります。



田裳見はもともと
住吉の地に暮らしており、

神功皇后が
住吉大神を祀る際に

住吉大社の
奉斎氏族になったようです。

また、田裳見には、
天孫の
櫛玉火明命(くしたまほのあかり)
末裔だという説もあるといいます。



そんな氏族の末裔が、

境内の北東では

鬼門を護るように祀られていました。


后土(ごど)社は
土御祖神(つちのみおや)という
土地の神さまを祀っているそうです。

境内全域の守護を
つかさどるともいい、

神饌のあまりや、
捨てられる祭器はみな
このすぐちかくにあった
神木の下に埋められたといいます。



こちらの五社は
田裳見宿禰
7人の子どもを

それぞれの
社家の祖神として
祀っているようです。

 



大領(だいりょう)さん、
板屋(いたや)さん、
狛(こま)さん、

 


津(つ・わたり)さん、
高木(たかぎ)さん、

 


大宅(おおや・おおやけ)さん、
神奴(かみやっこ)さんの


7家のようです。
〔読みはすべて暫定です〕

この方々の名は

いまでも続いているようですね。



薄墨(うすずみ)社では
津守家39代の
津守国基(くにもと)を
祀っていました。

 



11世紀ごろのかたで、
和歌の名手だったといいます。

勅撰和歌集にも
20首ほど入集されており、

「国基集」という歌集も
あるといいます。


また、歌だけでなく、
箏や、競馬の騎者、
神楽や、舞にも秀でており

多方面から
重宝されていたといいます。



さらには、

朝廷の官職も歴任して
中央政界でも活躍していたらしく、

 

第72代・

白河(しらかわ)天皇の

勅願によって、

 

住吉大社の東にある
荘厳浄土寺(しょうごんじょうどじ)を

再興したといいます。

とてつもない
敏腕なかたであり、
津守氏の隆盛に
おおきく関わったようですね。



斯主(このぬし)社では
津守家43代の
津守国盛(くにもり)を
祀っていました。

12世紀ごろの神主で、
三河の石巻(いしまき)神社や
長門の住吉神社
兼務していたといいます。



源頼朝(よりとも)や

源義経(よしつね)
従兄弟にあたるともいい、

有徳で、
後世の評価も高かったようです。

住吉大社参道の

反橋ちかくにある
誕生石(たんじょうせき)では、

 



頼朝の寵愛をうけた
丹後局(たんごのつぼね)が

追手からのがれ
 

この地で出産したと
伝えられています。

 



もしかするとそれには、

住吉大社の神職家と
源氏のつながりがあったから
かもしれませんね。

ここで生まれた子から、
薩摩の島津氏は
はじまったといいます。



今主(いまぬし)社は
津守家第48代の
津守国助(くにすけ)を
祀っていました。



元寇のさいには、
住吉大社でも朝敵降服の
祈願を行ったといいます。

そしてこの方も、
続拾遺和歌集などに
歌が納められる歌人だったようです。

 



また、
霊感が異常にすぐれていた
とも伝えられているようです。


これら津守氏や、
神職・崇敬者をはじめ
住吉大社にゆかりの深い方々を
祖霊として祀るのが、

こちらの
招魂(しょうこん)社です。



この社は、
かつて住吉大社にあった
神宮寺の護摩堂だといいます。

ひとびとの思いも、
しっかりと受け継いでいる
ということでしょうか。

これら
津守氏の社とならんで、
新宮(しんぐう)社が
ありました。



熊野の神々を祀るようですが、
神さまの詳しい説明は
またいずれするとして、

もともとは、
津守王子(つもりおうじ)社という
王子だったようです。



熊野までの参詣道には
99の王子があり、

参詣の途中で
儀礼をおこなう場所だったようです。

渡辺津(わたなべのつ)からつづく
王子には

いまでも阿部(あべ)王子などが
のこっていますが、

津守王子は、
6番目の王子だったようです。

かつては
墨江小学校の地にあったといいます。



新宮社のとなりには
八所(はっしょ)社があり
ソサノヲを祀っていました。

京都の八坂神社の
祇園(ぎおん)信仰の社
だといいますから、

牛頭天王(ごずてんのう)が
祀られていたのでしょうか?

鬼門封じの地にもってこいの、
厄除けや方位護りのようですね。



さて、
これであらかた

境内を回りおえました。

ですが
最後にもうひと記事、
住吉大社をまとめてみようと思います。

 

 

摂津国の住吉大社⑨ へ つづく

 

 

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摂津国の住吉大社③ ~六船霊~
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