摂津国の住吉大社① ~スミヨロシ~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

全国2300社といわれる

住吉神社の総本社、
住吉(すみよし)大社です。



摂津国一の宮といわれ、

 

朝廷から特別の崇敬をうけた
二十二社(にじゅうにしゃ)の
ひとつでもあります。



日本最古の女帝ともされる
神功(じんぐう)皇后が、
三韓遠征の帰路に


わが和魂(にぎみたま)を
大津渟中倉之長峡
(おおつのぬなくらのながお)に祀れ


との神託を受けて、

 

住吉大神を
この地に祀ったのが
はじまりだといいます。

 



また
神功皇后がここで、

 

『真住吉住吉国
(ますみえしすみのえのくに)』

「ほんとうに住み良い住吉国」


といったことから、
この地を
「住吉(すみよし)」と
いうようになったといいます。

 



それ以前は、
「住吉(すみのえ)」と

よばれていて、

墨江(すみえ)・

住之江(すみのえ)という
地名にも残るように

ちかくに
入り江があったといいます。



住吉大社の南を流れる
細井川(ほそいがわ)は、

 

かつて

細江川(ほそえがわ)といい、

 

住吉大社がある

河口付近の

細江という入り江には


住吉津(すみえのつ)という
港が置かれていたといいます。



広大な
大阪平野は、

縄文時代には
河内湾(かわちわん)という
入海になっていたのですが、

弥生時代になると
砂洲がのびて
河内湖(かわちこ)となり、

古墳時代には
縮小&掘削して
草香江(くさかえ)という
入り江になっていたといいます。



おもしろいのは、
その変遷のなかでも

仁徳(にんとく)天皇古墳から
住吉大社
大阪城のあたりまでは、

海に沈まずに
岬のように突きだしていた
ということです。

 



草香江の奥には
草香津(くさかのつ)、

岬の突端には
難波津(なにわつ)

住吉には
住吉津というように、

地形にあわせた

港を築いて
交易の要衝と

していたようです。



住吉大社はかつて、

白砂青松(はくしゃせいしょう)の

景勝地といわれるほど

 

美しい浜が

広がっていたといい、

 

海や舟と

ゆかりの深い神社とも

いえるようです。

 



遣唐使進発の地
といわれるのも

ここが、

大宰府(だざいふ)のような

 

防衛と外交の窓口に
なっていたからでしょうか?



ところで、

由緒にある
『大津渟中倉之長峡』の
比定地はほかにも、

兵庫県の
本住吉(もとすみよし)神社とも
いわれています。

同時期に
神功皇后によって祀られた

生田(いくた)神社
廣田(ひろた)神社
長田(ながた)神社が
ならんでいることからも

そちらのほうが
合っているように思われます。

 



また、
祭神とされる
住吉大神は、

底筒男命(そこつつお)
中筒男命(なかつつお)
表筒男命(うわつつお)

の3神とされていますが、

そのお姿はなぜか
白髪白髭の
ひとりの翁として描かれます。

 



さらに不思議なのは、


この3柱の神がなぜ
『住吉』大神と

呼ばれるようになったのか、

 

記紀にはくわしく
書かれていないということです。

 


ホツマツタヱをひもとけば
こんな一文がありました。


またかなさきは
すみよろし
かみのをしてと
みはのそを
たまふつくしの
たみすべて
ゆひおさむへし
わがかはり



カナサキは
スミヨロシ神の称え名と
御衣をたまわり、

わたし(天照大神)のかわりに
筑紫の民を治めよ
つかわされた




カナサキとは、
記紀でいうところの
宇都志日金拆命
(うつしひかなさく)のことで

安曇(あずみ)氏をはじめ
海人(あま)族の祖と
されている方です。



カナサキさまは、
記紀では

一文に残るのみですが、


ホツマツタヱでは
大活躍されています。
 

どうやら、

ここ住吉の地が

カナサキさまが

暮らした地であり、

 

その称え名だけが残り

祀られているようなのです。



『スミヨロシ』

という言葉には、

ツキスミ(筑紫)を
治める者という意味や、

洲に身を寄せる、

住まいを築くの意味も
あるといいます。



ここが

『住吉』といわれるのは、

 

スミヨロシ神である

カナサキさまが

住んでいた地であるから

という意味もあるのでしょう。

 

また

海人族でもありますから、
港も築いたことでしょう。

 

とすると、

スミヨロシ神の江ということで

『スミの江』と

呼ばれたのかもしれません。

カナサキさまは後年、
『スミヱの翁』とも
よばれたといいますから、

白砂の青松を背にした
白髪の老人姿とも
一致します。

 



神功皇后がいった
『真住吉住吉国
(ますみえしすみのえのくに)』
はつまり

「スミヱの翁が暮らした国は
ほんとうに住み良い国だ」

という洒落た意味が

込められていたのかもしれません。



各所で
ホツマツタヱ縁の地を
祀ってきた神功皇后は

この地も
カナサキ翁の居住地として
祀ったのかもしれません。

 

なにしろ

神功皇后は、

住吉大神に守護されていた
といわれています。




ちなみにですが、
本住吉神社の奥宮は
カナサキ翁の墓所とも
いわれているそうです。

 



さて次回は、
カナサキ翁について
 

じっくりゆっくり

書いてみたいと思います。

 

 

摂津国の住吉大社② へ つづく

 

 

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