琵琶湖(びわこ)の南東、
滋賀県野洲(やす)市には
近江富士(おうみふじ)と
うたわれる
三上山(みかみやま)があります。
お椀を返したような
尾根はみるからに
神奈備山です。
三上山の山頂には
御上(みかみ)神社があり、
山そのものを
ご神体にしているといいます。
その
三上山のふもとに
御上神社の里宮があります。
山頂からは
真西におよそ1キロ
といったところでしょうか。
野洲駅から歩いたので、
北側の鳥居から
はいってゆきます。
祀られているのは、
天之御影神(あめのみかげ)という
聞き慣れない神様です。
第7代・
孝霊(こうれい)天皇の世に
三上山に降臨したといいますから、
紀元前のはなしですね。
この地の
御上祝(みかみのはふり)らが
祭祀したといわれています。
里宮が築かれたのは
奈良時代だといい、
藤原不比等(ふじわらのふひと)が
造営したと
いわれているようです。
以降は、
朝廷の崇敬も
厚かったようです。
天之御影神は
忌火(いんび)や
鍛冶(かじ)の神といわれ、
周辺からは、
古墳時代の銅鐸も
数おおく発掘されていることから、
製鉄の地でも
あったようです。
そのためか、
武家の世になっても
おおくの武将の崇敬を
集めたといいます。
以前、
近江めぐり②~瀬田の唐橋と龍宮~
でも書きましたが、
三上山に残る
大ムカデの伝説は、
朝廷に反乱をおこした
平将門(たいらのまさかど)の
比喩だったとも
いわれているそうです。
境内に
弓道場があるのは
とても珍しいように思います。
参道は
北からぐるりと西をへて
すさまじい雰囲気の
鳥居がありました。
参道にある鳥居の
ひとつにすぎませんが、
なにやら神気に
満ちているようです。
台石が
八角形ですね。
境内にいるだけで、
浄化されていくようです。
だそうです。
大和を向いているのでしょうか?
三上山には
おおくの磐座があるのですが、
境内にもたくさん
しめ縄のかかった
磐がありました。
楼門がみえてきました。
重厚感のある
立派な門です。
鎌倉時代後期のもので
重要文化財だといいます。
神像が警護する
随身門ですね。
看督長(かどのおさ)など
近衛府の官人を
模しているといいます。
矢をたずさえる左の随身は
矢大臣(やだいじん)と
いわれているといいます。
この楼門の手前に
末社が2つありました。
左側は
御鍵取(みかぎとり)神社といい、
猿田彦命(さるたひこ)と
天津彦根命(あまつひこね)を
祀っていました。
ホツマツタヱには、
「
みおのつち
つむみかみやま
」
とあり、猿田彦が
三尾(みお)を築いたときに
三上山を築いたとも
とれる記述があります。
また、
天照大神の息子である
天津彦根は、
祭神の天之御影の
父親だといわれています。
おとなりは、
愛宕(あたご)神社で
火産霊命(ほむすび)という
火の神様を祀っていました。
それでは
神域にはいってゆきます。
まずはこの
美しい拝殿から。
かつての本殿を
改築したものだそうです。
これも
鎌倉時代のものであり、
重要文化財だといいます。
この拝殿のうしろに、
本殿と摂末社が
ならんでいます。
2社からゆきます。
天照皇大御神を
祀るといいます。
伊勢の天照大神の
父・天津彦根命、
子・天之御蔭神ですから、
祭神の祖父を
祀っているということでしょう。
このとなりにあるのが、
摂社の
三宮(さんのみや)神社です。
祭神は
瓊瓊杵命(ににきね)さまです。
おなじく
天照大神の孫で、
野洲からもちかい、
ミズホ宮に住んでいたといいます。
数々の偉業を
成し遂げられた方ですね。
ホツマツタヱでも、
各地で土地を開拓し
国や人々を豊かにされました。
琵琶湖ともとても
ゆかりのふかい方です。
摂社の
若宮(わかみや)神社があります。
祭神は
伊弉諾命(いざなぎ)
だといいますが、
祭神の子のことです。
とすると、
配祀されている
天御桙命(あめのひぼこ)でしょうか?
この方もまた
謎がおおい
渡来系の神さまです。
ので、
今回は掘り下げません!!
ほかには、
菅原道真命(すがわらみちざね)や
野槌大神(のづち)
天石戸別命(あまのいわとわけのみこと)が
配祀されているようです。
本殿です。
こちらも鎌倉時代の作ですが、
国宝となっています。
三上山に降臨した
天之御影之命(あめのみかげ)です。
天照大神の孫といわれますが、
一説には、
おなじ神様とも
いわれているようです。
ホツマツタヱにも、
天之御影之命(アメミカゲ)は
天津彦根命の子として
登場します。
瓊瓊杵尊(ににきね)の
兄である
櫛玉火明命(ほのあかり)とともに、
メンバーのひとりだったそうです。
さらに面白いのは、
アメミカゲについて、
後年に
別の記述があることです。
「
しらひげのまこ
あめみかげ
あわうみのゑお
たてまつる
」
白髭神と称えられた
海幸彦(うみさちひこ)の
孫にあたる
アメミカゲという人物が、
第7代・孝霊天皇に、
淡海の絵を献上した
というのです。
また同時期に、
諏訪祝(すわのほおり)から
富士山の絵も献上され、
天皇は
瑞兆を感じたといいます。
おなじ名前で
別の系譜の
『アメミカゲ』がいたようですね。
気になりますね!
神紋は
『違い釘抜』紋だそうです。
これは
三上氏の紋でも
あるようですよ。
ふたつの名前が
手を取り合っているようにも
みえるのは、
考えすぎなのでしょうね
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☆野洲めぐり全記事リスト☆
淡海国の野洲めぐり① ~御上神社~
淡海国の野洲めぐり② ~悠紀斎田~
淡海国の野洲めぐり③ ~近江天保一揆~
淡海国の野洲めぐり④ ~三上山~
淡海国の野洲めぐり⑤ ~新川神社~