山背国の宇治めぐり① ~橋姫神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

京都の
宇治(うじ)にある
橋姫(はしひめ)神社です。



おおきな橋には
守り神として

橋姫(はしひめ)を
祀るという風習が
あったといいますが、

なかでも
宇治川(うじがわ)の
宇治橋(うじばし)に祀られた

『宇治の橋姫』はもっとも

知られていたようです。



古今和歌集にも



さむしろに衣かたしき今宵もや
我をまつらん宇治の橋姫



今夜もむしろ(寝床)には
さびしくさむざむと
わたしの衣だけが敷いてある

宇治にいる
愛しいあの人は
わたしを待っているというのに


とあり、
宇治に祀(まつ)られている
橋姫と

宇治で待(ま)っている
愛し(はし)女(ひめ)をかけて

 

逢いに行けない

さびしさを詠ったようです。

都から
ほどよく離れたここは
都の端(はし)でもあり

貴族の別荘地でも
あったといいます。

 


また一説には、
この歌が詠まれたとき
橋が壊れていて
川を渡れなかったともいいます。

ならば
ほかの橋を渡ればいいのでは?
とも思うのですが、

かつて
宇治の西には
巨椋池(おぐらいけ)という

日本最大の池があったといいます。

西には巨椋池、
北・東・南は
山にかこまれたここは

内(うち)という意味から
宇治(うぢ)になった
ともいうようです。

 



宇治橋は
日本最古の橋

ともいわれ

646年(大化2年)に
建てられたといいます。

このとき、
宇治川の上流にある
桜谷(さくらだに)社から

瀬織津姫(せおりつひめ)

勧請して橋姫としたようです。

桜谷社はいまでは
佐久奈度(さくなど)神社といい

ホツマツタヱとも
ゆかりのふかい神社のようです。

 



橋姫神社はもともと
橋のなかほどにある

『三ノ間(さんのま)』という
張り出した部分に
祀られていたといいます。

しかし
川の氾濫などによって
たもとに遷座したのち

いまの場所に
落ち着いたそうです。

 



一説によると

橋の守護としては
男女2神を祀っていた
ともいうようです。

ホツマツタヱでは
イサナキ・イサナミ
婚姻のさい

仲をとりもつことを
浮橋をわたす」
といったようですが

橋にはもともと
男女の仲をつなぐ
という意味もあったようですね。


古今和歌集の
『さむしろに~』も

橋が壊れたために
男女の仲が結ばれなかった
ということかもしれません。

また
源氏物語の宇治十帖も
『橋姫』にはじまり
『夢浮橋』でおわるというのも

こうしたことが
関わっているのでしょう。

 



もしかすると、
橋が壊れてからずっと

橋姫さまは
男神と離れ離れになり
片祀りなのかもしれません。

だからでしょうか、


風土記にのこる
宇治の橋姫伝説は

妊娠した橋姫をおいて
夫が居なくなってしまう
のだそうです。

夫は妻のために
海までワカメを
取りにいったのですが

龍神にさらわれてしまった
というのです。

帰らぬ夫を悲しんで
宇治橋のたもとで
亡くなった女性が
橋姫として祀られている
 

いつのまにか、

こうした話が主流に

なってしまったようです。



外敵から
橋(操)を護る女神、

ひとり残された
悲劇の女性、

 

このイメージは

時代とともに

さらに変化をとげ

ついには、
嫉妬に狂った女が

鬼となって人を襲った

 

という話に

なっていったといいます。




京都の
貴船(きふね)神社では、

ある女が
恋敵を憑り殺すため
鬼になりたいと祈ったところ

 

貴船明神に
聞き届けられたという

伝説がありました。

女は
顔や体を赤く塗り、
鉄輪(かなわ)をかぶって
松明をつけるなど

鬼の似姿をしたまま
 

21日のあいだ

宇治川に浸かったところ
 

本物の鬼となって
おおくの人々を
手にかけたといいます。

 

これが、貴船神社

丑の刻参りの起源に

なっているのだそうです。



この鬼は、
頼光(らいこう)四天王のひとり
渡辺綱(わたなべのつな)
退治され

宇治橋に

橋姫として祀られた

という話もあるといいます。

これがもとになった
能楽『鉄輪』では

鬼は
安倍晴明(あべのせいめい)が
召還した

三十番神
(さんじゅうばんしん)によって
退治されたといいます。

 



ですから
橋姫神社の神さまは
嫉妬深いなどともいわれ、

カップルで
橋を渡ってはいけないとか

縁結びのときには
橋のしたを船で渡る
のだといいます。

こうしたことから
「悪縁切り」の
ご利益があるとされ、

縁切りの神社としても
信仰を集めているようです。



鬼神と化した
女性の姿はどこか

武装した女神を
思い起こします。

それは
ソサノヲワカヒメ
誓約(うけい)のシーン

ソサノヲと対峙した
ワカヒメの姿とも重なります。

おふたりは
天安河(あめのやすかわ)
はさんでいたといいますが、

橋がかかっていなかったのでしょう

物別れになってしまったようです。

 



また『鉄輪』で
安倍晴明が呼び出したという
三十番神ですが、

これは
最澄(さいちょう)が
祀ったという30柱の神々で

日替わりで
国を守護する神々だといいます。

ホツマツタヱには
三十ニ神(みそふかみ)
ということばがあって、

フトマニという図
外周2円の

32文字にやどる神々だといいます。

内(うぢ)の橋姫に
外の神々をさしむけた
だけでなく、

三十ニ神は
ひとの容貌を司る神
だともいいますから

鬼の姿となった

女の呪いを

解いたのだとしたら

安倍晴明の
見事な采配だった

のかもしれませんね。



おなじく

日本三古橋のひとつである
瀬田川(せたがわ)の
瀬田の唐橋(からはし)にも

橋姫は祀られていた
といいます。

 

 

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