山背国の宇治めぐり② ~縣神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

橋姫(はしひめ)神社
400メートル南に
 

縣(あがた)神社があります。



こちらは、
平等院鳳凰堂
(びょうどういんほうおうどう)の
守り神だったといいます。



藤原氏の栄華を築いた
藤原道長
(ふじわらのみちなが)の

別荘だった
宇治殿(うじどの)を

子・頼通(よりみち)が
寺院にあらためたのが
平等院だといいます。

 



平安時代後期にひろまった
末法思想(まっぽうしそう)から
ひとびとを救うために

西方極楽浄土
(さいほうごくらくじょうど)として
阿弥陀如来(あみだにょらい)を
祀ったようです。



繁栄の象徴ともいえる
鳳凰堂の縁起もあって

10円玉や1万円札に
描かれたようですが、

宇治殿はもともと


源氏物語の
光源氏(ひかるげんじ)の
モデルともいわれる

源融(みなもとのとおる)の
別荘地だったといいます。



縣神社は

地主神として
 

ときの貴族たちを

支えてきたようですね。



創建は

不明だといいます。

しかし、
『縣(あがた)』から
古代大和政権の
地方行政を任されていたのだろう

とはいわれているようです。



北にある
橋姫神社が
縁切りの神社とすると

南にある

縣神社は
縁結びの神社だといわれ

木花開耶姫命
(このはなさくやひめ)が
祀られているといいます。



天照大神の孫である
瓊瓊杵尊(ににきね)の
正室であり、

世継ぎとなる
3つ子をお産みになられる方です。

 



またの名を
神吾田鹿葦津姫
(かむあがたあしつひめ)といい

これが
『あがた』の由来となった
ともいわれているようです。



ホツマツタヱによると

橋姫神社に祀られる
瀬織津姫(せおりつひめ)

縣神社に祀られる
木花開耶姫は
親戚にあたり

オオヤマズミの一族
だといいます。

 



大山祇神(おおやまずみ)は
役職名であり

大山を統べるものという
「大山統み」だといいます。

その本拠地は、
神奈川県の大山とも
いわれているようです。

 



初代・オオヤマズミは
サクラウチといい

瀬織津姫の
父だといいます。

サクラウチは
イサナキ・イサナミにつかえ

御子である天照大神を
孕むさいには、両神に
ささみき(笹酒)』をすすめた

といいます。



そうして
天照大神が

日嗣となると

サクラウチは
右大臣・左大臣を
歴任して

桜の木を
献上したといいます。

 



この桜は
伊雑宮(いさわ)
大内宮(ををうちみや)に
植えられたといい、

その花が
咲くか咲かないかによって

民の心が
乱れているか穏やかかをしる
指針にしたといいます。

 



おそらくはこれが
平安京の紫宸殿にある
左近桜(さこんのさくら)
起源だと思われます。

また
サクラウチは
桜大刀自 (さくらのおおとじ)
として祀られるといいますが

桜大刀自=木花開耶姫と
されてしまっている神社も
おおいといいます。



橋姫神社の
瀬織津姫は

桜谷(さくらだに)社から
勧請されたといいますし、

縣神社は
桜(さくら)がご神木ですし、

宇治(うぢ)は
内(うち)から
きているともいいますから、

もしかすると宇治は
サクラウチの領地のひとつ
だったのかもしれませんね。

 



イサナギ・イサナミの
宮だったとされる
琵琶湖の

多賀(たが)大社

河内湾(かわちわん)をつなぐ
宇治川をおもえば

サクラウチの領地が
あったとしても
おかしくはないかもしれません。

サクラウチが
イサナギ・イサナミにすすめた
笹酒(ささみき)も

琵琶湖の南東でつくられたのが
はじまりだといいます。



さらに、
6月5日6日におこなわれる

「あがた祭」では

暗闇のなか神輿をかつぐ
梵天渡御(ぼんてんとぎょ)という

奇祭があるといいますが、

かつては
暗闇のなかで
性行為もおこなわれていたといい

「種貰い祭」とも

いわれていたようです。

 


子種を疑われた

サクヤヒメよりも、

 

子種をさずかるために

『ささみき』をすすめた

サクラウチのほうが

 

この祭には

合っているようにも

おもいます。



ところで、
あがた祭はもともと
宇治(うじ)神社とともに
おこなわれていたといいますが、

両神社の
意見の食い違いから
係争にまで発展し

いまでは
おのおのが祭を
おこなっているといいます。

川を隔てた
この分離もまた、

 

宇治橋(うじばし)や
橋姫神社の悲しみを

思い起こします。



左近の桜に象徴される
左大臣のサクラウチですが

宇治を別荘地とした
源融も藤原道長も
左大臣だったといいます。

 

 

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☆宇治めぐり全記事リスト☆

山背国の宇治めぐり① ~橋姫神社~

山背国の宇治めぐり② ~縣神社~

山背国の宇治めぐり③ ~宇治神社~

山背国の宇治めぐり④ ~宇治上神社~

山背国の宇治めぐり⑤ ~宇治墓~