河内国の応神めぐり① ~辛國神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

藤井寺(ふじいでら)駅の
300メートル南にある

辛國(からくに)神社です。



物部(もものべ)氏からわかれた
辛國(からくに)連が
奉斎したといわれ、

物部氏の祖神である
饒速日命(にぎはやひ)
祀るといいます。

 



日本書紀によると

第21代・
雄略(ゆうりゃく)天皇は

餌香長野邑(えがのながのむら)を
物部の大連(おおむらじ)
あたえたとあり

その地がここだと

いわれているようです。

ただし、

当初の鎮座地は
500メートル北西の

恵美坂1丁目あたり

ともいうようです。



また一説には
辛國は韓国や唐国から
きているともいい

渡来系氏族の
祖神を祀っていたとも
いわれるようです。

 



辛國神社のとなりには
西国三十三カ所
5番札所である

葛井寺(ふじいでら)が
あるのですが、

そこは
葛井(ふじい)連の

氏寺であり、

 

葛井連は

百済(くだら)の
辰孫王(しんそんおう)の
後裔だといいます。



辰孫王が渡来したのは
第15代・
応神(おうじん)天皇

時代だといい、


以後は

天皇家に仕えたようです。

 

すぐちかくには

応神天皇の

御陵もありますから、

秦(はた)氏をはじめ
おおくの渡来系氏族と
関わりがあったのかもしれません。



祭神はほかに

天児屋根命(あめのこやね)
素盞鳴命(そさのを)

が祀られているといいます。



天児屋根命は
室町時代に
春日(かすが)大社より勧請され

ソサノヲは
明治時代に
葛井寺にあった
長野(ながの)神社が
合祀されたといいます。



また、
相殿には

市杵島姫命(いちきしまひめ)
品陀別命(ほんだわけ)

も祀られており、

女神・弁天信仰や
八幡(はちまん)信仰のあとも
みられるようです。

 

品陀別命は

応神天皇のことですから、

 

土地がらもあって崇敬した

ということもあるのでしょう。

 



大阪みどりの百選にも
えらばれた境内は

東向きの参道に
朝日がふりそそぎ
とても美しいものでした。

 



境内の池は
辛國池といわれ

もとは
農業用のため池だった
ともいわれています。



この池には、
奈良から春日大神が
やってきたとき

道案内をしたという
神使の鹿が

この水を呑んで
休息したという

伝承があるようです。



その姿はいまでも、
境内の春日天満宮の
社殿に描かれているといいます。

 

 

平成5年に

北野(きたの)天満宮より

勧請されたといいますが、

 

ここは

菅原道真(すがわらみちざね)公

源流である

 

土師(はじ)氏の里に

ちかいことも関係あるのでしょう。

 

 

稲荷社は

やはり鬼門封じとして

境内の北東にありました。

 

 

清掃奉仕をされている

氏子さまかたがたからも

お声かけいただきました。

 

掃き清められて

より健やかとなった境内は、

 

参拝者をこころよく

受け入れてくださっている

ようでした。

 

 

 

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