紀伊国の和歌浦めぐり⑧ ~玉津島神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

和歌の浦(わかのうら)の
玉津島(たまつしま)神社です。



和歌の浦は
和歌川(わかがわ)の
河口にあたり

砂嘴(さし)がのびた
干潟となっています。



1400年ごろまでは
紀ノ川(きのかわ)
河口でもあり、

干潟はさらに
ひろかったようです。



玉津島とは
6つの小山の総称で
それぞれ、

船頭山(せんどうやま)
妙見山(みょうけんさん)
雲蓋山(うんがいさん)
奠供山(てんぐやま)
鏡山(かがみやま)
妹背山(いもせやま)

というそうです。



干き潮のあいだは
陸つづきなのですが、

満ち潮になると

海に浮かぶ玉のような

小島にみえたことから

「玉」津「島」と
よばれたようです。

いまでは、妹背山のみ
干潟にのこるようですね。

 


西には
高津子山(たかつしやま)



東には
名草山(なぐさやま)

 



南には
濱宮(はまのみや)のある
毛見崎(けみざき)

 



南西にはとおく
地ノ島(じのしま)
沖ノ島(おきのしま)

 

 

などなど、

美しい景色をぐるりと

ながめられるここは

万葉の時代から
歌人のあこがれの地と
されたようです。
 



玉津島神社には、


稚日女尊(わかひるめ)
が祀られています。



天照大神(あまてらす)
妹とされ、

兵庫県にある
生田(いくた)神社
祭神でもあります。

 



紀伊国一宮・
丹生都比売(にうつひめ)神社

丹生都比売神(にうつひめ)とも
同神とされているようです。

 



9月16日の
浜降り(はまくだり)神事では

丹生都比売神社の神輿が
紀ノ川をくだって

玉津島神社へやってくる
といいます。



ホツマツタヱによると、

稚日女尊(わかひるめ)や

丹生都比売神(にうつひめ)は


ワカヒメ(ヒルコ)

だといいます。




ホツマツタヱ
冒頭は、


それわかは
わかひめのかみ


とはじまっていて、

ワカヒメが
和歌のはじまりである
と伝えています。



ワカヒメは
イサナギイサナミ
第一子であり、

茨城県の筑波山で

生まれたといいます。

昼に産まれたことから
本名を「ヒルコ(蛭子)」と
名づけられたようです。



けれども、
イサナギイサナミがともに
厄年にあたるため

(形式的に)
川に流されたのち、

大臣であった
カナサキ住吉神)に
ひろわれて、

兵庫県の
廣田(ひろた)神社
育てられたといいます。

 



富士山で長男・
天照大神(あまてる)

筑紫(つくし)で次男・
月夜見尊(つきよみ)
生まれると、


ひるこひめ
いまいつくしに
たりいたり

あめのいろとと
わかひるめ


両親の厄(汚穢・隈)も
払われたようで、

ワカヒメ(ヒルコ)は
イサナキ・イサナミの
もとにもどったようです。

 


ただし、世継ぎである
天照大神につぐ存在として

天照大神の「妹」とされ
分日霊妹(わかひるめ)
といわれたようです。



また、
熊野(くまの)で三男・
素戔嗚尊(そさのを)
生まれると

父・イサナギ
母・イサナミ
弟・ソサノヲは
ともに過ごしたようですね。

 



さらに、天照大神
伊雑宮(いさわのみや)
政治を執るようになると、

ワカヒメ(ヒルコ)も朝廷に
仕えたといいます。

女性として成人したことから
ワカ「ヒルメ」から
ワカ「ヒメ」になったのでしょうか?



ワカヒメが伊雑宮に
仕えていたときのこと、

紀伊国に
稲虫(いなむし・イナゴ?)
発生したといいます。

天照大神
京丹後真名井(まなゐ)
行幸していたので、

天照大神の正后・
瀬織津姫(せおりつひめ)

天照大神の姉(妹)・
ワカヒメがともに

紀伊国に
かけつけたそうです。

 



歌(言葉)に精通した
住吉神・カナサキから

歌(言葉)を教わった
ワカヒメは、

歌(言葉)の力によって
稲虫を退けます。

その歌というのが、


たねはたね
うむすぎさかめ
まめすめらの
そろはもはめそ
むしもみなしむ


というものです。

 



稲虫はらいについては

こちらを参考にして

いただきたいのですが

 

 

ここは、訳よりも
稲虫をはらうほどの
呪力をもった歌を詠った

ということが重要なようです。



紀伊国のひとびとは
これに感謝して、

瀬織津姫に
日前宮(ひのまゑみや)

ワカヒメに
玉津宮(たまつみや)を
おくったようです。

この

日前宮があったのが

濱宮だといい、

 

玉津宮がここ
玉津島神社だといいます。




わかひめの
こころおととむ
たまつみや

かれたるいねの
わかかえる

わかのうたより
わかのくに


ワカヒメは
玉津宮をとても気に入り
住まわれたようです。

また、
枯れていた稲が
若返ったように繁り
豊作となったらしく、

「ワカ」ヒメの歌によって
「若」返ったことから、

この地を
「ワカの国」というようになった
というのです。

 



さらに

深読みをするならば、

このときはじめて
「歌」が「和歌」になった

のかもしれません。


稲虫払うというほどの
呪力をもった歌を、

『ワカヒメ』からとって
『和歌』となったのでしょう。


『ワカ』とはもともと
天照大神のちからを
「分けた」という意味の

『分日霊妹(わかひるめ』から
きていますので、

「大神のちからが宿るような歌」が

「和歌」なのかもしれません。

 


またある日、

伊雑宮から勅使の
オモイカネ
玉津宮をたずねてくると

ワカヒメは
一目惚れをした

といいます。

 

そこで、こんな

恋歌をおくったそうです。

 




きしいこそ
つまおみきわに
ことのねの
とこにわきみお 
まつそこいしき


ここ、
紀伊国(キシヰ)で

わたしの奏でる
琴の音によって

あなたはわたしに
よりそって眠るでしょう。

その床のなかで
あなたといつか交わる夜を
恋しく待っています。
 

掛詞をふくみながら

情欲を「沸か」せるような

熱烈な歌だったようです。

 

 

おもしろいのは、この歌が

回文(まわりうた・かいぶん)に
なっているところでしょう。


きしいこそつまおみきわにことのねのとこにわきみおまつそこいしき


まえから詠んでも
うしろから詠んでも
おなじになるという、
 

呪力のこもった

「和歌」だったようです。

この歌によって
ワカヒメとオモイカネは
結ばれたといいます。

 



ふたりは、琵琶湖の
野洲川(やすかわ)のほとりに
宮をたてて移り住んだようです。

野洲宮では
天照大神の皇子・

天忍穂耳尊(おしほみみ)
育てたといいます。


皇子を「仕立てた」ことから
シタテル姫(下照姫)とも
よばれたようです。

また、
ワカヒメとオモイカネは
手力雄神(たちからを)を
産んだといいます。

またのちに
ウワハル・シタハル・イキシニホ
という兄弟も生まれたようです。



しかしながら、
オモイカネには先だたれてしまい

晩年は、ここ
玉津島で最後をむかえたとも

瀬織津姫とともに
廣田に住んでいたとも
いうようです。

兵庫の
越木岩(こしきいわ)神社
ワカヒメの墓所ともされているようです。



玉津島神社の
社伝には


玉津島の神は
上つ世(かみつよ)から
鎮まり坐(ませ)る


とあるようです。

また、玉津島神社は
奠供山(てんぐやま)に
あるのですが、

「奠」も「供」も
「神さまにおそなえする」
という意味だそうです。


紀伊国のひとびとが
ワカヒメに献上した宮
ということでしょうか照れ



さらに、
和歌を守護するという
和歌3神として

住吉明神(すみよし)
玉津島明神(たまつしま)
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

がいるといいます。

これも、
ワカヒメに歌を教えた
住吉神・カナサキと

玉津宮に暮らした
ワカヒメだとすると
よくわかります。

 



祭神としては
ほかに

息長足姫尊(おきながたらしひめ)
衣通姫尊(そとおりひめ)
明光浦霊(あかのうらのみたま)
がいるといいます。



息長足姫尊は
神功(じんぐう)皇后のことで

稚日女尊(わかひるめ)を祀る
生田神社を創始しています。

また、
丹生都比売神社の創始にも
関わったことから

玉津島神社にも
合祀されたようですね。



神代文字でかかれた
ヲシテ文献のひとつ
「ミカサフミ」には、


にふのかみ
ここにひるこは
ゐものしに
かなあやゐさせ
あまねくに
おしゆるみなも
わかひるめ
にふのゐさおし
ををいなるかな


とあり、

ニフの神が
ヒルコやワカヒメである
とあるようです。

「丹生」といえば

丹砂や水銀の産地

だといいますが、

 

ここでいう

「にふ」は男女の

「和合」のことでもあるようです。

 

玉津島のひとつ

鏡山(かがみやま)の

輿の窟(こしのいわや)には

 

鹽竈(しおがま)神社が

祀られています。

 

ここは

玉津島神社の禊の地として

祓戸神(はらえどのかみ)が

祀られているといいます。

 

丹生津比売神社の神輿も

まずはここで禊をするそうです。



衣通姫尊(そとおりひめ)は

第19代・
允恭(いんぎょう)天皇の
后になられたかたで、

和歌にひいでた
絶世の美女といわれます。

衣通姫の神霊が、
和歌浦の歌を詠んだことから
合祀されたといいます。



もしかすると、
神功皇后も衣通姫も


ワカヒメとおなじ魂だった
のかもしれませんね。



明光浦霊(あかのうらのみたま)は

和歌浦を愛し
和歌浦を保護した

第45代・
聖武(しょうむ)天皇が

祀ったといいます。

 



これまで
「弱浜(わかはま)」
とよばれていたものを、

「明光浦(あかのうら)」
にあらためたそうです。

 

これはどこか、

稚日女尊(わかひめ)と

天照大神(あまてる)にも

おもえますね。

 

 

ワカヒメが

和歌のちからによって

ひとびとをすくった地、

 

ワカヒメが暮らし

和歌のちからによって

オモイカネと和合した地、

 

だからこそ、ここを

和歌浦(わかのうら)といい

和歌の聖地とされたのでしょう。

 

やがて、この「和歌」が

「和歌山」という県名にまで

なっていったとおもうと、

 

ひとびとの心にはいまでも

ワカヒメへの感謝がのこっていた

のかもしれませんねキラキラ

 

 

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