紀伊国の和歌浦めぐり① ~水門吹上神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

和歌山県の
和歌山市をめぐります。

 



県庁舎もある
和歌山市は、

江戸時代には
紀州(きしゅう)藩庁として
和歌山城(わかやまじょう)がおかれ

奈良時代には
紀伊国(きいのくに)の
国府があったといいます。

 

もともとは
「木国(きのくに)」といわれ、

 

木々が豊かな国という

意味もあったようです。



また、
古墳時代や弥生時代の
遺跡もあるといいますから、

古代から栄えた地
だったのでしょう。


 

『暴れん坊将軍』として

しられている

 

8代将軍・
徳川吉宗(とくがわよしむね)も
 

ここ、和歌山城の

出身だったようです。

 

本家が途絶えたので

分家の吉宗が

江戸に入城したといいます。

 

また、
「紀伊國屋」書店を
「きのくにや」とよむのも

創業者の先祖が

紀州徳川家の江戸藩に

つかえていたからだそうです。



そんな、紀伊国の
紀ノ川(きのかわ)の
河口ちかくにあるのが

水門吹上(みなとふきあげ)神社
です。



蛭子神(ひるこ)を祀る
水門(みなと)神社と

大己貴神(おほなむち)を祀る
吹上(ふきあげ)神社が

 

ひとつの社殿に

祀られているようです。

 



水門神社は

紀水門(きのみなと)に

流れついた「えびす像」を

 

祀ったのが
はじまりだといいます。



はじめは、
「湊村 字 和田濱 鵜島」に
祀っていたそうですが、

海嘯(かいしょう・潮津波)で
埋まったため、

「西河岸町 字 元恵美須
に遷したのち、

1523年に、この地に
鎮座したようです。



またの名を
西の宮神社
ともいうそうです。

紀州の
十日戎(とおかえびす)

はじまりの地とされ、

「湊(みなと)えびす」として
親しまれているといいます。

 

蕨(わらび)のような形をした
「のし飴」という紅白の飴も
ここが発祥だそうです。
 



ところで、
『えびす』というのは

おおきく
4つに分類されるようです。

1:
西宮(にしのみや)神社
蛭子神(ひるこ)

2:
今宮戎(いまみやえびす)神社
事代主神(ことしろぬし)

3:
淡島(あわしま)神社の
少彦名神(すくなひこな)

4:
海からの漂流物を
神聖視して祀ったもの

この4通りですね。



漂流物というのは、

クジラだったり
渡来人(神)だったり
仏像だったりするようです。

とはいえ、
1~3の神々もすべて
漂流神でもありますから

4に習合されて

『えびす』様になった

のかもしれません。



さらに、

1についていえば

ヒルコを祀る
西宮神社だけでなく

ヒヨルコを祀る
和田(わだ)神社
もあるようです。

ですから、水門神社は
これらすべてが
織りこまれているようです。



吹上(ふきあげ)神社も

かつては、


西河岸町のちかくに
あったといいます。

和歌山城のある
虎伏山(とらふすやま)一帯は

吹上(ふきあげ)
といわれていて

別名を
「吹上の峰」とも
いっていたようです。

 



祀られている
大己貴神(おほなむち)は

出雲(いずも)大社に祀られる
大国主(おおくにぬし)のことです。

事代主神(ことしろぬし)
父でもありますし、

少彦名神(すくなひこな)とは
国つくりをした仲ですから、

『えびす』とならんで
『大黒(大国)』として

七福神ともされています。




さて、この神社で
さらに興味深いのは

この地が
初代・神武(じんむ)天皇の
聖跡とされているところです。

 

 

ここはかつて

『男水門(おのみなと)』と

いわれていたようです。

 

石碑が欠けているのは

太平洋戦争の傷跡だそうです。

 

 

九州をたった

神武天皇が、

 

大和(奈良)の
饒速日命(にぎはやひ)

平定する遠征を

 

神武東征(じんむとうせい)

というのですが、

 

その戦いのなか

神武天皇の兄・

五瀬命(ゐつせ)が

 

戦傷により亡くなったのが

「男之水門」だといいます。

 



兄・五瀬命(ゐつせ)は
生駒山(いこまやま)の戦いで

重傷をおったようです。

 

大阪の和泉のあたりで

血を洗いながすものの

おさまらず、
 

くやしさのあまり、

 

『負賤奴之手乎死』
 

「いやしい奴の
手にかかって死ぬとは!」

と「雄(お・男)たけび」して

亡くなったといいます。

ですからここを

「男之水門」や「雄水門」と
いうようです。

 

戦火に傷ついた石碑もあいまって
胸に迫るものがあります。



ただ、
「男之水門」はほかに
 

大阪の泉南市にある

男神社の浜宮とも

いわれるようです。

 

 

また、記紀には

 

五瀬命(ゐつせ)は

紀伊国の竈山(かまやま)に

葬られたとあることから、

 

ここは、兄を弔うため

神武天皇が寄港した地
なのかもしれません。

 


気になるのは、

紀ノ川はかつて
和歌浦(わかうら)に

そそいでいたといいます。

 

いまのように、

中央構造線にそって

西にそそぐようになったのは

 

1400年代の

地震によるというのです。

 



かつての

紀ノ川はいまでも
和歌川(わかがわ)として

のこっているようです。

だとしたら、当時は

河川のそそがない
おだやかな湾(港)だった

のかもしれませんね。
 

だからこそ、

都市が発展していた
のかもしれません。



この地のかたがたは
神武天皇一行に

協力的だったのでしょうか?

紀ノ川をのぼれば、
吉野(よしの)へとつづき
大和はすぐそこです。

攻めるには楽ですが、

生駒山のように

守備もかためていたでしょう。

そこにはいったい

どんな歴史や会話が

あったのでしょうか?

 

 

 

紀伊国の和歌浦めぐり② へ つづく

 

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆和歌浦めぐり全記事リスト☆
紀伊国の和歌浦めぐり① ~水門吹上神社~
紀伊国の和歌浦めぐり② ~淡嶋神社~
紀伊国の和歌浦めぐり③ ~少彦名命~
紀伊国の和歌浦めぐり④ ~徳勒津宮~
紀伊国の和歌浦めぐり⑤ ~日前宮~
紀伊国の和歌浦めぐり⑥ ~竈山神社~
紀伊国の和歌浦めぐり⑦ ~伊太祁曾神社~
紀伊国の和歌浦めぐり⑧ ~玉津島神社~
紀伊国の和歌浦めぐり⑨ ~和歌の浦~
紀伊国の和歌浦めぐり⑩ ~和歌浦天満宮~
紀伊国の和歌浦めぐり⑪ ~紀州東照宮~