紀伊国の和歌浦めぐり⑩ ~和歌浦天満宮~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

和歌浦(わかのうら)にある

和歌浦天満宮
(わかうらてんまんぐう)です。



平安時代の
貴族・学者・政治家である

菅原道真(すがわらのみちざね)
祀っています。



福岡の
太宰府天満宮

(だざいふてんまんぐう)

京都の
北野天満宮

(きたのてんまんぐう)

 

とともに、
三菅廟(さんかんびょう)
ともいわれるようです。



太宰府天満宮
道真公の亡くなられた地
であり、

北野天満宮
道真公の御霊を鎮めた地
だといいますが、

和歌浦天満宮は
道真公が和歌を詠んだ地
だといいます。


歌人でもある
道真公が

和歌にゆかりのある
和歌浦で詠んだというのも
意味があるのでしょう。

 

ただしくは、

天満(てんま)神社と

いうようです。



太宰府に左遷される
道真公は航路の途中に

風波をしのぐため
この地にとどまった

といいます。

 

このとき、

地元の漁民らは

 

綱を敷きものにして

道真公を迎えたことから

 

綱敷天神(つなしきてんじん)とも

いうようです。

 

 

海がしずまり

この地を去るときに

 

道真公はここ、
天神山(てんじんやま)から
和歌浦をながめて

2首の歌を詠んだ
といいます。




於以遠都武
をいをつむ

身者宇起布祢仁
みはうきふねに

佐曽波礼天
さそはれて

登越左加利遊久
とをさかりゆく

和歌乃浦波
わかのうらなみ


この歌は、
「老(をい)」と「若(わか)」を
をかけているようです。



追い(をい)落とされて
苦しい(もの「うき」)身である
わたしを船にのせて、

若きころに
「さかり」をむかえていた都を

老いて
遠「ざかり」ゆく寂しさを
詠っているのでしょうか。

また、もしくは、

老いを積んだわたしは
身体をはなれて(浮舟に)
時(空)をかけめぐり(さそ「はれて」)

「はれた」和歌浦を
すがすがしい気持ちで
眺めているのかもしれません。




見佐理津流
みさりつる

以爾此陪馬天母
いにしへまても

玖也之畿波
くやしきは

和歌吹上能
わかふきあけの

浦之阿気本農
うらのあけほの


この歌は、
「見えざる」と「身を去る」を
かけているようですね。

 



天気が悪くて
美しい和歌浦を
見ることのできないまま、

この地を
離れなければならない
残念さを詠いながら、

遠い地(辺)にまで
身を去る(流される)
じぶんの無念さと

若きころの(息を「あげ」ていた)
栄華(「あけ」ぼの)に
思いをはせているのでしょうか?



またそれは、
対岸(いにしへ)に

神代からつづく
朽(く)ちた
屋敷(やしき)があり、

こちらには
ワカ姫の宮

(わかふきあげの)が

むこうには
瀬織津姫と天照の宮

(うらの・あけぼの)が

あったということを

詠んでいるのかも
しれません。

 

その神々は、

歴史のなかで

忘れられた(みさりつる)

神々であるということでしょうか。

 



天皇の教育係でもあった
菅原道真は、

ヲシテ文献である
ホツマツタヱやミカサフミなどを
読んでいたともいわれますから、

日前宮(ひのまえみや)

玉津宮(たまつみや)
知っていたのかもしれません。

 

また、もしくは、

 

ワカヒメが和歌浦に

住まうことになる

 

稲虫はらい』の

故事にかけて、

西の海に去っていった

稲虫(いなむし)と

 

西の海に流される

辞む身(いなむみ)の

わたしをかけて詠んでいた

のかもしれません。

 


境内にある
摂社や末社もそうした


ホツマツタヱにのこる
神々を祀っているかのようでした。



天照大神(あまてる)
天照皇太神宮

豊受大神(とようけ)
豊受大神宮

 



イサナギイサナミ
多賀(たが)神社

 



菊理媛(きくりひめ)
白山比賣(しらやまひめ)神社
がならんでいます。

 

また、こちらは

住吉(すみよし)神社
だといいますから、

 

カナサキ翁

祀っているのでしょうか?

 

 

ほかにも、

 

白太夫(しらだゆう)神社は

道真公の出生にかかわる

 

伊勢外宮神官

渡會春彦(わたらいはるひこ)

を祀っていますし、

 

鹿島(かしま)神社・

香取(かとり)神社と

 

春日(かすが)神社

天児屋根命(あまのこやね)

と縁がふかく、

 

伊勢内宮神官となる

荒木田(あらきだ)氏

祖神でもあります。

 

 

和歌3神のひとりでもある

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を祀る

柿本(かきもと)神社、

 

事代主クシヒコを祀る

神集(かみつどい)神社、

 

第15代・応神天皇を祀る

八幡(はちまん)神社

 

 

タカミムスビを祀る

産霊(むすび)神社、

 

道真公の祖神であり

天照大神の御子である

天穂日命(ほひ)を祀る

天穂日(あめのほひ)神社、


火産霊神(ひむすび)を祀る

三宝竃(さんぽうかまど)神社は

 

かまど神である

オキツヒコのことでしょうか。

 

ホツマツタヱでは

夫婦円満の神でもあるようです。

 

 

高富(たかとみ)稲荷神社は

宇迦之御魂命 (うかのみたま)を

祀るといいます。

 

お稲荷さんに

げんを担いだという

三井家・家祖の次男、

三井高富(みついたかとみ)のことでしょうか?

 

 

ご神木に祀られる

白藤(しらふじ)稲荷もまた

三井家にかかわるようです。

 

もしかすると、対岸の

紀三井寺(きみいでら)の

三井」にあやかっている

のかもしれませんね。

 

 

ご神木にはほかに、

白高大神と

白藤龍王も祀られているようです。

 

 

ここには

三種の神木として

 

梅と松と桜があった

ともいうようですね。

 

それぞれを神として

祀っていたのでしょうか?

 

 

本殿のとなりには

筆をおさめる筆塚と

 

 

日本武尊(やまとたけ)を祀る

白鳥(しらとり)神社

ありました。

 

ヤマトタケの死を悼んで

父・景行(けいこう)天皇は

ホツマツタヱを

編さんさせたといいます。

 

 

白鳥神社のとなりから

山道をぬけて展望台で

ゆけるそうです。

 

 

山のなかには

3社旧地の碑や、

 

 

神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)こと
役行者(えんのぎょうじゃ)を祀る

祠もあることから、

 


かつてはここも

和歌浦天満宮の

社領だったのでしょう。



道真公の死から
およそ60年後、

橘直幹(たちばなのなおもと)が
道真公をとむらうために

社殿を建てたのが
和歌浦天満宮のはじまりのようです。

 

ですから、

三菅「廟(びょう)」と

いわれるのでしょう。

 

菅原道真とおなじく
文章博士(もんじょうはかせ)となり
文人として知られていたといいますから、

 

道真公の文筆の才能を

和歌の地で弔ったのかもしれません。

 



天神山の
和歌浦天満宮と

 

権現山の

紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)

 

名草山の

紀三井寺(きみいでら)を

 

いちにちでまわることを

和歌浦の

「急峻(きゅうしゅん)3社めぐり」

というようです。

 

 

この急な坂道は

たしかにこたえますね爆  笑てへぺろ

 

太宰府出身のぼくとしては、

道真さまにはなみなみならぬ

ご縁を感じています。

 

 

紀伊国の和歌浦めぐり⑪ へ つづく

 

 

 

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