紀伊国の和歌浦めぐり② ~淡嶋神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

加太浦(かだうら)にある
淡嶋(あわしま)神社です。



大阪湾と和歌山湾をつなぐ
紀淡海峡(きたんかいきょう)の
西にあたり、

海峡に浮かぶ
友ヶ島(ともがしま)や

 


対岸の
淡路島(あわじしま)
だけでなく、

 



淡路島の南にある
沼島(ぬしま)まで
眺められます。

 

 

かつては、
潟見の浦(かたみのうら)

ともよばれ


景勝地として
知られていたようです。



また、関西屈指の
漁場でもあるといいます。

 



淡嶋神社は、

全国にある
淡島神社・粟島神社・淡路神社の
総本社だそうです。

 



淡島明神を祀る
淡島信仰の発祥地であり

江戸時代に
淡島願人(あわしまだがんにん)
とよばれたひとたちが

全国をまわって
ひろめたといいます。



伊勢信仰をひろめた
伊勢御師(いせおんし)や

熊野信仰をひろめた
熊野比丘尼(くまのびくに)
のようなものでしょうか。

そのほか、寺院にも
淡島堂として
祀られているようです。



祭神は

少彦名命(すくなひこな)
大己貴命(おほなむち)

だといいます。

 



記紀によれば、

スクナヒコナは
海の向こうからやってきた
小人の神さまであり、

オホナムチこと
出雲の大国主命(おおくにぬし)と
国作りをしたといわれます。



紀淡海峡に浮かぶ
友ヶ島は、

地ノ島(じのしま)
沖ノ島(おきのしま)
神島(かみじま)
虎島(とらじま)

という
4つの島の総称だそうですが、



スクナヒコナと
オホナムチはもともと


神島に

祀られていたといいます。

 

 

沖ノ島の北にある

小さな島ですね。

 

友ヶ島はまた、

国生みの地とされる

オノコロ島の候補地

だといいます。

 

たしかに、沖ノ島は

勾玉(まがたま)のような形を

しているのかもしれません。

 


由緒によれば、

第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇

妻である

神功(じんぐう)皇后は、
三韓征伐(さんかんせいばつ)の

帰路に

 

嵐にみまわれ

友ヶ島に流れついたといいます。



そこで神島に、

スクナヒコナとオホナムチが

祀られていることを知ると

 

神功皇后は

嵐から救われたお礼に

宝物を奉納したといいます。




神島は、かつて

淡島ともいわれていたらしく

神功皇后による奉斎が
淡嶋神社のはじまりだといいます。

ですから、

神功皇后も本名の
息長足姫命(おきながたらしひめ)として

淡嶋神社に
祀られているようです。



また、そののち、
神功皇后の孫にあたる

第16代・
仁徳(にんとく)天皇が
友ヶ島に狩りにきたさい、

 

島では

祭祀に不自由だろうとして
加太浦に遷したといいます。

 

ですから、

神島は奥宮とも

いえるのでしょう。
 

神島は神域とされ
上陸してはならない島と
伝わっているようです。



神功皇后といえば
ほかにも、

瀬織津姫(せおりつひめ)を祀る
廣田(ひろた)神社

ワカヒメを祀る
生田(いくた)神社

クシヒコを祀る
長田(ながた)神社

カナサキ翁を祀る
住吉(すみよし)神社

などなどなど
ホツマツタヱにのこる
神々を祀っておられます。

 


そして、

ホツマツタヱによれば

淡嶋神社もまた

スクナヒコナが
亡くなられた地とされ、

神島は
スクナヒコナの墓所とも
いわれているようです。

 



スクナヒコナは

医薬の神、知識の神
酒の神、石の神などなど

おおくの神徳が
あるといわれます。

 



なかでも、
淡島信仰では

婦人病への霊験が
知られているようです。

そこから、
子授け・育児守護・
縁結び・夫婦和合など

性や生殖を中心とした
女性の人生を守護する

信仰となっていったようです。
 

 

さて、このように

境内にはたくさんの

人形がならんでいます。

 

淡嶋神社は

人形供養の神社として

 

数おおくの人形が

持ち寄られるといいます。

 

 

もともと、

人形(にんぎょう)は

人形(ひとがた)といわれ、


人の形に似せて
草や紙でつくられたものであり、
 

人にふりかかる厄や災いを
代わりに受けてもらっていた

といいます。

 



さらにそこから、
赤ん坊の守護として

赤ん坊をかたどった


天児(あまがつ)という

人形がつくられたようです。


 

やがてこの

天児(あまがつ)が、

 

女の子を守る
雛人形(ひなにんぎょう)や

 

男の子を守る

五月人形(さつきにんぎょう)へ
なっていったといいます。

 

 

ひな祭りには、

 

雛人形をかざってたのしむ

「ひな遊び」のほかに

 

雛人形を

川に流して厄をはらう

「ひな流し」があったそうです。

 

これもまた、

形代(かたしろ)や

身代わりとしての

人形なのでしょう。

 

 

第16代・仁徳天皇が

淡嶋神社を

加太浦に遷したのも

3月3日といわれるようです。

 

また、
「スクナヒコナ祭」が転じて
「ひな祭り」になったともいうようです。

 

 

ですからいまでも、

淡嶋神社では

 

3月3日の桃の節句に

人形を海に流す

「ひな流し」が

行われているといいます。

 

加太浦は

潟見の浦(かたみのうら)

といわれただけでなく

 

形見の浦(かたみのうら)

ともいわれていたのは

これによるのでしょう。

 


紀州徳川家(きしゅうとくがわけ)

姫君が産まれるとかならず

 

初節句の日に

1対の雛人形を

奉納したといいます。

 

それらはいまでも

宝物殿に保管されているようです。

 



スクナヒコナは

背の小さな神さまだった

といわれています。

 

ひとびとにふりかかる

災厄を祓うさまが

 

どこか

人形(ひとがた)のように

みえたのかもしれません。

 

また、

その小人のような身体で

すぐれた才気に満ちている

スクナヒコナにあやかって

 

子どもの守護神と

したのかもしれませんね。

 

境内にある

姿社(すがたしゃ)には、

 

スクナヒコナの

ご神像が祀られていました。

 

 

聡明そうで

凛々しい顔立ちです。

 

そして

そのまえには

 


陽石と陰石が

祀られていました。

 

じつはこれも

ホツマツタヱをとおすと

よくわかるのですが、、、

 

それはまた、

次の記事にしますね。

 

 

たくさんの人形を

眺めているだけでも

とてもおもしろい神社です。

 

ひとがた、

とはいうものの

 

人形はもちろん

遊ぶものでもあります。

 

 

神職のかたがたも、

「遊んでもらえる
見られることが供養につながる」

としているらしく、

 

こうやって

ひろく知られることも

良いことだとしているようです。

 

 

またこの地は、

一代で財をなしたという

江戸の豪商

 

紀伊國屋文左衛門

(きのくにやぶんざえもん)の

ゆかりの地でもあるようです。

 

 

境内の奥にある

紀文(きぶん)稲荷社はそんな

 

紀伊國屋文左衛門が

奉納したお稲荷さんだといいます。

 

さらに、

社務所のまえには

紀文の帆柱があり

 

柱にあいた穴を

くぐることができるようです。

 

 

みかん船で成り上がったという

文左衛門の御利益に

あやかるといいます。

 

こうしてここに

祀られているということは

紀伊國屋文左衛門もまた

 

スクナヒコナとすくなからず

ご縁があるかたなのでしょう。

 



ちなみに、
お人形供養は
仏滅には行っていないようです。

 

預かることもできないといいます。

もしもお願いされるときは

ご注意くださいませ。

 

 

紀伊国の和歌浦めぐり③ へ つづく

 

 

 

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