紀伊国一宮の
伊太祁曾(いたきそ)神社です。
紀伊国一宮は、ほかに
もあるといいます。
伊太祁曾神社はもともと
日前宮のある秋月(あきづき)に
祀られていたようです。
第11代・
垂仁(すいにん)天皇の世に
日前宮が
濱宮(はまのみや)から
秋月に遷されたとき、
伊太祁曾神社は
和田川(わだがわ)上流の
山東(さんとう)に
遷されたといいます。
ですから、
山東宮(さんとうぐう)とも
いうようです。
はじめの遷座地は、
500メートルほど南東の
亥の森(いのもり)だった
といいます。
そこにはいまも、摂社・
三生(みぶ)神社が
あるようです。
三生(みぶ)とあるように
伊太祁曾神社は
3柱の神を祀るといいます。
五十猛命(いたける)
大屋都姫(おおやつひめ)
都麻津姫(つまつひめ)
の3神です。
このかたがたは、
素戔嗚尊(そさのを)の
子だといいます。
日本書紀の
一書第四によれば、
高天原を追放された
ソサノヲは
新羅(しらぎ・韓国)に
流されたといいます。
しかし、ソサノヲは
ここには居たくないとして
出雲にわたったようです。
子・イタケルは
たくさんの木の種をもって
父・ソサノヲとともに
新羅や出雲に
わたったといいますが、
種は大事にとっておいて
筑紫から全国に
まきふやしたといいます。
この
『有功(いさおし)』から
『五十猛(いたける)』の名を
たまわったようです。
また、
一書第五によれば
木を植えたのは
ソサノヲであり、
子の
イタケル・オオヤツヒメ・ツマツヒメ
が種をまいたとあります。
おもしろいのは、
4書には
『即紀伊國所坐大神是也』
5書には
『即奉渡於紀伊國也』
とあり
イタケル・オオヤツヒメ・ツマツヒメは
紀伊国にいるとはっきり
書かれているところでしょうか。
木の国といわれた
紀伊国(きいのくに)の
はじまりは
木の神とされた
イタケル・オオヤツヒメ・ツマツヒメ
によるのでしょうか?
ところで、
「五十猛(いたける)」
が称え名とあるように
古事記では
大屋毘古神(オオヤヒコ)と
いうようです。
出雲の
大国主命(おおくにぬし)こと
大己貴命(おほなむち)は、
八十神(やそかみ)に追われて
オオヤヒコ(イタケル)のいる
木の国まで逃れたとあります。
ここでも、
紀伊国とはっきり
木の国まで追いかけてきて
矢(や)をつがえながら
オオヤヒコに迫ったといいます。
そこで、
オオヤヒコは
木の俣(また)の虚(うろ)から
オホナムチを逃がしたそうです。
このとき、オオヤヒコは
「ソサノヲを訪ねなさい」
といったようです。
オホナムチもまた
ソサノヲの子といわれますから
兄・オオヤヒコと
弟・オホナムチの
兄弟の情が交わされたシーン
なのかもしれません。
イタケル(オオヤヒコ)が
射楯神(いたてかみ)とも
いわれるのは、
弟・オホナムチを
矢から守ったことによる
のかもしれませんね。
古事記では、
木の虚(うろ)から
根の国(あの世・地獄)へと
くだっていき、
ソサノヲから
刀と弓矢をうばうと
八十神を
物語としても
おもしろいのですが、
ホツマツタヱでは
根の国も実在するので
もしかするとこれは、
木をくりぬいた大船で
逃がしたということかもしれません。
和歌山市内には、
神功(じんぐう)皇后が
三韓征伐につかった
3隻の船を祀る
3つの神社があるといいます。
志磨(しま)神社
静火(しずひ)神社
伊達(いたて)神社
の3社であり、あわせて
紀三所社(きのさんしょしゃ)
というようです。
そのうちのひとつ
伊達(いたて)神社では
射盾(いたて)神として
イタケルを祀るといいます。
イタテは「居建」
オオヤヒコは「大屋」にも
つうじるように
建築の神や舟の神とも
いわれるようです。
のかもしれませんね。
オホナムチはここに
最新鋭の軍艦をもとめた
ということかもしれません。
第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇が、
紀伊国に
徳勒津宮(ところづのみや)を
ひらいたのも
筑紫の遠征にむけて
軍艦を建造していたのでは
ないでしょうか?
仲哀天皇の
淡路島の屯倉(みやけ)も
淡路島の海人族と
手を組んだことだとすれば、
あらかじめ
準備をすすめていた
ということかもしれませんね。
また、初代・
神武(じんむ)天皇が
矢傷を負って亡くなった
兄・五瀬命(ヰツセ)を
竈山(かまやま)に葬ったのも、
兄・オオヤヒコが
弟・オホナムチを
矢から守った射盾神として
祀られていたからかもしれません。
初代・神武天皇をかばって
ヰツセは矢傷を負ったのでしょうか?
あらたな舟を手にいれようと
したのかもしれません。
神武天皇に誅されたという
名草戸畔(なぐさとべ)が
もしもこの、
オオヤヒコの末裔であり
舟つくりの民だとしたら
ナグサトベは
舟を作ることを拒んだ
のかもしれませんね。
舟をつくれば
神武側の協力者とみなされて
この地の人々が
危険にさらされたかもしれません。
またもしかすると、
ナグサトベを誅したことで
神武側に敵対したとして
この地のひとびとは
見逃されたのかもしれません。
それでも、
兄をおもう弟の気持ちで
共感したからこそ
竈山に
兄・ヰツセを弔うことを
ゆるしたのかもしれませんね
さらにここは、
木炭の生産地でもあった
といいますから、
製鉄とも
関わりがあったようです。
鉄や資源まで
あったとすればここは
軍事大国だったのでしょう。
旧座地の
亥の森(いのもり)から
現在地に遷ったのは
713年だといいます。
このときに、
イタケル・オオヤヒメ・ツマツヒメは
ばらばらに祀られるようになった
といいます。
これには、
この地のひとびとの信仰を
分断しようという
朝廷側の思いもあった
という話もあるようです。
紀伊国造や
豪族の紀氏はいるものの、
造船でさかえた
この地のひとびとは、
イタケル・オオヤヒメ・ツマツヒメ
を信仰したのかもしれません。
オオヤツヒメを祀る
大屋都姫(おおやつひめ)神社
ツマツヒメを祀る
都麻都姫(つまつひめ)神社
があるように、
イタケルを祀るのが
伊太祁曾(いたきそ)神社
のようです。
日前宮の中央通り
看板のおくにのこる
灯篭のあたりには、
イタケル・オオヤツヒメ・ツマツヒメ
が祀られていたともいいます。
天照大神を祀る
瀬織津姫を祀る
ちょうど
真ん中にあったというと
この地の信仰の厚さが
うかがえます。
中世には
根来寺(ねごろじ)と
縁がふかくなり、
ここもまた
豊臣秀吉によって
荒廃したようです。
ところで
ホツマツタヱには、
『
いなたひめして
おおやひこ
うめはそさのを
やすかわに
ゆきてちかひの
をのこうむ
あかつといえは
』
とあり、
ソサノヲと
稲田姫命(いなたひめ)との
あいだに産まれた子が
オオヤヒコ(イタケル)だといいます。
ソサノヲは、
姉・ワカヒメと
誓約(うけい)をかわしていて
男の子が生まれれば
身の潔白が証明されるという
誓いをたてていたので
喜びいさんで
姉の暮らす野洲宮へ
報告しにいったようです。
しかしながら、
姉にはこっぴどく
叱られるのでした。
これまでにおかした
罪や恥をわすれて
勝ち名乗りをするなど
言語道断、
そのような心持ちが
世の乱れをうんだのです、
わたしの目には
あなたはまだ汚くうつります。
『はやかえれ』
とすげないいわれようです。
『
そさのをはちて
ねにかえる
のちおおやひめ
つまつひめ
ことやそうみて
かくれすむ
』
ソサノヲは
すっかり恥じ入って
根の国に帰ってくると、
オオヤヒメと
ツマツヒメと
コトヤソ(八十神)を産んで
隠れ住んだといいます。
ホツマツタヱによれば
八十神(コトヤソ)も
ソサノヲの子なのですね。
だとすれば、
古事記にのこる
八十神とオホナムチの争いは
後継者争い
だったのでしょうか?
ここで、なぜ
イタケル・オオヤツヒメ・ツマツヒメが
紀伊国にきたのか考えてみると
ひとつには、
ワカヒメが暮らした
玉津島(たまつしま)神社があるから
というのもあるでしょう。
イタケルからすれば
叔母にあたり、
出生にかかわるかた
でもあります。
伊太祁曾神社の奥宮は
2キロほど北にある
丹生(にう)神社だそうです。
丹生神社に祀られる
ワカヒメのことでもありますから、
ここにもなにか
深い関係があるのでしょう。
また、熊野(くまの)は
父・ソサノヲの産まれた地
であり、
祖母・イサナミの亡くなった地
でもあります。
伊太祁曾神社は、そんな
熊野へとむかう
熊野古道(くまのこどう)の
通り道でもあるようです。
ぬければ、
生誕地とされる
武内(たけうち)神社も
すぐそこです。
五十猛命(いたける)は
新羅(しらぎ)から
かえってきたことから
白木(しらき)神ともいわれ
白木神社にも祀られるようです。
また、それがてんじて
日出貴(ひだき)大明神とも
いわれたようです。
おもしろいのは、
伊太祁曾(いたきそ)神社は
日出貴(ひだき)大明神や
居懐貴孫(いだきそ)大明神
ともいわれ、
日輪を抱く母子像にも
あらわされるといいます。
父・ソサノヲの長男は
祖母・イサナミにとっても
喜びだったのかもしれません。
祖母・イサナミが
孫・オオヤヒコを
いだける姿が
居懐貴孫(いだきそ)となり
伊太祁曾(いたきそ)となった
のかもしれませんね。
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