淡路国の国生みめぐり③ ~大和大国魂神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

淡路国二之宮の
大和大国魂
(やまとおおくにたま)神社です。



南あわじ市の北、
三原(みはら)平野を
一望できる高台にあります。

一之宮の
伊弉諾(いざなぎ)神宮

すぐ南にある
おのころ島神社にくらべると
ひっそりとしていますが、

ここは
『御原(みはら)の海人(あま)』を
統率したという

倭(やまと)氏ゆかりの
神社だといいます。



古代より
淡路島は海人族の地
だといいますが、

海人族はおおきく
2つにわけられるようです。

船をつくりだしたという
六船霊(むつふなたま)
一族であり

網漁をする
『阿曇(あづみ)系』と、

海幸彦(うみさちひこ)
始祖として

潜水漁をする
『隼人(はやと)系』が
あったといいます。



淡路島は、

北側を阿曇系の
野島(のじま)海人族が

南側を隼人系の
御原(みはら)海人族が
治めていたようです。



初代・
神武(じんむ)天皇の
東征のさい

瀬戸内海の
水先案内をしたのは

海幸彦の子ともいわれる
椎根津彦(しいねつひこ)です。

 

ですから、

隼人系海人族なのでしょう。

 

神武天皇とともに

大和の地に着いた

シイネツヒコは、


敵の目をかいくぐって
重要な祭祀につかう
天香久山(かぐやま)の土を

採ってきたといいます。

こうした功労によって
シイネツヒコは
倭国造(やまとくにつくり)となり

倭(やまと)氏の

始祖になったといわれます。

 



第10代・
崇神(すじん)天皇の世には、

宮中で祀っていた
倭大國魂
(やまとのおおくにたま)
宮中の外で祀ることになり、

大和(おおやまと)神社
市磯長尾市命

(いちしのながおち)が
祭祀したといいます。

市磯長尾市は
シイネツヒコの7代孫

だといいますから、

 

こちらも
隼人系海人族のようです。



第11代・
垂仁(すいにん)天皇の世に

新羅(しらぎ)の王子である
天日槍命(あめのひぼこ)が
渡来してくると

市磯長尾市は
天日槍の尋問に
向かったといいます。

すると
天日槍は神宝をささげて
帰属を願ったようです。

そこで
垂仁天皇は天日槍に

播磨国宍粟邑と
淡路島出浅邑を
賜ったといいますが、

この
出浅邑(いでさむら)は
洲本市千草(ちぐさ)に

あたるといい、

築狭(ちくさ)神社が

あるようです。

また、神宝である
出石刀子(いずしのとうす)は

洲本市由良の
出石(いずし)神社に
収められたといいます。

もしかするとここには
淡路の海人族との
密約があったのかもしれません。

 



さらに、第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇の世には

朝廷直轄地であり
食糧調達地ともされる
淡路屯倉(あわじのみやけ)が
築かれたといいます。

それもまた三原平野の
おのころ島神社の近くであった
といわれるようです。



仲哀天皇の后である
神功(じんぐう)皇后

天日鉾の子孫だと
いわれています。

 

天日鉾と

隼人系の三原の海人が

親しかったとすると、

 

阿曇系の野島の海人は
面白くなかったのかもしれません。

神功皇后の
三韓征伐(さんかんせいばつ)

帰路には、

後継者争いをする
カゴサカ皇子や

オシクマ皇子が

淡路島・明石間に
包囲網を張っていたといいますが

もしかすると
野島の海人たちは

カゴサカ・オシクマに

協力したのかもしれませんね。

しかし、これは

失敗におわったといいますから

 

そのかげには
三原の海人の活躍も

あったのかもしれません。



神功皇后の
御子である第15代・
応神(おうじん)天皇

妃である兄媛(えひめ)の
帰省のために

御原の海人を
80人ほどよんで

故郷の吉備(岡山)まで
送らせたとあるようです。

そして同年には
応神天皇も
淡路島で狩を楽しんだのち
吉備に渡ったといいます。

淡路島と岡山のあいだにある
小豆島も隼人系海人族の地
だったというのでしょうか?



応神天皇が

崩御なされたあと、

 

第16代・
仁徳(にんとく)天皇が
即位するまでには

菟道稚郎子
(うじのわきらつこ)との
皇位の譲り合いが
あったといいます。

あいだに
割ってはいろうとしたのが
大山守命(おおやまもり)で、

倭屯倉(やまとみやけ)のことで
係争中だったようです。

そこで、
渡航中の有識者である
倭吾子籠(やまとのあごこ)が

 

朝鮮半島から呼びもどされた

といいますが

 

このときにも

御原の海人が80人ほど
派遣されたといいます。

吾子籠によって
大山守らの訴えが退けられると

大山守はいよいよ
反旗を翻したようです。

この
吾子籠もまた倭氏であり
大倭国造の祖といいますから

隼人系海人族でしょう。

 

静岡県の
大井川(おおいがわ)に
巨大な木が流れ着いた際には
 

吾子籠はそれを加工して
船を築いたといいますから、

 

ずいぶんと濃い血を

継いでいたのかもしれません。



つづいて
第16代・仁徳天皇が

崩御されると、

住吉仲皇子
(すみのえのなかつみこ)と

のちの第17代・
履中(りちゅう)天皇
皇位継承争いになったといいます。


住吉仲皇子と
親しかった吾子籠は
皇子を守ろうとするも、

反逆者とみなされてしまい
娘を皇室にいれることで
難を逃れたといいます。

 

そして以後、

一族の娘を采女(うねめ)として

宮中に仕えさせたといいます。

住之江(すみのえ)というように

ここにも海人族との結びつきが

あったのかもしれません。
 

住吉仲皇子にはまた
阿曇浜子(あずみのはまこ)ひきいる
能嶋(のしま)の海人も
味方についたといいます。

これこそ、淡路島の

阿曇系野島海人です。

けれども、これも

履中天皇に敗れてしまいます。
 

野島海人の一族は

目元に入れ墨をする刑を受け

屯倉に仕えたといいます。



履中天皇や

住吉仲皇子の弟であり

 

おなじく皇位継承権をもつ
のちの第18代・
反正(はんぜい)天皇は

淡路島で生まれたといわれ

三原平野には

産湯に使ったとされる

産宮(うぶみや)神社があります。

 

ですから反正天皇には

隼人系海人族が

ついていのかもしれません。

 

住吉仲皇子と反正天皇は

海人族を近親にもつことで

親しかったように思われます。

 

ところが、反正天皇は

兄・履中天皇の圧力により

住吉仲皇子を殺すようにと

命じられてしまいます。

 

そこで反正天皇は

住吉仲皇子につかえる

刺領巾(さしひれ・腰巻?)をした

曽婆訶理(そばかり)を懐柔して


住吉仲皇子を討つように
命じたといいます。

 

ソバカリはこれを

成し遂げるのですが、

 

反正天皇はこの

ソバカリを殺したといいます。

 

命令とはいえ

かつての主君を討つものは

いずれいまの主君も討つだろう

という理屈だそうです。

 

しかしながら、

このソバカリは隼人だった

といいます。

 

だとすると、

ソバカリはもともと

反正天皇に仕えていて

汚れ役をかったという解釈も

できるのかもしれません。

 

ここにもまた、

淡路島をとりまく

海人族どうしのなにかが

見え隠れしているのでしょうか。

 

 

一遍(いっぺん)上人はここで

 

名にかなふこころは西にうつせみの

もぬけはてたる声ぞすずしき

 

と詠んで

大和大国魂神社に

奉納したといいますが、

 

これはおよそ

100年前に詠まれた

法然(ほうねん)上人の

 

阿弥陀仏と心は西に空蝉の

もぬけ果てたる 声ぞ涼しき

 

の転化のようです。

 

『名にかなう』とは

いろいろな解釈が

できそうですが、

 

西にある産宮神社ゆかりの

反正天皇のことだとすると、

 

歴史を偲んでいる

のかもしれません。

 

このように、

大和朝廷と

隼人系三原海人との関係があり、

 

この地に

大和大国魂神社が

祀られているようです。

 

さらにここは、
能楽『淡路』の
舞台だともいいます。

 

かつては

播磨灘(はりまなだ)や

小豆島の方角を向いていた

本殿もいまでは

 

三原平野を見下ろす

南側を向いているといいます。

 

三原平野を流れる

三原川(みはらがわ)は

 

淡路の屯倉や

淡路国府跡でもある

 

淡路国総社の

十一明神社を抜けて

 

諭鶴羽山(ゆずるはさん)に

たどりつくようです。

 

そのふもとの

浦壁(うらかべ)という地では

 

およそ2万年前の

縄文時代の遺跡が

見つかっているといいます。

 

三原平野がまだ

入海だったころから

 

古代海人族らしき

縄文人たちはすでに

ここに暮らしていたのかもしれませんねキラキラ爆  笑キラキラ

 

 

淡路国の国生みめぐり④ へ つづく

 

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

☆国生みめぐり全記事リスト☆

淡路国の国生みめぐり① ~伊弉諾神宮~

淡路国の国生みめぐり② ~岩上神社~

淡路国の国生みめぐり③ ~大和大国魂神社~

淡路国の国生みめぐり④ ~おのころ島神社~

淡路国の国生みめぐり⑤ ~淡路の屯倉~

淡路国の国生みめぐり⑥ ~諭鶴羽神社~