大和国の桜井めぐり① ~若櫻神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

奈良県の
桜井(さくらい)市にある
若櫻(わかざくら)神社です。



桜井駅から
1キロほど南の
小高い丘のうえにあります。

 



境内は、
前方後円墳の
後円部分にあたるといい、

航空写真でみると
その面影が残るようです。

 

 


ここはかつて、
神功(じんぐう)皇后

磐余若桜宮
(いわれわかさくらのみや)

を築かれた地だと
いわれているようです。



磐余(いわれ)というのは
古い地名であり

初代・
神武(じんむ)天皇も

磐余の地に
橿原宮(かしはらのみや)
築いたことから

神日本磐余彦
(かむやまといわれひこ)
と呼ばれたようです。

 



ですから、
磐余の地には
ほかにも多くの宮が
築かれたといいます。

なかでも、
神功皇后の
曾孫にあたる

第17代・
履中(りちゅう)天皇が築いた

磐余稚桜宮
(いわれわかさくらのみや)も

ここ若櫻神社が
比定地にされているようです。



ただし、ここから
2キロほど南西には
稚桜(わかさくら)神社があり

その近くには
履中天皇が造ったという
磐余池(いわれいけ)の
痕跡がみつかったとから、



若櫻神社は
神功皇后の宮跡、

稚桜神社は
履中天皇の宮跡と
されているようですが、

さて、どうでしょう爆  笑



本殿には、
東殿と西殿があり、

東殿には
若櫻神社が、

西殿には
高屋安部(たかやあべ)神社が
祀られているといいます。

 



若櫻神社に
祀られている
伊波我加利命(いわがかり)は

何者だか
よくわからないようです。



一説には、
神武天皇であるとか
神功皇后であるとか
いうようですが

 

有力なのは、


第12代・
景行(けいこう)天皇より
 

膳臣(かしわでのおみ)という
天皇の料理人職をたまわった


磐鹿六雁(いわがむつかり)

〔伊波我牟都加利命〕か
その末裔だそうです。
 



西殿の
高屋安部神社で祀られる
大彦命(おおひこ)は

第8代・
孝元(こうげん)天皇の
第一子なのですが、

この

磐鹿六雁の祖父であり


安倍(あべ)氏の祖神として
祀られているといいます。
 



南西約1キロには
安倍文殊院
(あべもんじゅいん)があり、

高屋安倍神社は
そこにあった
安倍松本山から
遷座してきたといわれ

ここは
孝元天皇以降
安倍氏の聖地でも
あったようです。



さらに、
高屋安部神社には

産屋主思命
(うもやぬしおもい)と

屋主彦太思心命
(やぬしひこふとしたま)を
祀っているといいますが、

 


これは、おなじく
孝元天皇の子である

彦太忍信命
(ひこふつおしのまこと)や

孫の
屋主忍男武雄心命
(やぬしおしおたけおごころ)

のこととも
いわれているようです。

 



そうなると

このおふたかたは、


武内宿禰(たけうちのすくね)
祖父や父ということにも
なるようです。

 



ですから、
神功皇后が
宮を築いた地は、

武内宿禰の
故郷であったとも
いえるようで、、、

 



神功皇后の子である

第15代・

応神(おうじん)天皇

 

父親はだれかという

歴史ミステリーにも
繋がりそうですね。

第14代・
仲哀(ちゅうあい)天皇

演じるぼくとしては

 

なんだかとても

もどかしい気持ちになります。

 

 

とはいえここもまた、

とても居心地のよいところで

すっかり癒されてしまいました。

大彦命からつらなる

安倍氏は
 

安倍晴明(あべのせいめい)
土御門(つちみかど)家へと

継がる名家です。

 

 

賀茂氏ともども、

陰陽道や占星術などに

ひいでた

高官職の一族として

 

現代にも

続いているといいます。
 

 

大和国の桜井めぐり② へ つづく

 

 

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