大和国の桜井めぐり② ~桜井~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

若櫻(わかざくら)神社
すぐ北に、

桜井(さくらい)とよばれる
井戸があります。



住宅街の一角に
ぽつんとある史跡は、

桜井市の
語源にもなった井戸で、

 



第17代・
履中(りちゅう)天皇が

大事にしていた
清水だといいます。

 



履中天皇といえば、

磐余稚桜宮
(いわれわかさくらのみや)や

磐余池
(いわれのいけ)を

築いたといわれ、
その比定地として

若櫻神社や
稚桜神社が
あるようです。

じつは、

若櫻神社にも

桜井が復元されていました。

 

 

ほんの数十メートルしか

離れていないのに、

 

井戸を復元してあるのは

なにか意図があるのでしょうか?

 

櫻に縁のある

履中天皇ですから、

 

櫻の井戸で、

桜井ということのようです。

 


ここ磐余の地には
多くの天皇が
宮を築かれたからか、


街中にも道路のうえに
注連縄がかけられていました。



それだけ聖地として
祀られているということでしょうか?

そんな
桜井のある通りの奥にも

神社がありました。

 


 

こちらは、
三宝稲荷荼枳尼天
(さんぽういなりだきにてん)
というようです。

ここもまた、とても
不思議な神社さんでした。



あらゆるものの
配置や構図が、

ほかでは
見られないようなものばかりで、
とても興味深い境内です。

 

立ちならぶ

お狐様も壮観です。

由緒などの情報もなく、
よくわからない神社さんですが、



社務所のようなところには
『三輪流両部神道
(みわりゅうりょうぶしんとう)』
とありました。



両部神道とは、

神仏習合で生まれた
思想体系であり、

真言宗(しんごんしゅう)と
結びついたものをいうそうです。

日本の神々を
仏教の神々にあてる
本地垂迹(ほんちすいじゃく)という
考えがありますが、

おそらくはここも、
稲荷神(いなりがみ)
宇迦之御魂神(うかのみたま)

荼枳尼天を
あてたのだと思われます。




たしかに、
荼枳尼は

平安初期に
真言宗の開祖でもある
空海(くうかい)によって
伝来されたといいますから

この神社の名前も
うなずけます。

 



また、
三宝というのも
三宝荒神から
きているとすれば、

兵庫の
神呪寺(かんのうじ)
ソランジン伝説や、
清荒神(きよしこうじん)など

これも
空海さまが関わっている
話しでもあります。



それにしても

本殿らしき棟を護っている
金剛力士像や、

 

 

躍動感あふれる
龍神さま、

 



子育て弁天として
女神さまを祀る磐座、



意味ありげな
敷石などなど

 



どこをとっても
気になります。

若櫻神社の鎮座する
前方後円墳の
真北に鎮座する神社ですから、

古墳の守りであったり、
天皇の宮があった地を
護るためにあるのかもしれませんね。

なんにせよ、
また訪れたい神社です。



さて、
桜井にはまだまだ
気になる史跡がありますが、

まだまだ、

まわりきれていませんので、
 

いずれまた、
つづきを書いてゆきたいと
思います。
 

 

大和国の桜井めぐり③ へ つづく

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング