私のブログは、
約9年前に…
風邪すらひかない
超健康なサーファー旦那が
悪性脳腫瘍グレード4
神経膠芽腫を
発症した時からを書いています。
大切な人を亡くし…、
絶望感に襲われ、
「人生終わった」と感じ、
自死まで考えていた絶望未亡人が…
どうやって生きてきたのかを
赤裸々に綴っている…、
『30代絶望未亡人
這い上がり物語』です。
初めから読んでくださる方はこちらから…
↓
33歳旦那の病気、発症!
↓
病名が判明しました
↓
1歳と4歳のワンオペ育児をしながら…
↓
旦那の脳腫瘍が再発しました
↓
そして…
↓
旦那を失う前にも…
↓
これのつづきです
⬇︎
⬇︎
兄が「死」を口にして…
行方不明になってしまったことを
警察官に聞いてもらい、
捜索願を出したことで、
安堵はしたものの…
捜索願を出したからって、
事件性等がない場合は、
警察官が積極的に行方不明者を
探してくれるわけではありません
たとえば…
スピード違反など、
交通違反で捕まった時や、
車の免許証の更新などに訪れた際に、
捜索願が出ている場合は、
それがわかるようになっているようで…、
本人を説得して、
こちらに連絡をくれるように
なっている…みたいです。
(たしか…拘束することは出来ないから、
本人が逃げてしまえば、それまでです
と言われた気がします)
ってことは…
「兄を今すぐに探して、
自殺を止めてくれるわけではない」
ってことは……、
探さなきゃ!!
自分たちで…
探さなきゃ
お兄ちゃんが…
間違った選択をする前に…
早く……探さないと
それから私たち家族、
兄の彼女は…
それぞれの時間が許すかぎり
兄を探しました…。
(兄は車で出て行ったので、
まずは兄の車を探しました)
とても厳しく、
根性論で生きてきたような父も、
険しい顔をしながらも、
毎日のように…
一生懸命、兄を探しに車を走らせていました。
私は看護師の仕事が休みの日には必ず、
兄が最後の捨て台詞で言っていた
「富士の樹海」に行き、
(自殺の名所…と言われている
富士山のふもとの樹海です)
売店の方や…
道の駅の方に、
兄の写真や兄の車の写真を見せながら…
たずねて歩きました。
3日…4日…
1週間経っても…
兄を見つけることはできず、
兄からの連絡もありませんでした
こんな切羽詰まった状況の中、
仕事を辞めてしまったもう1人の兄(上の兄)は、
どんな状況だったかと言うと…
上の兄は上の兄で、
自分のことで精一杯だったように
見えました
心配はしていたし、
「救いたい」という気持ちはあったようですが…
基本、「我関せず…」といった感じに
私には見えました。
もうその時は…
その消息不明になった兄のことで、
私たちは、
いっぱいいっぱいでした。
とにかく…
「死なせない!」
「絶対に、
見つけ連れて帰ってやる!」
という気持ちで、
無我夢中で、探し続けました。
すると…
兄が居なくなってから
約10日ほど経った頃…
実家に、
1通の手紙が届いたのでした。
差出人は…
つづきます
⬇︎
現役看護師、
心理カウンセラー、
グリーフ専門士
自己肯定感アップカウンセラーの私が…
大切なお話を聴かせていただく
「かずママ保健室(カウンセリング)」を
ご用意しております
詳細はこちらから
アメトピ掲載記事
【死別後のあれこれ】
【天国の旦那のお話】
【強烈義母の話】
【病気について】
【娘たちのエピソード】
【薬膳関連の記事】
【ガーデニング関連のお話】