8年前旦那が悪性脳腫瘍 神経膠芽腫を
発症した時からを…
これの続きです⤵︎
⬇︎
パパが亡くなってからも…
長女6歳は小学校、
次女4歳は幼稚園を
休む事なく行きました
でも…
朝は何事もなくスムーズに
行くのに…
家に帰って来た瞬間に…
(本当に家に入った瞬間
スイッチが入りました)
暴れ始めました
長女はパパが元気な時から
癇癪(かんしゃく)がひどかった
のですが…
それが小学校に入ってからなのか
パパが亡くなってからなのか
何が原因かわかりませんが…
激しくなってしまいました
帰って来てから…
何かきっかけはあるんです。
自分の気に入らないことがあると…
それをきっかけに
泣きわめきはじめます
泣いて…
わめいて…
バタバタと暴れ始めます
何を言っても…
抱きしめようとしても…
私を叩いてきて…
全然言葉も入っていきません
その度に…
私は…
あぁ…無理だ…
私には無理。
パパ〜!パパ〜〜!!
助けに来てよーーー!
と…
私も泣いて絶望感でいっぱいになるのでした
修羅場でした…本当に…
その癇癪は…
3日に1回だったのが…5日に1回となり…
7日に1回…
段々と頻度は減り…
1ヵ月に1回となり…減っていきました
何が良かったのか…
自然と時間と共に良くなったのか定かではありませんが
…
このころ私が意識していたのは
パパの事を…
オープンにすること!!
でした
パパが死んじゃって…
周りが悲しいムードだから
パパの話はしちゃいけないんだ!
と子ども達が思わないように
心がけました
パパの話は
いつでもしていいんだよ!!
という雰囲気にしていました
パパの事を話すのが
タブーだと思ってほしくなかったのです
変な音がしたら…
私
パパのおならじゃない
すると…2人は大笑い
何か物が無くなると…
私
パパがどっか持って行っちゃったんじゃない
と…
あたかもパパはすぐそばにいるかのように…
常に子ども達に
意識させるようにしていました
私
ちょっとパパ〜〜!!
持っていかないで
返してよーー!!
と話しかけるようにしたり…
とにかく
亡くなって居なくなってしまった…
と思わせないように…
パパは見えないけれど
そばにいるよ!!
っという事を伝えていました
パパを亡くした
子ども達にとって
何が良くて…
何が悪かったのかなんて…
今でもわかりません
正解、不正解はわかりません
これから2人がどうなるかも
わかりません…。
ただ…
死別シングルマザーの私が
出来ることは…
パパの話しをタブーにしない
こと!
そして…
パパはこういう人だったんだよ
と聞いてなくても語り続けていきたいなぁ、と
思っています
そんな娘2人は…
今では癇癪はなくなりましたが…
外ではガッツリしっかり者さんを頑張ってきて…
家の中では甘えん坊さんと
だらしない女子2人です
まぁ、でも…
頑張ってるから…
いっか
大人だって
鎧を脱げる場所が必要ですよね
娘についての次のお話⤵︎
長めのカーディガンは体型カバーにも⤵︎
1000円薄手のロンTって使えますよねぇ⤵︎
大人の抜け感パーカー⤵︎