第597話

こんにちは
菊水千鳳です

八坂神社参拝体験の連載途中ですが、今回はお盆にちなんだ参拝体験がありましたので、ご紹介いたします。


一昨日、仕事の帰り道、
通りに面したところに
〈桜神宮〉と書かれた神社を見つけました。
場所は東京都の世田谷区です。
敷地面積はさほど広くないようですが、格式の高そうな神社でしたのと、沢山の御祭神の名前が大きな看板に書かれていたので、興味を抱き ご挨拶してみることにしました。

柏手打ち鳴らしましたら
すぐに、何柱かの神々の気配を感じました。

ところが、
存在達は わざと社殿の中央奥にある丸い鏡に対して、左右の脇に移動してしまいました。
脇に移動されてしまったので、神々のお姿がわかりません。

何が起こるのかと、じーっと視ていたら、中央の奥から気配をキャッチしました。

『あ…  このお方が今回 現れてくださるお方だ。だから他の神々は退いたな』
と直感しました。

そのお方は男性でした。
ゆっくりと歩いてこちらに接近してきました。
穏やかな表情をされていました。

目の前に来て立ち止まった様子です。
頭の上には烏帽子のようなものを被り、頭の左右に棒みたいなのが、横方面に付いていて、閻魔大王がかぶっているみたいな頭の左右から飛び出ているあれです。

『神様なのかな?どなただろう?』

ふと 京都の
〈大将軍八神社〉の御祭神もそれと同じような冠を被っていたのを思い出しました。
大将軍八神社の御祭神は
方位を司る神様です。


目の前の御方を、更によく視ると、顔までがハッキリ視えました。

服装は黒系をベースに、ダークな黄緑と黒の混じったまだら模様のお召し物を着ておられました。神職の方のようなお姿かとも思いました。

男性はお賽銭の手前の段差に腰掛け座りました。

まさに俺と面と面で向き合っている状態となりました。


『沢山の神々が祀られているようですので、あなたがどなたか分かりません』 

男性
【この季節はお盆だからな
だからワシが今日来た】

『お盆ですか?死者の国から来たのですか?冠の横の棒が見えるに、貴方は閻魔さんみたいなお方でしょうか?』


ここでふと、通りに面しているところに貼られていた御祭神達の名前を見てみようと、鳥居に向かって戻ることにしました。

戻る途中、『古式神道』のことが書かれてある看板があったので読んで検索してみました。

すると、桜神宮の創建についての情報がヒットしました。
創建した男性の方の顔写真も載っていました。

なんとその顔は
俺が今視たお顔の男性そっくり!!

興奮冷めやらぬまま、社務所に向かいました。
神主さんがおられたので、怪しい人間と思われないように(笑)、落ち着いて、冷静を装って質問してみました。

『ここの創始者はどなたですか?この写真の方ですか?』

そう言いながらスマホで検索した画面を神主さんに見せました。

ホームページより↓


神主さん
『はいそうです。この方です。 
芳村正秉(よしむら まさもち)という名前です。漢字はちょっと難しいんですけれどもね 』


そこで、俺は今しがた 拝殿で、この方を霊視で見えたことを話しました。

それを聞いて、神主さんは驚きと共に、顔がしわくちゃになるくらい喜んでおられました。 

神主さん
『私も修行の身ですから、まだそこまでは視えません。お盆であるから会いに来られたのでしょうね』

芳村正秉(まさもち)様が
【お盆だから来た】と仰られましたが、その意味がやっとわかりました。

この男性は 芳村正秉(まさもち)様で、明治時代を生きた桜神宮の初代創建者だったのでした!

ここで、神主さんとの会話は終わりました。


帰り際、
芳村正秉(まさもち)様 
【知らせてもらえて嬉しいぞ   
(あちらも) さも嬉しいだろう
子孫に伝わるということは実に喜ばしいことよ

ここ(桜神宮)を
是非 世に伝えておくれ】 


こうして、桜神宮を後にしました。

神主さんの、喜ばれたお顔はとても輝いていました。
創始者がお盆に帰ってこられたと…。

尚、閻魔大王のように、頭の横の左右に視えた棒の飾りについてですが、例えば、死者の国の存在であることをアピールするために付けていたのかもしれません。
閻魔大王=死者の国ですからね。


~検索した内容~
古式神道について

“明治15年5月15日に大中臣家の65代の後裔(こうえい)で伊勢神宮の(筆頭)禰宜(ねぎ)であった芳村正秉(よしむら まさもち)が、  
「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方向に政府方針を変更したことに危機感を抱きました。 
神代より脈々と受け継がれる古式神道を蘇らせるためお祭りだけを行う神社でなく、御祭儀もしながら人々に対する布教をもしっかりとできるように明治天皇より勅許(ちょっきょ)を得て、教派神道十三派の一派を立てました。  

名称は伊勢神宮の禰宜時代に倭姫命(やまとひめのみこと)神託によって授かった「神習いの教」としました。 

以来、当宮は古式神道を受け継ぐ大神の宮として、また教えの本山として親しまれています。

社殿は明治16年東京市神田に創建。明治後期には「病気治し」「火伏せ」の神徳があると多数の人が参詣しました。 

また外務省の紹介により多くの外国人が参詣に訪れ、鎮火式(火渡り)や 探湯式(熱湯を浴びる)の神事に参加しています。

大正8年に「西の方角へ直ちに移転せよ」との神託により現在地である世田谷に移転しました。神田界隈の関東大震災による被害は大きなものでしたが、この移転により災害から免れることができました。 

また、第二次大戦時も無事戦災から免れ、「災難よけ」でも崇敬を受けております。

注)大中臣家は古事記に記されている天孫降臨の際の随神である天児屋根命を祖神とし、神代より宮中祭祀を司る氏族。”


🌸桜神宮の御祭神は以下となっているようです。
天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
神皇産霊神(カミムスビノカミ)
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
天照大御神(アマテラスオオミカミ)
豊受大神(トヨウケノオオカミ)
倭姫大神(ヤマトヒメノオオカミ)
国常立尊(クニトコタチノミコト)
大国主命(オオクニヌシノミコ)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
鐃速日命(ニギハヤヒノミコト)
底筒男命(ソコヅツオノミコト)
中筒男命(ナカヅツオノミコト)
表筒男命(ウワヅツオノミコト)
伊久魂大神(イクタマノオオカミ)
水天宮大神
正一位稲荷大神
菅原大神

合格祈願、開運厄除、商売繁盛、安産祈願の御利益があるとされています。


【桜神宮】の見どころ
“桜神宮の神事をいくつか紹介します。
まず、「釜鳴り神事」(御動事御供式)という、心身の罪穢れを清めるとともに、吉凶占いもできるというものです。
これは、釜の中に米を入れて炊き、神言と手印で神事を行い、気合い「エイッ」とかけると、「ウォーン」と釜が鳴り始めます。
神事終了後は、参拝者が釜湯を口にして飲むことで神徳にあずかり、健康成就や幸福を招くと言われています。

次に、「鎮火式」(火渡り神事)という、春の大祭で執り行われる神事です。鎮火式は四隅を忌竹で囲い、その中に6mほどの炭の道を作り、炭に火をつけます。
そしてお祓いをして塩で清めた後、秘儀を行い、炭火の上を素足で渡る、というものです。
また、「探湯式」という秋の中祭で執り行われる神事があります。探湯式は「探湯」(くわだち)とも言い、熱湯を探る式です。
釜の中に水を入れ、下から烈火を焚いて、釜の八方に清めの塩を置きます。お湯が沸騰すると御幣で「掛け巻きの神事」を行い、神気をこの釜の中に込めて熱湯の精神を追放します。
竹葉を束にしたものを持って釜の中に入れ、右回り、左回りと「掛け巻き」を行い、気合とともにその竹葉を持って沸騰している熱湯を全身に注ぎかけ、身体を清めることによって五体健康を祈念する神事です。

この他にも年間行事の数々があるのですが、桜神宮ならではのものとして桜神宮のホームページ上で「インターネット遥拝」ができます。
本来ならば、神社へ直接参拝するものですが、物理的に難しい時、遠く離れた場所から神社の方向を向き参拝する「遥拝」という古来から行われてきたものを時代のニーズに合わせたもののようです。”
(桜神宮ホームページ引用)

桜神宮に関しまして、今後 続報がありましたらご紹介いたします。



次回の日記は、八坂神社参拝3をお届けする予定です。
八坂神社の御祭神とは… 明らかになっていきます。お楽しみに~♪


⭐八坂神社参拝はこちら
   

オススメの過去日記はこちら
⭐九州参拝体験日記
                            10   11   12   13   14   15   16   17   18   19

⭐女性は生理中に参拝してはいけないのか?について神々に直接お伺いしてみました
 

⭐靖国神社参拝他~英霊達のご訪問