朝鮮半島 『統一図』

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12408220647.html

 

 

 

『끝나지 않은 식민의 역사 그리고 일본의 조선학교 이야기 - 부당, 쓰러지지 않는(不当,不倒)』 (友人のLINE動画より)

 

<クンナジ アヌン シミネ ヨッサ クリゴ イルボネ チョソンハッキョ イヤギ-プダン,スロジジ アヌン>

 

終わらぬ市民の歴史 そして 日本の朝鮮学校の話 -不当,倒れぬ

 

다큐창작소

 

https://www.youtube.com/watch?v=JxjDgrTXONM

 

 

【冒頭の女性の朝鮮語(韓国語)の翻訳】 0分39秒

 

※もし間違っている箇所がありましたら、ご指摘いただけると幸いです

 

朝六時半に出発して、韓国語(ハングル)を学ぶ受講生として、一人で来ました。

 

もちろん今日は、大阪朝鮮高校(大阪朝高)の学生たちの判決がどうなるのか、とても気になって、今日は絶対大阪で、良い結果が出ることを期待して来ました。

 

【暗転後の白テロップ】 1分44秒

 

解放後、在日朝鮮人たちは 日本全域に朝鮮学校を作って“私たちの学校(ウリハッキョ)”と呼んだ。

 

【当時の映像と合わせたぺ・ヨンエさんのエピソード】 7分26秒

 

私たちの両親(プモ二ム=父母さま)は、1929年くらいに日本にやって来られました。

 

お父さんは、生計は炭を焼いて持っていて、それを売って生活をかろうじて維持をしていたその時。モリヤマ(日本にある朝鮮集落)の粗末な家に住んでた時は、周りはみな日本の人たちではありませんでした。

 

そうしたら日本の人たちが、チョソンサラン(コリアン)を「朝鮮人」と呼んで、「朝鮮人はニンニク臭い。ニンニク臭い」と、豚を飼うから「ブタの臭いがする」として、「チョーセンジン、チョーセンジン」という差別の言葉を受けました。

 

お姉さんとお兄さんは、当時(戦前・戦中)みんな「私たち朝鮮人は『内鮮一体※』だ」として、全員日本の学校に行かなければなりませんでした。

 

※『内鮮一体』

 

‐明治時代の朝鮮観その4(近代史学者の解答➄)‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その2‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その3‐

 

そうしたら私がちょうど、小学校に上がろうとしていたときに、朝鮮(ウリナラ)が解放直後だから、私たち在日同胞たちがもう、「もう私たちは解放された公民だ」と、そして「奪われた言葉と文字を子どもたちに教えなければならない」として、皆が力を合わせて、お金を集めて、労働もして、学校を作りました。日本全国津々浦々に。

 

【在日コリアン3世のリ・ヒャンテさんのエピソード】 9分05秒

 

最初、(朝鮮学校に)行ったときの記憶が、今でも鮮明に残っています。

 

私が朝鮮学校に行ったときは、9歳の時からでした。小学校4年生のときに朝鮮学校に編入をしました。夏休みに朝鮮学校を訪れることになったとき、弟とお父さんと私ひとりで行って、友達が急に私たちの周りに集まってきました。そして「名前はなあに?」「いくつになるの?」と尋ねて来て、たぶんウリマル(朝鮮語・韓国語)で話しかけてきたと思います。そのとき考えるに、自分は答えることは出来ませんでした。言葉を知らないから。

 

自分が日本人みたいに(本当のコリアンなのに)、とっても恥ずかしい思いがありました。

 

そのとき顔がとても赤くなって、後、朝鮮学校に入学することになって、少しでも早くウリマル(朝鮮語・韓国語)を習得しなければならないと、いっしょうけんめい、ほんと、一生懸命に勉強しました。

 

今でも忘れることはできません。

 

(韓国のインタビューアーの質問)

 

そしたら、その前に日本の学校に通ってたときは、「リ・ヒャンテ」という名前を使っていらっしゃったのですか?

 

いいえ、通名・・・、日本の名前で通っていました。

 

そのときの名前は何ですか?

 

『ヨシモト』です。

 

【在日コリアン4世 朝鮮高校2年生 リ・チネさんのエピソード】 10分58秒

 

小学校1年のときに、(自分が他の人たちと)違うことを知って、それは家では日本語を使って、学校ではウリマル(朝鮮語・韓国語)を使って、なんか環境が違うこともそうで、なんか、学校へバスで通ってるときに日本の人たちが、自分たちと同じ年の子たちが、怖い目で見てるようなときもあって、「鮮人※差別用語」だとか、「朝鮮人だ」とか、そんなことを小学校1年の時から経験してきたので、ああ、私の存在は日本社会では、なんか、よくない存在なんだなと思っていました。

 

【リ・ヒャンテさんのエピソード】 12分02秒

 

「朝鮮人臭い」だとか、「キムチくさい」だとか、そういう差別を受けた記憶があるから、朝鮮学校に入ることによって、そういう差別なしに明るく受け入れてくれて、一緒に優しく勉強を教えてくれたり、そうしてくれたから、朝鮮学校に入ったときは、そういう差別がなかったから、当然のように幸せでした。とても快適に過ごすことができました。

 

【ぺ・ヨンエさんのエピソード】 12分44秒

 

朝に起きてみたら、お母さんがいませんでした。そしてお父さんを見て「お母さんはどこに行ったの?」と尋ねたら「お母さんは学校に行ったよ」と答えて、「どうしてなの?」と聞いてみたら、「学校に警察が来て、先生たちを連行して、学校を壊そうとしている」と、だからお母さんは学校に行ったんだと、そういうことばをお父さんから聞きました。

 

そして見ると、お姉さん二人もいないわけです。

 

それを聞くと、お姉さん二人も、夜明け前に学校へ行ったということでした。

 

この言葉を聞いて私は、幼い心ながらも、不吉な予感がして、ランドセルをしょって、すぐさま学校へと走っていきました。学校の横に、トラック3台が並んでいて、そのトラックの中に、よくわからないけど、警察なのか軍隊なのか、よくわからないけど、黒い服を着ていて、鉄製の帽子をかぶり、銃や警棒も持った人たちが3台の車にぎっしりと乗っていました。

 

すぐさま、クラクションをけたたましく鳴げながら、その人たちが全員出てきました。

 

それで、みんなが「行った行った行った!」「出た出た出た!」と、見てみたら中学校、お兄さんお姉さんたちが、手にペンチだとか釘抜きだとか、トンカチだとかを握って、みんな走って行きました。私も後に続きました。

 

そしたら驚きました。

 

昨日まで、普通に学校に通っていた朝鮮学校の窓に、厚い板のバリケードで打ち付けられていました。そして、その上に鉄線がどんどんひかれていました。

 

それが、おどろおどろしく撒かれていて、中学校のお兄さんたちが、ペンチをもって、その尖った鉄線を切って、次は、打ち付けられた厚い板のバリケードを、全部撤去しました。

 

そして「さあ入ろう!」として、教室に入ろうとしたら、ちょうどそのときにトラックもう一台がやってきて、棍棒を振りかざしながら、私たちを見ながら、日本語で「出て行け!」と、ものすごい怒声を張り上げながら、殴りつけてきました。

 

中学校のお姉さんやお兄さんは、いっぱい叩かれました。

 

お兄さんお姉さんがそれに対して、抵抗をするから、警察の何人かが、一人づつ一人づつ、お兄さんたちを捕まえて、手錠をし自動車に繋いで、そこから動けないように、そういう風に私たちの周りにいるお姉さんお兄さんたちを捕まえていきました。

 

しかし、私たちは警察と、どのみち争いました。どうしてこのような仕打ちをするのかと、泣きながら、抵抗をしたけれど、日本の警察たちは、私たち全員を運動場の外に追いやりました。

 

その時外にあった、조회대(チョフェデ=照会台?)と書いてあった鉄に、叩きつけられて、頭を打ち、私(当時)がそうなりました。

 

それが、その時、私の8歳の誕生日の日に起きた出来事でした。

 

【暗転後の白テロップ】 16分12秒

 

1948年にあった朝鮮学校閉鎖とその闘争は、在日朝鮮人たちは“4.24教育闘争”と呼んで、記憶した。

 

【ぺ・ヨンエさん】 16分23秒

 

つまり、朝鮮人はみな日本の学校へ行かなければならないと、決定付けられていました。

 

しかし、私たち朝鮮人が『朝鮮人連盟』(朝連=総連の前身)を作って、学校をつくり、活動をしてきました。朝鮮学校は日本ではあってはならないと、朝連が運営する学校はあってはならぬとということでしょう、結局は。

 

しかし、引き下がりませんでした。学校がそのような弾圧を受けても、学校のすぐ横にある「ヤダガワ」という川に行って、そこに黒板を立てて、中学校上級生のお姉さんお兄さんが、学校の先生と一緒に、私たちに色々な国語(朝鮮語)だとか算数だとかを教えて下さりました。

 

そして雨の時は、運動場の横にある神社に、ずーっと続く階段があるのですが、その下に黒板を置いて、私たちは階段を椅子代わりにして、そこで勉強をしました。

 

リ・ヒャンテさん】 17分37秒

 

そこまでして守ってきた朝鮮学校なのに、後に私たちが苦しいからと言って、閉鎖するわけいはいかないでしょう。

 

【大阪産業大学教授 無償化連絡会大阪 共同代表 藤永 壯(たけし)教授】 18分27秒

 

高等学校に該当する歳に、すべての学生たちに「公立学校の場合」は学費を無料にして、「私立学校の場合」には、公立学校の学費に相当する就学支援金を支給するという、そういう制度なのですが、現実としては、日本政府が認める学校だけではなく、同じ年、同じ世代の高等学校に相当する子どもたちが、学校に通っていたら、すべての学生たちがもらえるお金です。

 

ゆえに、当然として「外国人学校」もその対象となり、朝鮮学校に対しても、(高校無償化に関して)もともとは該当させる意味で作られた制度でした。

 

北韓(北朝鮮)という国家を、敵対視する安倍政権にとって、北韓(北朝鮮)関係があるとされる朝鮮学校に対して、補助金や支援金は出せないとし、本来朝鮮学校にも該当させる規定があったにも関わらず、それらを全て削除してしまいました。

 

そういう風に、朝鮮学校だけを抜いて、高校無償化制度を実施していったわけでしょう。

 

警戒をパターンとした差別でしょう。つづいて日本帝国主義の植民地時代から、朝鮮人たちが当然のように独立を要求して抗日闘争を展開し、在日朝鮮人たちを「管理しなければならない」「警戒しなければならない」として、特に現在のような安倍政権の人たちにとっては、政権の人気を取るために、やはりなんか「敵がいて、自分たちはそれにきちんと対応できているぞ」と、そういう部分がやはり大きいではないだろうか。

 

リ・ヒャンテさん】 20分49秒

 

色々な心配をしなければならない。

 

一番の心配事は、お金に関することだし、現実的に学費だとか交通費も、出費もかさみ、もうひとつは学校まで通う子どもの心配も、自分の娘も一時間半ぐらい時間が必要なので、通学路も心配しなければならないし、また食べる心配もしなければならない。

 

リ・チネさん】 21分28秒

 

やっぱり、ウリハッキョ(朝鮮学校)だったら、高校を卒業したことも認められず、受験(入試)だとか、行きたい学校(大学)があっても、行けなかったりとか、幼稚園から一緒にいた友達(女の子)がいるのですが、その子も日本の学校に行って、男友達の何人かも「自らの夢を実現するために勉強する」として、(日本の学校)に行ったので、みんな一緒に最後までウリハッキョ(朝鮮学校)に通おうと言ったけれど、やっぱり、その子にも、その子たちの考えがあったり、それでもやっぱり、ウリハッキョ(朝鮮学校)で出来た友達だということは、みんな大切で、今でも連絡もしたり、会ったりもしたり、遊びに行ったりしたり、悲しい気持ちはあったけれど、現実だから。。。

 

23分57秒

 

泣きながら喜ぶみんなを見て、それも日本の方が涙を流しながら喜ぶ姿も見たし、当然のことが当然のようにいかなくて、これまでの時間が、本当に長かったなと思ったり、これがもっと続けばいいのにと思いました。

 

今情勢が良くなって、そのとき文在寅大統領と金正恩元帥さまが出会った、その瞬間を見たときは、ああ、自分たちの国の姿はこうなんだなと思って、私の故郷、故郷というか、自分たちがよくいう、「自分たちの祖国」というのが、何なのかなと考えたとき北も南でもなく、その朝鮮半島ひとつを指して、自分たちの国なんだなと言えることで、『板門店宣言』とかをみて、とても誇らしく思ったし、『板門店宣言』で朝鮮半島が、平和にとても良い雰囲気で、やはり日本では、まだ(無償化)闘争を繰り広げていた最中だったので、次はどうなるか予想できないけれど、どんな結果がでようとも、たぶん引き続き活動は続いて行くのだろうと思いました。

 

※朝鮮語と韓国語では、目上の人や敬称として「二ン=様」を付ける。以前、海軍基地建設問題でカンジョン村に訪れた文在寅大統領にも、地元住民が横断幕に「テトンリョンニン=大統領さま」とつけている。

 

文在寅、観覧式直後に済州島海軍基地の地元民に謝罪

 

【ぺ・ヨンエさん】 25分56秒

 

だから子どもたちが、自分たちの国が、現在に至るまでそんな風になって、板門店があって、分断していて、軍隊が守っていたり、南朝鮮(韓国)に非武装地帯があって、ネジ線があって、そういう道があるわけです。そういう中で、次には文在寅大統領がピョンヤンに行って、平壌冷麺を食べたとか(笑) 子どもたちは、今までは正直なところ「良いニュース」がなかったわけじゃないですか。でも、今は情勢が良くなってきていて、高校無償化闘争も子どもたちが、高校生の子たちが大人みたいで関心しますよ。たたかっている姿とか見たら。

 

だからもっとその姿をね、Facebokとかで見るんですよ。自分の孫もよく写っているんですが、あなたたち頑張れ!力出せ!と、おばあちゃんもするから。そういう心でしょう、そういう心。

 

【人権活動家 日本軍慰安婦生存者 キム・ポットンさん】 30分40秒

 

(無償化裁判で)学校が負けたとしても、絶対に挫折してはいけません。

 

どのようなことがあっても、学校は生き残ってゆくでしょう。

 

私たちが数十年、今もたたかっていて、未だ終わってはいないけれど、いつかは解決する日が来るでしょう。

 

夕方によく見る夢があります。

 

南北が統一できたのなら、日本に住む、外国に出ている国民(在日コリアン)を、悲しみを受けている我が国民をみな、朝鮮に入ってきて、幸せに過ごしてもらったらなという、私の願いなのです。

 

(裁判に)勝つことはできるという心で、生きていけることを、切に願っております。

 

ファイト!

 

 

【関係記事】

 

‐『아이들의학교』アイ(子ども)たちの学校(ハッキョ)‐

 

 

【日テレの特集(2018年1月)】

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その1‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その2‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その3‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その4‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その5‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その6‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その7‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その8‐

 

‐意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その9‐

 

‐<追記あり>意外と偏向していなかった!日テレの『朝鮮学校』特集その10‐

 

‐無知と憎悪の荒らし!日テレの朝鮮学校特集を見た日本人の反応‐

 

 

【朝鮮学校(高校)授業料無償化における政治と司法の動き】

 

‐最高裁における朝鮮学校の補助金不交付「妥当」の判決‐

 

-それでも我々は北東アジアの家族である-

 

‐東アジアの今とこれから その13(『恥ずべき歴史』の認識すること)‐

 

‐朝鮮学校「無償化除外」から考える 在日コリアンの『二重国籍論』‐

 

‐東京朝鮮中高級学校無償化の行方‐

 

‐「国家によるいじめ」なら、国家を巻き込めばいい‐

 

‐国益を損ね、『アイデンティティ・ポリティクス』を加速させる日本‐

 

‐『THE MANZAI』ウーマンラッシュアワーの「朝鮮学校ネタ」について考える‐

 

‐ウーマン村本大輔さんと朝鮮学校の関係(なぜ漫才で取り上げたのか)‐

 

 

【北東アジアの戦後史】

 

‐新シリーズ・朝鮮統一と日本を考える 最終章(日本自主化のプロセスと東アジアの平和樹立)‐

 

‐韓国に進出した日本の独占企業の話 最終回(日米独占資本の「相違」と平和国家の欺瞞)‐

 

‐シリーズ『日米同盟』の正体 最終回(米日韓の断ち切れぬ軛)‐

 

‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その10(リアルにおける差別)‐

 

 

物事の大本として、敗戦後、日本はすぐさまアメリカの『植民地』になり、アジア諸国と対立することを決定付けられました。

 

その中で、在日コリアンの問題なんかは、とくに顕著な形で表れ、GHQによる朝鮮人学校閉鎖令(1948年)だとか、朝鮮籍と韓国籍による「分断」、もう数えきれないくらいあります。

 

どんなに金があっても、人口があっても、『主権』という国家と民族の基盤を奪われた日本人は、情報を統制され、ひたすらアメリカに阿り、ひれ伏し、一方で朝鮮半島や中国に対しては、終始居丈高な態度を崩さず、私としても、そういう多くの愚かな同胞たちを見ていて、本当に歯がゆいを思いを重ねる一方です。

 

しかしながら、当事者である在日コリアンの人々と、共に喜びや悲しみの涙を分かち合い、無償化活動に支援をして下さる日本人の方々、そして我がブログ界隈においても、数々の識者がいらっしゃるわけで、そういう方々の存在も忘れてはならない。

 

‐二度目の開催地はベトナムか(朝米首脳会談の行方)‐

 

‐画像で振り返る『日本リベラルの愚かさ』 その1‐

 

‐画像で振り返る『日本リベラルの愚かさ』 その2(朝鮮の永久分断を望み、アジア平和を拒む人々)‐

 

‐画像で振り返る『日本リベラルの愚かさ』 最終回(中国と北朝鮮は敵 米軍産複合体に靡く人々)‐

 

でも、こんなのを見ていると恥ずかしくて情けなくなる。。。。

 

右も左も中道も、なぜ自分たちの国が孤立することばかりを選択するのか、拙ブログでは今まで散々そういうことに対する警鐘を鳴らしつづけてきましたが、それはこれからも変わりません。

 

 

<参考資料>

 

・Youtube動画 『끝나지 않은 식민의 역사 그리고 일본의 조선학교 이야기 - 부당, 쓰러지지 않는(不当,不倒)』

 

https://www.youtube.com/watch?v=JxjDgrTXONM

 

・友人の翻訳協力

 

・Cluttered talk blab blab blab 『文在寅、観覧式直後に済州島海軍基地の地元民に謝罪』

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12411664914.html

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

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