「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして、

引き寄せの法則についてまとめてきました。

次のステップとして、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。

 

脳内妄想やきっと叶うで納得できるのか?(エイブラハム) 

古いストーリーの例(エイブラハム) 

新しいストーリーの例(エイブラハム)

 

お金と引き寄せの法則まとめ1(エイブラハム)

お金と引き寄せの法則まとめ2(エイブラハム)

お金と引き寄せの法則まとめ3(エイブラハム)

お金と引き寄せの法則まとめ4(エイブラハム)

 

 

★注意喚起★

暴力的な場面に遭遇しない方法補足・赤ペン 

悪質なパクリは赤ペンします

引き寄せと鏡の法則について

悪質なパクリの赤ペン(引き寄せ界隈)

引き寄せの法則は無料です

 

という記事の続きです。

 

ここまでは、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本の、

転換と肯定的な側面の本と、

お金を引き寄せ、豊かさを実現するという箇所を、

ご紹介しました。

 
長くなったので、一旦区切る為に、
まとめています。
 
こちらでお伝えしているのは、
宇宙法則の引き寄せの法則です。
潜在意識をどうこうする引き寄せではないです。
解釈が真逆になりますので、
潜在意識系の方は読むのをご遠慮下さい。
(ちなみにこういう風に書くのも法則が働いているからです)
 
 
何も知らなかった人でも
似たものを引き寄せる法則?
と意識することで
ここにも似たものがある!
あそこは似たもの同士が集まっている!
といった具合で、
どんどん引き寄せの法則が働いている証拠が、
見つかる様になると思います。
それが引き寄せの法則の面白いところで、
意識すれば意識するほど、
認めれば認めるほど、
どんどん引き寄せられてきます。
 
自分がどんな波動を出しているかを知るのは
そう難しくないこともわかっていたからだ。

あなたの波動がどんなものか、
「引き寄せの法則」がいつも証拠を
見せてくれるからだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
目の前の経験を通して、
確認して自覚するうちに、
法則が働いているということを、
受け入れるようになり、
それと同時に、上手に活用できるようにもなるのです。
 
なので、知らなかった頃とはもう違ってきます。
知ってしまったら、知らなかった頃には戻れないので、
もし、知らんぷりをするなら、
自分に嘘を吐くことになって、
首を絞めることになりますので、
本当にお気を付け下さいね。
 
私は知らんぷりを続けた結果、
家に車が突っ込んできて、設備が損傷し、
乳腺炎が悪化して、胸の皮膚が破れて穴が開き、
階段から落ちて骨折するということが、
同じ位の時期に起きた後、
311の地震を経験しました。
このままだと死ぬかもしれないなと思い、
一念発起しました。
子ども達や猫達を残して死ぬわけにはいかないと。
 
反発すると、
どんどん負のループにハマってしまうものなので、
その前に方向転換することをおススメしています。
 
もし嫌なら、興味本位で、
スピ系の情報を漁るのはやめましょう。
ふざけて心霊スポットに遊びに行ってはいけないよ!
とよく言いますよね。
命に関わることになるからで、
忠告、警告があるのは、それなりに理由があります。
自己啓発くらいに留めて置いたらいいと思います。
 
 

どの瞬間もどんなことに関しても、
あなたはポジティブな側にも
ネガティブな側にも
焦点を定めることができる。

宇宙のすべての粒子には、
─時の果てまでのすべての瞬間には─
「望んでいる」と
「望みが満たされていない」
という両面があって、
波動しつつあなたが選択するのを
待っている。

あなたはいつもこの二つの選択肢を前にして、
すべてについて
望む状態に焦点を定めるか、それとも
望みが満たされていない状態に焦点を定めるかを選ぶ。

なぜなら、
すべての物事は実は二つの事柄から
成り立っているからだ。

あなたが「望むこと」、
そして「望みが満たされていないこと」
の二つである。

自分が今どちらかに焦点を定めているかは、
自分の感じ方で見分けることが出来る。

そして、その選択はいつでも変えられる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

あらゆるものには二極ある、
というのが宇宙法則になります。
一つの物事に対して、
必ず、二つの相反する見方が存在するのです。
 
次の例をご覧になれば、
すべての物事は
実は二つの事柄だということが
よくわかるだろう。

豊かさ/貧しさ(豊かさの欠如)

健康/病気(健康の欠如)

幸福/悲痛(幸福の欠如)

明晰/混乱(明晰さの欠如)

エネルギッシュ/疲労(エネルギーの欠如)

知識/疑い(知識の欠如)

関心/退屈(関心の欠如)

できる/できない

買いたい/買えない

明るくいい気分になりたい/嫌な気分だ

もっとお金が欲しい/お金が足りない

もっとお金が欲しい
/どうすればお金が手に入るかわからない

もっとお金が欲しい
/あの人は当然の分け前以上にお金を持っている

痩せたい/太っている

新しい車が欲しい/自分の車は古い

恋人が欲しい/恋人がいない

以上の例を見れば、
それぞれについてどちらの選択がいいかは
一目瞭然だろう。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
どちらの選択がいいかというのは、
自分の感情を観察すると分かりますよね。
 
こういうリストを見るとき、
人は自分が望むことよりも
現実のままを口にすべきだと
(「あるがままを語るべき」)だと思う傾向がある。

実はこの傾向が最大の原因となって、
間違った創造が行われ、
個人が望むものが生まれ出てこないのだ。

そこで、
本書でさまざまな事例や実践を通じて、
今がどうなのかを説明するのではなく
「何を望んでいるか」に
目を向ける方法を学んでほしい。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
意識想念の法則があるので、
今まで創造して来た目の前の現実に対して、
あるがままを語っても、
同じ現実が続くので、
もし変えたいのなら、
”今がどうなのかを説明するのではなく
「何を望んでいるか」に
目を向ける方法を学んでほしい”ということです。
 
強い感情を引き起こさない思考には、
大きな磁力はない。

言い換えれば、
あなたの思考のすべてには
潜在的な創造力というか
可能性を引き寄せる磁力があるが、
強い感情と組み合わさった思考が
いちばん強力だということだ。

すると、あなたの思考の大半は
あまり大きな力を持っていないことになる。

多かれ少なかれ、既に引き寄せたものを
維持しているだけだろう。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
ということなので、
望んでいることに思考を向けて、
感情を動かしていこうということです。
 
「引き寄せの法則」によって
違うことを引き寄せたいのなら、
まず現実とは違うストーリーを
語ることから始めなくてはいけないのだ。

新しいストーリーを
語り始めるのにとても効果的なのは、
今どんなことを語っているかに耳をすまし、
望むこととまったく逆のことを
言っているときには立ち止まって、
「これは望むことではない。
それではわたしは何を望むのか?」と
自問することだ。

それから何を望むのかを
意図的に力強くはっきりと宣言する。

わたしはこんなかっこ悪くて古くて
信頼できない車は大嫌いだ。
→わたしはきれいな新しい信頼できる車が欲しい。

わたしはデブだ。
→わたしは細くなりたい。

わたしの雇主はわたしを評価してくれない。
→わたしは雇い主に評価されたい。

言葉を言い換えただけで
ピカピカの新車が現れたりするものか、
太った身体が痩せるものか、
雇い主が突然変化して
違う待遇をしてくれたりするものか、
と反対する人も多いだろう。

しかしそれは間違っている。

望ましい事柄に意識して焦点を定め、
望むことをはっきり宣言すると、
そのうちにあなた自身の感じ方が
変化してくる。

それは波動が変化したということだ。

波動が変化すると
引き寄せの作用点も変化し、
強力な「引き寄せの法則」によって
現実に現れる兆しや指標も変化する。

自分が経験したいことを
一貫して語り続けているのに、
宇宙がそのエッセンスを
あなたのもとへ
送ってこないことなどあり得ないのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
望まない事柄、嫌な気分がする事について考え、
語るのではなくて、
自分が望むことについて意識して焦点を定めると、
波動が変化してくるということです。
この波動の変化は感じ方が変化することで、
確認出来ます。
 

「転換のプロセス」とは、
すべての物事には実は
「望むこと」と
「望みが満たされていないこと」の
二つの面があることをはっきりと認識し、
望むことを意図的に語ったり考えたりすることを指す。

「転換」すると、すべての事柄について
望ましい面を自分のなかで
活性化できる。

それができれば、
すべてについて望むほうのエッセンスが
経験のなかに現れる。

ここでとても重要なことを指摘したい。

これが望むことだと言いながら、
同時に自分の言葉を疑っていたら、
あなたの言葉は
あなたが望むことを運んではくれない。

あなたの波動としての思考が
どんな方向の創造をしているかを
本当に示しているのは、
あなたの感じ方だからだ。

「引き寄せの法則」はあなたの言葉に
反応するのではなく、
あなた自身が発している波動に作用する。

ただし、望むことと望まないことを
いっぺんに語ることはできないから、
望むことを語れば語るだけ、
望まないことは口にしなくなる。

そして今の状態ではなくて
こうなってほしいということを
真剣に語り続ければ、
やがては(それも比較的短時間で)
波動のバランスが変化する。

しょっちゅう語り続けていれば、
気分も言葉に寄り添っていく。

この「転換のプロセス」には
もっと重要な力がある。

望むものが欠けているという
ネガティブな方向に
目を向けていると思ったら、
「これは望むものではない。
それならわたしが望むこととはなんだろう?」
と自問すれば、
答えは自分のなかからわき上がってくる。

そしてその瞬間に波動の変化が始まる。

「転換」は人生がたちまちよくなる
強力なツールなのだから。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
”「転換のプロセス」とは、
すべての物事には実は
「望むこと」と
「望みが満たされていないこと」の
二つの面があることをはっきりと認識し、
望むことを意図的に語ったり考えたりすることを指す。”
とあります。
 
まず、二つの面があるということを、
理解していないと転換することが出来ません。
”絶対的な”正しさがある、という風に思い込んでしまう、
二元性に留まった状態では、
ひっくり返すことが出来ないのです。
 
二つのうち、一つしか選択出来ないので、
”望むものが欠けているという
ネガティブな方向に
目を向けていると思ったら、
「これは望むものではない。
それならわたしが望むこととはなんだろう?」
と自問すれば、
答えは自分のなかからわき上がってくる。”
とある様に、
望みの方に思考を向ければ、
それをきっかけに、
今までとは違った状態に変化させることが出来ます。
 
この文章を読んで、馬鹿なことを言って!
と笑っている人は、
波動は変化していないですよね?
その時、どんな気持ちですか?
笑っているのだけれども、
明るくて前向きないい気分なのか?
というところです。
 
 
「ネガティブな感情」(不安、疑い、いら立ち、孤独など)
を経験するのは、
「内なる存在」の波動と調和しない波動の思考をしているからだ。

人生経験のすべてを通じて
─物質世界でも見えない世界でも─
「内なる存在」、「トータルなあなた」は、
「知っている」という進化した立場に達している。

だから「内なる存在」が知っていることと
調和しない思考にあなたが焦点を定めると、
ネガティブな感情が生まれる。

座りっぱなしで血行が悪くなると、
あるいは止血帯を首に巻いて
酸素の流れを制限すると、
あなたはすぐその影響を感じる。

同じように「内なる存在」の思考と
調和しない思考を抱くと、
物質世界の身体のなかの
「生命力の流れ」「エネルギー」が
滞って制限され、
その結果ネガティブな気分を感じる。

そのネガティブな感情を
長い間そのままにしていおくと、
物質世界の身体は壊れていく。

思い出してほしい。

すべての物事は実は二つの事柄だ。

望むことと、
望むことが満たされていないことである。

これは棒の両端のようなものだ。

一方の端はあなたが望むことで、
もう一方の端は
望むことが満たされていない状態だ。

だから「身体的な幸福」という
棒の一方の端は「元気」で、
もう一方の端は「病気」である。

しかし「身体的な幸福」という棒の
ネガティブなほうを見たからといって、
すぐに「病気」になるわけではなく、
たくさんの棒の
「望んでいないと知っているほうの端」を
何度も何度も見ていると病気になる。

望んでいないことに
慢性的に関心を向けていると
─「内なる存在」はいつも
望むことに関心を向けている─
やがてあなたとあなたの「内なる存在」の波動が
分離してばらばらになる。

それが病気だ。

病気はあなたとあなたの「内なる存在」が
(あなたの思考の選択によって)
分離したしるしなのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
 
よく書くけど、私は本当に子どもの頃から、
グリンピースが嫌いで、絶対に残すのだけれども、
自分が嫌いであることを許しているし、
グリンピースが存在しているのも許しているし、
グリンピースが好きな人がいることも許しているので、
この世から消えてなくなれ!とも思いません。
出来るだけ避けよう(残すので)とは思うけど、
目にするのも嫌だということはない。
ただ、食べなくてはいけない場面があれば、
食べない、残すということだけです。
自分が受け入れて許しているので、
グリンピースについて日常的に考えることはないです。
(だから引き寄せない)
 

前も書きましたが、もしかしたら、

グリーンピースという言葉の方が正しいのかもしれないのだけど、

私はずっとグリンピースと言って育ったので、

グリンピースを使っています。

 

好きな食べ物と嫌いな食べ物があって、
お腹が空いたな、何か食べたいなと思った時、
嫌いな食べ物について考えますかね?
もし考える人がいるなら、
食べることは絶対にない食べ物のことについて、
延々と考えているなんて、
ちょっと可哀想に感じます。
世の中には、その人が美味しく感じるような、
もっと別の食べ物が沢山ありますよね?
 
もし、どうしても許せない、
嫌で仕方ないという風に、
嫌いなもの許せないものがあって、
感情が揺さぶられるとしたら、
それはその嫌なもののせいではなくて、
自分自身のせいなのです。
どうして揺さぶられてしまうのか?
という原因が必ずあります。
 
 
昔、買い物したお店の対応や、
商品が酷いと感じたことがあって、
レビューに低評価を書きまくったことがありました。
すると、すぐに「すごく良かった!」
「よいお店です!」というレビューが上がって来る、
ということに気付きました。
サクラ、やらせがあるみたいで、
安いお店だし、まとめ買いするとお得だったので、
結構商品を購入していた為、
片っ端からレビューを書き直したのね。
それで、他の低評価のレビューを読んでみると、
みんな、このお店のレビューはおかしい!
と訴えていました。
 
そのお店の商品は、例えば白い服なのに、
裏返すと所々、黒い糸を使っていて、
若干、表からもその糸が見えてしまうような、
完全に手抜きの縫製とか、
夏のタイムセールに購入したのに、
秋半ばに届くから結局、着る機会を逃してしまうとか、
でもその届かない(数が揃っていない?)商品を、
何度もセールをして売りまくっているとか、
発送が遅れるという連絡すら来ないとか、
最初に購入した頃は、
そこまでおかしな店ではなかったのだけれども、
なんだかどんどん、信用出来なくなって、
それに比例して文句のレビューも増えていました。
(増えているんだけれども、高評価もどんどん増える)
 
私自身が商品を購入する時に、
レビューを参考にすることが多いので、
他の人の参考になればと思って書いていたのが、
段々、頭に血が上ってきて、
レビューを書き直したり、隅々まで他のレビューをチェックしたり、
という状態になりました。
詐欺の様なことをしている悪質なお店のやり口を、
暴いてやる!私こそ正義!みたいな、
ふつふつと湧き上る情熱がありました。
 
ある時、私は何でこんなにムキになっているのだろう?
と冷静になって、振り返ってみると、
確かにお店の売り方や商品に不満はあったのだけれども、
もう買わなければ済むことなのに、執拗に追いかけてしまう。
何故だろう?と考えて、
私の日常生活の中に、ままならないことがあって、
物凄くフラストレーションが溜まっていたことに気付きました。
 
鏡というのは、自分の姿そのもの、
ということではないのね。
 
自分の何かを投影している、
ということで、
裏切りとか思い通りにならないこととか、
期待外れとか、そういうイライラしている内側の気持ちを、
そのお店にぶつけていたんだよね。
 
だからといって、そのお店自体は、
本当におかしいと思うし、
私は購入者なので、その商品やお店に対する意見を書く、
ということが間違っていた、
という意味ではないです。
 
その時の感情が、私自身を害していて、
その原因は、お店や商品ではなくて、
自分自身にあったから、
それをぶつける対象として、
執着していたのだ、ということです。
 
 
ツイッターなんかでも、
自分の意見を主張するのは、
悪い事でもなんでもなくて、
好きにしたらいいと思うのだけれども、
絡まれた訳でもないのに、
わざわざ、自分の気に入らない情報を探しに行って、
スクショして晒して馬鹿にして笑う、
という行為を喜んで行なっている人も多いですよね。
絡まれて、正当防衛として、
反論しているということではなくて、
わざわざ気に入らない情報を探しに行く、
怒る理由を探しに行く、
というのは、
元々内面にそうさせるものがあるんですよ、
ということです。
 
鏡を理解した人からは、
そういった人たちの内側も、
丸見えになります。
超能力とか霊能力とか透視とか、
そういうことではなくて、
その人自身が発信している誰かについての意見は、
その人自身のことである、
という鏡、投影という意味で、
丸見え、丸裸になるのです。
 

誰でも明るくていい気分でいたいと思うが、
ほとんどの人は
周りのすべてが楽しくなければ
明るくていい気分にはなれないと
信じている。

事実、たいていの人の気分は、
そのときに目に見えるもので
決まっている。

楽しいことを見ていればいい気分だが、
目の前にあることが
楽しくなければ気分が悪い。

ほとんどの人が
いつもいい気分でいられないのは、
周りの条件が変化しなければ
明るくていい気分になれないと信じ、
でも自分には
条件を変化させる力がないと思っているからだ。

だが、どんな物事も実は
─望むことと、
望みが満たされていないということの─
二つの事柄だと理解できれば、
そのときに関心がある
どんなことについても、
肯定的な側面を見られるようになる。

実は「転換のプロセス」とは、
それだけのことだ。

関心を向けているのがなんであっても、
意図的に肯定的な側面を
─もっと明るくていい気分になれる見方を─
探すことである。

望まない状況に直面して
嫌な気分になっているとき、
意識して
「自分が何を望まないかはよくわかる。
それでは望んでいることはなんだろう?」と
問いかけてみる。

あなたという「存在」の波動は、
何に焦点を定めているかで
影響をされるから、
これで波動が少し変わり、
それによって引き寄せの作用点も変化する。

すると、
あなたが自分の人生について語る
ストーリーが変化し始める。

「いつもお金が足りない」
といういう代わりに、
「もっとお金があったら楽しいだろうな」と思う。

これは全然違ったストーリー
─全然違った波動であり、全然違った感情で、
それがやがては全然違った結果をもたらす。

変化のなかで全体を見通せる地点に立ち、
「わたしが望んでいるのはなんだろう?」と
問い続けていると、
やがてはとても楽しい場所にいることに
気づくだろう。

自分が望んでいるのは何かと
問い続けているのに、
引き寄せの作用点が変化しないわけがないからだ。

変化は漸進的だろうが、
このプロセスを続けていけば
ほんの数日で素晴らしい結果が生まれる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

一つのものごとに対して、
こんな見方もできる、こうとも言えると、
捉え方を変えた時に、
自分がどんな感じがするのかな?
というのを色々試してみて下さい。
段々とコツが掴めるようになると思います。
 
これは本当に実践あるのみ、
という感じで、
実際に自分で行なってみないと、
理解出来ないものです。
 

「転換のプロセス」は単純だ。

 

ネガティブな気分でいると気づいたら、
(その感情は自分が望んでいる何かと
調和していないから起こる)、
立ち止まって自分に問いかければいい。

「今、ネガティブな気分でいるのは
自分が望むことと調和していないからだ。
それでは自分は何を望んでいるのだろう?」

ネガティブな気分は、
そのとき自分が何を望んでいるかを
はっきりさせるとてもいいチャンスだ。

自分が望んでいないことを
経験しているときほど、
望むことが明確になることはないからだ。

だから立ち止まって、こう言ってみる。

「さあ、何か大切なことがあるはずだ。
そうでなければ、
こんなネガティブな気分になるはずはない。
わたしは何を望んでいるのだろう?」

それから自分が望むことに
関心を向ければ、それでいい。

望むことに関心が向いたとたん、
ネガティブな引き寄せは止まる。

そしてネガティブな引き寄せが止まったとたん、
ポジティブな引き寄せが始まる。

さらに
─その瞬間に─
嫌な気分から明るくていい気分へと変化する。

これが「転換のプロセス」である。

自分の人生について違ったストーリーを
語ろうとするとき、
いちばん大きな障害は、
自分の状況について常に
「真実」を語るべきだとか
「ありのまま」を語るべきだと
人々が信じていることだろう。

だが「引き寄せの法則」は
「今の状況」について
語っているあなたに作用する
─したがってあなたが語っているストーリーが
ますます続く─ことを理解すれば、
本当は違ったストーリーを語るほうが、
もっと自分が生きたいと思う人生に近い
ストーリーを語るほうが、
ずっと自分のためだと気づくだろう。

自分が望まないことをはっきりさせ、
それから
「それでは自分が望むものはなだろう?」
と自問すると、
新しいストーリーを語るほうへ、
そしてもっといい引き寄せの
作用点へと徐々に移動していける。

自分が考えることのエッセンスが
─望むことでも望まないことでも─
起こるのだと覚えていると、
とても役に立つ。

なぜなら「引き寄せの法則」は
いつも少しの狂いもなく
一貫しているからだ。

したがって、いつだって「今の状態」を
語るだけでは済まない。

「今の状態」を語っているつもりで、
同時に将来の経験を語っていることになる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
”いちばん大きな障害は、
自分の状況について常に
「真実」を語るべきだとか
「ありのまま」を語るべきだと
人々が信じていることだろう。”
とありますが、
例えば、こういった説明をご紹介している時、
怒り狂う人、腹を立てる人、馬鹿にして笑う人、
もいると思います。
「真実」や「ありのまま」を語るべきだ、
と信じている状態なんですね。
(法則や真理が理解出来ていない人です)
 
今、ここでは、
事実を捻じ曲げて妄想に耽りましょう!
というお話はしていません。
自分に起こってくる経験を、
意図的に創造しましょう、
という自分自身の生き方に対しての話をしています。
 
こういうのも、他人軸だと、
同じものの表と裏、陰と陽を見るのではなくて、
全然別のものを比較してしまいます。
 
「でも、ソロモン、
正しくないことが起こっているのを
見ないなんてことがどうしてできるの?
それから、それを見ても、
いやな気持ちを感じないなんてことが、
どうしてできるの?」
 
 
そういう疑問がわくのは実にもっともなことだ、サラ。
いずれは満足のいくような答えをあげることを約束しよう。
一度にこれを全部理解するのは簡単なことではないからね。
少なくとも最初のうちに理解するのはむずかしい。

その理由は、君たちが状況を観察するように
訓練されてきたからなんだ。

でも観察している時に、
自分の気持ちに注意を向けるようには
訓練されていない。
 
だから、周囲の状況が君たちの人生を
コントロールしているように見えるんだ。

何かいいことを観察しているなら、
君はいい気持ちを感じるし、
何か悪いことを観察しているなら、
君はいやな気持ちを感じる。

自分の人生が周囲の状況にコントロールされているように
見える時、ほとんどの人はがっかりしてしまう。
そしてそれが、実に多くの人々が《苦しみの鎖》に
つながってしまう原因なんだ。
 
「サラとソロモン」(エスター&ジェリー・ヒックス著)より
 
という箇所をご紹介していますが、
外側を観察して、あーだこーだ言うのをやめて、
今自分がどんな感じがするかに、
注目してね!ということです。
でもね、これが分からないみたいです。
どうしてでしょうか?
 
本当は分かっているんだけれども、
向き合えない理由があるんですね。
それは仕方ないと思います。
 
でもそれだと問題が生じてしまうのです。
 

人はよく、
人生で明るくて前向きなことが起こっていれば、
そこに焦点を定めるのも簡単なのに、
と愚痴をこぼす。

確かに何かいいことが起こっていれば、
明るくていい気分になるのもずっと簡単だろう。

いいことに目を向けているほうが、
簡単に明るくていい気分になれる。

それはわたしたちも否定しない。

だが、起こっていることにしか
焦点を定められないと思っているなら、
そして起こっていることが楽しくないなら、
一生待っていても
明るくていい気分にはなれないだろう。

望まないことに関心を向けているために、
望むことが妨げられるからだ。

明るくていい気分になるのに、
いいことが起こるのを待つ必要はない。

現在の経験がどうであれ、
もっといいことに
自分の思考を向ける能力をあなたは持っている。

そして自分の気分を大事にして、
明るくていい気分になる思考へ
関心を転換すれば、
すぐに前向きな変化を起こすことができる。

あなたが経験する物事は、
あなたの波動に反応して引き寄せられてくる。

あなたの波動は
あなたが抱く思考から出ているし、
どんな思考を抱いているかは、
どんな気分でいるかを見ればわかる。

明るくていい気分になる思考を見つければ、
必ず明るくていい気分になることが起こる。

多くの人たちはこんなふうに言う。

「もっと違った状況なら、
わたしだってもっと簡単に幸福になれるだろうに。
人間関係がもっとよければ、
配偶者がもっと優しければ、
身体に痛みがなければ、
もっと違った身体だったら、
もっと満足が感じられる仕事なら、
もっとお金があれば……
つまり、人生の状況がもっとよければ、
わたしだってもっと明るくていい気分になるし、
そうすれば前向きに考えるのだって
もっと簡単だろうに」

楽しいことを見ていれば
明るくていい気分だし、
楽しいことがあれば
簡単に明るくていい気分になれる。

それは当たり前だ。

だが、みんなで協力して楽しい事だけを
自分に見せてくれ、と周りの人たちに
要求することはできない。

自分にとって完璧な環境を作ってくれと
他人に求めるのは、
いろいろな意味でいい考えではない。

①あなたの巣を整えるのは周りの人たちの
責任ではない、

②あなたが自分で創っている状況を、
他人はコントロールすることができない、

③なによりも、それではあなたは
自分の経験を創造する力を投げ捨てることになる。

どんなことに関心が向いているときでも、
明るくていい気分になる側面を探そうと決意をすること、
あるいは明るくていい気分になることにだけ関心を向けること
─そうすれば人生のいい面がどんどん増えて行く。

楽しい事があれば、
もう一方に必ず楽しくないことがある。

望むことという宇宙のどんな粒子にも、
「望むことが欠けている」という面があるからだ。

望まない面を押しのけようとして
そちらに焦点を定めていると、
望まない面がますます引き寄せられてくる。

なぜなら、望むものでも
望まないものでも、
関心を向けたものが引き寄せられてくるのだから。

あなたがたが住む宇宙は、
「加えること」を基本に成り立っている。

言い換えれば、
この「加えることがベースの」宇宙には
「排除」はない。

何か望ましいものを見て「イエス」と言えば、
それは「そう、これはわたしが望むものだ、
どうか寄ってきてほしい」と言うのと同じだ。

そして何かの望まないものを見て「ノー」と言っても、
それは「わたしが望まないものよ!寄って来なさい」
と言うのと同じなのだ。

あなたがたの周りにあるものすべてのなかに、
望むことと望まないことがある。

望まないことに焦点を定めるのはあなただ。

環境はたくさんの選択肢がある
ブッフェのようなものだと考え、
もっと意図的に思考を選びなさい。

明るくていい気分になる選択をしようと努力し、
人生や人々や経験について
違ったストーリーを語ろうと努力すれば、
あなたは以前よりももっと改善された
よいストーリーを語るようになり、
人生経験はそのストーリーのエッセンスの
細部に一致する方向へと変化していくだろう。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”だが、起こっていることにしか
焦点を定められないと思っているなら、
そして起こっていることが楽しくないなら、
一生待っていても
明るくていい気分にはなれないだろう。
望まないことに関心を向けているために、
望むことが妨げられるからだ。”
ということなんですよ。
 
”だが、みんなで協力して楽しい事だけを
自分に見せてくれ、と周りの人たちに
要求することはできない。
自分にとって完璧な環境を作ってくれと
他人に求めるのは、
いろいろな意味でいい考えではない。”
 
いつまであーだこーだと、
他人や外側について語ることを続けますか?
 
 

意識的に「転換のプロセス」を
活用することは、
自分の思考を意図的に選択することであり、
意図的に波動の引き寄せの作用点を選ぶことであり、
自分の人生がどう展開するかを意図的に選択することでもある。

「転換」は、自分の人生経験を
自分で方向づけることを目指して、
意図的に自分の関心の焦点を定めるプロセスなのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
 
自分の感情が、どういう状態なのか?
ということを、把握して、
コントロールすることが、
霊的には重要になります。
引き寄せの法則から考えると、
感情を動かすと、それが現実として経験に現れてきます。
 
「あなたがたの思考は磁石のようだ」と言った。
もう一つ、はっきりさせたいことがある。

すべての思考には創造力があるが、
強い感情を伴なわない思考の対象は、
経験のなかでスピーディーに実現しない。

強い感情がわき起こる
─その感情が明るく前向きでも、
ネガティブで暗くても─
思考のエッセンスは速やかに
物質世界の経験として実現する。

感情は「内なる存在」からの
コミュニケーションで、
あなたがたが「宇宙のパワー」に
アクセスしていることを教えている。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
ネガティブな物事に対しては、
感情を沈黙させなさい、と言われていますが、
それは、感情を大きく動かすと、
自分の現実に経験として現れてしまうからです。
またそれが原因となって次々と、結果を呼んできます。
 

今あなたが選んだ思考が次の思考を、
さらに次の思考を……さらにその次を……
引き寄せるだけでなく、
思考は同時に「内なる存在」との
調和のベースになる。

望まないことではなくて
望むことをいつも意図的に考え、
語るようにしていれば、
あなたの「源」の
純粋で前向きなエッセンスと調和できる。

そのとき、
あなたの人生はとても楽しいものになるはずだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
私もネガティブなことに対して、
感情を動かさない様に気を付けていましたが、
エイブラハムたちは、更に、
思考を転換して、ポジティブな感情を引き起こして行こう!
と伝えていますね。
 
あなたは自分の人生経験の創造者である。

そして経験の創造者として
理解すべき大切なことは、
創造は行動を通じて行われるのではないし、
何かをすることによって行われるのでもない
─さらには何を語るかによって行われるのでもない─
ということだ。

そうではなく、
創造はあなたが差し出す思考によって
行われる。

語ったり行動したりすることには
必ず波動としての思考が伴う。

しかし、言葉や行動を伴わずに
波動としての思考を差し出していることはよくある。

子どもや赤ちゃんは
周りの大人の言葉をまねるよりずっと早く、
波動をまねることを学んでいる。

あなたの思考はすべて
独自の周波数の波動を持っている。

あなたが差し出すどの思考も、
記憶から発したものでも、
ほかの人に影響されたものでも、
自分の考えと他人の考えの組み合わせであっても
─今抱いている思考はすべて─
あなただけの周波数で振動してる。

そして強力な「引き寄せの法則」
(要するに似たものを引き寄せるということ)
に従って、
波動が一致する別の思考を引き寄せている。

引き寄せられた思考が合わせると、
思考の周波数は
もとの思考よりさらに高くなり、
「引き寄せの法則」に従って
さらに別の思考を引き寄せ、
それがさらに別の思考を引き寄せる
という具合に進んで、
やがてその思考は「実生活」の状況
あるいは現象を引き寄せるほど強力になる。

あなたの周りのすべての人、
環境、出来事、状況は、
あなたが抱いている思考の力で
引き寄せられている。

自分が文字どおり
思考あるいは波動によって
物事を出現させていることがわかれば、
自分の思考を意図して方向づけようという
あらたな決意が芽ばえるはずだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
 
自分の知らない事について語ってはいけない、
ということではないのだけれども、
知らないのに知った様に、見切った様に、
分かった様に語ってしまうと、
結局矛盾が生じたり、自分の首を絞めたりしますよね。
 
鏡とか投影といったことは、
何かに対しての印象なんかでも、
自分の分かる範囲のもの、内側にあるものでしか、
表現することが出来ません。
 
想像力は大切なんだけれども、
経験していないことは想像するのは難しいですよね。
だったら、どうするのか?
分かる範囲で話せばいいですよね。
分からないことはあくまでも感想ですとか、主観ですとか、
自分自身がその様に把握している状態なら、
自分はこう思うけれども、
絶対的な正しい意見ではないよなと、
受け入れられると思います。
 
経験したことなら、
それも絶対的なものではなくても、
想像だけで話している訳ではないので、
事実なんだから、整合性が取れてきますよね。
 
 
ある人が望みを叶える方法について、
薔薇の種を植えるという例えを用いていたのだけれども、
実際に薔薇を育てたことのある人なら、
まず初心者で種からは挑戦しないだろうな、
難しい、簡単ではない、という印象を持ちます。
とりあえず接ぎ木した苗を購入しますよね。
家で育てている人は、
挿し木で増やすかな?とも思います。
ローズヒップを収穫する場合は、
挑戦するのかもしれませんね!
 
その例えだと、
望みを叶える道はものすご困難だ!
という印象を持ってしまうな、と。
 
例えるにしても、
自分がよく知っている身近なものにしないと、
逆に分かりにくくなったり、
誤解を与える可能性がありますよね。
 
 
……もし、あなたが本当に
この文字を読めないというのなら、
あなたは今、この紙に書かれた言葉を、
受け取る時期ではないのです。

ただそれだけのことですよ。

なぜなら、文字とは、おのおのの霊的レベルに応じて、
それぞれの感性によって読むものだからです。

宇宙言語とは表面をなでるだけではなく、
その裏に隠されている意味を
堀りあてなければ理解できません。

一つの単語にも何層にも意味が連なっているのです。

あなたの言語に置き換えれば、
比喩的な表現・たとえ話、
同音異義語・同じ音の違う意味の言葉にも
注意を払わなければいけないということです。
 
「22を超えてゆけ」(辻麻里子著)より
 
”文字とは、おのおのの霊的レベルに応じて、
それぞれの感性によって読む”
とあります。
行間を読むといった表現もありますが、
文字の周波数帯にフォーカスして読み取っていくので、
人によって理解度が違ってきます。
 
 
スピリチュアル系の人でも、
実際はよく分かっていないことを、
分かったと思い込んで説明した時、
意味を履き違えているなということが、
よくあります。
 
その説明を、
馬鹿にしたい人達が、
取り上げて、一層、意味が分からなくなる、
ということもあります。
 
取り上げる人が、最低限、
実際はどういう意味なのか?ということまで、
調べて、指摘してもいいのにな、と思うのですが、
馬鹿にしたい人からしたら、
スピリチュアルに興味を持っている時点で、
失笑モノで、
そんなみっともないことについて、
わざわざ調べるなんて恰好悪いという感じなのかもしれません。
 
でもこちらからすると、
分かっていない人をわざわざ取り上げて、
間違った解釈について揚げ足を取って、
更に勝手な解釈をしていく様子は、
どっちもどっちというか、
同じ穴の貉という印象を持ちます。
 
私からすると十分ふわスピの界隈の人が、
ふわスピに騙されるな!と言っているとか、
狂ったスピ系教祖様の信者たちと、
楽しく絡んで似非スピを笑っているとか。
お前らの教祖様も前世の記憶がどうしたとか、
地球人はバカばかりと言っては、
あちこちの界隈で嫌われて揉めて来てるぞ?
とか思うんだよね。
でも、彼らの主張に賛同して、
いいことを言っているなって、
納得する人も多い。
 
みんなそれぞれ、自分の都合の善い様にしか、
解釈出来ないからだよね。
 
 
引き寄せ界隈の人達は、
よく自愛、自愛と言いますが、
これも”ある”とか”なる”とかと同じ、
暗黙の了解系の言葉に感じます。
 
以前も書いたのだけれども、

goo辞書では、自愛について、

自分を大切にすること。自分の健康状態に気をつけること。”

自分の言行を慎むこと。自重。”

” 自分の利益を大事にすること。利己。”

倫理学で、自己保存の本能に基づいて、自己の幸福を求める自然的性向。”

” 物を大事にすること。珍重すること。”

とあります。

 

まず自分を大事にしないと、

他人を大事にすることは出来ないので、

間違った考え方だということではないのだけれども、

自分を愛するという意味で使っていますよね?

あくまでも個人意識に留まっているような、

自分や自分の好きな人は大事にして幸せにしたいけど、

それ以外の人はどうでもいいという様な印象を受けます。

 

言い換えれば、自己愛と混同しているような、

気持ち悪さ。
自分をご機嫌にするとか、満たしてあげるとか、
そういう発想そのものが、
自己中心的な印象を持ちます。
常に私!私!私!ですよね。
(別に悪いことではないのですが…)
 
自分を愛して、
自己肯定感を上げようというのも、
勿論大事なのだけれども、
あらゆるものごとを肯定する、
という方に思考を向けて行くと、
そのあらゆるものの中に自分も含まれているので、
もっと広い意味で、自分や自分と同一の他人を愛する、
という意識になると思います。
この肯定するという思考は、
自分や他人を上に置いたり、下に置いたりしません。
なので自己肯定感を無理に上げなくても、
上下の比較がないので、
安定すると思うんですよね。
下がる必要もなくなります。
 
自分を肯定しようという時、
自分を肯定するから他者も肯定するになるのか、
自分は肯定するけど、他者は否定するになるのか、
という違いがあって、
自分を肯定しているなら、他者を否定してもいいんだ!と思っても、
結局、他者=自分になるので、
堂々巡りになるんですよね。
この自他同一も分からないかもしれませんが、
鏡、投影ということになりますね。
 
鏡とか投影といったことも、
よくお伝えしますが、
自分が肯定して受け入れていることなら、
あまり感情を揺さぶられないと思います。
 

例えば、コーチングとかカウンセリング業をしている人が、

教えたがりの人って面倒だなと批判していたとしたら、

その人自身も、人に教える立場の仕事をしているので、
教えたくて仕方ないんだろうなと感じますよね。
 
鏡や投影になるので、実際、その人自身が、
黙ってられない、教えたがり、上からの立場を好む、
ということだから、似たような人を見ると、
不快な感情を覚えるのでしょう。
 

何時であれ、他の人々と関わる時に、

自分と離れた「彼ら」という見え方がするときは、

自分の内側を探るチャンスです。

 

「彼ら」は自分のどの側面を反映しているのか、と。

 

誰かに腹が立ったり、誰かと問題を起こすとき、

私たちはよく「私だったらあんなことはしないのに」と言います。

 

でも、多くの場合、自分が同じようなことをする可能性があるか、

あるいは過去にそのようなことをして

それを認めたくない時に「あんなことはしない」と怒ります。

 

「ECTON─エクトンが描く意識の地図」(リチャード・ラビン著)より

 
あの人はどうだ、これはこうだと感じるのは、
自分の内側にある考え方とか捉え方、見方が、
反映されます。
考えたこともない様なことは、
思い付きませんよね?
 
お互い鏡になって、
自分の目には見えない内側を、
他人や外側の現象を通して、
確認することが出来る、
というのが仕組みです。
 
引き寄せの法則の場合は、
いい気分がしない時は、
望まないことを考えているのだ、
ということを教えてくれますよ、
ということになります。
 
いい気分になるか、ならないか、
善い人がいるのか、いないのか、
おかしな発信者が人を騙しているのか、
いないのか、
そういったことを通して、
自分の内側にあるものが、
浮かび上がってきます。
 
それを自分に見せる為に、
引き寄せたとも言えますよね。
これが共同創造の部分で、
自分にとって腹が立つという人でも、
その人がその行動を取る事で、
気付かなかった自分の内側を見せてくれる、
といった神仕組みがあります。
 
”あなたの周りのすべての人、
環境、出来事、状況は、
あなたが抱いている思考の力で
引き寄せられている。
自分が文字どおり
思考あるいは波動によって
物事を出現させていることがわかれば、
自分の思考を意図して方向づけようという
あらたな決意が芽ばえるはずだ。”
というのが真理です。