「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして、

引き寄せの法則についてまとめてきました。

次のステップとして、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。

 

 

 

わたしたちの視点から
あなたがたの「宇宙」の本質的な豊かさや、
あなたがたがいつでも実現できる豊かさについて
説明しても、
それを読んですぐにあなたがたが
知識を自分のものにできるわけではない。

それはわかっている。

わたしたちが言うことを信じなさいとか、
理解しようと「とにかく努力」してごらんと言っても、
あなたがたはわたしたちの理解を
自分の理解にすることはできないだろう。

あなたがたは人生経験を通じてのみ、
知識を身につけるのだから。

あなたがたが経験の結果として信じ込んだことは
非常に強力だ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

知識を身に付けるのは、人生経験を通じてのみ、

とありました。

 

ここからネタを拾って、
自分の意見みたいに発信している人がいるんだよね。
といったことを書くと、
すぐ反応しちゃう人がいるのですが、
目の前の現実的に起こったことに対して、
反射的に反応しているという状態ですよね。
これは他人軸で、
自分の内側ではなくて、
外側をコントロールしようとしている状態です。
 
宇宙法則には意識想念の法則があるので、
現実的に経験していることは、
自分の思考の結果ということになります。
 
この状況を法則で説明すると、
私は私の思う通りに現実を創っているのだけれども、
私のブログを見た人は、
その人の思考の結果が反映されている状態になっているんですね。
面白いですよね。
私はあなたのことを考えながら書いている訳ではないのに、
あなたの現実では何らかの役割を持って、
出演している訳です。
私があなたに無理矢理読ませているのではなくて、
あなたが必要な経験をする為に、
この記事を読んでいるのだけれども、
私は私の都合で書いていて、
あなたの現実に合わせて書いている訳ではない、
ということね。
 
この仕組みに気付いた時に、
寸分の狂いもなく宇宙は完璧に法則が働いていること、
全ての人達はお互いがお互いの鏡として、
計算され尽くしたタイミングでそれぞれの行動を取っていること、
これが宇宙の采配で愛であることが分かって、
感動と衝撃を受けました。
 
この仕組みがもう少し理解出来ると、
他人をどうこうしようという気持ちは霧散すると思います。
全ては完璧なのです。
でもそれには内観が必要で、
鏡、投影を理解する必要があります。
自分と向き合えずに、
人の事をあーだこーだ言う事しか出来ないと、
永遠に辿り着けません。

 

”あなたがたは人生経験を通じてのみ、
知識を身につけるのだから。”

とある様に、

とにかく実践して下さいとしか書けません。

 

投影、鏡というのも、

理解出来ると、今まで躓いていたことを、

乗り越えられるのですが、

無理矢理分からせるものではないので、

繰り返しお伝えするしかないですよね。

分からないというよりは、

分かりたくないという方が強いでしょう。

 
「うん。たとえば、ある種の悲惨な生活というものを
知らないでいるひとには、きゅうに”闇”を見せないほうがいい。
じょじょにいかないとね。
たとえば死骸を見せることとか……」

「でも、それはそれほどショックでもないわ」

ビンカが、たくましい口調で言った。

「じゃ、腐敗した死骸は?」

「キャー!よ、よくわかったわ」

「それと同時に、ひとの内面の闇をも
さしているんだよ」

アミはときどき、気をもたせるような言い方をする。

「もうこのへんで、なぞめかした言い方はやめて
はやく説明してよ」

とアミにむかって言った。

「うん。つまり、多くのひとが自分じしんのことを
すばらしいひとだと思いこんでいるんだよ。
自分のもっているいくつかの欠点を、
まったく直視することができないでいる。
その欠点は、ときにはとても重症だ。
でも自分では気がつかないその欠点を、
まさに他人の中にみいだすと、そのひとを
ひと一倍はげしく非難するということがいつも
起るんだよ。
そしてとつぜんひとからその欠点を
指摘されようものなら、
死ぬほどひどいショックを受けるんだ。
いつも自分を美しいと思いこんでいた
”みにくい、幸せ者の小さなひと”
の話を知っているかい?」

「ううん、知らない」

「それまでいちども鏡を見たことがなかったんだ。
そして、はじめて鏡を見たときから
悲劇がはじまったんだ……。
わかるかい?」

こんどはふたりともウンとうなずいた。

「われわれを愛からひきはなしている、
エゴという自分の中のみにくい部分には、
それを支えてしばりつけている
根があるんだ」

「その根って?」

「いちばん大きな本質的な欠点だよ。
われわれにはいくつもの欠点があるけれど、
その中でもいちばん重要なやつだ。
それががっちりとエゴを支えているんだ。
ちょうど土にうまって外からは見えない木の根のように、
自分で見つけるのはたやすいことじゃない。
他人のほうがずっと見つけやすい。
でも他人からそれを知らされると、
自分を美しいと思いこんでいた”みにくい、幸せ者の小さなひと”
とおなじように、
われわれのかわいそうなエゴはその支えを失って、
われわれは死ぬほどショックを受けるよ……」

ぼくはどうもこの話になっとくできなかった。

「なんでなの?もし、エゴがなくなったとしたら、
もっとずっと幸せじゃない、
純粋な愛にもより近づけるわけだし……」

「まだひとりでは泳げないひとから
いきなり”救命具”を取ってしまったら、
たいへんなことになるよ!……」

「またまた、なぞめいた言い方をして。
それ、どういうことなの?」

「あるていどまでの水準の人生において、
エゴは一種の”救命具”のような
保護者的な役目をしている。

でももし、もっと上の水準に進歩したければ、
その重い”救命具”─つまりエゴのことだけど、
それをいっしょにもっていくことは
できないんだ。
まず、ひとりで泳ぐことを学ばなければならない。
いつか二者択一しなけれならない時期というものが、
やってくるんだよ」

「その”泳ぐ方法を学ぶ”ってどういう意味なの?」

「宇宙の法にのっとって生きることを学ぶ
ということだよ。
もし愛とともに生きていけるなら、
ほかにはなにも必要じゃない。
でも、まだきみたちは
愛をどうやって手に入れたらいいのかも
知らないでいる。(以下省略)」
 
「もどってきたアミ」(エンリケ・バリオス著)より
 
エゴのことですが、
”あるていどまでの水準の人生において、
エゴは一種の”救命具”のような
保護者的な役目をしている”
とある様に、
鏡、投影が理解出来ない(したくない)というのは、
その人がまだ自分では泳げない段階だから、
必要な為、手放せないということなのです。
 
こちらは、スピリチュアル・エゴとして、
何度か記事を書いています。

 

 

地球さんを救わなきゃ!というのは、

救世主願望なんですよね。

救わなきゃいけないと感じているのは自分自身のことで、

地球さんや他の人ではないのです。

メサイアコンプレックスとwikiにはあります。

 

”メサイアというのは、

一般的な日本語ではメシア(救世主)と言われるもののことである。
この心理が形成されるのは、
自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、
その反動として自分は幸せであるという
強迫的な思いこみが発生するとされる。
さらにこの状況が深まると、
自分自身が人を助ける事で
自分は幸せだ(自分には価値がある)と思い込もうとする。

このような論理になるのは、
幸せな人は不幸な人を助けて当然という考えを自らに課す事で
「自分は幸せである、なぜなら人を助けるような立場にいるから」
と考えられるからである。
本来は人を援助するその源として、
まず自らが充足した状況になることが必要であるが、
この考えは原因と結果を逆転させている。

そうした動機による行動は自己満足であり、
相手に対して必ずしも良い印象を与えない。
また相手がその援助に対し色々と言うと不機嫌になる事もある。
しかもその結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、
異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまう事も特徴的である。” 

 

”本来は人を援助するその源として、

まず自らが充足した状況になることが必要であるが、”
とありますね。
 
まず自分が幸せであること、
その延長線上に自分と同じ様な誰かの幸せに繋がればいいな、
という形の奉仕が、
自他同一という意識をベースにしたもので、
他者への奉仕なのです。
他者の中に必ず自分が含まれているのね。
 
もし自分が幸せでないのに、
誰かを幸せにするとしたら、
この人の解釈では、
幸せでない人を幸せにするのは、
他の誰かであり、
自分が幸せになる為には、
他の誰かが必要である、
ということになりますよね。
奉仕を強要しています。
これは自己への奉仕ですよ、
共依存関係になって、
自分へ奉仕させる為に他者を支配し、
他者に奉仕する為に他者に支配される、
といった関係です。
(理解できますかねー)
 
これね、いいことをしていると、
自己陶酔している人に陥りがちな罠ですよね。
自己犠牲になったり、
不満が溜まったりしていたら、
それは自分が幸せだから行なうということから、
外れています。
 
「プリズム・オブ・リラ」には、オリオン星系の、
ポジティブとネガティブの戦いについて書かれています。
 
オリオンにおける陰と陽の
両陣営の違いは際立っていた。

ネガティブ指向の集団は、
自己中心主義に凝り固まっていた。

彼らの理念は、
「自己への奉仕は、『全体』の奉仕につながる」
というものだった。

しかし、彼らが見落としていた点は、
この理念を実践に移す方法論そのものが、
まさに「全体」を否定することになる
という事実だった。

彼らは他者を支配することを通じて、
自分たちの理念を実践しようとしたのである。

「プリズム・オブ・リラ」
(リサ・ロイヤル★キース・プリースト共著)より
 
というネガティブ指向の理念と、
 
一方、ポジティブ指向の集団は、
「他者への奉仕」に終始していた。

たとえ自己を犠牲にしても、
他者に仕えることが存続のための唯一の道だと
彼らは信じていた。

こうして、いわば「支配を欲する人々」と
「自己犠牲をまったく厭わない人々」
との両者の間で、とても興味深い力関係が
演じられた。

ポジティブ指向の集団は、
「全体」の維持のためには、
自己を捨て「全体」に仕える必要がある
と思いこんでいた。

しかし彼らは、自分自身の存在が、
「全体」を構成する重要かつ不可欠な部分であることは
否定していた。

「プリズム・オブ・リラ」
(リサ・ロイヤル★キース・プリースト共著)より
 
ポジティブ志向の理念があるのだけれども、
これは矛盾が生じていて、
全体と切り離された個人意識の状態になっています。
 
自己犠牲をしてしまうと、
他者への奉仕にはならないので、
崩壊してしまいます。
 

友であるみなさん、他者への奉仕が、
同時に自分自身への奉仕であることを
忘れてはなりません。

ここで私たちは、奉仕が、
自分自身への奉仕のようである
とは言っていないことに注意してください。

他者と自分自身の関係は類似でなく同一なのです。

そして、そこにあるのは
完全性と統合性にほかなりません。

つまり、あなたが群れの中の一頭の羊に対して
何か否定的な感じを抱いたとしますと、
あなたはそれを自分自身に対しても、
「創造主」に対しても感じているということです。

そしてそれは、あなたが他者への奉仕を通して
自分自身や「創造主」に奉仕しようとするとき、
あなたの奉仕に表われ、
あなたがなしうるはずであった
完璧な奉仕に汚点や傷を残すことになるのです。

どうか次の点を忘れないでください。

人は誰でも一人ひとりが完全に自由な存在です。
そして、その自主性はいかなる理由があっても
揺らいだり脅かされたりしてはならない一方で、
その本質はあなた自身の本質と
ひとつでありつづけるのです。

 

「ラー文書」一なるものの法則第一巻
(ドン・エルキンズ、カーラ・L・ルカート、
ジェームズ・マッカーティ著)より

 

「こんなに頑張っているのに、

どうしてみんな分かってくれないんだ!」

とか、

「みんなが目覚めればよい世界になるんだ!」

みたいな考えに固執してしまって、

他人を変えよう変えようとする、

悲劇のヒーロー、ヒロインに成りきった人も、

結構いますよね。

(これも投影で、鏡です)

 

こういう教祖様に感情移入して、

拡散して、もっと彼のことを理解して下さい!と、

訴えている信者さんもいますけれども、

救いようのない共依存カップルという感じがします。

お互いがお互いを必要としているのでしょうね。

足を引っ張り合っていますけれども、

それが居心地がいいのだと思います。

 
人それぞれ段階がありますし、
こういう人達の場合、
無理矢理ショックを与えて気付かせようとしたり、
引きはがそうとしたりすると、
精神が壊れてしまうんですよ。
本人が気付いて自分を客観視するしか、
解決策はありません。
 
 
私がブログ記事を書いているのは、
まず自分の為です。
パソコンに入力してある本の書き写しを、
何度も利用したいというのがあります。
よく、スマホに送ったり印刷したりしています。

 

次に、自分の学んだことを教える様にまとめることで、

更に理解が進むというのがあります。
 
「ビンカも、ペドゥリートもよく聞いて。
いいかい、宇宙の教育システムっていうのは
段階的につくられているんだよ。
ある段階にいるひとがその上の段階にあがれるように
手だすけできるのは、すぐ上の段階にいるひとたちだ。
つまり、下の段階にいるひとは、
すぐ上の段階にいるひとによってたすけられるんだよ。
まだ自分が低いレベルにいるにもかかわらず、
司令官のような高い次元の師や、
いやそれどころか神じしんを要求して、
自分よりは一段階、あるいはもっと上の段階にいるひとを
へいきでけいべつするひとが少なくない」

「そのとおりだよ、アミ。
でも、ビンカの言うことも正しいと思うよ。
だってそれほど高い段階にいない指導者っていうのは、
多くのことを知らなすぎると思うけどね」

「その指導者がかりにずっと上の段階のことは
わからなくても、ずっと下の水準にいるひとにとって、
それはどうでもいいことなんだ。
自分より少しでも上にいるひとの
教えてくれたことを
きちんと消化することができれば、
それでじゅうぶんなんだよ。
まだ足し算も引き算も知らない生徒にとって、
たとえその先生が高度な数学をよく知らなかったとしても、
そんなことまったく問題にならないだろう」

こんどはアミの言うことが、
ふたりともはっきり理解できた。
 
「もどってきたアミ」(エンリケ・バリオス著)より

 

”ある段階にいるひとがその上の段階にあがれるように
手だすけできるのは、すぐ上の段階にいるひとたちだ。
つまり、下の段階にいるひとは、
すぐ上の段階にいるひとによってたすけられるんだよ。”

とあります。

自分の学びが進むと、今度はそれを覚えたかどうか?

というテストとして、

他の人に教えるという形で復習する、

というのが霊的な学びの流れです。

 
なので、私は自己犠牲でこのブログ記事を書いているのではなくて、
自分の学びの過程で必要になったので、
書いているという状態です。
 
正直、一人も読んでくれる人がいなければ、
もうちょっとペースダウンして更新していると思います。
読んでいる人がいる!アクセスがある!というのが、
励みになっていて、
よし今日も勉強するぞ(ブログを書くぞ)という気持ちになります。
例えばドーリル先生レベルの人ばかりだとしたら、

私のブログ記事を読む人はいないと思います。

でも、そうではないので、
興味を持つ、何かしら必要とする人が現れる訳です。
私は教えたいので、
教わりたい人も引き寄せられるでしょう。
有難いなと思います。
 
V するとあなたがたは私たちの過ちに
気づいても、良い悪いの判断はしないのでしょうか。
 
 
そうです。わたしたちは見守っているのであって、
審判しているわけではありません。
 

V ではあなたがたの体験によれば、
私たちを援助してくれている文明の存在たちも、
より高次の気づきのピラミッドに向かい
意識を広げているのですね。
 

そうです。これこそピラミッドの法則です。

わたしたちはみずからの関心で
援助していますが、それはみなさんがわたしたちの
兄弟姉妹だからです。

愛ある自己本位(微笑んで)と言えばいいでしょうか。

あなたがたに貢献することでわたしたちは成長するのです。

一歩先を行く者としての気づきや功徳や思いやり、
そして愛をあなたがたへの援助のなかで
使えば使うほど、わたしたちはアセンションの上昇螺旋を
進むことになります。

つまり、あなたがたとわたしたち全員が
一緒に上昇できるというわけです。

なかには後ずさりしていく人もいますが、
それはそれでよいのです。

なぜならそうしたプロセスにも
自由意志がはたらいているからです。

それでどん底まで落ちてしまった人がいたとしても、
最終的には再び上昇することになります。

なにしろ、それに代わる方向はほかにないのですから
(たくさん笑いながら)。
 

「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より

 

”あなたがたに貢献することでわたしたちは成長するのです。
一歩先を行く者としての気づきや功徳や思いやり、
そして愛をあなたがたへの援助のなかで
使えば使うほど、わたしたちはアセンションの上昇螺旋を
進むことになります。
つまり、あなたがたとわたしたち全員が
一緒に上昇できるというわけです。”
とありますね。
これも同じことです。
 
 
私の場合は、子育てをしながら、
子どもたちに宇宙法則や真理を教えてきましたが、
それをブログで書いて、他の人にも伝えて下さい、
というガイドの指示で書いています。
で、教えるということがそのままあなたの学びになります、
ということなのね。
 

 

「別に俺は商売でやっているんじゃないから、

ここからパクったっていいだろう?

俺が1000人2000人に拡散してやれば、

お前だって嬉しいんだろ?」

という様に考える人もいるかもしれません。

 

でも申し訳ないんですが、全然嬉しくないです。

私は大勢の人に広めようとか思っていません。

必要のない人がこの情報を読んだところで、

春の新作アイスクリームが発売されたって!

くらいのノリでしか、

受け止められることはないでしょう。

大体、都合のよいところだけ拾って、

自己流に解釈して、

改悪して広められる方がずっと迷惑なんですよね。

だからこうやって”赤ペン”という形で、

訂正した記事を書いているのです。

(なかなか先に進められない)

 

それより、たった一人の人でも、

ここからヒントを得て、参考にして、実践し、

真剣に学び、霊的な成長を遂げる方が、

私的にも宇宙的にも、ものすごい貢献度が高くなるのです。

その他大勢が知ったところで、

”あなたがたは人生経験を通じてのみ、
知識を身につけるのだから。”

意味ないですよね、身に付かないのだから。
そこらの情報と変わらないですよ。
 

私は子どもたちに教えた様に、

分かりやすく書いていますから、

ここを読んで分かった気になる人は、

多いかもしれないですよね。

でも、経験してみないと、

身に付かないんですよ。

本当に理解したとは言えません。

ここに書いているのは、

私が経験したことからの理解であって、

あなたのものじゃないの。

あなた自身の理解を見つけて下さい。

 

 

ちなみに、プレアデス星系でも、シリウス星系でも、

支配者層に従うのをやめよう!
なんていうスローガンは掲げていません。
これは二元論なんだよね。
やめよう!とやれば、宇宙はコピー機だから、
”やめよう!”がコピーされ続ける、
つまり、やめよう!と言う状態が続くのです。
 
 

経験のプラスやマイナスを
いちいち測って
事実を語るドキュメンタリーのような
ストーリーを書くのではなく、
人生の素晴らしさについて
気分が高揚して楽しくなる魔力を持った
ストーリーを語りなさい。

そして、結果がどうなるかを観察してごらん。

直ちに人生が変化し始めるのがわかって、
まるで魔法のようだと感じるだろう。

だが、魔法ではない。

「宇宙の法則」の力が働くから、
そしてその「法則」に
あなたが意図的に同調したから、
人生は変化するのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

 

魔法とか魔術みたいな言葉が出ると、

思い出すのは「シリウス・コネクション」です。
昔入手困難で、とても高額だったので、
購入できなかったのだけれども、
数年前にとても安く売られていて購入することが出来ました。
 
少しこちらからご紹介しますね。
 
私は四〇年以上にわたって、
魔術的・神秘的な古代思想についての
研究を続けてきた。

その結果、一般に「オカルト」とか
「魔術」とか言われるものは、
最近の超心理学や理論物理学の
理論による説明が可能だ、との結論に辿り着いた。

我々が知る限りの銀河系においては、
すべてのエネルギーは
弱核力、強核力、電磁力、重力の
四つに分類できるが、
これに加えて第五のエネルギー
「調和させる力」の存在が考えられる。

この第五の力は「時間」である
というのが私の主張だ。

これらのうち弱核力と電磁力の二つは
無秩序なエネルギー、
強核力と重力は秩序のあるエネルギーだが、
時間はこの両方の性質を半分ずつ持っている、
と私は考える。

また、時間は量子レベルにおいて
他の四つと同様に基本粒子を持つが、
それ以上に形而上学的な意味があるように
思われる。

そして、その点が、地球上の最初期の文明や
さらにそれにも先立つ文明によって
認識されていたのは明らかなのだ。

歴史のふるいを通り抜けてきた
オカルト的・魔術的・宗教的なものの多くは、
宇宙の法則に関する科学的知識の集合体だ。

ところが近年、それらが
科学の主流から外されてしまった。
物理的側面が過度に重視されるようになったためだ。
 
有史以来、あるいはエジプト期、シュメール期、
バビロニア期に端を発すると思われるいわゆる
「オカルト」は、文字を持たない人々にも
容易に理解できるような形に符号化された古代の科学に
他ならない。

しかしそれらの多くは、幾世紀もの時間を経るうちに
迷信へと変質し、その真の意味は
すっかり忘れられてしまったようだ。

「シリウス・コネクション」(マリー・ホープ著)より
 
繰り返しになるが、魔術とは、
進歩した科学についての、
それを操作する機械や技術を持たなかった人々に
伝わる民族的記憶だと、私は考えている。
 
もう少し時代が下ると同じものが
「超自然」と呼ばれるようになる。

例えば今、地球規模の大災害が起こり、
医学や科学・工業技術が完全に駄目になったとしよう。
 
数世代後の人々の目には
コンピュータ、レーザー光線、
ジェット機などといったものは
魔術と映るのではないだろうか。

悪魔のわざだと恐れる人もいるかもしれない。

「シリウス・コネクション」(マリー・ホープ著)より

 

今日、物理学者たちが
微粒子や量子の研究を通して
ようやくその謎を解く
糸口をつかんだばかりの神秘的な次元、
それを一手に引き受けていたのが魔術だった。

今日、「科学」の妥当性・有用性を認めない、
という人はまずいないだろう。

科学の内容を理解していなくても、
またその宗教信条のために科学への積極的関与を
潔しとしない人であっても、
とにかく「科学」を認めている。

しかし「魔術」となると、
途端に胡散臭いものを見る目付きに変わる。

「シリウス・コネクション」(マリー・ホープ著)より

 

魔術的・錬金術的儀式の究極の目標は
精神的変成だ。

それは「物質的実存」
と呼ばれる周波数内に肉体となった
我々人間の霊魂が、
本来持っているメンタルな力を
十分に実現するところに生み出される。

この実現が達成できれば、
宇宙への扉は開かれ、そこから我々は
尽きることのない叡智への探求、
宇宙の創造主の子供たちとの
啓蒙と愛の共存へと入って行ける。

しかし、万が一この探求の背後にある意図が
不純なものであれば、我々は
みずからのエゴの罠におち、
幻覚の迷路に迷い込むことになるだろう。

「シリウス・コネクション」(マリー・ホープ著)より

 

 

探求の背後にある意図が不純なものなのか、どうか、

というのが大事なので、エゴの克服が必要になると、

ここでも書かれています。

 

人々のためにならない知識に、
なんの意味があるというのか!

社会の役に立たない知恵に、
惑星の進化に貢献しない叡智に、
なんの存在価値があるというのか!

自分の得たものを他者と分かち合うことができれば、
再び新しいものが入ってくる。

カラッポの空間には再びものが満たされていくものだ。

それが宇宙の掟だ。

 

「22を超えてゆけ」(辻麻里子著)より

 

難解なものを、人を見下したい、

他の人に理解出来ないから特別に感じるという風に、

自尊心を満たしている様な人達も多いですが、

何の為の知識なのか?と疑問に感じます。

 

私はずっと噛み砕いて子どもや、

場合によっては子どもの友達、

その親、学校の先生に伝えてきました。

まず自分が理解する、

その為に実践する、

それから誰にでも分かるような言葉に置き換える、

こうやって螺旋階段を昇る様に、

少しずつ積み重ねていくことで、

自分の身に付くようになります。

文章を読んで分かって気になっても、

意味がないのです。

 

 

ときどき人はこんな心配をする。

自分は長い間、
望まないストーリーを語ってきた。

もう人生の時間があまり残されていないから、
お金の不足にピントを合わせていた
年月の取り返しはつかないのではないかと。

だが、心配はいらない。

確かに昔にさかのぼって
ネガティブな思考を取り消すことはできないが、
たとえできたとしても、
そんなことをする必要はない。

あなたのパワーはすべて「今」にあるのだから。

今すぐに明るくていい気分になる思考を見つければ、
引き寄せの作用点も─たった今!─変化する。

何年も前に抱き始めたネガティブな思考が
今も人生に影響しているように見えるのは、
そのネガティブな思考や信念を
ずっと引きずっているからだ。

信念とは抱き続けている思考にすぎない。

信念はただの慢性的な思考パターンで、
あなたには─少し努力すれば─
新しいパターンに変えて、
新しいストーリーを語り、
異なる波動を達成し、
引き寄せの作用点を変化させる能力がある。

持ち歩いている100ドルで
一日にどれほどたくさんの物が買えるかに
気づくだけで、
金銭的な引き寄せの作用点は
劇的に変化する。

この簡単なプロセスで「波動のはかり」の
バランスを変化させ、
お金を引き寄せる具体的な成果を
上げられるはずだ。

頭のなかでお金を使ってみて、
もっといいライフスタイルを想像する。

いくらでもお金が使えたら
どんな気分だろうと想像し、
そこからわき起こる自由な気分を
意図的に味わってみること。

「引き寄せの法則」は、
今生きている現実ではなく
あなたの波動に働く。

だが今生きている現実に
合った波動を出し続けていたら、
何も変わりはしない。

自分が望むライフスタイルを
ビジュアライゼーションして、
ホッとした感情を得られるまで
そのイメージに関心を向け続けていれば、
引き寄せの波動ポイントは簡単に変化する。

このホッとした感情こそが、
波動の変化が本当に起こったしるしなのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

 

自分の感情をよく観察する様にして、

嫌な気分の時は、

私の場合は胸の辺りがもやもやする、

重苦しいという感じがしています。

その事について様々な角度から考えてみて、

別の見方を探す時に、

これだ!と思える様なピタッとくるものを探します。

これだ!という時には、胸の辺りがホッと軽くなります。

この違いをよく観察する様にすると、

感じ方で自分の思考の方向が分かるし、

嫌な感じで居続けるのに耐えられなくなってきます。

これは嫌な感じがする考えだ!

やめよう、もっと別の捉え方はないかな?というのが、

習慣になります。

私はよく、「あーこれはやめた、違う、違う!別のにしよう」

と呟いていて、思考を選択し直しています。

 

嫌な気分になるのも、ネガティブなことを考えるのも、

別にいいんですよ。

それを続けない、考え続けない、関心を向け続けない、

というのが大事です。

 
過去に行なったことは変えられないけれども、
今、それに対して捉え方を変えれば、
ひっくり返っていきますよというのは、
他の教えにも沢山あります。
 
今に過去と未来が含まれているからです。
 

因果法則に関する非常にすばらしいことは
”人(エゴ)は過去に積んだ原因の結果に遭遇して、
過去を否定し、自己の現在と未来とのすべてを
神聖法則と調和する様にできる、
偉大な能力を持っている”ということである。

 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より

 

というのが原因と結果の法則の教えです。
エイブラハムたちが伝える引き寄せの法則も、
同じことが説明されています。
バシャールは違うんですかね?今しかないと言いますよね。
過去はチャラ!と教えているのでしょうか?
私は詳しくは分かりませんし、興味もないので、
調べるつもりはありませんが、
チャラにする必要もないですよ、
というのが私が学んできた教えです。
 
それに、未来の出来事といっても、
すべてが決定しているわけではなく、
ある時点で未来が変更されることも
実際にはあった。

マヤがしくじれば、
未来の自分の存在すら危うくなってしまう。

役員待遇から転落しないためにも、
ジーはガイドという役割を買ってでて、
親切丁寧に教えてくれるのかもしれない。

そればかりか、
過去が変わることもある。

もちろん、
物理的な出来事が変更されることは少ないが、
その出来事に対する感情部分は、
後からでもじゅうぶん修正が可能なのである。

記憶が好きなように再構築されるというよりは、
過去に超えられなかった感情パターンを、
現在においてクリアすると、
過去にあった同じパターンのものが、
いっせいに裏返るのである。
 
「22を超えてゆけ」(辻麻里子著)より
 

今、必要だから目の前に起きてきたので、
それに対して捉え方、考え方を変えて行けば、
悪因も善因にしていくことが出来ますよ、
取り返しがつかないことはないですよ、
ということになります。
なので、過去をなかったことにしたり、
パラレルワールド云々、世界線云々と言って、
過去の出来事を変えようという発想そのものがありません。
逆に、そういう解釈は現実逃避に誘導する悪意を感じますね。
 
 

「ハトホルの書」には、下記のような説明があります。

 

いま地球に日常的に起きている状況と、
それによって生み出されてくる感情は、
実際には
アセンションとエネルギーの自己統御につながる、
より高次の意識へのイニシエーション的な段階に
ほかなりません。

古代エジプトの神殿において
高次の意識の獲得を目指した
秘儀参入者たちは、段階を踏むごとに、
さらなる精進を求められるイニシエーションを
通過していきました。

しかし今日では、あなたの日常生活こそが
イニシエーションのプロセスなのです。

あなたはイニシエーションを受けるために
どこへ赴く必要もありません。

なぜなら、あなたがどこにいようとも、
この世に生きることで
イニシエーションを授かっているからです。

「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より

 

これは銀河ネットワークさんの下記の記事の部分と同じですよね。

 

日常生活の自身に起こる出来事・感情・視界
に現れるすべての事象が自身の鏡であり
教本・テキストになっています。

ですから個々の魂の経験値や意識レベルによって
カリキュラムは全て異なっています。

(他に頼るのでは無く、自らが自らに対して
問題が提供されていて、自らが自ら自身で
回答を行うというマンツーマン手法です。)

 
特別な情報がなくても、
日々、自分と真摯に向き合って、
生活する中で学べるものは沢山あります。
全ての人、出来事は鏡で先生なのです。
 
わざわざインナーチャイルドを癒そうみたいな、
ヒーリングといったことをしなくても、
お金を払って受けなくても、
今にいつも含まれていますから、
今出来る事をすれば、いつの間にか癒されるのです。
今現在を肯定することで、
今に繋がった過去も肯定することが出来ますよね。
 
 
ある引き寄せカウンセラーは、
言葉の遣い方について説明していて、
いい気分になる言葉といい気分にならない言葉があって、
人を嫌な気分にさせない為に言葉を選ぼうということなんだけど、
嫌な気分になるか、ならないかはその人の問題ですよね。

こういうところで、他者をコントロールしようという意識が、

見えてくるのだけれども、
自分の言葉の遣い方で相手の気持ちをコントロールしているから、
誰かの言葉の遣い方も気になって、
自分の気持ちが左右されてしまうということなのよね。
なのにも関わらず、「思考=現実」と言って商売をしている。
 
あなたの思考がいい気分にならない言葉を遣う人を、
登場させていて、
誰かの言葉にいい気分にならないのは、
自分自身がいい気分にならない解釈を選択している、
ということをすっ飛ばしているのね。
 
自分が売りにしている「思考=現実」を完全に無視して、
矛盾した主張を繰り返してしまうのは、
全く理解していなくて、身に付いていないからだよね。
このカウンセラーはメールセッションをしているので、
遠回しに、「私へ相談する時には言葉遣いに気を付けてよね!」
と伝えていて、自分の思う通りに、
お客さんを誘導しています。
マインドコントロールに掛けている悪質なパターンです。
 
自分が発信する内容は、どういうことを言っているのだろうか?
相手はどういうことを言っているのだろうか?
というのを、両極から眺めてみて、
整合性が取れるかな?とか、矛盾していないかな?と、
確認してみましょう。
こういう作業も、統合意識の構築に必要になります。
 
この時、相手はどう感じているのかな?
何を考えているのかな?というのは無駄な作業です。
というのも、それは本人にしか分からないことなので、
自分自身の投影になってしまいます。
あくまでも自分を主軸に置いて、
私はこう感じる、こう考えるというのを、
観察しましょう。

 

自他の境界線を引くということなんだけど、

これも救世主願望から脱する為には、

必要になってきますよ。