「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして、

引き寄せの法則についてまとめてきました。

次のステップとして、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。

 

転換と肯定的な側面の本(エイブラハム) 

お金の引き寄せと豊かさの実現(エイブラハム) 

波動をバランスさせる(エイブラハム) 

 

という記事の続きです。

 

人々が感じている空虚感は
物では埋められないし、
行動で満たすこともできない。

人々が、欠けている、空虚だと感じるのは、
自分の願望の波動と
習慣的な思考の波動がずれているためだ。

いい気分になる思考を選択すること、
違うストーリーを語ること、
肯定的な側面を探すこと、
本当の願望に「転換」すること、
ポジティブな「もしも」を探すこと
─これが隙間を満たす方法だ。

すると実に興味深いことが起こる。

欲しいものがどんどん経験に流れ込んでくる。

なぜなら空虚感なんかもうないのだから。

空虚感がないからこそ、
物はどんどん流れ込んでくる。

確かにあなたがたは素晴らしい物を集めるだろう。

望むこと、所有すること、
行動することをやめなさいというのは、
わたしたちのメッセージではない。

あなたが気分よく感じるところから望み、
集め、行動しなさい。

それがわたしたちのメッセージだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”いい気分になる思考を選択すること、
違うストーリーを語ること、
肯定的な側面を探すこと、
本当の願望に「転換」すること、
ポジティブな「もしも」を探すこと
─これが隙間を満たす方法だ。”

ということで、

肯定的な側面を探したり、

少しずつ転換したりといった方法が紹介されています。

 

ジェリー エイブラハム、
お金で幸福は買えないという言葉がありますね。

でも貧しいから幸せだ、ということもない。

それでも、お金が幸福への道ではないことは
確かです。

そこで、何かを達成すると思うことが
幸福をもたらしてくれるのだとしたら、
「達成」こそが適切な目標だ、
ということでしょうか?

また、目標に達するには
多くの時間とエネルギーが必要だとしたら、
どうやって
幸せな気持ちを持続させればいいのでしょう?

目標に到達するのはすごく大変で、
到達したら少しは休めるけれど、
またすぐに次の目標に向かって
登り出さなければならない、
ってことが多いように思うのですが。

どうすれば楽しく目標に向かって
行くことができるでしょうか?

一生懸命に苦労して、苦労して、苦労して、
やっと「ほら、やったぞ!」と思っても、
また苦労、苦労、苦労が続いて、
「またか」ってことにならないようにするには、
どうすればいいですか?

エイブラハム そう、あなたの言うとおりだ!

お金は幸福への道ではないし、
もちろん貧困も幸福への道ではない。

幸福を達成するという目的で行動するのは
実は逆効果だ、
ということを思い出すことがとても大切だ。

そうではなくて、
明るくていい気分になるほうへと
思考と言葉を向けなさい。

そうやって
意図的に幸福な状態を作り出せば、
素晴らしい行動の
インスピレーションがわくだけでなく、
素晴らしい結果がついてくる。

多くの人たちはたった今の経験に
ほとんどの関心を向けている。

つまり、
結果が楽しければ明るくていい気分になるが、
結果が楽しくなければ嫌な気分になる。

だが、そういう生き方はとても大変だ。

今あることを見る能力しかないとしたら、
物事はよくはならない。

もっといい経験をしようと思うなら、
楽観的に将来を見る方法を
探さなくてはいけない。

明るくていい気分になることへ
思考を向ける方法を身につければ、
まだ目標に到達していなくても、
幸福を発見して維持するのは
少しも難しくない。

あなたがさっき言ったような大変だ、
苦しいという思いは、
今いるところと
到達しようとしている目標を
いつも比べるから起こる。

目標までの距離を測っては、
まだ遠いなあと思っていたのでは、
踏破すべき距離も仕事も努力も
増幅される。

だから大変な上り坂だと感じる。

どう感じているかを大切にして、
それをベースに思考を選択すれば、
前向きな思考パターンが出来上がる。

そうすれば、
その明るくて気分のいい思考に、
「引き寄せの法則」が働いて、
もっと楽しい結果が得られる。

苦労だ、苦労だ、苦労だと感じていたのでは、
決してハッピーエンドにはたどり着かない。

それは「法則」に反する。

「もっと状況がよくなれば幸せになれる」
というのは、
生産的な考え方ではない。

なぜなら、幸せでなければ
幸せな場所に到達できないのだから。

まず幸せになろうと決める
─そうすれば幸せな場所に到達できるのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”もっと状況がよくなれば幸せになれる”のではなくて、

”まず幸せになろう”と決めれば、

”幸せな場所に到達できる”、ということです。

 

これは

 

そこで、あなたがたの宇宙と世界の
シンプルな前提条件から始めよう。

「あなたが考えていることが現実になる」

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
と言う箇所をご紹介していますが、

 

(一)意識想念の法則

現在意識的な想念がなければ何も創造されない。

すべてのものは、宇宙心か宇宙心の単位である
人の心かの意識的想念によって顕現されているのである。

凡ての主観的創造は、意識単位(人)か全体心(宇宙)かの
いずれかの思考の結果なのである。
 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より

 

創造は思考の結果だからですね。
 
”どう感じているかを大切にして、
それをベースに思考を選択すれば、
前向きな思考パターンが出来上がる。”
ということをエイブラハム達は繰り返し伝えています。
自分の感情を観察して、
いい気分になる様な考え方を探します。
 
あなたがたは集めたり反芻したりするために
この世界に生まれたのではない。

そうではなくて、「創造者」として生まれた。

遠く目的地を見るとき、
あなたがたは今いるところと
到達すべき場所の
距離を思って焦燥感を拡大させる。

こういう思考習慣では
創造の進度が遅くなるばかりか、
永遠に目的地に到達できないだろう。

あなたは自分の経験を
自分で引き寄せる。

肯定的な側面を探し、
明るくていい気分になることを
考える努力をすれば、
ポジティブな引き寄せができて、
望みはもっと早く実現する。

芸術作品を生み出す彫刻家は、
完成した作品に
最大の満足を見いだすわけではない。

彫刻家の喜びは
創造のプロセス(作品を彫刻すること)
にある。

物質世界における
あなたがたの創造の経験も同じで、
次々に何かになっていくことが
楽しいのだ。

明るくていい気分になることに関心を向け、
常に楽しい存在状態を実現していれば、
望むことがどんどん引き寄せられる。

人はときどき、
幸せなことが実現する前に
幸せな気分にならなければならないなんて
不公平じゃないか、と不満を言う。

その人たちは、
不幸なときには幸せなことが起こる
「必要がある」と考え、
既に幸せなら幸せな出来事は
不必要だと思う。

だが、それは「引き寄せの法則」に反する。

欲することが「細部まで」
実現するより前に、
まず欲することの「エッセンス」を
感じる方法を探さなくてはいけない。

言い換えれば、
豊かさが実現する前に
豊かだと感じる必要があるのだ。

人はよく、
もっとお金が欲しい、と言う。

そして、お金に関する
思考のバランスはどうかと尋ねると、
お金について
とてもポジティブな態度をとっていると答える。

だが、請求書の支払いをするときには
どんな気分かとさらに詳しく聞くと、
たいていは
お金についてポジティブな姿勢をとっているつもりでも、
実はとてもお金のことが心配で
恐怖すら感じていると気づく。

言い換えれば、大半の人は
自分でも気づかずに、
豊かだという側面ではなくて、
お金が足りないという側面ばかりを考えている。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
”豊かさが実現する前に
豊かだと感じる必要があるのだ。”
とありますが、
これがとても難しいなと感じる部分です。
また、
”実はとてもお金のことが心配で
恐怖すら感じていると気づく。”
という状態なのは、よくあります。
 
これはお金に限らず、
嫌な人に会ったり、苦手なことをしなくてはいけない時に、
いくらその前にいい気分でいたとしても、
あっと言う間に、嫌な気分になる、
ということが起こります。
この嫌な気分をそのままにしないで、
ひっくり返し続けましょう、
というのが、引き寄せの法則の上手な活用法です。
 

”いい気分になる思考を選択すること、
違うストーリーを語ること、
肯定的な側面を探すこと、
本当の願望に「転換」すること、
ポジティブな「もしも」を探すこと
─これが隙間を満たす方法だ。”

という箇所にある様に、
肯定的な側面や、
ましな気分になる様な考え方を探して、
少しずつ転換したり、
こうだったらいいなという望みについて考えたり、
という工夫が必要になります。
 
”こういう思考習慣では
創造の進度が遅くなるばかりか、
永遠に目的地に到達できないだろう。”
という箇所の思考習慣というのが、
ポイントになりますよね。
 
普段から自分に対して、
否定的に捉える様な癖があると、
何かあった時に、やっぱりダメじゃない!
という風に責めてしまいがちです。
また、ダメだった時にがっかりしたくなくて、
期待しないで悪いことを先に想像しておく、
というのもやってしまいます。
 
これは、結局、
ネガティブな創造をしている、
というのが分かると思います。
その仕組みが分かれば、
ついやってしまっても、
やめよう!と思えるのではないでしょうか。
 
 

引き寄せの法則は、

似たものを引き寄せる法則であって、

思考をコントロールする術ではないです。

 

引き寄せの法則を上手に活用するために

思考をコントロールする必要があるよ!

ということになりますが、

これは引き寄せの法則に限ったことではありません。

 
霊的に生きるということが、
思考、感情、意識をコントロールする、
ということなのです。
 
これについては法則や真理を学ぶ理由という記事を書きましたが、

理性的になること、識別力をつけること、

エゴ、傲慢さを克服することが大事になってきます。

その他にも繰り返し、

自分の内側を投影しているという鏡の法則の理解、
原因と結果の法則などの宇宙法則を知る事、
についてもご紹介しました。
 
求道にはげむ人々にとっての最良の利器は、
理性の力の発達である。

理性の発達がなければ、
我々が大師を発見しようと望むべくもない。

多くの宗教教師は、理性は信仰によって
克服されるべきであると主張するが、
それは、論理的に全く矛盾する。

人間が真実と虚偽とを見分けることの出来る
唯一の力が理性の働きなのである。

もし、我々がこの理性能力を除外すると、
我々は識別判断能力を失ない、
何を信ずべきかも決めることが出来ないのである。

我々の肉体の心は、
理性の優越性を欠くと感情的となり、
心が動揺ばかり続けていて、
物ごとの本質を明確に見ることが出来なくなる。

だから信仰信念だけでは
絶対に神を見出すことは出来ないのである。

我々の身近の自然現象を見ても、
そこには完全な調和と法則とが働いていることがわかる。

四季はその順序に従って変化する。

植物が芽ばえ、花開き、しぼみ、種子を地に落す。

こんどはその種子があくる年に新しい生命として
芽ばえるというわけである。

植物は向日性をもっていて、
いつも太陽光線を最大限に吸収する様になっている。

ちょっと気をつけてみると、至るところに
正確性と理性の力とが働いていることに気付くのである。

それなのに我々は、神は理性にもとずかず、
神の盲目の信で森羅万象を創造したのだと教えられている。

我々人間が自己の理性を使うまいとすれば、
それは自分自身を神から遠ざけ離すことになるのである。

我々が何ごとをなすにも、例えば田を耕し、
家を建てる様な場合を考えてみても、
こうすればこうなるという風に
理性を使ってやっているのである。

自己の理性能力によって、農夫は、いつ種をまき、
いつ取り入れをするかを知るのである。

この理性の力は、教育により、
経験・観察によって伸びるものであるにも拘らず、
我々が神を理解する場合には、
理性を使わず、目を閉じたまま、
盲人の様に道を歩くのである。
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
 
”理性の優越性を欠くと感情的となり、
心が動揺ばかり続けていて、
物ごとの本質を明確に見ることが出来なくなる。”
とあります。
自分をコントロール出来ない状態というのは、
心が動揺して物ごとの本質を見ることが出来なくなります。
 

あなたは素晴らしい存在だ。
もう他人にコントロールされる赤ん坊ではない。

物質世界の環境に適応し、
今─この本を読みながら─
自分という存在のパワーをフルに認識している。

もう荒れ狂う海に浮かぶコルクのように
「引き寄せの法則」に翻弄されることはない。

ついに自分の運命をコントロールする方法を
思い出した。

初期設定どおりの反応で
今の人生をそのまま受け入れるのではなく、
強力な「引き寄せの法則」を活用して
人生を意図的に導く力を取り戻そうとしている。

それにはこれまでとは違うストーリーを
自分に語らなければならない。

今まであった人生、今ある人生の
ストーリーを語るのはやめて、
自分が望む人生のストーリーを
語り始めなければならないのだ。

意図的に生きるには、
意図的に考えなくてはいけない。

そのためには
思考の正しい方向を決める基準点が必要だ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”心が動揺ばかり続けていて”
という箇所と、
”もう荒れ狂う海に浮かぶコルクのように”
という箇所は、
私自身が経験して悩まされてきたからこそ、
その通りだなと納得できる表現です。
 
ドーリル先生は、
”この理性の力は、教育により、
経験・観察によって伸びる”

エイブラハムたちは、

”意図的に生きるには、
意図的に考えなくてはいけない。
そのためには
思考の正しい方向を決める基準点が必要だ。”
と伝えていますね。

 

「自分の感情を支配している人は、
自己の理性の力をより充分に使うことが出来る。

人間は自らの理性を充分に働かすことによって、
自分達の人生そのものは、”理性の力によって
被造物を創造した神”そのものを指向しているのだ
ということを悟るであろう。

また、もし、神が感情的に右往左往動揺ばかりしていたとしたら、
神の指示とか法則とかいったものが
いつも変更ばかりしているわけだから、
この宇宙には
一定不変のものは何も出来なかったであろうということも
分ってくるであろう。

感情支配の出来る人はまた、
神は法則によって働いているのであり、
その法則が人間を束縛しているのと同様に
神自身をも規制しているのだということが
納得できる様になるだろう。

そしてまた、神自身も法則に従うのでないと、
法則に基礎をおいて存在している
凡ての創造物が分解消滅してしまい、
混沌たる原始的暗黒のみが全宇宙を
支配する様になるであろうということも、
直ちに理解できる様になるのである」

「秘教真義」(M・ドーリル博士著) より
 
”理性の力によって被造物を創造した神”
とあります。
 
”もし、神が感情的に右往左往動揺ばかりしていたとしたら、
神の指示とか法則とかいったものが
いつも変更ばかりしているわけだから、
この宇宙には
一定不変のものは何も出来なかった”
ということが、理解出来るでしょうか?
 
もし、法則が普遍的なものでないのなら、
”法則に基礎をおいて存在している
凡ての創造物が分解消滅してしまい、
混沌たる原始的暗黒のみが全宇宙を
支配する様になるであろう”
ということも理解出来るでしょうか?
 
法則があるから、自分をコントロールして、
それを上手に利用すればいいのです。

 

ルールなんてないよ!
なんでも自由だよ!
他人は自分で創造しているよ!
全て幻想だよ!
どこまでが真実でしょうか?
 
事実を捻じ曲げないように、
法則を無視して変えようとしないこと、
制限があるのではなくて、
法則があるから自由なのです。

 

霊的な学びを進めていくと、
自分という存在は、他者と同一で、
自分だけでなく自分以外の存在も幸せになれる様な選択が、
自分を一番幸せにしてくれるのだ、
ということが理解出来るようになります。
 
エイブラハムたちは決して、
他の人を蹴落として、
あなただけが幸せになりなさい、
とは言っていないのだけれども、
エイブラハムたちが伝える教えというのは、

どちらかというと、

個人的な生活、物質的な次元での、
より良く生きる為のヒントが中心だから、
個人意識に留まりやすいよね。
 

霊的な学びを続けると、

個人意識から地球意識、宇宙意識と、

視野が拡がっていきます。

 
まずは自分自身のコントロールを身に付けて、
目の前の現実をコントロールする、
ということを一人一人が実践する必要があります。
それから段々、自分が創造しているという範囲が、
拡がっていくと思います。
勿論、創造主の様に全てをコントロールする、
ということではないです。
 
「ECTON─エクトンが描く意識の地図」(リチャード・ラビン著)から、
下記の様な説明をご紹介しましたが、

 

あなたの真実は、あなたのものです。

自分自身が自分の創造者だということを
理解し始めたとき、
あなたは孤独を感じます。

私がこの現実全体を創り出しているですって?

私が見るもの、
出逢う人すべて私の一部ですって?

エチオピアで飢餓に苦しんでいる
子供たちも私の一部?

どこかの大統領も私の一部、
このテーブルも私なのだろうか……と。

たぶん、そうです。

どの範囲まで皆さんは、
自分の創造性を
受け入れる気持ちがあるでしょう?

 

”私が見るもの、
出逢う人すべて私の一部”

という箇所については、

エイブラハムたちも伝えていることがあるので、

また別の記事でご紹介しますね。

 

自分が創造していることについての理解は、

投影や鏡といったことの理解や、

銀河系公認の錬金術だとか、
上の如く下も然りといった錬金術の極意にも繋がります。
 
エイブラハム達が伝えているのは、
いい気分でいることですね。
 
言い換えれば、大事なのは
あなたがどう感じるかで、
どう感じるかは
「本当の自分」と調和しているかどうかで決まる。

まず「本当の自分」と調和すれば、
あなたがたが集めるものも
行動もすべて、
いい気分という存在状態を強化するほうに働く。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

実践して身に付けていくことで、

当たり前の様に行える状態になって、

目の前の現実を思考をコントロールすることで、

ネガティブな出来事もポジティブに転換していく、

というのは、

自分自身の幸せにも繋がると同時に、

ライトワークにもなります。

 

下記は何度もお伝えしていますが、

これを光合成に例えている方もいらっしゃいましたが、
植物が二酸化炭素を取り入れて酸素を出すイメージで、
人間も闇を取り入れて自分の中で変換して、
光にして返すということを繰り返すのです。
 
下記はある方のブログ記事です。
 
約3000億年という宇宙の始まりから、
その後に生まれた私たち生命体の旅は、
果てしなく永い旅路ではあります。
宇宙の進化の道程における、
私たち生命体の、究極の役割と云えば、
“闇を光に変換すること”です。
 
ですから、人はなぜ、生きているのか、
人は何のために生きているのか、
といった問いに対する究極の答えは、
“闇を光に変換すること”です。

このことは、過去・現在・未来のどの時間軸、
空間軸を選ばず、すべての時空において、私たち生命体の仕事です。

私たち生命体は、そのようにして、
宇宙の進化の旅を続けてきましたし、
これからも、何ら変わることはありません。
 
地球のこの時期には、アセンション計画を手伝うために、
多くのワンダラーやライトワーカーたちが、
お手伝いに来ていることが知られています。

彼らは、3次元物質界の
輪廻転生システムの呪縛に嵌まってしまい、
メビウスの輪から逃れられなくなってしまっている
多くの魂たちを目覚めさせ、
さらには、ライトワーカーとしても覚醒させようと、
昼夜、暗躍しています。
 
このライトワークというものの在り方について、
どのようなイメージとして捉えることが出来るでしょうか。

そのヒントは、自然界の植物種にあります。
植物種の多くは、光合成という働きをすることが知られています。
 
植物種の行なう光合成は、大気中の二酸化炭素を吸って、
私たちが生きるのに必要な
炭水化物や酸素を放出しているわけですが、
このことがまさに、ライトワークそのものです。

これを、私たち生命体に置き換えるのであれば、
ネガティヴ想念を吸って、
光の想念を放出するということになるからです。
 
植物種はこのことを、何の躊躇もなく、
愚痴をこぼすこともなく、ただ坦々とこなして生きています。

ですから、私たちのライトワークは、
これら植物種の姿をお手本にすることが出来ます。

義務感や、嫌々ながら仕方無く行なうのではなく、
息をする、呼吸をするかのように自然に、
雑念がなく、何気なく行なうことが、
ライトワークにおける相応しい在り方だと云えるでしょう。
 
「宇宙の羅針盤・下」(辻麻里子著)では下記の様な説明があります。
 
「そして、最後のパターンは
光の世界だけにフォーカスして
闇を認めず、
ゼロポイントを見失ってしまうことだ。

光の世界だけを見ようとするのではなく、
光と闇を掌握してゼロポイントを保つこと。

これはとても重要だ。

しかし、
ゼロにとどまり続けるのではなく、
再び旅立ち、
またゼロポイントに戻ってくることが大切なのだ。

自分のなかにも
闇があることを認めないかぎり、
宇宙の創造に加わることはできない。

誰でもない、
自分自身で在り続けるために、
人は光と闇を統合し続ける。

光だけの世界というのもまた、
詭弁であることを憶えておきなさい」
 

光と闇の統合、ということでもあります。

エイブラハム達が伝えている内容というのは、

続けているうちに意識が上昇していくもののはずなのですが、

どうしても物質主従に解釈したい人たちや、

意識の上昇を阻みたい人たちがいるので、

どうやったら願いを叶えられるのか?とか、

自分の思う通りに周囲の人を動かそう!とか、

嫌な事を消し去る方法!

みたいな解釈が広まっているのかもしれません。

 

どの瞬間もどんなことに関しても、
あなたはポジティブな側にも
ネガティブな側にも
焦点を定めることができる。

宇宙のすべての粒子には、
─時の果てまでのすべての瞬間には─
「望んでいる」と
「望みが満たされていない」
という両面があって、
波動しつつあなたが選択するのを
待っている。

あなたはいつもこの二つの選択肢を前にして、
すべてについて
望む状態に焦点を定めるか、それとも
望みが満たされていない状態に焦点を定めるかを選ぶ。

なぜなら、
すべての物事は実は二つの事柄から
成り立っているからだ。

あなたが「望むこと」、
そして「望みが満たされていないこと」
の二つである。

自分が今どちらかに焦点を定めているかは、
自分の感じ方で見分けることが出来る。

そして、その選択はいつでも変えられる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”すべての物事は実は二つの事柄がある”、

というのは積極消極の法則のことになります。

 

(四)積極消極の法則

積極・消極(プラスマイナス)の二極がないと
何物も存在することは出来ない。

あらゆるものに二極があることが創造構成の基本法則である。

 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著) より

 
何度もご紹介している、
「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」では、
ゼロポイントについて、下記の有名なコップの例えがあります。
 
たとえば、コップのなかに2分の1、 水が入っているとする。
半分残っているという捉え方と、
半分なくなったという捉え方がある。 
 
加算的な考え、減算的な考え、
この双方のベクトルを統合して、
2分の1「在る」という視点を持つことが
ゼロポイント的な発想の真髄でもある。
プラス思考でもマイナス思考でもなく、
なにも足さず、なにも引かず、
ただ「在る」姿を淡々と捉えること。
 
それが、ゼロポイントの意識状態に
到達することなのだ。
 
この両方あるということを理解するのが、
統合意識領域に到達した状態です。
転換する、肯定的な側面を探す、
ということを繰り返すうちに、
統合意識領域に到達できることも期待できますよね。
(通常なら…)
引き寄せ界隈の人たちは、この両方ある、
ということが理解出来ません。
 
簡単に言うと、
ワクワクすることとワクワクしないことを比べて、
ワクワクすることをしよう!とやるのです。
そうではなくて、
一つのものごとには、
ワクワクする面とワクワクしない面、
両方あるんだよ!ということなのよね。
 
ネガティブな出来事があって、
ポジティブな出来事もある。
このバランスが大事!ということではなくて、
一つのものごとに、ネガティブな側面とポジティブな側面が、
いつも同時に存在しているんですよ、
ということです。
そしてポジティブな側面に思考をフォーカスしていこうね!
というのが、
引き寄せの法則を上手に活用する方法、術です。
 
「聖書の真義」(M・ドーリル博士著)の”マタイ伝 第七章”には、
下記の様な教えがあります。
 
第二十四節から第二十七節までの
建物とその基礎についての譬は、
イエスの父ヨセフの大工業の影響が
イエスの考え方に影響しているのである。

大工の息子であったイエスは、
家を建てるということを、
人間の品性品格をつくりあげることの
シンボルとして見ることが出来たのである。

人の宗教や信仰は、何ものに対しても
絶対不動の基礎の上にたてられなければ
ならないのである。

唯一不動の基礎とは、真理そのものである。

もし、人間という家が、真理という基礎の上に
たてられれば、疑惑という嵐や、不信心という攻撃にあっても
微動だにしないのである。

イエスの言う岩の土台とは、イエスが教えた
神秘的教義の真理のことである。

もし、人間が自分の家(人生)を建てるのに
与えられた真理という土台を持っていながら、
それを避けて、横の方へ行って偽りの教えという
似非真理の砂上に自分の人生という家を建てれば、
人生におけるいろんな嵐が吹きつけて、
基礎の砂を洗い流し、家をも崩壊さしてしまうであろう。

そうすれば、その人はもはや身を守る場所が
なくなってしまうであろう。

 

基本が大事で、その上に確実に積み上げていかないと、

結局”基礎の砂を洗い流し、家をも崩壊さしてしまうであろう”

ということなのです。

都合のいい部分だけ拾って、

上っ面だけ言葉だけ分かった気になっているから、

基本中の基本が何も分からないまま、

積み重ねてしまうのです。