「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして、

引き寄せの法則についてまとめてきました。

次のステップとして、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本があるので、こちらをご紹介したいと思います。

 

脳内妄想やきっと叶うで納得できるのか?(エイブラハム) 

古いストーリーの例(エイブラハム) 

新しいストーリーの例(エイブラハム)

 

お金と引き寄せの法則まとめ1(エイブラハム)

お金と引き寄せの法則まとめ2(エイブラハム)

お金と引き寄せの法則まとめ3(エイブラハム) 

 

 

★注意喚起★

暴力的な場面に遭遇しない方法補足・赤ペン 

悪質なパクリは赤ペンします

引き寄せと鏡の法則について

悪質なパクリの赤ペン(引き寄せ界隈)

引き寄せの法則は無料です

 

という記事の続きです。

 

ここまでは、

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本の、

転換と肯定的な側面の本と、

お金を引き寄せ、豊かさを実現するという箇所を、

ご紹介しました。

 
長くなったので、一旦区切る為に、
まとめています。
 
こちらでお伝えしているのは、
宇宙法則の引き寄せの法則です。
潜在意識をどうこうする引き寄せではないです。
解釈が真逆になりますので、
潜在意識系の方は読むのをご遠慮下さい。
(ちなみにこういう風に書くのも法則が働いているからです)
 
 

自分が感じていることと
実際の経験との関係を意識するようになると、
変化を引き起こす力が生まれる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
という箇所をご紹介しました。
目の前で起きている出来事、
現実として経験していることは、
その前までの思考の結果になります。
それを見てどんな感情になるのか?
というのを観察すると、
どうして、今、それを経験しているのか、
ということも分かるでしょう。
 

あなたが「豊かでない」のは、
あなたが豊かな人生という波動と
異なる波動を出し続けているからだ。

貧しいと感じていて
(貧しい波動を出していて)
豊かになることはあり得ない。

豊かさとは、豊かさという波動を
出さなければ寄ってこない。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
今、貧しいなと感じたとしたら、
今まで、そう感じ続けていたから、
現実として経験することになる、
ということです。
もし、これを変えたいのなら、
今、目の前の現実に対して、
今まで通りの反応をするのではなくて、
望みの方に思考を振り向けよう、
ということをエイブラハムたちは伝えています。
 

ただ「今の状態」に反応する波動を
出していたのでは、
「今の状態」を変えることはできない。

まだ実現していない夢の興奮や満足を、
夢が実現する前に感じる方法を
探さなくてはならない。

夢が実現したという波動を出し、
その波動にマッチした夢の実現体験が
「引き寄せの法則」によって
引き寄せられてくるように、
夢のシナリオを意図的に思い描く方法を
探すことが大切である。

波動を出さないで
実現を求めても、
それは不可能な要求でしかない。

実現の前に意識して波動を出せば、
どんなことでも可能だ。

「それが法則」だから。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
望みの方に思考を振り向けるというのは、
今、目の前で起こっていることは、
嫌な気分になる、ネガティブな気分になる場合、
望んでいないことが起きている、
ということなので、
いい気分になる様なことを考えると、
逆にそれが、望んでいることなのだ、
ということになります。
 

多くの人は聞く。

「でも豊かでないのに、
豊かさの波動なんて
出せるわけがないでしょう?

豊かさの波動を出すには、
まず豊かにならなければ
ならないんじゃありませんか?」

確かに既に豊かさを経験していれば、
豊かさという条件を維持するのは
簡単だろう。

自分に起こっているいいことに
目を向けさえすれば、
いいことが寄って来るのだから。

しかし、
望むことが満たされていない状況なら、
望むことのエッセンスを
─それが起こる前に─
感じ取る方法を探さなければならない。

そうしないと望むことは実現しない。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
嫌な気分がしたら、
そうかこれは、望んでいないのだな、
という捉え方をすれば、
転換しやすくなると思います。
嫌な気分に引っ張られないで、
これは欲しくない、じゃあ欲しい物は何かな?
と考えてみるのです。
 
例えば、果物を買おうとして、
バナナを見た時、
うーん、なんかこれじゃないんだよな、
と思ったら、バナナは買わないで、
別の果物を探しますよね。
バナナを見て、これじゃない、
これは欲しくないという、
自分の好き嫌い、善い悪いを判断するのは、
別に”悪い”ことではないですよね?
バナナを買うつもりがないのにも関わらず、
いつまでもいつまでも、
バナナは欲しくないと考え続けていても、
果物は買えないですよね。
目の前のバナナはなくなりませんよね。
 

欲しいものが欠けているという思考を
出し続けていたら、
欲しいはいつまでも寄ってこない。

そこを誤解するから、
どうして自分は豊かになれないのかを
説明しようとして、
自分以外のものに力を与えてしまう。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
これは、例えば果物を買おうくらいの、
気安さだったら、
簡単に思考を転換できるのですが、
普段、自覚していない状態で、
嫌なもの、欲しくないものに、
思考を向け続けていて、
どうしてそれが嫌いなのかを、
延々と説明するということを、
行ないがちだと思います。
 
もちろん、注意喚起といったことも、
必要ですから、
ネガティブな発信はしちゃいけない、
という意味ではないです。
発信する内容がどうということではなくて、
その時の自分の気持ちはどうなのか?
ということを意識しているのかな?
という意味です。
 
あいつはどうした、こいつがどうした、
そういうことばかり、
発信している人が多いですよね。
 
最近、ツイッターのTLがカオスになっていて、
(それはそれで面白いので放置していますが)
別にフォローはしていない”先生”的な立場の人のツイートで、
ずっと、お客さんや見掛けた人の、
”悪い部分”ばかりを発信している人がいるのだけれども、
そもそも、どうしてその人は、
そういうところが、目に付いて気になったのだろうか、
ということの方が私は気になります。
 
自分の思う通りの手法を、
全ての人が行なえば、
自分の思う通りの完璧になるはずだ、
といった風に考えて生きているのだろうな、
といった印象を持ちました。
 
まだ、若い方なので、余裕がないのかな。
全てを分っていて、見通せている様な気分なんだと思います。
 
年齢を重ねて経験を重ねてきた方々は、
自分を高いところに置かない、
人それぞれと見ることが出来る、
必要以上に他人の領域に入り込まず、
境界線をきっちり引いていますよね。
(それが冷たく見える場合もありますが)
 
人との出会いの場合、
(接客業でもそうだけれども)
自分一人だけで創造している訳ではないので、
全部が自分一人の力で起こった出来事だ、
ということではないのだけれども、
何か足りない、あそこが悪いから改善すべきだ、
そう感じる人(お客さん)ばかりを引き寄せる、
目に付くのはどうしてなのか?
という部分が、鏡になっていて、
自分の問題を映し出しているのです。
エイブラハムたち風に言えば、
思考の方向が分かるよね?ということです。
同じ人を見ても、別の捉え方をする人もいるんですよ。
 
わたしたちが「波動」について語るのは、
あなたの経験のベースに目を向けてほしいからだ。

すべてのベースは「波動」なのだから。

この言葉は「エネルギー」と言い換えてもいいし、
ほかにもあてはまる言葉はたくさんある。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
波動という捉え方をすると、
ちょっと難しいような感じがしますが、
 
波動としての自分の性質を受け入れることを学べば、
そして感情という波動の指標を意識的に活用すれば、
あなたは自分の創造も、
その結果としての人生経験も、
意識的にコントロールすることができる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
とあった様に、
”波動としての自分の性質”、
”感情という波動の指標”といったことだと、
なんとなく捉えられそうな気がします。
似たものを引き寄せるというのは、
似た波動を引き寄せるという、
振動の法則があるよ!ということなんですね。
 
あなたがたの世界の大気中に、
土中に、水中に、
そしてあなたの身体のなかに存在するすべては、
動いている波動だ。

そしてそのすべてが強力な「引き寄せの法則」に
従っている。

その波動を仕分けしたいと思っても、
それはできない。

仕分けする必要もない。

なぜなら「引き寄せの法則」が常に
仕分けをして、
似た波動を集め、
似ていない波動は遠ざけているから。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
ということで、
宇宙法則としての、
引き寄せの法則を上手に活用する、
という意味で引き寄せを使う、
という表現をすることはあっても、
自分の内なる何らかのパワーで、
引き寄せるという意味はちょっとおかしいですよね。
ただ、潜在意識云々、引き寄せ勢、引き寄せ界隈の人は、
こういう意味で使っている場合もあります。
宇宙法則ではないものですね。
そうなると、規則性がなく、
人によって違う、その時々で違う、
という形で再現性が低くなりますよね?
私の印象では、今主流になっているのは、
強引にゴリ押しして引っ張り上げる!
みたいなもので、本来の引き寄せの法則ではない、
と感じます。
 
自分の人生経験を創造するのは
自分だと気づき、
思考を方向づけることによって
意図的に経験を創造できることを学ぶこと、
それはほとんどの人にとっては
生き方の修正を意味する。

ほとんどの人は、行動を通じて
物事を実現するのだと長い間、
信じてきたからだ。

物事を実現するのは行動だと間違って
信じてきただけでなく、
望まないことに圧力を加えれば
望まないことは消えるだろうと
考えてきた。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
という箇所をご紹介しましたが、
行動を通じて物事を実現するのではなくて、
意識想念の法則があるので、
思考を通じて創造される、
思考を通じて物事が実現される、
というのが仕組みです。
 
ほとんどの人は自分の思考の力にも、
自分という存在の本質が波動であることにも、
強力な「引き寄せの法則」にも
気づいていないから、
「行動」がすべてを引き起こすと思っている。

あなたがたが焦点を結んでいる物質世界では
確かに行動も重要な要因だが、
物質世界の経験は行動を通じて
創造されるのではない。

思考の力を理解し、
意図的に思考を差し向けることに習熟すれば、
「欲して、許容し可能にした」ことだけを
引き起こす強力な「創造のてこ」を発見できる。

あらかじめ道を敷けば、
つまり前向きの期待とともに考えれば、
必要な行動ははるかに少なくて済むし、
はるかに満足できる結果が得られる。

きちんと時間をかけて思考を整えておかなければ、
余計な行動が必要になるうえに、
結局は満足できる結果にならないのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
思考をコントロールして、
方向を設定しておきましょう、
ということになります。
 
果物を買おうと思ったら、
お店に行くという行動が必要なんだけど、
買う前に、
どんな果物が食べたいかな?と考えて、
望みを明らかにしておけば、
スムーズに購入出来ますよね。
果物売り場の端から順に、
これは食べたいか?食べたくないか?と、
自分の感情を確認するのも、
はっきり欲しい物を選ぶ方法としては、
間違いではないけれども、
手間がかかりますよね!
でもそれもまた楽しかったりするので、
好きな人はやりますよね?
試行錯誤が楽しいってこともあります。
でも、先に私の食べたい果物はこれだ!と、
イメージが湧くなら、
最短コースで購入出来ますよね!
ということです。
行動が先!という人は、
手当たり次第に果物を買って、
食べてからこれじゃない!をやりたい、
ということですよね。
それもまあ、いいと思います!
離乳食のように、そうやって、
いろんな味を経験させるというのも、
大事でしたよね?
 
 

あなたは素晴らしい存在だ。
もう他人にコントロールされる赤ん坊ではない。

物質世界の環境に適応し、
今─この本を読みながら─
自分という存在のパワーをフルに認識している。

もう荒れ狂う海に浮かぶコルクのように
「引き寄せの法則」に翻弄されることはない。

ついに自分の運命をコントロールする方法を
思い出した。

初期設定どおりの反応で
今の人生をそのまま受け入れるのではなく、
強力な「引き寄せの法則」を活用して
人生を意図的に導く力を取り戻そうとしている。

それにはこれまでとは違うストーリーを
自分に語らなければならない。

今まであった人生、今ある人生の
ストーリーを語るのはやめて、
自分が望む人生のストーリーを
語り始めなければならないのだ。

意図的に生きるには、
意図的に考えなくてはいけない。

そのためには
思考の正しい方向を決める基準点が必要だ。

あなたがこの世に生まれ出でたときと同じく、
必要な二つの要因は今もそろっている。

まず「引き寄せの法則」
(最も強力で一貫した宇宙の法則)が
すべてを律している。

そしてあなたのなかには、
きちんと出来上がって、
方向をフィードバックしようと待機している
「ナビゲーションシステム」がある。

あなたがしなければならないのはただ一つ。

一見すると小さな、
しかし人生を一変させること。

それは、
「新たなやり方で
自分のストーリーを語ること」だ。

自分が望むストーリーを語るのだ。

あなたが人生のストーリーを語るとき
(あなたは毎日言葉で、思考で、
行動で、人生のストーリーを語っている)、
あなたは明るくていい気分でいなくてはいけない。

どの瞬間もどんなことに関しても、
あなたはポジティブな側にも
ネガティブな側にも
焦点を定めることができる。

宇宙のすべての粒子には、
─時の果てまでのすべての瞬間には─
「望んでいる」と
「望みが満たされていない」
という両面があって、
波動しつつあなたが選択するのを
待っている。

あなたはいつもこの二つの選択肢を前にして、
すべてについて
望む状態に焦点を定めるか、それとも
望みが満たされていない状態に焦点を定めるかを選ぶ。

なぜなら、
すべての物事は実は二つの事柄から
成り立っているからだ。

あなたが「望むこと」、
そして「望みが満たされていないこと」
の二つである。

自分が今どちらかに焦点を定めているかは、
自分の感じ方で見分けることが出来る。

そして、その選択はいつでも変えられる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

手当たり次第に食べて、
好きなものと嫌いなものを沢山経験して、
納得したい!という赤ちゃんは、
お好きにどうぞ!ということです。
 
でも、宇宙法則があることが分かって、
使いこなしたいなと思うのなら、
”もう他人にコントロールされる赤ん坊ではない。”
ということなのです。
 
”もう荒れ狂う海に浮かぶコルクのように
「引き寄せの法則」に翻弄されることはない。
ついに自分の運命をコントロールする方法を
思い出した。”
とあります。
引き寄せの法則を上手に活用することで、
自分の運命もコントロール出来ますよ!
ということですね。
 
”初期設定どおりの反応で
今の人生をそのまま受け入れるのではなく、
強力な「引き寄せの法則」を活用して
人生を意図的に導く力を取り戻そうとしている。”
とあります。
 
”それにはこれまでとは違うストーリーを
自分に語らなければならない。
今まであった人生、今ある人生の
ストーリーを語るのはやめて、
自分が望む人生のストーリーを
語り始めなければならないのだ。”
とありますが、
エイブラハムたちは違うストーリーを語りなさい、
と何度も繰り返し伝えています。

”自分が望むストーリーを語るのだ。
あなたが人生のストーリーを語るとき
(あなたは毎日言葉で、思考で、
行動で、人生のストーリーを語っている)、
あなたは明るくていい気分でいなくてはいけない。”
ということです。
 
これは上でもご紹介している、
”ただ「今の状態」に反応する波動を
出していたのでは、
「今の状態」を変えることはできない。
まだ実現していない夢の興奮や満足を、
夢が実現する前に感じる方法を
探さなくてはならない。”
ということで、
今、目の前の現実に対して、
今まで通りの反応をするのではなくて、
いい気分になる様な、
思考に変えて行こうということになります。
 
”意図的に生きるには、
意図的に考えなくてはいけない。
そのためには
思考の正しい方向を決める基準点が必要だ。”
ということです。
 
”どの瞬間もどんなことに関しても、
あなたはポジティブな側にも
ネガティブな側にも
焦点を定めることができる。
宇宙のすべての粒子には、
─時の果てまでのすべての瞬間には─
「望んでいる」と
「望みが満たされていない」
という両面があって、
波動しつつあなたが選択するのを
待っている。”
とあります。
これが何度も繰り返しお伝えしている、
積極消極の法則で、
あらゆるものには二極ある、
全ては表裏一体であるということになります。
 
”あなたはいつもこの二つの選択肢を前にして、
すべてについて
望む状態に焦点を定めるか、それとも
望みが満たされていない状態に焦点を定めるかを選ぶ。
なぜなら、
すべての物事は実は二つの事柄から
成り立っているからだ。
あなたが「望むこと」、
そして「望みが満たされていないこと」
の二つである。”
とあります。
いつも二つの事柄があって、
どちらか一つを選択します。
 
”自分が今どちらかに焦点を定めているかは、
自分の感じ方で見分けることが出来る。
そして、その選択はいつでも変えられる。”
とありますが、
考え方を変えると感じ方も変わります。
 
”あなたは明るくていい気分でいなくてはいけない。”
とありましたが、
明るくていい気分がする考え方が望みの方だ、
ということなのです。
 
果物で例えてみると、
バナナを食べることを想像すると、何か違う、
そうじゃない、食べたくないといい気分がしなくて、
イチゴを食べることを想像すると、
そうだ、これだ!食べたい!と、
明るくていい気分がする、
という違いがあると思います。
(でもバナナは好きです、例えです)
 
 
次の例をご覧になれば、
すべての物事は
実は二つの事柄だということが
よくわかるだろう。

豊かさ/貧しさ(豊かさの欠如)

健康/病気(健康の欠如)

幸福/悲痛(幸福の欠如)

明晰/混乱(明晰さの欠如)

エネルギッシュ/疲労(エネルギーの欠如)

知識/疑い(知識の欠如)

関心/退屈(関心の欠如)

できる/できない

買いたい/買えない

明るくいい気分になりたい/嫌な気分だ

もっとお金が欲しい/お金が足りない

もっとお金が欲しい
/どうすればお金が手に入るかわからない

もっとお金が欲しい
/あの人は当然の分け前以上にお金を持っている

痩せたい/太っている

新しい車が欲しい/自分の車は古い

恋人が欲しい/恋人がいない

以上の例を見れば、
それぞれについてどちらの選択がいいかは
一目瞭然だろう。

だがあなたが忘れているかもしれない
単純で重要なことがある。

こういうリストを見るとき、
人は自分が望むことよりも
現実のままを口にすべきだと
(「あるがままを語るべき」)だと思う傾向がある。

実はこの傾向が最大の原因となって、
間違った創造が行われ、
個人が望むものが生まれ出てこないのだ。

そこで、
本書でさまざまな事例や実践を通じて、
今がどうなのかを説明するのではなく
「何を望んでいるか」に
目を向ける方法を学んでほしい。

「引き寄せの法則」によって
違うことを引き寄せたいのなら、
まず現実とは違うストーリーを
語ることから始めなくてはいけないのだ。

新しいストーリーを
語り始めるのにとても効果的なのは、
今どんなことを語っているかに耳をすまし、
望むこととまったく逆のことを
言っているときには立ち止まって、
「これは望むことではない。
それではわたしは何を望むのか?」と
自問することだ。

それから何を望むのかを
意図的に力強くはっきりと宣言する。

わたしはこんなかっこ悪くて古くて
信頼できない車は大嫌いだ。
→わたしはきれいな新しい信頼できる車が欲しい。

わたしはデブだ。
→わたしは細くなりたい。

わたしの雇主はわたしを評価してくれない。
→わたしは雇い主に評価されたい。

言葉を言い換えただけで
ピカピカの新車が現れたりするものか、
太った身体が痩せるものか、
雇い主が突然変化して
違う待遇をしてくれたりするものか、
と反対する人も多いだろう。

しかしそれは間違っている。

望ましい事柄に意識して焦点を定め、
望むことをはっきり宣言すると、
そのうちにあなた自身の感じ方が
変化してくる。

それは波動が変化したということだ。

波動が変化すると
引き寄せの作用点も変化し、
強力な「引き寄せの法則」によって
現実に現れる兆しや指標も変化する。

自分が経験したいことを
一貫して語り続けているのに、
宇宙がそのエッセンスを
あなたのもとへ
送ってこないことなどあり得ないのだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
まず、ものごとは二つの事柄で出来ている、
二つの相反する捉え方がある、
ということをしっかり理解する、
これを基本とします。
 
”人は自分が望むことよりも
現実のままを口にすべきだと
(「あるがままを語るべき」)だと思う傾向がある。
実はこの傾向が最大の原因となって、
間違った創造が行われ、
個人が望むものが生まれ出てこないのだ。”
とありました。
 
今、目の前の現実が望まないことなら、
嫌な気分がします。
そういう時は、思考を転換して、
いい気分になる考え方をするのです。
 
”今がどうなのかを説明するのではなく
「何を望んでいるか」に
目を向ける方法を学んでほしい。
「引き寄せの法則」によって
違うことを引き寄せたいのなら、
まず現実とは違うストーリーを
語ることから始めなくてはいけないのだ。”
とあります。
 
今、目の前にあるバナナを見て、
「バナナは嫌いじゃないけど、
もっと水分が多い方が今は食べたいのよね。
だってバナナってねっとりしているでしょう?
皮をむいて食べる気分じゃないし…」
というのが今どうなのかを説明しているということです。
 
もし実際に自分がそんなことをしていたとして、
”自分が望むことよりも
現実のままを口にすべきだ”とか、
”あるがままを語るべき”だとか思うでしょうか?
 
”新しいストーリーを
語り始めるのにとても効果的なのは、
今どんなことを語っているかに耳をすまし、
望むこととまったく逆のことを
言っているときには立ち止まって、
「これは望むことではない。
それではわたしは何を望むのか?」と
自問することだ。
それから何を望むのかを
意図的に力強くはっきりと宣言する。”
とある様に、
買うつもりのないバナナを見て、
バナナについて語るのをやめて、
もっと水分が多くて、そのまま食べられる、
瑞々しい果物がいいな!と、
望んでいることを明らかにしよう!
ということです。
 
”望ましい事柄に意識して焦点を定め、
望むことをはっきり宣言すると、
そのうちにあなた自身の感じ方が
変化してくる。
それは波動が変化したということだ。
波動が変化すると
引き寄せの作用点も変化し、
強力な「引き寄せの法則」によって
現実に現れる兆しや指標も変化する。”
とありました。
バナナに注意を向けて居たら、
他の果物は目に入らないけれども、
こんな果物が欲しいと望みを明らかにすれば、
これだ!というものが目に付きやすいですよね。
 
まぁ、果物くらいなら転換するのも簡単ですけれどもね。
仕組みとして、自分が分かりやすいものに置き換えて、
考えてみて下さい。
 
あいつがどーとか、こいつがどーとか、
それを言っている時には、
いい気分な感じがするかもしれないですよね。
他人を上から見下ろして、悪口を言って、
自尊心が満たされる様な感じでしょうか?
でも、いいな、欲しいなと思っている訳ではないですよね?
 
霊的な領域では、
欲しい物ではないのにも関わらず、
「ご注文を承りました!」となって、
次に自分が経験する現実に反映されるのです。
それを続けている間中ずっと、
繰り返し繰り返しやってきます。
”ただ「今の状態」に反応する波動を
出していたのでは、
「今の状態」を変えることはできない。”
ということですよね。
 
 
私が、度々、
覗きに来ないでねとか、パクらないでねとか書くのは、
あなたは何を選択するのかを問い掛けているんですよ。
惰性ではなく、意識的に選択して下さいねと。
 
そもそも、誰にも見せたくないなら、
ネットで発信なんてしないで、
自分の日記帳に書くか、
読める人を制限しますよ。
そうではなくて、誰でもどうぞと、
読めるようにしてあります。
 
私が勉強になったことをシェアしますので、
同じ様に学びたい人へどうぞと、
公開しているのです。
でも、こうやって書いておくと、
そういう理由ではない人、
商売に流用したり、
自分の発信するネタにしたり、
知ったかしたい人に、
罪悪感、後ろめたさ、嫌悪感、
否定、拒絶が生まれるでしょう?
 
やってはいけないことをしている様な、
言い訳したくなる様な、
自分を正当化したくなる様な気分。
 
そのまま思考を転換しないで続ければ、
その人の経験には、
ノーノー望まないもの頂戴と、
どんどん引き寄せられてきます。
 
逆恨みすれば、
同じものを引き寄せ、経験するでしょう。
 
どんどん堕ちて行く、ということです。
法則が働きますので。
 
それが嫌なら、
読むのをきっぱりやめるか、
改心して下さい。
 
欲しくないものに思考や関心を向けるのはやめようと、
別の欲しいものに集中するか。
素直になって、気になるのは、
欲しいからだと選択してみるか。
 
その人が何を選択しようと、
私には関係がないのですが、
一応、お伝えしています。

 

多くの人々のもっているわざわいは、
何も分らずに盲めっぽうに喋りはじめ、
自分が何を言っているのかすら
分らないということにあるのである。

我々は、自分の内部自我に
目をつむらせているのである。

時々我々は、自己の内部自我の目を
蔽いかくしてしまい、
それを反対方向にまわしてしまっているのである。

つまり、発展の代りに
後退化の方向に、
積極肯定の周期の代りに
消極否定の周期へと
逆回転さしているのである。

人間は、どんな方向、どんな道へも
行ける力を持っているのであり、
自分の代りに歩いてくれる人は
誰も一人もいないのである。

何人といえども、あなたの代りに考え、
あなたの代りに意識する人はいないのである。

あなたは、あなた自身のことは
みずからなさねばならないのである。

師というものは、
単に道を示すにすぎないものであり、
単にあなたに対して正しい方向へ行く様な
刺激を与えるにすぎないのである。

そして、あなたは師の刺激、
導きをことわることが出来るのである。

治療のためのバイブレーション(振動)は
一つの刺激であり、
あなたがネガテブなものの中に浸り切っていれば、
それを斥けることが出来るのである。

この世には、治療の基本原則があるとともに、
その他いろんなことが存在するのである。

わたしはこれから本章で
一連の治療のことを述べるが、皆さんの誰もが
「ドーリルはわたしのことを言っているのだ」
と言わない様にしてもらいたいのである。

わたしの言っていることは、あらゆる人、
あらゆる病気に適用出来るところの
宇宙法則なのである。

人々は
「法律を知らなかったからとて罪の言いわけにはならない」
と言うが、
もし、我々が宇宙法則を知らなかったなら
言いわけが許されるかも知れない。

しかし、我々が宇宙法則を知っていて、
それを利用しなかったら、
宇宙法則に気付きはじめていてそれに反対したならば、
罪を知っていたのだから、
その罪は、法則を知らなかった者よりは
ひどい罪になるというのである。

法則を知らない者は、
法則を知っていてそれを犯した者に比しては、
多くの力をふるうことが出来ないのである。

多くの人々は、その心中で平和と
調和の状があるということを知っており、
意識の中で時々一瞥するのである。

わたしは、人々が何をなし得るかは知っている。

わたしはまた、彼らは自分たちが
出来ることはほんとどやっていないことを
知っている。

時々、わたしは、そうなるのは、
わたしのやりかたをよく教えなかったからでないかと
自分で恥じ入ることがある。

本章が全部終る前にその方法をはっきり示しておこう。

というのは今から我々が働かねばならない
光の日までの間には長い期間がないからである。

 

「療法の真義」(M・ドーリル博士著)より

 

”人々は
「法律を知らなかったからとて罪の言いわけにはならない」
と言うが、
もし、我々が宇宙法則を知らなかったなら
言いわけが許されるかも知れない。
しかし、我々が宇宙法則を知っていて、
それを利用しなかったら、
宇宙法則に気付きはじめていてそれに反対したならば、
罪を知っていたのだから、
その罪は、法則を知らなかった者よりは
ひどい罪になるというのである。
法則を知らない者は、
法則を知っていてそれを犯した者に比しては、
多くの力をふるうことが出来ないのである。”

とあります。

 

今まで、宇宙法則や真理について、

何も知らなかった人でも、

ここを読んでいるうちに、なんとなく、

うっすら理解する様になりますので、

それを利用せず知らんぷりしていることになるので、

罪を知っていたとなり、

大きく結果が返ることになりますよ。

引き寄せの法則なら、

どんどん悪循環に嵌る可能性もありますので、

ご注意くださいね!ということです。

 

ただでパクれてラッキーと思うかもしれませんが、
それなりに責任が生じていますよ。
 
 
引き寄せの法則を売りにして商売をしているパクリの人の、
望みの叶え方って、
ネットから無料の情報を拾ってくる努力をして、
まとめてアレンジして、
価値以上の値段を付けて販売する、
ということなんだよね。
これが叶った、という状態。
 
思考が先とか、引き寄せの法則を使うとか、
関係あるのかな?と思うんだよね。
 
自分に必要な情報を引き寄せてきて、
無料で利用出来てよかったと思うのでしょうか。
 
引き寄せの法則って一方的なものなのでしょうかね?
自分の内なる力が引き寄せるという解釈だと、
そう感じるかもしれませんね。
私の方も読者を引き寄せている、
という風には考えられませんか?
双方向です。
 
例えば、ある人が十万円の価値があると嘘をついて、
千円の宝石を一万円で売ったとします。
この人ははっきり嘘だとわかっていて、
騙そうと思って売りました。
もう一人の人は、
本気で十万円の価値があると信じて、
千円の宝石を一万円で売りました。
 
現実的に見れば、どちらも同じ事をしています。
 
事実は、千円の価値しかない宝石を、
一万円で売ったということです。
でも真実という視点で捉えると、
片方は騙して得しようとしたというもの、
もう片方は、十万円の価値のものを、
安く譲ってあげたというものです。
 
現実的に見るとと、
どっちも罪は同じに感じるし、
本人の意志で購入した訳だし、
バレないなら別にいいじゃないかと思いますよね。
 

聖なる力がある
ということが分ればこそ、
それをことわることが出来るので、
その存在すら気付かない者は、
それを拒否することも
出来ないのである。

人間は、時々は、身をもって教訓を
学ばさせられるものである。

 

「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)より

 

こんな場合にわたしが直してやる唯一の理由は、
そんな状態に知らず知らずに陥った
という場合だけなのである。

何者といえどもその人がみずから選んだものを
取り去ることが出来ないのである。

しかし、今の婦人の場合は、
自分が選んだのでなく、
自分の無知の故にそこにはまり込んだのである。

もし、人がこの様なことを知っていながら、
尚かつ悪霊どもと交わるのは、
ブラックブラザーフッド(悪霊同胞団)と
結びつくことなのである。

そんな人がその中へ入ってしまってから
引き返らせれば、死んでしまうのである。

だから、そんな人には、
この世にいる間に苦しませておく方が
かえってよいのである。

その方が、彼らも死をもってそれから逃れるのよりも、
意識的に、その様なものと交わることの
恐ろしさというものを学べるのである。

あなたは、自分のまくところに従って
刈らねばならないのである。

わたしが、今ここで言っていることは、
神の道から悪霊の道へと
転落した魂のことなのである。

そんな人は、自分に大衆を隷属させ、
尊敬を受けたいので、
個人的霊能力を得るために
ネガテブ(悪)の法則に従いますと
悪魔と契約した人なのである。

 

「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)より

 
でも霊的に言うと、二つは全然違って、
分かっていて行なう方がより罪になります。
嘘だと分かっていて騙す訳ですから、
否定消極が生じていますよね。
悪因になって、同じものを引き寄せる、
例えば病気になったり、
何かを盗まれたりして、
堕ちていきます。
 
 
思考が現実化するという言葉を、
自己啓発だかスピリチュアルだかは分からないけれども、
知った人がいるとします。
そんな訳ないだろうとか、
そんな証明も出来ないことは信じない、
自分の目で見て経験したことだけが、
信じられることだ、
知った様な人にいちいち解説なんてされたくない、
といった風に、
受け入れることが出来ずに反発を感じます。
 
情報を前にして、
受け入れるか、受け入れないかという選択肢があって、
受け入れないと選択すること自体が、
悪いことではないです。
また、自分の目で見て経験したことを信じる、
という姿勢は素晴らしいと思います。
 
宇宙にはイエスしかなくて、全て肯定になります。
 
宇宙には「ノー」は聞こえない。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 

万有引力を基盤としたこの宇宙では、例外はない。

関心を向けると、対象があなたの波動に取り込まれる。

関心や認識が長期間持続すると、
対象が「引き寄せの法則」によって
あなたの経験のなかに取り込まれる。

「ノー」はあり得ない。

もっとはっきり言うなら、あなたが何かを見て
「ノー、そんな経験はしたくない、消えてくれ!」
と思ったとしても、
実際にはあなたはそれを自分の経験のなかに
呼び込んでいる。

万有引力を基盤としたこの宇宙では、「ノー」はないのだ。

関心を向けるのは、
「イエス、望まないことよ、わたしのほうへおいで!」
と言っているのと同じことなのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

といった箇所をご紹介しています。
排除というのは行なえないのです。
 

あなたが望まないものを
押しのけることは不可能だ。

なぜなら、押しのけようとすれば
逆に対象の波動を活性化し、
引き寄せることになるからだ。

この宇宙のすべての基本は引き寄せの力だ。

言い換えれば、排除ということはない。

望まないものに「ノー!」と叫んでも、
実はその望まないものを自分の経験に
招き寄せてしまう。

望むものに「イエス!」と言えば、
その望むものを自分の経験に招き寄せるのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

思考して関心を向けたものは、
欲しくないものでも取り込んでしまう、
という仕組みになっています。
 
なので、情報を前にして、
受け入れるか、受け入れないかという選択肢があって、
受け入れないと選択した場合、
別のものを意識的に選択しないと、
結果的に、
受け入れないと決めた情報を、
経験にどんどん取り込んでしまいます。
 
選択しないのなら、思考を別の、
選択したいと思う方、
この場合は、
自分の目で見て経験したことを信じる、
ということに集中したらよいと思います。
 
 
霊的な進化を私は毎日、ドリルを解いている、
といったイメージで捉えています。
上記の人の例は、
ドリルの解答ページを見て、
こんな解答なんか欲しくない、
自分の力で解いて納得したいんだ!
と言います。
 
私は、解答ページなんか読まなければよいのでは?
と思うのですが、
解答ページがあったら目に入るでしょ!と、
怒るんですね。
だったら、解答ページだけ切り取って、
引き出しにでも仕舞って、
見えない様にしたらいいのでは?と思うのですが、
そうやって隠しても、あるから覗いてしまう、
ということらしいのです。
 
私はいくら解答を見ても、
実際に計算してみなければ、
その答えがどうして出せるのかは分からない訳だし、
答えだけ分かっても、
正しく計算できるとは限らないし、
計算の仕方だって人それぞれ好みがあって、
みんな同じではないのだから、
最終的に一つの答えに辿り着くとしても、
自分独自のやり方があるのだから、
それに集中したら?と思うのです。
 
そもそも、正しい答えが出せれば、
嬉しいとは感じるけれども、
その答えを出すまでの計算に挑戦すること自体が、
楽しいし、夢中になるから行なっている訳で、
解答が目の前にあるとか、ないとか、
あまり重要なことではないです。
計算し終って答え合わせが出来たら、
私は便利だと思うので、
解答が手元にあるのは助かりますね。
でも、必要がないのなら、
見なきゃいい話ですよね。
 
まるで興味がない人なら、
思考が現実化するという言葉すら、
知らないと思います。

何故、そんな言葉を知っているのだ?

どこから取得したのだ?

それは情報を漁っている証拠ではないのか?

何故、嫌だ嫌だと思いながら、

腹を立てながら毎日、毎日、情報を漁るのか?

不思議で仕方ないです。

 

宇宙にはノーはないのです。

でも、ノーノー言うことを行なっている。

それは欲しくない!欲しくない!と言いながら、

欲しくないものについて考えている。

不思議なんですよー。

 

で、ドリルは解いているの?
という感じです。
もし真剣にドリルを解いてたら、
解答が目に入るのが嫌だ!なんて言うのかな?と。
解答を気にして覗いているから、目に入るんじゃないの?
それとも誰かが、問題の上にわざと、
解答を置いて、邪魔をしているのかな?
 
解答があるのが気になる人、
というのは、
いつも正しいか間違っているかが気になるのかな?
と思います。
自分が正しい行ないをしているのかどうか、
他者から見た自分がどうか?ということに思考が向いていて、
(他人軸)
だから、他者が何をしているのか、
何を考えているのかも気になってしまうのかな?と。
 
自分がどう感じるかに意識を向けて居たら、
どっちかしか選べないのだから、
他者からどう見えるか、
他者が何をして何を考えているのかには、
思考を向けることは出来ないですよね。
 
解答があってもなくても、
自分が実際に問題を解くかどうかには、
関係ないことですよね?
例え全ての解答を見たとしても、
実際にその問題が解けるかどうかは、
やってみないと分からない訳です。
解答を知っていても、
その通りの解答を出せるとは、限らないですよね。
 
真剣に自分の問題に取り組んでいたら、
ヒントにはなるかもしれないけれども、
解答をそのまま丸暗記する訳ではないのだから、
(丸暗記しても意味がないので)
物凄く影響があるとは思えないんだけどね。
 
自分のドリルに真剣に向き合って、
もし誰かに質問されたら、
自分が分かる範囲で教えたらいいと思います。
自分が解けた問題に限ってですよね。
教えたからといって、同じやり方が、
その人に合うかどうかは分からないですよね。
ヒントにしかなりません。
 
自分のドリルを進めていく過程で、
自分より後ろの問題を解いている人を眺めては、
あのやり方じゃあね、どうせこの先躓くわよ、
とあれこれ批判している人も居ます。
目の前のドリルの分厚さに気付かないのでしょう。
自分より先の問題を解いている人が、
見えないのでしょう。
 
自分より後ろの問題を解いている人に、
質問されて教える時、
切り口の違う復習になりますよね。
こういう考え方をしているんだ、
こんな見方をしているんだ、
こんなやり方でアプローチしたんだ、
というのが分かって、
今まで学んだことの理解が深まります。
 
分からない人同士で、
どうやって解いた?と相談することもあるでしょう。
解答を出すことが目的でないのなら、
それも楽しいのだろうし、いいと思います。
相談しあって和気藹々するのが目的なのか?
解答を出すのが目的なのか?で、
関わり方が変わってくると思います。
 
真剣に集中して、
自分のドリルに取り組みたい人は、
「ねぇねぇ、これどうやって解いた?」と、
いちいち確認する人を、
うざったく感じますよね。
それも尊重出来るなら、いいと思います。
 
人それぞれアプローチの仕方が違うのだから、
自分のやり方を押し付けるのは、
オススメしません。
でも、もし自分のドリルに、
真剣に集中していたら、
他の人と相談し合うかな?と思います。
注意力散漫なのかな?と。
それはどうしてなのか。
どうして自分の問題と向き合いたくないのか。
 
あの人はこうだ!と感じた、
正にその中に、答えを見つけられると思いますよ。