今はコロナ禍という事情もあるが、近年はよく“ストレス社会”などと言われる。対人ストレスに加えてパソコンやスマホなどの最新機器やテクノロジーへのストレス、そしてSNSやネット詐欺などのデジタル社会のストレスもあって、我々の生活にストレスの種は尽きず、それらは肉体のみならず心を蝕む原因にもなる

 

そもそもストレスとは何だろう。和訳すると「歪み」などの意味もあるように何らかのプレッシャー(圧力)だろう。ただ私は生物はストレスが無いと生きられないと習った。地上なら1気圧の空気圧や1Gの重力などが存在し、それらに抗う力が生命力であり、もし無ストレス状態になったら生命は維持できないというのだ。

 

 

だとしたら人間にとってストレスは必要なものであり、問題は「ストレス」そのものではなく「ストレス過多」なのだろう。「過ぎたるは及ばざるが如し」というように、どんなに必要なものでも過剰になれば害となる。栄養素でいえば塩分やコレステロール(脂質)のようなもので、不足しても過剰でも身体に害を及ぼすのだ。

 

これはステージパフォーマンスやビジネスプレゼンテーションなど、人前で何かをする際を思い浮かべてもらえば分かり易い。本来は「緊張する」のと「アガる」のは全く違うが、この点はまた稿を改めるとして、緊張し過ぎてガチガチになっては何も出来ないが、逆に緊張感が皆無でも、けっして良い結果は生まれない

 

つまり、ストレスは決して「撲滅すべきもの」ではなく「コントロールすべきもの」なのだ。しかし、塩分やコレステロールなら摂取し過ぎないように自分で食生活に気を付ければある程度コントロールすることができるが、ストレスは外部からやってくるので、栄養素のように自分から摂取しない等のコントロールはしにくい。

 

最も多いストレスは対人関係だろう。私の経験だが、ある先輩が苦手で、頻繁には遭遇しないが会うたびにストレスを感じていた。ところがある時ふと自分の対応を変えて以来、相手は何も変わってないのに苦手でもなくなりストレスも感じなくなった。問題は相手ではなく上手く対応できない自分が嫌でストレスだったのだ。

 

上記は一例だが、外部環境や自分以外の人間は確かにコントロールできないが自分の行動はコントロールできる。上記の私のように相手が同じでも自分の対応を変えるとか、例えば満員電車がストレスだったら早朝の空いている電車に乗る事は可能なはずだ。ま、もっとも早起きの方がストレスだったらダメだが…。

 

同じ「人間関係のストレス」といっても様々だ。相手が同性か異性か、先輩か同輩か若輩か等で異なるはずであり、それぞれに対して様々なコントロール方法があるはずだ。誰しも得手不得手はあるだろうが「私のストレス対処法は~」と、何でもかんでも一つの方法だけでコントロールしようとするのは無理がある

 

ストレス・コントロールとしては様々な方法を組み合わせるべきだろう。早起きして満員電車を回避するように、まずストレスを「(事前に)回避する」事ができれば理想だが、遭遇してしまったら「(ヒラリと身を)かわす」「(柳のように)柔らかく受け流す」または「(果敢に)戦って撃破する」など、幾つか引き出しを持つと良い。

 

それでも対処できずにストレスのパンチを喰らったら、事後に「(振り返って)自分への意味付けを変える」とか「(他の事をして)忘れる」とか「(好きな事に没頭して)解消する」など、これまた様々な手段を組み合わせて解毒(デトックス)しておくべきだ。喰らったままだと、知らぬ間に毒が心に蓄積していく恐れがあるからだ。

 

大自然(満点の星空や大海)を眺めて「自分の体験など小さなことだ」と思うのも「(振り返って)自分への意味付けを変える」手法のひとつだが、ある本のタイトルが「小さなことにクヨクヨするな」、そしてサブタイトルは「所詮、すべては小さなこと」だった。この2行だけ見て「もうこの本を読む必要はないな」と笑ってしまった。

 

Saigottimo

本日2021年1月24日(日)は「前日からの雨が未明に雪に変わって都心では1月12日の初雪以来の降雪になる」との予報だった。でも今朝起きると幸いにして予報は外れていて雨で済んだ。あーよかった。でもこれだけ寒いと私のような寒がりは一歩も外に出たくない。ま、日課の散歩も昨日は今日の分までしっかり歩いたし。

あ、そうそう。先日、男性ヴォーカルの私は「いつか王子様が」が歌えないという記事を書いたところ、早速、歌仲間の大津晃子さんからメールを頂戴した。大津さんはcatswingというステージネームを持つ猫好きのジャズ・ヴォーカリストで、あの“ジャズ・ヴォーカリストのバイブル”である「ジャズ詩大全」を全巻保有している。

 

彼女によると「ジャズ詩大全」には、私が引用した歌詞サイトとは違う英詞が掲載されており(記事中バーブラ・ストライサンドが歌っているのがその歌詞)、その2コーラス目は男性も歌える、というか王子様側からの歌詞のようなので「1コーラス目を女性、2コーラス目を男性ならデュエットできるのでは」との朗報だった。

 

彼女は私のMCの師匠で、彼女とは以前に記事に書いた「まことの愛(True Love)」「ユー・ドント・ノー・ミー(You Don't Know Me)」なども一緒にデュエットをさせて戴いているが、それらとは別に季節モノのデュエット曲にも一緒にトライしている。季節はまさに厳冬で曲名は「Baby, It's cold outside」である

 

これは70年以上も前の男女デュエット曲で、自分の家に招いた恋人がそろそろ帰ろうとするのを、なんだかんだと引き留めようとする男女の掛け合いをコミカルに表現している。原詞は例によって専門の歌詞サイトをご覧いただくとして、ナンチャッテ和訳をすると、こんな感じになる。

-------------------

ずっとここにはいられないわ/いま外は寒いよ~
そろそろ行かなくちゃ/本当に外は寒いよ~
今夜はとても…/ずっと立ち寄ってくれないかと思ってたんだ
楽しかったわ/あれ、君の手 氷のように冷たくなってるよ


母が心配しちゃうわ/綺麗だ、あれどうしてそんなに急ぐの
父だって部屋の中をウロウロ/ほら、暖炉の音を聞いてごらん
だから少し急がないと/頼むから、もう少しゆっくりしていって
あとグラス半分だけね/それじゃ、何か音楽でもかけようか
 

ご近所さんが勘ぐるかも/いま外はひどい嵐だよ
ねえ これって何か入れた?/タクシーだって拾えないよ
どうしたらいいのかしら/君の瞳、星のように煌めいてる
この魔法を解きたいわ/帽子取るよ、君の髪型は素敵だね


だってダメなんですもの/もう少し近づいてもいいかな
もう!とにかくそうなのよ/僕のプライド、傷ついちゃうよ
本当にここにはいられないわ/いつまでも意地を張らないでさ
(一緒に)ベイビー、いま外は凄く寒いよ~

(tranlated by Saigottimo)

-------------------

2コーラス目もこんな感じのやり取りが続くのだが、この曲が初めて世に出た映画「水着の女王」(1949)でのオリジナル動画を見てもらうと、エスター・ウィリアムズとリカルド・モンタルバンの絡みのシーンで動きも入っていてこの曲の雰囲気がよく分かって戴けるのではないだろうか(この曲は同年のアカデミー歌曲賞も受賞)。

 

 

ただ最近になって「これはデート・レイプじゃないの?」という議論も起きているらしい。グラスを指して「ねえ これって何か入れた?」というくだりなどが薬物を飲ませた疑惑などに当たるらしいが、この時代はせいぜい強いお酒のことだろうし、まあ、これも時代といえば時代なのだが、やや過剰反応ではないだろうか

 

しかしこの曲は米国では一種クリスマス(シーズンによくかかる)ソングとして定番だったのに近年はメディアで敬遠されているらしい。そこで、あの「美女と野獣」実写版で歌っているジョン・レジェンドが一昨年そういった疑惑のない歌詞に一部改変したら、今度はオリジナリティの点で問題になっているとの事、やれやれ…。

 

またこれはマペット・ショウでの余興っぽいが、いつも楽しい話題を提供してくれるレディ・ガガがジョセフ・ゴードンとの絡みで男女を逆転させてこの曲を流麗なダンスと共に楽しませてくれている。この動画を観ると、モラハラだのデート・レイプだのといった野暮はすっ飛んで、粋なオトナのエンターテイメントとして楽しめる

 

でも、実は最初にご紹介した映画「水着の女王」(1949)の中でも別の場面だが、喜劇女優のベティ・ギャレットとレッド・スケルトンによる“男女の逆バージョン”がちゃんと存在していることを最近知った。これはこれでユーモラスで笑える出来ではないか。だからレディ・ガガの動画は、これのリメイクと言えるのかも知れない。

 

そして、先ほど“オトナのエンターテイメント”と書いたが、逆に子供が演じる可愛いエンターテイメントに仕上がっている動画もあって、歌はイディナ・メンゼルとマイケル・ブーブレだが映像の主役は小さなレディと紳士たち。よくCM業界などでは「動物と子供には勝てない」などと言われているが、まさにその通りの出来だ。

 

一流のプロフェッショナル・パフォーマー達の素晴らしい歌唱の後で恐縮だが、この曲を大津さんと私が一緒に毎年トライしている。ただし寒い時期だけしか歌えないので、なかなか上達しないのだが…まあ、言い訳はそのくらいにして「(バンドの演奏は素晴らしいが)アマチュアが歌うとこうなる」という見本もお聴き戴きたい。

♪Baby, It's cold outside…with Catswing 2020年2月7日 SEABIRD第一金曜日ライブにて♪

 

このデュエットは時期的にコロナ禍直前だったから出来たのだが、その後、医療従事者である大津さんはライブには参加出来ない状況が続いているし、私も4月以降はライブ活動を自粛しているので今シーズンはもう歌えない。来冬シーズンには、また一緒にこの曲をデュエットできるといいのだが…

 

Saigottimo

このたび私は日本インストラクター技術協会認定の「音楽療法カウンセラー」という資格を取得した。同協会によればこの資格は「ライフスタイルにおける音楽の役割や利用方法を身に着けた人に与えられる資格で、様々な場面で人と自然が調和できる空間、日常に癒しを与える空間を作り出すことを目指す」としている。

 

【協会認定の資格取得証明用バナー】

 

音楽は聴くだけでもリラックスしたり集中力を高めることが出来、また積極的に演奏に参加したり歌うことで他人とのコミュニケーションを図ることも出来る。音楽療法とは、リズムやメロディや歌詞が持つ働きを利用してクライアントが抱える問題や悩みを改善し、より良い生活が送れるようにする治療法のことである。

 

音楽療法の先進国であるアメリカなどでは保険も適用となるなど治療法の一つとして地位を確立しており、精神疾患や認知症、発達障害等を対象に、高齢者施設、児童養護施設、病院、福祉施設などで施術が行われている。だが日本では医療と福祉と(音楽)教育の狭間で、その位置づけも不明確なままである。

 

従ってこの分野には国家資格のような公的な資格が存在せず民間資格しかない。そのなかで最も権威があるとされているのは日本音楽療法学会が認定する「音楽療法士」だが、これは専門の学校などで3年以上の教育が必要とされるなど、今の私にはハードルが高過ぎたので、他の民間資格を取得することにした。

 

【図書館で借りた本の一部】

 

資格の種類同様に取得方法も様々で、数か月にわたる通信教育を受講して毎月課題を提出し最後にレポートが通れば受験を経ずに取得できる方法もあったが、費用が高い。結局、図書館から20冊近くも本を借りて独学で勉強し年末に受験した。今週の発表まではドキドキしたが、Webで「合格」と確認できて嬉しかった!

 

 

私はこれまで20年余にわたってアマチュア・ヴォーカリストとして音楽に関わり機会ある毎にボラティア活動もしてきたが、ボランティアなどと書くのはおこがましいほど、実際は聴いて下さった方々から私の方が多くを与えられてきた。とはいえその中で音楽が人間に与える不思議な力を実感してきたのも確かである。

 

デイケア施設や病院などで高齢者の方々と一緒に童謡などを歌った際、看護師さんや療法士の方が「いつもカラオケで童謡等を歌おうと誘っても全く歌わない男性利用者が、皆さんの歌を聴いて涙ぐみながら一緒に歌っていたのでビックリしました」などと驚かれ、生演奏そして真剣に歌う事の尊さを教えられた。

 

また東日本大震災では、千葉の避難所福島の仮設住宅度々お邪魔し自宅や家族を失う辛い体験をされた方々に対し不謹慎かなと思っていた「色恋モノ」の洋楽が大ウケして驚いたり、若年性認知症とそのご家族を支援するカフェでは、歌や音楽は“決して忘れ得ぬ記憶”となるのだということも改めて知った。

 

音楽の力は、我々も日常生活の様々なシーンで感じるが、心身に障害や疾病のある方々、ホスピス等でターミナルケアを受けている方々、認知症と戦う高齢者の方々、生活の困難に直面している被災者の方々などにとって音楽は、ある意味では医療や金銭以上に大きな効力を発揮する場合もあると私は信じる。

 

今回、縁あって、そして運よく「音楽療法カウンセラー」になったが、具体的に何かを始めようとしている訳ではない。でもこれを一つの機会として、現在の本業をリタイアした後も、音楽に関わることで社会と接し、音楽を通じて社会に何らかの貢献を果たして今後も社会の一員で居たい、と漠然と考えている。

 

Saigottimo

私が所属する朗読集団「5Thanks」は毎年何回かは朗読コンサート等の活動をしていたが昨年はコロナ禍で殆ど活動できなかった。このたび神保町のブックハウスカフェ様とのコラボで、絵本にもなっている「きつねのでんわボックス」(作:戸田和代、絵:たかすかずみ)という話を朗読し、動画をネット配信することになった。

 

昨年末に皆でネット上にて何度か読み合わせして朗読は既に録り終え、音楽もいつものようにななえさんがシンセ・キーボードを駆使してオリジナルで創り、これらを前尾さんが見事に編集して完成した。動画は期間限定配信で、配信期間は2021年2月1日~14日までの14日間で、このページから見られます

 

【今回朗読した金の星社の新・ともだち文庫版】

 

5Thanksの分け読み朗読ではリーダーの前尾さんがキャスティングをするのだが、これがいつも絶妙なのだ。私は5Thanksで唯一の男性なので私が女性役をすることはないが、男性の登場人物が多い時は女性が男性役をする事もある。今回は諸般の事情でなおちゃんが不参加、大幡ちゃんも限定参加となった。

 

5Thanksのメンバー】

【前尾津也子、私、大幡かおり、ななえ、久木崎なお江】

 

ななえさんは音楽のスペシャリストとして朗読全体の音楽を担当するので、以前にも湘南で5Thanksの朗読イベントに参加してもらった朗読家の中田真由美さんと雪乃さんにメインキャストで入ってもらうことになった。お二人とも前尾さんらと同じ朗読教室に通うベテラン朗読家なので頼もしい限り、盤石のキャスティングだ。

 

【左:雪乃さん、右:中田真由美さん】

 

■朗読と音楽
企画・制作:
朗読グループ「5Thanks」
語り:前尾津也子
きつねのお母さん:中田真由美
きつねの坊やと少年:雪乃
おじいさんと車の人-2:Saigottimo
車の人-1:大幡かおり
音楽:ななえ

 

今回私は「おじいさん」と、「車の人-2」の二役を戴いた。台詞は多くないが、それでも役の人は一体どんな人だろうと事前にいろいろ考える。まずは年齢、職業などだ。「おじいさん」は少年の年齢(5~6歳?)と工事現場で働いているというくだりから60歳前後と推察、実年齢よりは少し若い意識で声色や抑揚を工夫した。

 

一方、「車の人-2」は、同じ自動車で通りかかる「車の人-1」役の大幡ちゃんとメールでやりとりして背景を一緒に考えた。私はキツネが住むほどの山奥だから恐らくダムの建設現場で、彼らはそこで働く工務店の作業員で年齢は30~40代、自動車は会社の社有車で商用バンだろうと想定した。

 

2人は同じ工務店所属の同僚で、ペンを刺す穴が開いたフラップ付きの胸ポケットの上に「○○工務店」と刺繍の入ったベージュ色の作業衣を羽織っているようなイメージだ。二人とも現場近くのプレハブ宿舎に単身赴任しており、終業後に食事をして自宅に電話して家族の声を聴いているのではないかと想定した。

 

何故プレハブ宿舎かというと、もし一時的にであれ会社が地元の旅館の部屋を借上げていたとすれば、旅館で電話を借りるだろうから、わざわざ近くの電話ボックスまでクルマを走らせないだろう。つまり、この辺りは旅館もないから観光地でもないだろうし、だからこそダムも建設できるのだろうと想定したのだ。

 

ははは、そんな端役で、な~にを一丁前の俳優気取りで“役作りごっこ”なんかしてんだよ」と笑われるかも知れないが、私は私なりに素人朗読家ながら一つの台詞でも一生懸命に演じたいのである。なーんてと思っていたら、NHK朝ドラ「おちょやん」(第27話)で、そんな私の気持ちにグッとくる感動的な台詞を聴いた。

 

主人公が、付き人をしている座長の山村千鳥にお茶を淹れながら、自分が初舞台でもらった役(ねずみ-3)は台詞が一言しかないので稽古はそんなに大変じゃないですと言った途端、座長役の若村麻由美から「他の人からどう思われようと、あなただけはあなたの役を愛しなさいっ!」と、ピシャリと一喝されるのだ。

 

いやあ、この山村千鳥(若村麻由美)の言葉には思わず胸が熱くなった。全く同感である。お芝居に限らずどんな仕事でも同じだと思うが、本気で取り組むから面白いのだ。「この世に面白い仕事などない。面白く仕事することがあるだけだ」さて、そんな私達の朗読、2/1には動画配信開始になるので、是非、お聴き戴きたい。

 

※ブックハウスカフェさんでサイン本をご準備下さり、本日よりオンラインにてご予約戴けます!ご予約は以下のURLから可能です(本の発送は2月上旬から中旬の予定との事です)ご希望の方はお早めに。

●絵本版

https://bookhousecafe.stores.jp/items/600544380c98463a569c6b98

●文庫版

https://bookhousecafe.stores.jp/items/6003ed77f0b1084ad3310870

 

Saigottimo

どんな仕事でも、個人事務所などの小さな組織と大企業などの大きな組織とでは、仕事の仕方は自ずと異なるものだ。組織が大きくなればなるほど多くの人が関わるので属人化を排除するために仕事の手順や状況を「見える化」したり「標準化」することが必要となる。その最たるものは「ISO(国際標準化機構)認証」だろう。

 

よく企業のWebに「ISOXXXX認証取得」などと記載されているが、これらの認証は、あらゆる仕事を「業務フロー」という関係図で「見える化」し「マネジメントシステム」として管理できているかどうかが問われる。それは当該業務上で「(マネジメントサイクルとも呼ばれる)PDCAサイクルを回せているかどうか」でもある。

 

【PDCAサイクル(Wikipediaより)】

 

Pは計画(Plan)、Dは実行(Do)、Cは評価(Check)、Aは改善(Act)を意味し、この4つのプロセスを繰り返して業務内容を改善していくことを「PDCAサイクルを回す」というのだが、理論的、形式的には回せても、このサイクルを実効性を以て回すことはとても難しい。これは“ISOあるある”と呼んでもいいかも知れない。

 

大抵は「P(計画)とD(実行)」は出来ても、後半の「C(評価)とA(改善)」が疎かになり、結果としてPD⇒PDの繰り返し(2サイクル)になってしまう。これを安直な経営コンサルに相談すると「CとAもキチンと実施しましょう!」となるが、それは形式的に「4サイクル回し(させ)ました」というだけで本質的な解決にはならない。


何故なら「評価(C)」とは「計画(P)」と「実行(D)」とのギャップを検証する事だが、大抵の場合は「実行(D)」時点では既に「計画(P)」が形骸化して意味を失っているからだ。従って実際には本気でギャップを「評価(C)」する気にもならず、無理にやっても単に形式的に4サイクルを回した格好にする以外の意味は乏しい。

 

つまり、「C(評価)とA(改善)」をしないのは「P(計画)」の問題なのだ。大きな組織は階層毎に計画を策定するため時間がかかりその間に環境が変化し「計画」が陳腐化する。さらに新年度は新組織・新体制が「実行」するのに、その「計画」を立てるのは(旧年度中だから当然)旧組織・旧体制、という問題も生じる。

 

では大きな組織だけの問題かというと、個人商店のような小さな組織では経営者自身が計画も実行もしているので、「計画」自体が経営者の頭の中にあって明示的に(書類として)は存在しなかったりする。存在したとしてもそれは金融機関から資金融資を受ける目的で作った「事業計画書」等で社内では余り使われない。

 

つまり、組織の大小に拘わらずPDCAサイクルは回らずにPDの2サイクルに陥る。でもその原因は、実施されない「C(評価)とA(改善)」の問題ではなく、専ら「P(計画)」の問題だ。組織が本気で実現したいと思うような「計画」なら、放っておいても「実行」結果とのギャップを「評価」し、その結果「改善」もするはずである。

 

「計画」や、その達成指標となる「目標」の意味については以前このブログでも書いた通り、あくまでも「目的」ではなく「手段」としての価値がある。でも、環境変化によって既に根拠が失われた計画や自分が策定していない計画など“本気で目指さないもの”はそもそも「計画(P)」や「目標」として機能しないのである。

 

私が考える「PDCAサイクルが回らない理由」はもう一つある。それは最後のプロセスである「改善(A)」の結果が次回の最初のプロセスである「計画(P)」に反映されにくい点だ。次年度の「計画」や予算(*1)策定の時期には、まだ今年度の実行結果が出てないので「評価(C)」も「改善(A)」も出来ないのが現実だ。

 

これらの期間的な制約は仕方ないとしても暫定的に計画を組み、後から改善結果などにより計画承認者が計画を修正すればよい。しかし大組織では「計画(P)」策定は大作業なので専門の人員や部署が担当しており、ここに後々の「改善(A)」結果がフィードバックされないまま次回の計画策定となる場合も起こり得る。

 

【一昨年で4回目の更新】

 

私は“ナンチャッテ中小企業診断士”だが、いやもとい、ちゃんと経済産業省に登録しているから“モノホンの診断士”だが、だからこそ、こうした本質的な検討をせずに安易にISO認証取得やPDCAサイクルを形式的に回すようなことはお薦めしない。反省と後悔の記事にも書いたように、物事は本質的に本気で考えたいからだ。

 

(*1:「予算」とは、「計画」を金額や人数や数量などの数値で示したものであり、「計画」の定量的な側面を指す)

 

Sigottimo

1月に「新年の目標」を立てる人も多いのではなかろうか。「今年こそ○○を!」等と手帳に書き込んで「ん、待てよ。これ昨年も同じ目標立てなかったっけ?」なーんて“正月あるある”かも知れない。ま、そういうのも人間らしいといえば人間らしいですが「どうして毎年出来ない?」と自分にイラッとしたら少し考えましょう。

 

そういう時に昨年を振り返って反省し「そっかー、あの時ああすりゃ良かったんだな、うん」なーんて安易に納得してしまうと、結局また同じ事を繰り返してしまうのがオチです。これは私自身も散々経験していますからダメなこと間違いなし、請負います。では何故ダメかというと、これは反省ではないからです。

 

【新三共胃腸薬の反省猿CM】

 

よく「反省だけならサルでも出来る」なんて言いますが、実は「反省」って、もの凄ーく難しいことなんですね。じゃあ我々がよくやっているのは何かというと、あれは「後悔」です。後悔とは字のごとく後から悔やむこと、つまり過去に遡って「あの時、こうすれば(しなければ)...」という奴で、これは結果論で全く役に立ちません

 

では「反省」は「後悔」とはどう違うかというと、過去ではなく未来に向いているのです。つまり「あの時」こうすればではなく、「今後は」「次は」という“未来志向”であり、かつ(従来と違って)こうしよう、と今までとは違う行動をするために何らかの“自己変容”を伴う、という2点が「後悔」とは異なるのです。

 

こう言うと、でも「あの時こうすれば(しなければ)良かった」というのも、今後同じ状況が起きた時には同じ行動をしないんだから“未来志向”だし“自己変容”じゃないの?と思う人もいるでしょう。でもね、「今後、同じ状況」ってまず起きないんですよ。仮に同じ様な状況だったとしても、思い出してまで違う選択はしないものです。

 

我々の日常はライブ、言わばTVの生放送と同じで、一瞬一瞬の状況変化に応じて判断して行動を選択してますから、仮に以前にやらかしてしまったのと似た状況だったとしてもその時点ではもう判断して行動を選択しています。そして後になって「あの時と似た状況?」と思った時は既に遅く「後悔先に立たず」なのです。

 

ではどうしたら“未来志向”で“自己変容”出来るかというと「まず過去を肯定すること」。通常、振り返って「あーあの時は何であんなことしたのかな?きっとおかしかったんだ」と、過去の自分(の思考や行動選択)を否定しがちですが、逆に「そうだよ、当然ああするよ」と過去の自分の思考や行動を一旦、正当化するんです。

 

そうすることで、その時の行動選択プログラムが今も自分の中で生きていることが確認できます。そしたら次に、その状況で違う選択肢を選ぶためには、プログラムがどう変わればいいのか、と考えて、今も自分の中で生きているプログラムをそう書き換えれば、“自己変容”ができ“未来志向”で違う選択になるはず。

 

具体的な書き換え方はというと、例えば何か大事なモノを持って出るのを忘れた場合で、その原因が「荷物を詰める際には『出発時にリストでチェックしよう』と思ってたのに出発時に時間がなくてチェック出来なかったから」だとすれば「出発時にチェックは出来ないもの」と認識を改めるとかですね(勿論、別解もアリです)。

 

浅い振り返り(「後悔」レベル)だと「ああ、あの時、遅刻しそうでもチェックすべきだった」だから「今後はそうしよう」となりますが、それだと何の自己変容もしてないので、また遅刻しそうになったらチェックはしないでしょう。つまり原因まで究明しないとプログラムの書き換えはできないので次に生きる「反省」にはならないのです。

 

でもいったん判断プログラム自体が書き換えられてしまえば、わざわざ過去の状況など覚えている必要も思い出す必要もなく、日常的に判断すれば過去とは違う行動が取れて同じ過ちは繰り返さないでしょう。ま、理屈的にはこういうことですが、上手くいくかどうかは、実際にやってみて試行錯誤するしかないんですよね。

 

よく「前回の反省が生かされていますね」などと言いますが、「前回の後悔が生かされていますね」とは言いませんよね。後悔すること自体は精神衛生上のカタルシス(浄化)効果はあると思いますのでけっして無意味とは言いませんが、次に生かせるものではないので、やはり実用的には「反省」が必要なんでしょうね。

 

Saigottimo

ジャズのスタンダードは色恋をテーマとした歌が多く、また同じ曲を男性でも女性でも歌っている。厳密に曲の背景まで考えると「本来この曲は男性(女性)が歌う曲だ」といった事情はあるにせよ、歌詞のgirlとboyを、ladyとmanを読み替えることで、男性でも女性でも違和感なく歌えるようになっている。

 

このブログでも、マグダラのマリアがキリストを想って歌う「私はイエスが分からない」を男性の私が歌う際の苦心談は既に書いたが、例えば「春の如く(It Might As Well Be Spring)」という曲は、本来はミュージカル「ステートフェア」で女性が歌う曲だが歌詞のmanをgirlに置き換えれば男性でも歌える(私も歌っている)。

 

あのボサノヴァの名曲イパネマの娘(The Girl From Ipanema)」はそのまま女性が歌う場合もあるがgirlをboyと読み換えて「イパネマの少年(The Boy From Ipanema)」として歌う場合もある。この場合は読み替えるとタイトルが変わってしまうので違う曲だと思っている人も居るが、実は同じ曲である。

 

そうは言っても「私の彼氏」という邦題の「The Man I Love」(1924)などは「さすがに男性は歌えないだろう」と思っていたら、SEABIRDのマスターが「たしかシナトラがManをGirlに変えて歌ってるよ」と言うのでyoutubeを探したら、シナトラ盤は見つからなかったがトニー・ベネットが「The Girl I Love」で歌っていた

 

う~ん、そうか。どんなスタンダードでも背景を無視すれば男女どちらでも歌えるのかと思っていたが、どうしても男性が歌えない曲を見つけた。それはディズニー映画「白雪姫」(1937)の挿入歌「いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)」である。この曲はビル・エバンスマイルス・デイビスの演奏で有名だ。

 

公式サイトから】

本来は白雪姫が歌うのだから、当然バーブラ・ストライザンドのように女性が歌う分には問題ない。メロディが美しいので私は好きなのだが歌えない。背景を無視して男性の私が歌おうとした場合、読み替えをしても上手くいかないのだ。原詞は専門サイトをご参照戴くとしてナンチャッテ和訳をすると、こんな歌詞である。

----------------------

いつか私の王子様が来るの

いつかまたお会いしましょうね

永遠に幸せになるために

私は彼のお城に行くわ

いつか春が来るでしょう
新しい愛を見つけるでしょう

いつか私の夢がかなうとき

鳥は歌い結婚式の鐘は鳴るでしょう

(translated by Saigottimo)

----------------------

これで「王子様(prince)」を「お姫様(princess)」に読み替えても「いつか私のお姫様が迎えに来る」って、いくら男女同権とはいえ、やっぱりおかしいよね?とはいえ白雪姫になり切って歌うのもヘンだし、なんとかして歌う方法はないか…。こんな悩みはヴォーカリスト以外のミュージシャンは抱かないよなあ。

 

Saigottimo

ジャズのスタンダードには、主旋律(chorus)の前に、ヴァース(Verse)と呼ばれる、独立した歌詞とメロディから成る短い前歌が付いている場合がある。これはミュージカル等で会話から歌に移行する場面展開での導入部の名残ともいわれ、歌う場合は大抵「ルバート」と呼ぶシャンソンのように語る自由なテンポで歌う。

 

ジャズのスタンダードに馴染みが薄くて上記の説明にも「ピンと来ない」という人には、中島みゆきの「時代」という曲を想い浮かべてもらいたい。冒頭の「今はどんなに悲しくて〜笑顔にはなれそうもないけど」までがまさにヴァース(前歌)で「そんな時代も〜」からが主旋律(chorus)に相当する。

 

ヴァースは楽器では余り演奏しないのでジャズファンの中には「やっぱりジャズヴォーカルはヴァースだよね」という人も居るくらいだが、このバースを歌うかどうかはヴォーカリスト次第。歌仲間の益田伸子さんは、いつもきっちりとヴァースから歌うが、私はヴァースがある曲でも、コーラスからしか歌えないことも多い。

 

何故ならヴァースから歌うにはヴァース部分(のメロディと歌詞)まで覚える必要があるので、レパートリーとするためのハードルが高いのである。その私がヴァースから歌える曲の一つに「In the wee small hours of the morning」という曲がある。シナトラのアルバム表題曲(1955)として有名なスタンダードだ。

 

♪In the wee small hours of the morning…2019年12月13日 渋谷・SEABIRD二金ライブにて♪

 

 

8小節のヴァースに主旋律(chorus)は16小節と比較的短め(一般的な主旋律は32小節)だ。いつものように原詞は専門サイトに譲るとして、ナンチャッテ和訳を試みるとこんな感じだ。

-------------------------

(ヴァース)

まだ午後の空に陽が高いうちは

いつでも何かすることを見つけられる

でも日没から夜中に向かっては、時計が時を刻むように

貴方の身にも何かが起こる

 

(コーラス)

世の中が寝静まった真夜中のほんのわずかな時間

貴方は眠ることも出来ず、羊を数える気にもならず

ただ、“あの人”のことを考えてしまうだろう

そして貴方の寂しい心は知ることになる

電話さえしてくれれば、貴方は“あの人”のものなのにと

真夜中のほんのわずかな時間

それは貴方が“あの人”のことを最も恋しく想うとき

(Translated by Saigottimo)

-------------------------

 

何故かオリジナルのシナトラ、そしてジュリー・ロンドンはヴァースを歌っていないが、トニー・ベネットカーリー・サイモンローズマリー・クルーニーはヴァースから歌っている(男性が歌う場合“あの人“はgirl,she,her,hers、女性が歌う場合はboy,he,him,hisだ)。

 

ヴァースの歌詞は、陽がまだ高い午後の時間から始まる。なんだかんだ言っても、することが見つけられるうちは慌ただしくしていることで気も紛れるもの。だが陽が落ちて、刻々と夜も更けていくうちに、だんだんすることも無くなってくる。さあ、貴方に何か(something)が起こりますよ、と主旋律を示唆する内容だ。

 

そして主旋律(chorus)は、真夜中のほんのわずかな時間でもついつい“あの人”のことを考えてしまって眠ることさえできない。だからといって羊を数えて眠ろうという気にもなれない。「ああ、電話くらいしてくれてもいいのに」なんて思ってしまう、そんな真夜中のひととき、これはいわゆる“魔の刻”なのかも知れない。

 

「wee」は「ちっぽけな」という意味だから「small hours」を強調して「ほんの少しの時間」となる。時間帯は「of the morning」だから最初は「朝」なのかなと思っていたが違った。朝だったら眠って夜が明けて目覚めた後の話になるが「wee small hours」は真夜中(午前1時~2時など)(研究社「英和中辞典」)を示すとのこと。

 

朝ではなく「真夜中」ということだから、主人公は寝てない、というか“あの人”のことが気になって眠ることもできない状況にあることを示している。ここでの「morning」は「午前」という意味だ。そしてこの曲のヴァースは、メロディも歌詞も綺麗に主旋律に繋がっているところが素晴らしいと思う。

 

Saigottimo

コロナ禍で深刻なニュースが多い中でもおめでたいニュースはある。元AKB48の板野友美とヤクルトスワローズの高橋奎二投手が結婚を発表した。芸能音痴で燕ファンの長男(*1)は「なんか知らない元アイドルがウチの若手と結婚したらしい。未来のエース候補と言われているが大丈夫なのかな…」という反応だった。

 

なるほど。高橋投手サイドから見れば、マー君こと田中将大投手(現ヤンキーズ)が結婚して飛躍したように「彼女が(マー君における)里田まいになってくれれば…」という期待ね。私はさすがに板野友美は知ってたが、タレントとか野球選手というよりも両者がお互いのどんなところに惹かれたのかという点に興味があった。

 

 

高橋投手は「彼女のどんな時も前向きな姿や(中略)持ち前の明るさや笑顔に惹かれると同時に何度も救われました」(スポニチアネックス)と言い、6歳姉さん女房の板野友美は「彼の少年のような無邪気で素直な人柄(中略)彼のそばにいたいと感じるようになりました」(日刊スポーツ)とコメントしている。ふむふむ…。

 

よく女性は「男性が(自分の)重い荷物を持ってくれるとグッと来る」というし、男性は「女性が明るい笑顔で励ましてくれるとグラッと来る」という。だからやはり「男性は逞しい強さ」、「女性は明るい優しさ」が異性にアピールするものだ、と思われがちであるが、実はこれは逆ではないかと私は思っている。

 

女性は、重い荷物を軽々持てる男性の「強さ」にではなく、自分の荷物を持ってくれる「優しさ」に対してグッと来るのだろう。その証拠に重さに負けてグラついても幻滅はしないはず。男性は、笑顔で接してくれる女性の「優しさ」にではなく、どんな辛い状況でも明るい笑顔でいられる「強さ」に対してグラッと来るのだ。

 

私はかつて部下同士の結婚式で祝辞を述べる機会があり、この話をして「新郎はずっと“優しく”あれば、そして新婦はずっと“強く”あれば、お互い上手くいくでしょう」と結んだ。随分経った後に新郎から「あの言葉はちゃんと覚えてますよ」と言われたので、きっと当人にも思い当たる事があったのではないだろうか。

 

一般的な男女のステレオタイプは「強い男&優しい女」だから、「気が強い」は女性への悪口、「優しいね」は男性への悪口になったりするが、これを真に受けてはいけない。表向きはステレオタイプ通りでも中身はその逆である方が勝つ。どんなに強くても優しくない男は棄てられ、どんなに優しくても強くない女はフラれる

 

男のウリは「優しさ」、女のウリは「強さ」だ。でも昔から「男は度胸、女は愛嬌」というじゃないか、と思うでしょ?でも何故そんな言葉が残っているか考えてみれば分かるはず。男はみな意気地無しだから「男は度胸」と言う必要があり、女は度胸があるのは分かってるから、せめて愛嬌くらい出せよという意味だろう。

 

スポーツ競技が男女別であるように肉体的には男性の方が強いが、精神的には女性の方が強いのは明らかである。恐らく神様は「逞しい体に優しい心を、優美な体に強い心を」と、クロスさせることでバランスを取ったのだろう。だから男は精神的に弱いので、優しさを武器に女の強さにすがって生きるしかないのだ。

 

 

“ともちん”こと板野友美は無邪気な彼に癒されながらいつまでも前向きな強さで彼を救い続け、“将来のエース”高橋投手は前向きな彼女に救われながらいつまでも無邪気さを失わずに彼女を癒し続けて、末永くお幸せな家庭を築いて戴きたいと、眩いばかりのツーショットを眺めて願う2021年の正月でありました。

 

*1:長男は幼い頃に東京ドームでヤクルト応援団に席を譲ってもらい応援グッズをもらったのがキッカケ。因みに東京生まれの私は巨人ファンだったが大学時代にアンチ巨人を経て巨人を倒した中日ファンとなり、家内と次男は寅年生まれで阪神ファン。

 

Saigottimo

先日、このブログで大晦日の「第71回NHK紅白歌合戦」でのあいみょんのことを書いたが、その前日(12/30)に「第11回Jazz de 紅白2020」がラドンナ原宿で開催された。コロナ禍で前者は無観客だったが後者は感染対策を施して客席数も減らし、出場歌手も紅白5組に絞っての少数精鋭での開催となった。

 

私の歌仲間からSEABIRD一金(第一金曜日)ライブのマッキーこと牧かおるさんが出場し、1st.setで「ソ・ダンソ・サンバ(So Danco Samba)」「ミスティ(Misty)」、2nd.setで「麗しき人生(The Good Life)」を歌い上げ満席の会場を唸らせた。圧巻の歌唱に司会者から普段は何処で?と訊かれ、SEABIRDと答えてくれて誇らしかった。

♪The Good Life…牧かおる 2020/12/30 ラドンナ原宿♪

 

この「麗しき人生(The Good Life)」、一般的にはトニー•ベネットのヒット曲(1963)として知られるが、原曲はフランスの映画音楽。ギタリストで歌手のサッシャ•ディステルの器楽曲(1962)が米国に渡って英詞が付いたらしい。その後はフランク・シナトラジュリー・ロンドンシャーリー・ホーンらも歌ってスタンダードになった。

 

youtubeには、ニューヨークの街中と思しきステージでのトニー•ベネットとビリー・ジョエルの豪華なLiveデュエットも上がっている。またこの曲はフランスに逆輸入され仏語の訳詞が付いて「La bell Vie(美しい人生)」としてディステルブリッジウォーター盤もあるが、男性3人の仏語の掛け合い画像は特に素晴らしい!

 

原曲はフランス産だが仏詞は英詞の翻訳らしいので原詞は英語。原詞は専門サイトをご参照戴くとして、よく読むと「麗しき人生(The Good Life)」というタイトルながら、決して単純な人生讃歌ではない。むしろアンニュイかつ、ちょっとシニカルな内容だ。以下にナンチャッテ意訳を試みると・・・

 

--------------------

ああ、良い人生!歓びに溢れているように見える

貴方はチャンスも掴まないから本当の恋に落ちることも無く、

貴方が感じているであろう全ての悲しみも覆い隠してくれる

でも偽のロマンスなどで誤魔化さずに自分に正直で居て

 

良い人生!自由で居るにはね

そして、貴方が知らない心の痛みなどを探索するにはね

でも学ぶためにはそれらに独りで向き合う必要がある

もし「何故そうなるの?」と思ったら、

今でも私が貴方を求めていることを思い出して欲しい

そして目を覚まし、その“良い人生”に別れのキスを!

(translated by Saigottimo)

--------------------

 

1/4(月)、NHKの「ストーリーズ」【特集】で、昨年7月に76歳で亡くなった世界的なファッションデザイナー山本寛斎のドキュメンタリー番組を観た。その中で昨年2月から急性骨髄性白血病に罹り闘病中に彼が書き綴っていたという大学ノートに目が留まった。そこには「人生は美しく自由である」と手書きで大書されていた。

 

若い頃に散々苦労してようやく掴んだパリコレの舞台で大失敗を経験し、それでも自身の個性を信じて道を模索し切り拓いてきた巨匠。きっと彼の人生は美しくはなく不自由だったに違いない。だからこそ彼は「人生は美しく自由であるべきであり、そうありたい」と渇望し、生涯を懸けて追い求めたように私には思えた。

 

彼が最期まで情熱を燃やし続けた若手登用のファッションイベントは、比叡山の本殿でハイテクの限りを尽くした、前代未聞にして実に自由で美しいものだった。そして、その開催の10日前に旅立った彼の人生は、間違いなく「La bell Vie(美しい人生)」と称されるものであったろう。

 

Saigottimo