1月に「新年の目標」を立てる人も多いのではなかろうか。「今年こそ○○を!」等と手帳に書き込んで「ん、待てよ。これ昨年も同じ目標立てなかったっけ?」なーんて“正月あるある”かも知れない。ま、そういうのも人間らしいといえば人間らしいですが「どうして毎年出来ない?」と自分にイラッとしたら少し考えましょう。
そういう時に昨年を振り返って反省し「そっかー、あの時ああすりゃ良かったんだな、うん」なーんて安易に納得してしまうと、結局また同じ事を繰り返してしまうのがオチです。これは私自身も散々経験していますからダメなこと間違いなし、請負います。では何故ダメかというと、これは反省ではないからです。
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よく「反省だけならサルでも出来る」なんて言いますが、実は「反省」って、もの凄ーく難しいことなんですね。じゃあ我々がよくやっているのは何かというと、あれは「後悔」です。後悔とは字のごとく後から悔やむこと、つまり過去に遡って「あの時、こうすれば(しなければ)...」という奴で、これは結果論で全く役に立ちません。
では「反省」は「後悔」とはどう違うかというと、過去ではなく未来に向いているのです。つまり「あの時」こうすればではなく、「今後は」「次は」という“未来志向”であり、かつ(従来と違って)こうしよう、と今までとは違う行動をするために何らかの“自己変容”を伴う、という2点が「後悔」とは異なるのです。
こう言うと、でも「あの時こうすれば(しなければ)良かった」というのも、今後同じ状況が起きた時には同じ行動をしないんだから“未来志向”だし“自己変容”じゃないの?と思う人もいるでしょう。でもね、「今後、同じ状況」ってまず起きないんですよ。仮に同じ様な状況だったとしても、思い出してまで違う選択はしないものです。
我々の日常はライブ、言わばTVの生放送と同じで、一瞬一瞬の状況変化に応じて判断して行動を選択してますから、仮に以前にやらかしてしまったのと似た状況だったとしてもその時点ではもう判断して行動を選択しています。そして後になって「あの時と似た状況?」と思った時は既に遅く「後悔先に立たず」なのです。
ではどうしたら“未来志向”で“自己変容”出来るかというと「まず過去を肯定すること」。通常、振り返って「あーあの時は何であんなことしたのかな?きっとおかしかったんだ」と、過去の自分(の思考や行動選択)を否定しがちですが、逆に「そうだよ、当然ああするよ」と過去の自分の思考や行動を一旦、正当化するんです。
そうすることで、その時の行動選択プログラムが今も自分の中で生きていることが確認できます。そしたら次に、その状況で違う選択肢を選ぶためには、プログラムがどう変わればいいのか、と考えて、今も自分の中で生きているプログラムをそう書き換えれば、“自己変容”ができ“未来志向”で違う選択になるはず。
具体的な書き換え方はというと、例えば何か大事なモノを持って出るのを忘れた場合で、その原因が「荷物を詰める際には『出発時にリストでチェックしよう』と思ってたのに出発時に時間がなくてチェック出来なかったから」だとすれば「出発時にチェックは出来ないもの」と認識を改めるとかですね(勿論、別解もアリです)。
浅い振り返り(「後悔」レベル)だと「ああ、あの時、遅刻しそうでもチェックすべきだった」だから「今後はそうしよう」となりますが、それだと何の自己変容もしてないので、また遅刻しそうになったらチェックはしないでしょう。つまり原因まで究明しないとプログラムの書き換えはできないので次に生きる「反省」にはならないのです。
でもいったん判断プログラム自体が書き換えられてしまえば、わざわざ過去の状況など覚えている必要も思い出す必要もなく、日常的に判断すれば過去とは違う行動が取れて同じ過ちは繰り返さないでしょう。ま、理屈的にはこういうことですが、上手くいくかどうかは、実際にやってみて試行錯誤するしかないんですよね。
よく「前回の反省が生かされていますね」などと言いますが、「前回の後悔が生かされていますね」とは言いませんよね。後悔すること自体は精神衛生上のカタルシス(浄化)効果はあると思いますのでけっして無意味とは言いませんが、次に生かせるものではないので、やはり実用的には「反省」が必要なんでしょうね。
Saigottimo

