今はコロナ禍という事情もあるが、近年はよく“ストレス社会”などと言われる。対人ストレスに加えてパソコンやスマホなどの最新機器やテクノロジーへのストレス、そしてSNSやネット詐欺などのデジタル社会のストレスもあって、我々の生活にストレスの種は尽きず、それらは肉体のみならず心を蝕む原因にもなる。
そもそもストレスとは何だろう。和訳すると「歪み」などの意味もあるように何らかのプレッシャー(圧力)だろう。ただ私は「生物はストレスが無いと生きられない」と習った。地上なら1気圧の空気圧や1Gの重力などが存在し、それらに抗う力が生命力であり、もし無ストレス状態になったら生命は維持できないというのだ。
だとしたら人間にとってストレスは必要なものであり、問題は「ストレス」そのものではなく「ストレス過多」なのだろう。「過ぎたるは及ばざるが如し」というように、どんなに必要なものでも過剰になれば害となる。栄養素でいえば塩分やコレステロール(脂質)のようなもので、不足しても過剰でも身体に害を及ぼすのだ。
これはステージパフォーマンスやビジネスプレゼンテーションなど、人前で何かをする際を思い浮かべてもらえば分かり易い。本来は「緊張する」のと「アガる」のは全く違うが、この点はまた稿を改めるとして、緊張し過ぎてガチガチになっては何も出来ないが、逆に緊張感が皆無でも、けっして良い結果は生まれない。
つまり、ストレスは決して「撲滅すべきもの」ではなく「コントロールすべきもの」なのだ。しかし、塩分やコレステロールなら摂取し過ぎないように自分で食生活に気を付ければある程度コントロールすることができるが、ストレスは外部からやってくるので、栄養素のように自分から摂取しない等のコントロールはしにくい。
最も多いストレスは対人関係だろう。私の経験だが、ある先輩が苦手で、頻繁には遭遇しないが会うたびにストレスを感じていた。ところがある時ふと自分の対応を変えて以来、相手は何も変わってないのに苦手でもなくなりストレスも感じなくなった。問題は相手ではなく上手く対応できない自分が嫌でストレスだったのだ。
上記は一例だが、外部環境や自分以外の人間は確かにコントロールできないが自分の行動はコントロールできる。上記の私のように相手が同じでも自分の対応を変えるとか、例えば満員電車がストレスだったら早朝の空いている電車に乗る事は可能なはずだ。ま、もっとも早起きの方がストレスだったらダメだが…。
同じ「人間関係のストレス」といっても様々だ。相手が同性か異性か、先輩か同輩か若輩か等で異なるはずであり、それぞれに対して様々なコントロール方法があるはずだ。誰しも得手不得手はあるだろうが「私のストレス対処法は~」と、何でもかんでも一つの方法だけでコントロールしようとするのは無理がある。
ストレス・コントロールとしては様々な方法を組み合わせるべきだろう。早起きして満員電車を回避するように、まずストレスを「(事前に)回避する」事ができれば理想だが、遭遇してしまったら「(ヒラリと身を)かわす」「(柳のように)柔らかく受け流す」または「(果敢に)戦って撃破する」など、幾つか引き出しを持つと良い。
それでも対処できずにストレスのパンチを喰らったら、事後に「(振り返って)自分への意味付けを変える」とか「(他の事をして)忘れる」とか「(好きな事に没頭して)解消する」など、これまた様々な手段を組み合わせて解毒(デトックス)しておくべきだ。喰らったままだと、知らぬ間に毒が心に蓄積していく恐れがあるからだ。
大自然(満点の星空や大海)を眺めて「自分の体験など小さなことだ」と思うのも「(振り返って)自分への意味付けを変える」手法のひとつだが、ある本のタイトルが「小さなことにクヨクヨするな」、そしてサブタイトルは「所詮、すべては小さなこと」だった。この2行だけ見て「もうこの本を読む必要はないな」と笑ってしまった。
Saigottimo
