ジャムセッションなどで「何やります?」「じゃあ、ジョージアにしましょう」と言ったら、休憩して缶コーヒーを飲もうという意味ではない。「酒バラ」がビール腹ではなく「酒とバラの日々(The Days Of Wine And Roses)」を指すように、「我が心のジョージア(Georgia On My Mind)」というスタンダード曲を演奏しましょうということだ。

 

 

この曲は、あの「スターダスト(Stardust)」(1927年)を作ったホーギー・カーマイケルが1930年に作曲し、30年後にレイ・チャールズ盤が全米ヒットチャートNo.1でミリオンセラーとなった事で1979年にはジョージア州の州歌に制定された。また1996年同州のアトランタ五輪開会式では同地出身のグラディス・ナイトが歌った

 

 

但し、ジョージア(Georgia)は女性の名前としても一般的に使われているようでチャップリンの映画「黄金狂時代」のヒロインの名もジョージアだ。タイトル「我が心のジョージア(Georgia On My Mind)」も女性の名前でもおかしくないし歌詞も(原詞は専門Webに譲るが)ナンチャッテ意訳をすると下記の通り女性名でも通用しそうだ

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「我が心のジョージア(Georgia On My Mind)」

 

ジョージア、ああ、ジョージア

私の心の中で一日中流れる昔の素敵な歌声が君なんだ

 

ジョージア、ああジョージア

君の歌は松林を抜けてくる月光のように甘く澄んでいる

 

かの腕は私に手を差し伸べ、瞳は優しく微笑みかける

君のもとへと戻ることを夢見る私の安らぎのひととき

 

ジョージア、ああ、ジョージア

私の心の中のジョージア、昔の素敵な歌をおいて

私はもう安らぎを見つけることはできない

(Translated by Saigottimo)

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レイ・チャールズ自身はジョージア州出身だからきっと自身の故郷を想って歌っているのだろうが、作曲者のホーギー・カーマイケルはジョージア州出身ではなくインディアナ州出身。彼にはジョージアという名前の妹がいた。だが、自伝では南部の土地Georgiaをテーマにした作曲依頼で作ったと記しているとのこと。

 

ではジョージア州出身でもジョージア国(旧・グルジア共和国)出身でもない者が「おお、ジョージア」と望郷の想いを歌えるのかといえば、そういう名前の女性に恋している訳でもないのだから同じ事。まあ、女性が歌う場合は望郷以外に選択肢はないが、男性なら恋愛歌でも、望郷歌でもどっちでもイケる便利な歌なのだ。

 

この曲がもう一つお得なのは、様々なジャンルのバンドで伴奏してもらえそうな点である。ロックバンドでシナトラ、ジャズバンドでプレスリー等は厳しいが、レイ・チャールズなら、ジャズ、ロック、ポップス、カントリー、R&B、どんなジャンルのバンドでも抵抗なく演奏するだろう。その点で彼は唯一無二の存在である。

 

彼の名は知らなくても「いとしのエリー」英語版「ウイ・アー・ザ・ワールド」のサビ部分の声は聴いた事があるだろう。盲目の天才黒人アーチストであるレイ・チャールズが人の心の奥に響く“ソウル・ミュージック(魂の音楽)”の開祖と呼ばれる所以だ。これから洋楽を始める全てのヴォーカリストにお薦めしたい1曲である。

 

【私のイチオシはライチャス・ブラザース盤】

 

♪Georgia On My Mind…2001年3月14日新橋・RedPepperにて♪

20年前の録音だが上記のライチャス盤を意識しているのが分る。

 

Saigottimo

東京五輪組織委の森氏が「女性の多い委員会は会議に時間がかかる」と発言して物議を醸し2/18に会長職を辞任した。この発言は後に本人が撤回して謝罪したので自他共に認める「失言」だが、この失言を「女性蔑視発言」とする事には大いに異議がある。この点については誰も言及しないので一言述べておきたい。

 

「女性が多い委員会は会議に時間がかかる」という発言は、裏を返せば「男性ばかりの(女性が少ない)委員会は会議に時間がかからない」となる。これでは男性はちゃんと議論しない、と断じているようで逆に男性蔑視ともとれる。これらは本来、性差ではなく個人差なので彼の失言は「性差別発言」として問題なのだ。

 

東京五輪組織委のWebサイト

 

「女性蔑視発言」だと、まるでオンナの悪口を言ったから辞任に追い込まれたみたいではないか。そうではなく五輪憲章で謳う“差別しない精神”に反する(性差別)発言をしたから五輪組織委の会長を辞任せざるを得なかったのが問題の本質である。「女性蔑視発言」と称している日本のメディアの見識を問いたい。

 

このニュースを聞いて私はこう思った。おそらく彼は今まで会議主催者としてメンバーに形式上意見を求めても本気で個々人の見解を聴きたい訳ではなく、結論として「トップに一任」「御意に」というシャンシャン会議をして「コンセンサスとはそういうもの」と認識している多くの組織管理者の一人だったのではないか

 

日本では上下関係を重んじる男性社会の会議は「参加者全員がボスと同じ見解であることを確認する場」である事が多い。一方で女性は一般的にフラットコミュニケーションが得意なので疑問があれば臆せず質問するし意見も述べる。だからそんな女性が多いとボスは面倒臭くて困るのだろうと私は勝手に推測した。

 

しかし世の中にはオトコ社会に溶け込もうと振る舞う女性もいる一方で、会議の場でKYな質問や忖度なく意見を述べる私のようなメンドクサい男性もいる。あの発言を聴いて「あんたみたいなオヤジの話の方がずっと長いわよ」と呟く女性もいただろう。こうした問題は最終的には個人差だから性差で括るには無理がある。

 

「女性蔑視発言」と宣うメディアはそこを勘違いしていないか。蔑視したからではなく五輪憲章に反したから辞任なのだ。五輪に関係なく差別発言が一切ダメなら「さすが男だ」「女の鑑ね」等の台詞も危ないし性差別のみならず世代間差別や地域間差別等も含めると、今後はメディアも相当の覚悟が必要になるはずだ。

 

「貴方って秋田美人ね」はギリセーフかも知れないが「秋田は美人県だね」はグレイだ。何故なら裏を返せば「近隣県はどうなのか?」という地域間差別に繋がる恐れがある。「これ安いけど○国製だからね」等の発言も危険だし「年寄り臭い」「老害」等の発言も世代間差別として非常に危険な発言となってしまうだろう。

 

世界ではアネクドートと呼ばれる、思想や人種等の違いを扱ったジョーク類がある。救命ボートに乗せようと海に飛び込ませるため米国人には「ヒーローになれますよ」イタリア人には「異性にモテますよ」ドイツ人には「飛び込む規則です」日本人には「皆さん飛び込みました」…等々。何の根拠もない偏見だが笑える。

 

森氏は差別しない精神を謳った組織のトップだったから許されなかったのだが、このままいくとメディアの自主規制という名の不文律はこうした“他愛もない笑い話”も公共の場から封殺しそうで恐ろしい。かつて山本七平氏が著したように(*1)、日本は昔から誰も責任を負わない“空気”が支配する社会だからだ。

 

*1:山本七平「『空気』の研究」文春文庫

Saigottimo

先日このブログで「ガンを含めた多くの疾患は自身の免疫力低下によるものであり、最近開始された新型コロナウイルスのワクチン療法も自身の免疫力が頼り」と述べた。また「免疫力低下をもたらす最大の要因は過ストレスである」とも述べた。では逆に免疫力はどうすれば向上するのだろうか?

 

「免疫力低下」に繋がる行動の逆をすれば「免疫力向上」に繋がると考えれば、「運動不足/過度な運動⇒適度な運動」「休養不足&睡眠不足⇒充分な休養&睡眠」「栄養の偏った不規則な食事⇒規則正しく栄養バランスの良い食事」となる。まあ、確かにそうだろうが、そんな生活が出来るなら誰も苦労しないのではないか。

 

また上記は「身体面」であるが「精神面」はもっと難しい。「免疫力低下」の最大要因であるストレスなどは、別記事で書いたように「生物は無ストレス下では生息できない」から無くせばいい訳ではない。そして巷には「免疫力アップ食品」等が溢れているが、最も簡単に免疫力を向上させる方法は「笑い」なのだそうだ。

 

【笑うお札 by bBearさん(写真ac)】

 

「笑い」は動物の中で人間だけが出来る高等な事らしいのだ。笑うことで脳内が活性化されα波が増えてリラックスできるほか、脳内モルヒネといわれるエンドルフィンというホルモンが分泌され幸福感が増すなど、最近の研究によって「笑い」は、免疫力がアップするだけでなく、数多くの効用があることも分かってきている

 

確かに我々が心から「わっはっは」と笑っている時は何も考えられないし面倒な問題が頭を悩ませてはいない。「笑ったところで問題は何も解決しないじゃないか!」と思うかも知れないが、そもそも考えても解決しないから悩みやストレスになっているのだろうし、少なくとも笑っている間だけは悩みから解放されているはず。

 

だが我々は「笑い」を余りにも軽く見ていると思う。よく「笑い事じゃない」などと簡単に言うが、“人に笑われる”ことは簡単でも“人を笑わせる“ことは非常に難しい。これはプロフェッショナルワークなのだ。笑えばいいといっても日常生活の中で本気で笑う機会など殆ど無いし自分で作ろうとしても簡単に出来ることではない。

 

タイトルで「簡単な方法」と書いといて「難しい」とはなんだよ、と思うかも知れないが、コメディアンや落語家や漫才師やお笑い芸人など、要するにプロの力を借りればいいし借りるべきなのだ。映画館やDVDでコメディ映画を観るのもいいが、寄席の定席まで足を運べば、半日2~3千円でプロがナマで笑わせてくれる

東京には寄席の定席が5つあるが、私は自宅から一番近い新宿「末廣亭」の会員になっているので年に4~5回以上行く。ここは昼の部(12時~16時)、夜の部(17時~21時)入れ替え無しで会員なら2,500円(一般3,000円)でお酒以外の飲食も持込自由だから、私は休日にお弁当を持ち込んで終日楽しむことにしている(*1)。

 

下戸の私には関係ないが上野の「鈴本」ではアルコールもOK。その他にも浅草演芸ホール」「池袋演芸場そして国立演芸場がある。これらの定席は1組の出番が15分前後だし、落語が3組以上続かない様に(色物と呼ぶ)漫才・漫談、曲芸、奇術、紙切り、講談、音曲などが入れ替わり立ち替わりで飽きさせない。

 

私は趣味でヴォーカルや朗読をしているので“ステージパフォーマンス”としても寄席はとっても勉強になる。歌う前のMCでの小噺のネタを仕込んだり、ちょっとした間の使い方や客いじりのテクニックも得られる。また、こうするとウケる、ああしたらスベるということも客席側に居るとなんとなく分かることもある。

 

最初は寄席に行ってお気に入りの噺家や芸人を見つけたら、その人の独演会等にも足を運べばよいし最近はインターネットの動画でも様々な噺家や芸人のパフォーマンスが気軽に見られるから、寝る前にタブレットなどで見たりイヤホンで聴くなどの楽しみ方もあるだろう。今やTVやラジオの演芸番組を待つ必要すらない。

 

*1:コロナ禍や緊急事態宣言下は興業時間の短縮や館内での飲食禁止などの制約もあるので事前にWeb等で確認されたい。

 

Saigottimo

朗読家の中田真由美さんとのご縁から、以前ご紹介した「キューピットは雪女」に続き、石貫さんの新作「海沿いの夜行列車」にも出演させて戴いた。この作品も登場人物別に複数人が声を担当し、BGMや効果音が入ったオーディオドラマ(従来でいうラジオドラマ)形式で、前作同様に“大人のお伽噺”という感じである。

 

今回の作品は、連日激務に明け暮れるOLのセツが終電を逃して佇んでいたホームに入線してきた夜行列車にふと乗り込んでしまうことから思いもかけないドラマが展開する・・・といった内容だ。とってもシュールで不思議な雰囲気が漂い、聴く者を非現実の世界(石貫ワールド)にいざなってくれることだろう。

 

オーディオドラマ「海沿いの予行列車」【29分間】

■スタッフ
原作・作曲・制作統括:石貫慎太郎 (タイトルイラストも!)
制作:朗読と音楽のユニット「音葉の森」

■キャスト

ナレーション:中田真由美
セツ:​山木梨花
革ジャンの男性:能登洋宇
店員、少女:南春奈
車掌、初老の紳士:Saigottimo(開始9分後,17分後に登場)

 

私が今回の原作を読んで最初に頭に浮かんだのはポール・デルヴォーの絵画だった。彼はマグリットと並ぶベルギーのシュールレアリズム(超現実主義)の画家であり、作風から幻想絵画家と称されることもある。月光に照らされる青白く美しい裸女の静かな絵が有名だが夜行列車など汽車を描いた作品でも知られる

 

【ポールデルヴォー展のカタログ】

 

またドラマの舞台となる夜行寝台列車は、「あさかぜ」「さくら」などのブルートレインとして私が子供の頃に母の郷里である熊本との往来で馴染みが深い。新婚旅行ではカナダの寝台特急にも乗ったし、長男が小さい頃には家族で青函トンネルを通る「北斗星」にも乗った。4年前には夜行寝台で出雲に行ったこともある。

 

【唯一現存する定期寝台特急「サンライズ出雲/瀬戸」】

【左:上野駅入線、右:横浜駅通過(2017.3.22)】

 

今回も役作りとして自分が担当する「車掌」と「初老の紳士(鉄道職員)」について作品を読み込んで考えてみたが、物語自体がシュールな設定でもあり、リアルなワークキャリアなどの設定や人物像がなかなか思い浮かばない。むしろ登場人物は全て主人公の心の中の様々な人格が人物の姿で現れているような気さえした。

 

そこで連想したのが中学時代に読み漁った筒井康隆の短編の一つ「欠陥バスの突撃」。主人公の心の中の「サラリーマン根性」「気障」「食欲」「アル中」「色情」「アニマ」など18種類の人格がバスの乗客として描かれており、今回の車掌は「サービス」と「計算機」、初老の紳士は「老人」と「知識」に相当する様に感じた。

 

【同作品掲載の角川文庫】

 

ご興味ある方は上記の文庫本(当該作品は計32ページ)が図書館で借りられるが、お薦めしたいような、したくないような…。というのも、今ではとても上演できそうにないキワどいドタバタ劇だからだ。対するこの石貫作品はとてもソフトなファンタジーに仕上がっているし、私以外の“声のプロ”の凄さもご堪能戴けるだろう。

 

Saigottimo

ようやく新型コロナのワクチン接種が始まった。特効薬が出現しない限り、今の世界的なパンデミックを収束させるには百年前のスペイン風邪の様に人口の大多数が感染して「集団免疫」を獲得するしか方法が無さそうである。人々は感染しないように気を付けながらワクチン接種で抗体を得るように努める事になる。

 

不思議なのは、ワクチンの確保数ばかりに関心が集まっていて、確保したワクチンをいつまでに接種し終えるかについては誰も聴かないし言わないことである。政府は「まず全国100か所で4万人の医療従事者に先行接種」を開始するというが、ではいつ頃までに全国民(1億2千万人)に接種が終了する計画なのだろうか。

 

ワクチン担当大臣の記者会見(首相官邸Webサイトより)】

 

単純計算してみた。接種にかかる時間は1人2分間として1時間に30人、1人の医師が1日8時間実働して240人だから千人の医師が終日フル稼働して1日24万人。それを無休で続けても全国民(1億2千万人)完了には500日(1年5ヶ月)、つまり今年3月から上記ペースで接種し続けても来年2022年の7月までかかる

 

しかも従来の季節性インフルエンザだってワクチン接種をしても感染することがあるから、今回ワクチン接種をしても感染しない保証はない。となると結局、現在と同じく皆がマスクをして者間距離をとり換気をして3密を避ける必要があり、全国民がワクチン接種を終えても以前の生活には戻れないということになる。

 

一方で、抗体の持続力が低いため新型コロナウィルスではスペイン風邪の様な「集団免疫は出来ない」との見解もある。そうなるとワクチン接種後も、定期的なワクチン接種や渡航制限等の社会的規制も無くせない。つまり世界的なパンデミックは収束せず、この状況が常態(ニューノーマル)となりそうだ。

 

そしてワクチンもそうだがウイルスを退治するのは結局、本人の身体の中の防御システム(免疫力)頼みということだ。これは今回のウイルスに限ったことではなく、風邪だって免疫力や自然治癒力で治る。世にある感冒薬(風邪薬)は諸症状の緩和(対処療法)と(風邪と直接関係ない)雑菌等を殺して免疫力を助けるだけだ。

 

実は死因のNo1であるガンも同じだということが近年の研究で分かって来た。ガンは「不治の病」ではなくなったが今や2人に1人が罹患する。人間は全細胞(数十兆個)が数ヶ月で入れ替わるが、細胞をコピーする際のミスで生まれるのがガン細胞で、実は誰でも毎日5千個程度のガン細胞が体内で作られているという(*1)。

 

【累積罹患リスク・累積死亡リスク(がん情報サービスwebから)】

そのガン細胞は、免疫システムによって毎日1つ残らずキレイに殲滅させられているからガンは発症しない(*1)。しかし、免疫力が低下すると殲滅し切れずに残ったガン細胞が増殖して一定量に達すると発症に至るというのだ。だからガン発症の原因は、何らかの理由で「免疫力が低下したこと」に他ならない。

 

免疫力低下の要因は睡眠不足や栄養の偏り、運動不足など多々あれど、最も多いのは(過)ストレスであり、これが「ガンはストレス病」と言われる所以であるストレス対処法については以前述べたが、ガンに限らず遺伝性のものを除けば多くの「病気は(過)ストレスによる免疫力低下が主要因」ということになろう。

 

私の母親は51歳で若くしてガンで逝った。九州から単身上京し女手ひとつで複数の会社を興して私と妹を育てた彼女のストレスはいかばかりか想像も出来ない。40年以上前、親をガンで亡くした私はガン保険に加入出来なかったが、後に医学の発展でガンは遺伝病でないと分かったからか、私もガン保険に加入できた。

 

現在、新型コロナウイルスは世界で罹患1億人超、死者240万人超という怖い感染症であり、その感染対策は今後もずーっと続ける覚悟が必要だ。と同時に、その対策自体が精神的な(過)ストレスになると、コロナに感染せずともガンをはじめ他の病に罹る恐れがあるので我々はこの点にも要注意である!

 

*1:「がんって何?」東京都福祉保健局

 

Saigottimo

まだ寒い日が続いているがもう春。四季は地球と太陽の位置関係で決まるので立春(今年は2月3日)からの4分の1年間(約91日間)は春に当たる。春まだ浅きこの時期に私が毎年歌うスタンダードに「If Love Is Good To Me」という曲があるジャッキー•パリス(vo.)の曲として山本晋平さん(cl,ts)に教えて戴いた。

 

 

山本晋平さんとは渋谷・SEABIRDを通じて知り合い、これまでクリスマスコンサート等で何度かお声かけ戴きご一緒している。私は所謂「ジャズ屋」ではないが、山本さんも広いジャンルで音楽をよくご存じの方なので、イージー・リスニングの話だけでもいくらでも盛り上がれるという、私にとっては得難く貴重な存在である。

 

この曲は、ナット•キング•コールカーメン•マクレエなども歌っているスタンダードなのだが余り知られていない。私が一時期セッション・ナビゲーターをしていたこともある表参道のJazz birdで歌ったら、米国暮らしもしていたママさんに「日本人が歌ってるのは初めて聴いたわ」と言われたくらい、歌う人も少ない曲のようだ。

 

【表参道・jazzbird(お店のHPより)】

 

私はこの曲の歌詞も好きなので「春の如く」と同じくナンチャッテ翻訳をして“歌わない和訳詞”として歌う前に朗読をしている。その際にどう訳していいのか困ったのがgoodという言葉だ。調べると「good time→幸福な(楽しい)時間」「be good to me→私に優しくして」等の用法もあり、非常に守備範囲が広い言葉である。

 

例によって原詞は専門ページを見て戴くとして、私は下記のようにナンチャッテ和訳をしてみた。

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もし、この愛が、私にふさわしいものだったら、
春が訪れ、草は伸び、雪は溶けて、小川が流れ出すだろう
雲は泣き、雨となって、大地はため息と共に、

それを呑み込むだろう

母なる自然が、あなたの愛を育(はぐく)む限り、
青空はいつだって、私の上に広がっているだろう

冬の寒さに、木の葉(このは)が散るころ、
私はかつて、あなたがくれた夏のときめきを思い出す

いつだって、素晴らしいことは、あなたによってもたらされたから

どんなことだって、起こるにちがいない
もし、この愛が、私にふさわしいものだったら

(Tranlated by Saigottimo)
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ここでは「good to drink→飲料に適する」等の用法から、good to meを「私にふさわしい」と訳してみた。loveは定冠詞が無いので本来は「愛(というもの)」だが、ここでは「この愛」としないことには収まりがつかない気がした。makes you love meは直訳すると「貴方をして私を愛させる」だが「あなたの(私への)愛を育む」とした。

 

♪If Love Is Good To Me 2016年2月5日…SEABIRD第一金曜ライブにて♪

 

上記は5年前の録音だが、いま聴き返してみると(歌はともかく和訳の)朗読は今ならもう少しちゃんと読めそうな気がする。いずれにしろ、残念ながら今年はこの曲も歌えないまま本格的な春を迎えることになりそうだ。さて、今年は果たして春になったら、あるいは夏になったらライブで歌える世の中になっているのだろうか。

 

Saigottimo

NHK朝ドラ「おちょやん」(第34話・1/21放送)で、まだ駆け出し大部屋女優時代の主人公に対して、スター女優の高城百合子(井川遥)がこう諭すシーンがあった。「役者はある意味人をだます仕事かもしれないけど、でも自分だけは絶対に騙しちゃ駄目!自分を騙したら良い芝居は出来ないから」と。

 

 

これで私が思い出したのは、かつて従事していた広報業務における心得「逃げない、隠さない、ウソをつかない」の広報三原則だ。外部のメディア等からの問合せに対し「担当者が不在です」等と逃げたり、都合の悪い事実を隠ぺいしたり、事実と異なる事を言う(ウソをつく)のは広報的に絶対してはダメという戒めである。

 

こう書くと「では広報とは知っていることは何でも洗いざらい話すのか?」と思うのはシロウト。逃げず隠さずウソもつかずに伝えるべきことだけを、感じ良く話せるのが優秀な広報パーソンだ。「広告宣伝」と混同されがちな「広報」はPublic Relationsの和訳だから社会的信用を失わない事が大前提、そのための三原則だ。


逃げたり隠したり嘘をつく人は誰も信用しないし信用を失う。だから「自分にウソをつく(騙す)」という行為は、何よりも分からの用、つまり「自信」を失う。実に単純な話だ。当然ながら、自信が無い役者に良い芝居はできないだろうが、これはなにも役者に限らずミュージシャンでも企業人でも誰でも同じではないか。

 

但し日本の社会では「自信がある」と表明すると「(自信満々な)イヤな奴」だと思われるので表面上は「自信はないです」と言うのが一般的なオトナであり、そう言う人が「謙虚で控え目な善い人」だとされている。でも表面上はともかく内面的にも「自信がない人」は、どこかでこの三原則に反しているのではないかと思う。

 

よく他人から「そこは自分を信じて!」「もっと自信を持て!」などと言われて戸惑う人も多いだろう。他人から言われて自信が持てるならそれでもいいが、もし貴方が(表面上ではなく)本当に自信が無いなら何か原因があるはずだ。例えば、(自分に対して)この三原則に反していないか省みるのも一つの方法である。

 

【photo by  實悠希(写真ac)】

 

具体的には「(自分が直面すべき事から)逃げてないか」「(心に蓋をして自分に何かを)隠していないか」「(自分の心を偽り自分に)ウソをついていないか」ということだ。これらのどれかにドキッとしたら心当たりがあるのだろうし、もしそうだったら、そりゃあ分に用してもらえないのは当たり前ではないだろうか。

 

周囲に対して表面上はどんなに自信満々な態度で繕っても、当然、自分にはバレている。よく「自分にウソはつけない」というが、実際は自分にウソもつけるし自分を騙すこともできるのだ。だが、自分の本心はお見通しだから、そういう事をすると「自信が持てなくなる」という対価を支払わざるを得なくなるのだろう。

 

逆に言えば「自信がある人」とは「何でも上手く出来る人」ではない。上手く出来ようが出来まいが等身大の自分を潔く正直に認め、弱い自分にも情けない自分にも目を背けず、赦し、そこから逃げず隠さず欺かないだ。つまり「(たとえ他人をいくら欺いても)自分には正直でウソをつかない人」ではあるまいか。

 

本当は自信があるのに「自信がないです」と他人を欺いているだけの人は別だが、本当に「自信がない人」は決して「謙虚で控え目な善い人」ではなく単に「自分から信用されてない人」だ。“自分を愛せない人は他人も愛せない”ように、そういう人はまず自分を欺くことをやめるのが自信を持つスタートではないだろうか。

 

Saigottimo

昨年末の紅白歌合戦で、あいみょんの言動から「ステージで緊張するということ」という記事を書いた。また「ストレスとどう向き合っていくか」という記事でも「緊張し過ぎてガチガチになっては何も出来ない」と述べた。今回は一部再掲となるが、ガチガチになること、すなわち「アガッてしまう」ことに焦点を当てて詳述したい。

 

ステージなど人前に出て喋ったり歌ったりすると誰でも緊張するものだ。私は本業のビジネスでのプレゼンテーションのみならず趣味のヴォーカルや朗読でステージに立つ機会が多いが、最近は緊張はしてもアガッてしまうことは無くなった。場数を踏んだ(経験を重ねた)事もあるし歳を取って図々しくなったこともあるだろう。

 

【ステージから(日生劇場HPより)】

 

こう言うと「お前は元々図々しい性格だからだろう」等と言われる。ま、それ自体は否定しないが、たまに「私は(貴方と違って図々しくないので)人前に出るとアガッてしまうんです」と、さも自分が控え目で遠慮深い性格だからアガるのだと言わんばかりの人間に出会うと「あ~あ、こいつ分かってないなぁ」と内心思ってしまう。

 

実は「緊張する」ことと「アガッてしまう」ことは全く違うのだ。多くの人は「アガッてしまう」のは緊張のし過ぎ、つまり緊張の延長線上にあると思うかも知れないがそうではない。地震等の災害に遭遇すると誰でも緊張はするが「アガッてしまう」ことはないはず。アガッている時は必ず緊張しているが、その逆は真ではないのだ。

 

「アガッてしまう」のは次の3条件を全て満たした場合だけだ。

①.自分が試される状況だと思っている。

②.自分の失敗は許されない状況だと思っている。

③.自分は失敗する可能性があると思っている。

上記のうち1つでも条件を満たさなければ、人はアガらない。

 

例えば、ここで失敗しても全く自分の責任にはならないなら①を満たさないのでアガらない。またここは何度失敗してもOKという状況なら②を満たさないのでアガらない。さらに、例えば飛び越えるハードルの高さが10㎝なら失敗の可能性は無いので③を満たさないからアガらない。だから3条件を全て満たした場合だけアガる。

 

もう薄々お気付きかも知れないが、この3条件に共通する要素は「自分」である。本来なら人前で何かをする場合に最も大切にしなければならないのはお客様(聴衆)なのに、あろうことか勘違いして「自分」に意識が向いているから「アガッてしまう」のだ。つまり意識を100%お客様に向けていれば絶対アガらないのだ。

 

だから「アガッてしまう」というのは言い換えれば“自意識過剰”なのだ。ビジネスでのプレゼンテーションでもエンタメのステージでも、お客様に何かを伝えて喜んで戴くのが趣旨なのに、まるで自分の発表会のように勘違いして自分に意識が向いてしまっている。これはビジネスならとても不真面目な態度ではないか。

 

ビジネスでもエンタメでも「お前を見に来た訳じゃない、ちゃんとやれ!」と言われても仕方ない。ただ「自分を良く見せたい」のは誰にでもある「スケベ心」。だから「私はアガッてしまうんです」と言う人は、控え目で遠慮深いどころか「自分はとんだ勘違いの自意識過剰スケベ人間です」と宣言しているに等しい。※

 

紅白で、あいみょんは「緊張した」と同時に「最高に楽しかった」「歌えて嬉しかった」とも述懐している。毎回「緊張する」と言っていた越路吹雪や和田アキ子もそうだろうが、ステージでどんなに緊張しても「アガッてしまう」ことはなく、むしろ緊張感を楽しんで良い結果に繋げていくのがプロのパフォーマーなのだろう。

 

※これらの見解は、医学的に疾病として診断された「アガリ症」罹患者の方には当てはまらないものと認識しています。

 

Saigottimo

私は朗読グループ「5Thanks」に所属してライブ活動等をしてきたが、それ以外では座・高円寺(杉並区立杉並芸術会館)絵本の読み聞かせボランティアをしているくらいだった。今回、たまたま「きつねのでんわボックス」でご一緒した朗読家の中田真由美さんからお声掛けを戴いて、新たな活動機会を頂戴した

 

それは、朗読と音楽のユニット「音葉の森」が制作したオリジナル作品「キューピットは雪女」で声の出演をさせて戴くことになった事だ。この作品は登場人物別に複数人が声を担当し、オリジナルBGMや効果音が入る。子供向けの絵本や童話とはまた違って、ちょっとエスプリが効いた“大人のお伽噺”という感じである。

●オーディオ・ドラマ「キューピットは雪女」【約30分間】

■スタッフ

原作・作曲・制作統括:石貫慎太郎 

制作:朗読と音楽のユニット「音葉の森」 

■キャスト

ナレーション/ユミ:中田真由美 

ミキ:山木梨花

翔太:能登洋宇

ミキの父親:Saigottimo ​(開始から25分後に登場)

 

今回、ホン(脚本)を頂戴し自分の声だけを自録りして音声ファイルをお送りする方法で参加させて戴いた私は、中田さん以外はスタッフもキャストの誰とも一面識もない。原作者でもある制作統括の石貫さんがオリジナルBGMの作曲も演奏もし、各人の音声や効果音や画像との合成もして動画に仕上げたというから、凄い!

 

先ず私が担当する「ミキの父親」についてどんな人物かを考えた。娘が留学というから年齢は50代後半から60代前半だろう。日頃は神戸で暮らしているが、山にコテージ風の別荘を持っている点、娘が「パパ」と呼んでいる点、そして何より娘をイタリアに留学させるのだから、これは相当セレブなご身分ではなかろうか

 

そして娘が差し入れするコーヒーも缶コーヒーではなく、ポットに入れ、カップも紙コップではない(陶器or金属製?)。コーヒーもインスタントではなくレギュラーで、ミルも電動ではなく手挽きという点に拘りを感じる。また「ストーブの前の椅子で本を読む」という点も「ソファでTVを観る」ようなスノッブ(俗物)感がない人物だ。

 

そんなセレブでインテリな、つまり自分とは随分違う人物像をイメージしながら練習して自録りしたのだが、相手のミキが居ないので合成された際に会話が成り立つのかどうか心配だった。しかし出来上がりを聴いて驚いた。ミキ役の山木さんがちゃんと合わせてくれている。「やっぱりプロは凄いなぁ…」と思った

 

但し最後まで不安だったのは、ミキの実家つまり父親が神戸在住という設定なので私の言葉に関西弁や関西訛り(イントネーション)がなくてもいいのかという点だった。しかし原作者でもある石貫さんによれば、ミキの父親は所謂マスオさんであり東京出身者でも(標準語でも)構わないとの事だったのでホッとした。

 

Saigottomo

先日、このブログでご紹介した朗読動画「きつねのでんわボックス」が本日公開となりました。2021年2/1(月)から2/14(日)23:59まで14日間の期間限定公開です。この動画の企画・制作は私が2015年から活動している朗読グループ「5Thanks」。この配信の他にサイン本の販売も実施されています(詳細は末記)。

●童話「きつねのでんわボックス」【朗読約24分

2/14にて公開は終了しましたが、お陰様で総再生回数は1300回を超えました。ありがとうございました😊

■キャスト&スタッフ
企画・制作:
朗読グループ「5Thanks(代表:前尾津也子)」
語り:前尾津也子
きつねのお母さん:中田真由美
きつねの坊や/少年:雪乃
おじいさん/車の人-2:Saigottimo

    (開始から12分後と14分後)
車の人-1:大幡かおり
音楽:ななえ

※今回のキャスティング等は先日の記事をご参照下さい。

■作品について

「きつねのでんわボックス」(文:戸田和代、絵:たかすかずみ)は、ひろすけ童話賞受賞(1997年)作品で、子供から大人まで楽しめる心温まるお話です。今回朗読した「新・ともだちぶんこ」の書籍と絵本(絵本も通常サイズと大型絵本の2種類)があります。

【大型絵本と通常サイズの絵本版】

■サイン本の販売、ネット予約

神保町の株式会社ブックハウスカフェ様でサイン本をご準備下さりオンラインにてご予約戴けます。ご予約は以下のURLから(本の発送は2月上旬から中旬の予定との事。ご希望の方はお早めに)。

●絵本版

https://bookhousecafe.stores.jp/items/600544380c98463a569c6b98

●文庫版

https://bookhousecafe.stores.jp/items/6003ed77f0b1084ad3310870

 

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