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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2010年6月23日、第三次房総探索。この日のネタで記事にしてるのは旧・小松橋山太郎隧道ギロッポン前坂隧道正木1号橋梅ノ木台一号・二号隧道長浦橋&清水橋清水隧道鍵掛橋その奥、そして岩井袋隧道

 

今宵ご紹介するのは、鍵掛橋の前にやっつけた物件。今回特に写真がショボいが、臨場感と捉えていただきたい(笑)。

 

 

 

まずはこれ。

ここは国道410号、君津市豊英(とよふさ)地内。場所はこちら

 

背後に見えるは、1979(昭和54)年竣工の豊英大橋。

 

 

 

 

 

今から向かうのは、

車の背後のこの藪。

 

6月の房総で雨の中、じっとりと濡れた藪に入る…。今思えば、激しく気が進まんな(笑)。

 

 

 

 

 

進んでいくとすぐに、

隧道登場。安定の房総クオリティ。

 

 

 

 

 

この隧道、実は普通に県別マップルに載っていた(最新版は知らんけど)

地理院地図には、このように今も。ただ、こんなに国道からすぐじゃなかったはずだが、さすがに記憶がもう(笑)。

 

 

 

 

 

のぞきこむと、

しっかり貫通!

 

 

 

 

 

折からの雨で、

坑口の上から、昔のプール並みのシャワーが。

 

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

むう~イイ!ですな~。

 

 

 

 

 

てか、こうなると、

もはや雨宿り感が。

 

 

 

 

 

淡白だったこの頃、

洞内でまともに撮ったのはこれ一枚とか。今じゃ考えられん…。

 

 

 

 

 

でー。

こっちはだいぶウェットな。この日長靴は履いてなかったはずだから、まあなんとかなったのだろう。

 

ちなみにとってもきれいなアーチの形だが、これでも完全素掘りだ。

 

 

 

 

 

抜けて正対…

はできなかった。すぐに左カーブしてたので。

 

 

 

 

 

こちら側は、

ちゃんと舗装されていた。つうか、入ってきた方も舗装されてたのかもしれない、埋もれていただけで。

 

 

 

 

 

この道、豊英大橋開通前の国道旧道…ということになるのだと思う。

これは現道接続地点での振り返り。あの建物、航空写真で見ると今もあるようだが、なぜか地理院地図には載ってない。

 

あの建物手前を左に入ると、ちょっとしたものがあるんだが、まあ記事では割愛しておく。写真がショボすぎるのでね。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

2015年6月28日、プロフェッサー・おろろん完全監修による「参宮街道・東海道沿いオススメの橋シバキ倒し@三重県中勢北部~北勢~ちょこっと愛知県」OFF(長)。この日のネタで記事にしているのは、集合前の関町沓掛の謎穴追憶の香良洲橋下相川橋又兵衛橋御葭橋

 

今宵ご紹介するのは終盤に訪ねた、かねてからその名前が気になっていた橋。まあ、名前ありき物件である。

 

 

 

まずはサイドビューから。現在地はこちら

コンクリートパイル橋脚が目を…引かないこともない、そんな橋(なんやねん)

 

 

 

 

 

おそらく欄干がガードレール欄干に更新されてしまったせいで、

いささか白々しい、面白みのない橋になってしまったのかな。

 

 

 

 

 

まあそんなことはいい。お名前ありきな物件なんだからして。

その名は、夜寒橋

 

以前から冬になったらこのネタやろうって思っては忘れ思っては忘れ…。ついにやったよ!(バカ

 

 

 

 

 

並行して歩行者用橋と、

その側面にゴツいパイプが這わされている。

 

 

 

 

 

川の名前は、

佐屋川。

 

 

 

 

 

橋上より望む上流側には、

なんかけしからん感じのモノがあったんだが、ズームを撮り忘れたんで全然わからんっていう。

 

 

 

 

 

ストビューを貼っとくので、

お好きにズームしてご確認あれ。

 

 

 

 

 

渡って西側より。

うむ、やっぱ面白くはないな。お名前以外は(笑)。

 

 

 

 

 

ひらがなになると、

またやわらかい感じで、いいですな。なぜ「橋」だけ漢字で残した?

 

 

 

 

 

お誕生日は、

「昭和四十四年三月架設」。

 

 

 

 

 

最後に、佐屋川の下流側。

上のストビューで見ていただくと、ここの開放的な感じがよくわかると思う。これで橋が面白ければな~。

 

 

 

マジで寒いここ最近にぴったしのネタではあるけど、まあクリスマスにはいかにも弱いっすな。

 

 

 

 

 

以上~。

 

 

 

 

思うところあって、このシリーズ、今回から「ど~こだ?」写真を掲載しないことにする。

今までもちょっと気にはなってたのだが、転売目的で盗んでいく輩がいることを考えると、控えたほうがいいかなと…。

 

じゃあ記事にするなよ、との声もあるかもしれないが、ここまではちょっとご容赦いただけたらな~と。だって、好きなんだし(笑)。

 

 

なんか、イヤな話だけれどもね~。

 

 

 

 

2019年4月27日、平成最後の遊撃@紀伊半島の初日。この日のネタで記事にしているのは、貴婦人ゆめさきとんねるゆめみるとんねる九度山町道44号線昭和のスリー・シックスティ旧・狼橋

 

今宵ご紹介するのは、通りすがりに見つけた素敵な小ネタ。場所はおおむねこのへん

 

 

 

丹生川沿いを走っていて、なにか川に架かっているのを発見。けしからん香りがしたので、車を停めて確かめに。

 

すると…

あーなるほど。これは好きなやつ。

 

 

 

 

 

明らかに人が渡る橋ではない。

これは、管橋だ。水管とかパイプとかを渡すやつ。かなりヤレた感じだが、現役なのか?

 

 

 

 

 

とりあえず、

この橋脚に萌え~。

 

 

 

 

 

耐荷重が低いから部材もそれぞれ華奢。

だが、それがいい~。

 

先に書いとくが、この物件についての詳細は一切不明、かつ調べてもいない(笑)。よって、わたくし的にストライクだということ以外書くことがない。

 

つうわけで、以下写真を貼るだけの手抜きでどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の写真でわかるように、どうやら現役ではなさそうだったこの管橋、何のために架かっていたのか?

 

 

 

 

 

今回改めて航空写真モードで現場付近を見てみると、

屈曲した丹生川によって生まれた、ちょうどGoogle Map上で「丹生川」と書かれてるあたりに、拓かれた平場が見える。この場所には地理院地図では果樹園の記号が書かれているので、状況的にかつてここへ水を引くための水路橋だったのではないかなと。

 

取水地点は不明だが、町道の下から出てきていたので、山側の支流のどこかから、ってところかと思われる。

 

 

 

 

 

ちなみにこれは去り際に見つけたのだが、

車を停めていた場所近くから丹生川 の支流を見下ろしたら、こんなのが見えた。これたぶん、さっきのにつながってるはずだ。【上記訂正します】

 

 

まあとにかく、わたくしはこういう小ネタが大好き(宣言)。

 

 

 

 

 

 

 

わたくし、20分以上もここにいたようだ。時間かけすぎ(笑)。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2013年10月6日、高島市徘徊の際に発見した橋をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、旧・大溝橋(仮)欄干橋。今宵ご紹介するのは、この2件の間にたまたま発見した物件。

 

余談だが上記の旧・大溝橋(仮)、Q地図で判明した名称が、なんとこっちも「欄干橋」。つまり1km強しか離れていないごく近接した位置に、同じ名前の橋が存在してるというのが事実で、たまたまその2件を記事にしちゃってたっていう。

 

 

 

さて、いきなりこれ。

JR湖西線をくぐる農道?なんだが、違和感にストップ。場所はこちら

 

全線高架と築堤で踏切がゼロという超高規格路線である湖西線、ボックスカルバートではないこういう低めのアンダークロスは意外と珍しかったりする。違和感の正体は、そんなアンダークロス左側、コンクリ製の物体である。湖西線の橋台…ではないぞ。

 

 

 

 

 

角度を変えると…

…!これはもしや…。

 

 

 

 

 

急いで登ってみたら、

やっぱり。これは…橋台だ。

 

 

 

 

 

びみょ~~に角度を変えてみて…

間違いない。湖西線に踏んづけられて見る影もないが、これは橋台。そしてこの立地的に、かつての江若鉄道の貴重な遺構だと思われる。

 

かつては築堤で、農道部分にもごく低いガーダーでも架かっていたような、そんな感じか。築堤は崩されて、コンクリートの橋台のみが残ってる状態のようだ。

 

 

先述の通り超高規格路線である湖西線、大津京付近から近江今津の手前までは、概ねそれ以前に当地を走っていた江若鉄道の路盤を踏襲しており、湖西線に「踏んづけられなかった」部分を中心に廃線跡が以前は何か所か残っていた。のだが…。

 

そんなわけで、この「踏んづけられた」位置に遺構が残っているのには驚いた。どうして破壊されずに残ったのかは神の味噌汁 神のみぞ知るだが。


実はここ数年で、江若鉄道の廃線跡の主だった部分が相次いでその姿を消してしまっている。昨今のそういった状況を踏まえればさらに、これは貴重な忘れ形見である。

 

これは9年前の記録だが、ストリートビューで確認してみたら、最新版(といっても2019年6月撮影)でも同じ状態で確認できる。まあここはわざわざ撤去もされないだろうし、当分の間は残るのではないかな?

 

 

 

 

 

ちなみに、湖西線の橋台に取り付けられた銘板によると、

名称は「小田川橋りょう」。

 

なので、江若鉄道の小田川橋梁跡、とした。興味ある方はぜひ。

 

 

 

 

以上。